« 2006年9月 | メイン | 2006年11月 »

2006年10月31日

●私なりの「医」に対する想い、そして「生」について

医療業界を去ってからも毎年、勉強や知人との再会を兼ね1年に一度は興味のある学会に参加することにしています。
本年度選択したのは「癌治療学会」でした。
いわゆる緩和医療がどの程度日本で進みつつあるのかということに興味があり、久しぶりに学会の開催される東京・新宿を訪れてみることにしました。

日本における「医学の世界」は知らず知らずは「特別視」されることも多いかと肌で感じることもあります。
その背景には世間で言われているような様々な要素が混在していることでしょう。
金銭的な事情、学歴主義の延長としての医学部、個人的な経験も含み良くも悪くもさまざまな感情をいだかれることがあるのだなぁと今更ながら思います。
自分の健康、という日常的な側面から見ればもっと身近にあってしかるべき・・・ものであってもいいのじゃないかしらん、と感じることもしばしばあります。

いわゆる一流ホテルと近隣のビル1階のイベントホールを借り切っての学会行事。
その道の専門で日夜活動されている医療職の方が全国から集まってこられます。所属と名前の書かれた同じ名札を首からさげ、普段あまり着慣れないであろうスーツ姿の硬い表情の男性や女性がご自身の目的とされる演題のある会場を右へ左へ早足で歩き回られる姿は、優雅な空気をふんだんに漂わせるホテル全体の空気をぴりりとしたものに変化させてしまっているようでした。

目に付いたのは、通常はコンベンションホールなどを使用して医療職以外の方には余り目が触れられる機会がない研究発表などをサラリーマンやOLの方たちが往来するイベントホールで開催されていたことでした。
派手な装飾のついた立て看板は、日常の時間を普通に過ごしている通行人の目を充分に惹き付けるものであったのではないか、と醸し出す空気の違いにいささか私自身が戸惑いを感じていました。

この醸し出す空気の違いそのものに関してはふたつ思うことがありました。
一つは医業の世界がなにか「白い巨塔」のイメージのままに少し遠いものとして一般に感じられているせいなのか。
または「病気」や「生死」に関して私たちがいまだ知らず知らずに日常は感じないように、また日本的な文化の美点でもあるのでしょう、「そっとしておこう」という感覚に少し触れるものであったのか。

医業の世界の中に居たときには、自身の仕事に熱中し気付かなかった事でもあったかもしれません。

日常の中にあるもの、、、。

イベントホールの一角では今も闘病を続けていらっしゃったり、今は近親者の方を天国に見送られボランティアとして活動されている方々のイベントの様子を大きなスクリーンで開催期間中ずっと流し続けていていました。
その様子は私には少し変化をとげる兆しに映りました。

例えば、会社や近所の方で「病気」なんです、、、と告白されたとき、向き合ってもらえなかった感があったりもしくは自分が向き合えない感じがして自分を責めたり。
そんなことで傷ついてしまうことが少しでも減ったらいいな。
今では随分と薬剤の治験広告などもオープンにはされてきたものの、情報の不足や恐さでボランタリティが妨げられたり。
自分の心と体を大切にするとともに、他人にもそうであるように願う気持ちがオープンに広まればいいな。
そんな勝手な願いが投影され、私の目にはそう映ったのかもしれませんが。

私自身、近親者に癌を患った方が多いです。
ただ、自分でも少し違和感を感じるのは実はこういう勉強をしつつも、私の個人的背景の裏側にある母のガンの闘病を、父に任せきりにしている罪悪感からあるのかもしれません。
もう少し顔を見せてあげたら、喜ぶのかしら、元気も出るのかしらと感じながら私はあまり母に優しくすることが出来ません。
母の病気による訴えに優しく接してあげることが出来ないと感じている呵責をこういう勉強で埋めているのかもしれません。

母の闘病により、感じたことは家族だからこその葛藤をどこか感じ取りながらでも、患者である母に寄り添ってくれているお医者様への感謝がひとつ。
自分自身が優しくできなかったり、病気になってしまった母を責めてしまう気持ちもありながら、それでもどこかで愛している母や、父をもう少し人間として大切に扱ってもらいたいという欲求も一つ。

母に身体的な問題が起こるとわが事よりも恐怖を覚える父。
その父の要請で、母の病状に関しての説明に同席することとなりました。
「胃にがん細胞が見つかりました。」
うなだれる父の姿に、動揺を隠せなかった担当の若い外科の先生。こちらの質問に対して一問一答状態になってしまわれました。

色んな人と経験を見てこられてきたのだろうなと思われる看護師の方の温かい目がなければ、私は情けない思いで医師に対してもっと感情的に問い詰めてしまっていたかもしれません。
胃に始まり、腸の一部、可能性としてはすい臓の一部までもしかするととる必要があるかもしれない・・・。
健康な場所まで身体にメスをいれ取らなくてはいけなかったり、患者の家族の動揺を受け止め切れなかった罪悪感などもあったのでしょうか、その若い医師の感じるところを思い至るには私には時間が必要でした。

その後の転院により、母はまた今も違う医師のもと再発せぬように薬物による治療を続けています。治療に際して、十二分な説明と、なにかあったらいつでも電話してくださいという対応に父は安心してお任せしているようです。
娘である私が出来ていないな・・・と感じている父母への思いやりや愛を父母はは今の医師から誠意を尽くしていただくという形で貰っているようにも感じます。

そして、人生の長くを闘病とともにある母の生きる意味を思います。
彼女だけの人生を見たときに、本人としての何かを成し遂げた感はさてどうだろう、と想うと少し悲しくなります。
しかし、父はもともとが健康に関する職に従事する期間が長く、母のガンの発病とともにさらに自身で健康に関して知恵や知識を深め、仕事に生かしているようです。
私は私で、娘として思うことをある意味カウンセリングや職業で、解消しているようにも思います。
私の母の「生」に対する考え方は本当に切り取った側面でしかないのだけれど、人間ひとりの「生」がどんな形であるにしろ他の誰かの「生」に影響を与えているのは事実のようです。逆も真なり・・・で、誰であれ自分自身がなにかの影響を日常的に与えているものなのでしょうね。
自分の「生きていることの意味」や「影響力」ほど普段感じないことはないかもしれません。

個人的な「生」に関しても想いつつ、久しぶりに接した医業の世界で感じたことは化学(科学)や産業と、想いやハートの調和が奏でられたときの可能性でした。
人が生きていくうえで、煩わしさを減らし物理的にも心理的にもQOL(クオリティ・オブ・ライフ)をあげる・・・という課題を掲げていた内容には日々すすんでいるんだなとほっとするものを感じます。
私が興味を持ち、聴いていた緩和医療の発表内容でも治療と、全人的なケアを含めての医療を提唱されていた内容が多かったように感じます。

いま、どんな状況にいるのであれ「生きている」という事、「命がある」ということにもう少しこだわってもいいんじゃないかな、その意味を自分個人だけでなくてともに生きている人たちの中にもみるともっと大切に思えるのかな、そんな風に思える東京での二日間でした。


投稿者 csadmin : 12:00

2006年10月28日

◇東京の朝ゴハン

秋晴れの中、久しぶりの東京。
生まれは関西のちょい田舎(いわゆる「ムラ感覚」充分残っている所です)、
育ったのもやっぱり関西のちょっと田舎。

他の地域にお邪魔するときはあまり緊張しない私も「東京、お江戸」となりま
すと実は少しばかり意識に緊張が走ります。
「郷に入れば郷に従え」とばかりに自分で「不自然やな〜(自分の中のツッコ
ミは関西弁です)。」ってたっぷり感じながらも、普段話している関西弁が崩
れていきます。
更には普段も少々高めの自意識さんが、さらに高くなり服装なども周囲と浮い
ていないか気になってしまい地下鉄や電車内では同年代と思われる方たちの服
装の傾向を綿密にチェックします。

都会の子でない指標、3点セット、らくらくクリアです。

現在のカウンセリングルームである品川、御殿山。
私の勝手なイメージの「ビルいっぱい、人いっぱい、冷たい、恐い」(本当に
失礼な偏見ですけれど・・・)とは少し違って閑静な住宅街の模様です。

さてさて、出張中は朝ゴハン、昼ゴハン、晩ゴハン、と知らない土地で調達せ
ねばなりません。普段はひとりで外食するのにもあまり抵抗のない私ですが、
やっぱり東京。

やや緊張気味。(-"-)

清々しい朝を迎えたものの、近所のお店はコンビニくらいしか分からない。
そこへ、東京在住、竹田カウンセラー登場。
こういうところで昔にお世話になった方に会うのはとても心強い。
近所の喫茶店を教えてもらい、さてコーヒーでも飲みにいきましょか、と。

入ったお店は、1台の大きなダイニングテーブルと3席程度のカウンター席が
ある可愛らしい喫茶店。白髪交じりの髭がいい雰囲気を醸し出している店の
ご主人が、せっせとパニーニを焼いていらっしゃる模様。
先客はご夫婦と小学生低学年くらいでしょうか、の男の子のご家族連れ。

じっくり淹れていただいた香りの良いコーヒーを頂きながら、ひとりはやは
り手持ち無沙汰で、心の中で「ゴメンナサイね」と呟きつつも、ついついご
夫婦の朝の会話に耳を傾けてしまいます。
お題は「学校の先生の子供さんに対する教育について。」奥様と旦那様で
「こういう態度は正しくない」とか「これはおかしいんじゃないか」などと
熱心にお話されています。
さすが東京(まるっきり偏見です)、土曜の朝からご夫婦で熱心な・・・。

しかし、このご夫婦の間の議論の緊張も、私の変な偏見によるちょっとした
緊張も解いてくれたのはこの小学生くらいの男の子。

店のご主人が焼いているパニーニに興味を持ったんでしょうね、私が座って
いたカウンター席の隣の空席になんとかよじ登ろうとする彼。
その一生懸命な様子が微笑ましく、思わず「にたーっ」とついつい笑いかけ
る私。
私の笑顔を受け入れてくれた彼は、席の上で膝立ちしつつ中のキッチンを興
味しんしんで眺めます。今度は店のご主人がにっこり笑顔を向けつつ、男の
子に話しかけてください
ました。
そして、満足して席をピョンっと飛び降りた彼はご機嫌でまだ議論中のお母さ
んのもとへ。お母さんはご機嫌な彼の様子に、ふっと力を抜かれた様子でご夫
婦の会話も「正しい、正しくない」の議論から今日どうしようか、という楽し
げな計画へ。
そして、私にも気付かれたご夫婦は、お二人でにっこりと笑顔を向けてくださ
いました。

お店の中の空気が一度に暖かいものに変化しました。

お子様をおもちのご家庭ではよくある光景なのかもしれませんが、知らない土
地でひとりの私にとっては彼はまさにパワフルな天使さんでした。
出張で肩に力の入った私のリラクゼーションを一瞬でしてくれたなんて事は、
彼は全く自覚がないことでしょう。
人を思わず笑顔にしてしまうような「愛される力」や「繋がりをつくる力」と
いうのはとてもパワフルな癒しをもたらす力があることを再認識させていただ
きました。

本当は私たち、皆が「こども」の時代には実はこんな力をどこかしこで発揮し
ていたのでしょう。

私たちは大人になるにつれて、自然に持ち合わせている「愛される力」を忘れ
て、他の自分を守ってくれると信じるもの、お金だとか、資格だとか、肩書き
だとか、知識だとか、プライドだけに頼ろうとして生きているのかもしれない
な、と思います。

でも、どんなこども時代の記憶の奥底にもあなたに向けられた笑顔が少しでも
思い出せたとしたら、、、。
自分自身が生まれたときから実はもっている「愛される力」と繋がることがで
きるのかしら・・・などと、自分のこども時代をまた今までと違った目でもう
一度見ることが出来た東京の朝ゴハン。

あなたの「こども」の時代には、一体誰を幸せにしてあげたのでしょうね?
きっとあなたが思うよりも、本当にたくさんの人たちに役に立ってるはず・・
・、ちょっと想いだしてみませんか?

そして、今は帰ってきた神戸の自宅より愛をこめて。


投稿者 csadmin : 11:30

2006年10月24日

●一枚の葉書き 〜〜友からのたよりに寄せて〜〜

 ポストに、一枚の葉書きがあった。

 懐かしい文字。15年来の付き合いの友人からのもので私より10歳ほど年長の彼女は、昨春私と時期を同じくして職場を去ったのだが、彼女の退職の理由は体調によるものであった。

 私たちが知り合うさらに5年ほど前から「慢性関節リュウマチ」と言う慢性的な自己免疫の疾患と付き合いだした彼女。退職した昨年は更に病気の数が増えた、とある。発病当時、教師としてかなりのハードワークをこなしており、発熱を薬で抑えながらの勤務をしていたのだそうだが、これが病気の始まりであったと当時の彼女には知るすべもなかった。学期を終え診察を受けたときには医師からは「もう少し早ければ・・・」と言われたと言う。私と出逢った時には既に手の甲に目に見える変形が起こっていた。仕事はもちろん、日常生活にもかなりの工夫が要る状態だったと思う。
 慢性関節リュウマチ・・・この病気は関節を包む「滑膜」の炎症に始まり、進行に伴い関節や軟骨がやがては破壊に至ることも多いと言う。彼女の退職前も(動きにくくなるので)一番恐れていた膝の滑膜の肥大がひどくなりその手術とリハビリに明け暮れた1年だった。その後、不自由な部位が増え、今では肩や頸に金具を要れた上装具の装着をしての生活なのだそうだ。しかし、彼女の生き方は常に真剣であり、いろんな意味で「譲る」ことをしない。動ける間に・・・と言う思いからなのだろう。仕事を辞める時には「まだできる」の思いも強かったように思うが、結局人生全体として考えた時、仕事を辞めると言う決断になったのだと言う。

 携帯電話やパソコンと言った「文明の利器」を彼女は殆ど使えない・・・と言うか使わないのだろう。もちろん年齢的なものや時間のなさ、体力のなさと言った事もあるのだろうが、私は彼女のような「アナログな生活」もまた好きだ。そう言えば、車にしたところでいよいよ手や足がしんどい、と言う頃までマニュアル車に乗っていた彼女。機械に頼るより自分の体の感覚を大切にしていたのだと思う。そのせいなのかどうか、50代も後半に差し掛かっている上にたくさんの症状と付き合っていると言うのに、とても若々しく魅力的なのである。人の生きる力とは、体力や体の健康よりも「生きたい」「動きたい」と言う意欲が一番の原動力なのだ、と彼女を見ていると私は何時も思う。

 彼女と同じ職場にいた頃、もう一人の友人と三人か時にはそれ以上でよく遊びに行った。三人とも車を使うのだが、そろって出かけるときには必ず電車を使った。大阪は鶴橋の(この駅でJRと近鉄の乗り換えをする度に私は降りてしまいたくなる・・・駅の構内は「匂い」と言う嗅覚に訴える広告で充満しているのだ)有名な焼肉屋さんへ行くだとか、京都のおいしいお茶漬屋さんでの昼食が目当てだとか、八坂神社前のさば寿司を買いに行こうだとか、神戸の海沿いの店でフランス料理を食べようだとか・・・たいていは食べることが主体だった。彼女たちはどちらも私よりかなりの年長と言うこともあって、二人といる時に初めて私は「末っ子」の気分を味わえたものだ。彼女の葉書きは、そんな自分がいたことも思い出させてくれた。

 話はまったく変わるが「葉書き」の由来は葉に書いた便り、と聞いた事がある。言葉と言う文字にも「葉」の字が使われているし、言の葉、と言うゆかしい表現もあるが「言の端」が元々の由来であったとか。でも紙自体、パピルスやこうぞなど植物から作ったものがあり、やはり「葉」と言うのが良いなあ、と個人的には思ったりする。心を形にして贈るのに、何だかふさわしい気がするから。

 私は手紙が好きである。出すのももらうのも、ちょっとときめきがある。今でも、大切なときには手紙を書くし、時にはクライアントさんからのお便りを戴く事もあり、これが「心」を手にできるようでとても嬉しい。中には自作の絵や写真など、また季節の便りを届けてくださる方もいて、私には大切な宝物になっている。

 8歳の時から、縁あって今でも季節の便りを交わす、しかし一度もあった事のない友人がいる。当時都会の小学生だった私たちのところに蛍を送ってくれた、今でも未だに緑の豊かな場所にある小学校の同学年の「仲間」に宛てたお礼の手紙への返信がきっかけだった。当時の担任にすればただ出席番号順に振り当てただけだったと思われるのだが、私とそのペンフレンドはよほど相性が良かったらしい。母親に綺麗な便箋や、旅先で絵葉書を買ってもらっては手紙の交換をしていた。

 高校時代には女友達としょっちゅう手紙のやり取りをしていたし(時には授業中に書きました・・・懺悔)、交換日記もしていた。交換日記は友人からの誘いだったのだが、私の中のいろんな思考を外に向けるのにはとてもいい習慣になった。深刻な話、恋話、将来への夢や不安、勉強のこと(彼女は私と違いとっても優秀な生徒だった)、音楽の話、プロレスの話・・・思いつくままに書いた。ノートのページが残り少なくなると(買う順番を決めてあった)次のノートをどんなものにするか、色々思いあぐねたりするのもまた楽しくて。紙を選ぶところから、気持ちの交流は始まっている気がする。

 綴った事の殆どはもちろん憶えてなどいないのだが、当時のことを思うと一字一字が列車のように連なって過去から流れてくるような感じがする。言霊だなんて、先人は良く言ったものだとつくづく思う。

 メールやパソコン、プリンタが普及している昨今、必要以外はすっかり筆不精を決め込んでいるけれど、拙い文字や文章から流れ出るものがあるのかもしれない、と思う。手紙を書くときには大体一気に書いてしまうことが多く、見直すことはあまりない。見直したが最後、気になることばかりで出せなくなってしまう恐れ大、だからだ。想いを伝えるのにはやはり手紙は好いものだなあ、と改めて思う今日この頃。そう、「言霊」を伝えあっている気がするから。

 彼女の書く文字は彼女の不自由な生活がうかがい知れないほど整い、病と付き合いながらの教師として、妻、母、娘としての彼女の生き方を今更ながら深く思う機会にしてくれた。そして、私の中にあるとっても多くの掛け替えのない宝物をもう一度思い出す糸口にもなった。
 
 「あなたにお会いして元気なお顔が見たいです。体にはくれぐれも気をつけてくださいね。」

 友人の葉書きの締めくくりの一文である。彼女のように症状が進んでゆく病気を持っている気持ちはいかばかりなのか。想像力の欠如している私には解かりえないと思うのだが、流れ行く季節のようにその事さえも受け入れているかに思える。

 長い秋の夜、彼女の言葉のその温かさ、その重みをしみじみと噛み締めている私なのである。

投稿者 csadmin : 12:00

2006年10月21日

◇楽したければ、清水に聞け!!

こんにちは、心理カウンセラーの清水三季央です。

「楽したければ、清水に聴け!!」

先日、うちの彼女さんが、そう言っていました。

「何かな?」

とたずねると、今まで使っていたダイニングテーブルが邪魔なので、
妹に送りたいと言うのです。

でも、このダイニングテーブルを解体して、梱包して、宅配業者に、
来てもらう準備が面倒だと思ったようなんです。

「あー、宅配業者の人が全部やってくれるんじゃない?」

と僕は思ったんです。引っ越してくるときには、そのダイニング
テーブルは、解体せずに、組み立てられたまま、宅配業者さんに
運んでもらおうとしていたんですが、業者さんが、これ解体しちゃって
いいですか?と言われ、その場で、サクサクと解体して、
運んでいたのを知っていたからです。

ダメだったら、僕がやるからと伝えると、彼女さんがネットで
業者さんを調べようとするので、

「電話で聞いた方が、早いよ」

と伝えて、他の配達物にあった、電話番号に電話をすると、
すぐ案内をしてくれ、業者さんがとりにくるときに、
解体も梱包もして、持っていってくれることがわかりました。

そのまま、申し込みをし、この件は、終了しました。

下手をすると、彼女さんは、自分で解体をして、梱包をして、
それからネットで業者さんを調べて、電話をして、申し込むという
作業をするところだったのですが、僕にちょっと聴く事で、
電話一本だけで済んでしまったという出来事でした。

今まで、うちの彼女さんは全部を自分でやろうとするところが
あって、しなくてよい苦労を背負い込んでしまいがちでした。
いつも彼女は直球勝負なので、それは良い面でもあるのですが、
いつもそれだけとなると、けっこう大変な面もあるのです。

そして、僕のアドバイスというのは、今までのいろんな経験から
物事をシンプルにしたり、他の力を借りたり、裏技を使ったりと、
スローカーブで打ち取ることも、心得ているわけです。
(もちろん、直球が必要なときは使いますが)

今回の出来事は、知っていれば当たり前のことなので、
楽するというほどの知恵でもなんでもないのですが、少しでも、
楽したいという気持ちがないと、しなくてもよいことに、
時間や労力を使ってしまいがちです。

今までは、そのスローカーブなやりかたが、彼女さんに
とっては、邪道だとか、いいかげんだとか、そんなのでいいのか!と
なかなか、受け入れられずにいたところがあったのですが、
この日、彼女さんから、「楽したければ清水に聴け」と、
楽をすることや、助けを求めることに、楽に許可できていたことに
触れて、少し、うれしく思ったのでした。

そうそう、「楽したかったら、何でも聴いてよ♪」
と自慢気に、彼女さんに言って返すのでした。

みなさんも、楽したかったら、清水に聴いてくださいね。
何でもお答えしますよ♪


清水 三季央のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 11:52

2006年10月17日

●ありのままに愛される って?

突然ですが、木村家は荒れております。
と言っても、二人の関係ではなく、家の中が荒れ放題になっているのです。

少し前に僕が体調を崩して、回復するのに少し長引いていました。
その間、奥さんは家のことを後回しにしてまで、僕の面倒を一杯見てくれていました。
まるで子供のように面倒を見てもらっていた僕は、たくさんの「ごめんなさい」と「ありがとう」と共に、回復に至りました。

この時点で、木村家はチョイ荒れです(笑)

僕の回復と入れ替わるように、今度は奥さんの調子が悪くなってきました。
奥さんはアレルギーを持っていて、症状が手に出るんですね。
ものすごくひどい手荒れのような状態になり、出血したり、痛みがあったりするようです。
手が腫れて指も思うように動かすことができず、動かすと痛いようなんです。
両手がその状態になってしまったので、手を使って何かをすることができないんですね。

それまで奥さんがやってくれていた、木村家の家事のほとんどがストップするとともに、部屋は散らかり、洗濯物は溜まり、食事は栄養バランスを欠いたものとなってしまいました。

「まぁ、それでもたちまち死ぬ訳じゃないし…」と、仕事の合間を見てちょっとずつ家事をするのですが、もちろん到底追いつきません。
そんなこんなで、恥ずかしながら、木村家は荒れ放題になっているのです。

そんな惨状(?)の中、奥さんは事あるごとに言います。

「ごめんね。何もできなくて…」

家事だけではなく、服を着る時にボタンが留められなくて僕が留めていたりしていたので、奥さんはよっぽど僕に迷惑を掛けていると感じているようで、それを詫びるのです。

全然迷惑なんかじゃない僕は、その都度「迷惑なんかじゃないよ〜」と言うのですが、奥さんとしては、「自分は何もしていない」「僕の役に立ちたいのに立てない」というのが、とても心苦しい様子です。

僕としては、「僕のためにあれをしてあげたい、こんなものを食べさせてあげたい」と思ってくれるその気持ちが何よりうれしくて、何もしていないことは問題ではありません。

もっとも、家事をしながら「しんどいな〜」と思ったり、奥さんに「あれやってもらいたいな」とか「これをして欲しいな」と思う気持ちはあるんですけどね。(笑)
だけど、それは僕が一番求めていることではないんですよね。

奥さんがごはんを作らなくても、外食したり、お店で買ってきた物を食べることはできます。
奥さんが家を片付けなくても、ハウスキーピングのサービスを頼めば片付けてもらえます。
その他の家事にしても、代わりはいくらでもあって、どうにでもなるんですよね。

だけど、奥さんの代わりだけは、どう頑張ってもどうにもなりません。
奥さんという人間は、この世に一人しかいないのですから。

僕にとって一番大事なのは、「その奥さんが僕の側にいてくれること」なんです。

たとえ、家事の全てを誰かに任せて、高級ホテルのような隅々まで行き届いたルームメイクのされた部屋で過ごし、五つ星レストランのグラン・シェフが作った料理が毎日食べられたとしても、そこに奥さんがいなければ、僕の心は満足しないでしょう。

僕の心の中には、奥さんに対する細かなニーズや不満が、挙げればキリがないくらいたくさんあると思います。そのために、見失ってしまうことも多々あります。
しかし、「奥さんが存在していること」そして「奥さんが僕の側にいてくれること」 これが何よりも僕の心を満たしてくれているというのを、今回の、奥さんが何もできないけど僕の側にいてくれるという状況から、改めて感じたのでした。

「ありのままの自分を愛される」
「存在することを喜ばれる」

僕には長い間、理解することができませんでした。奥さんもおそらく同じでしょう。
これについては、未だに本当には理解できていないと思います。

だけど、「ありのままの誰かを愛する」「存在することを喜ぶ」ということについては、理解することができます。
それは、僕の、奥さんに対する想いだから。

僕はまだ親になったことがないので、想像でしかないのですが、子供を持ったとしたら、子供にも同じように感じるのだと思います。

そんなことを考えている時、ふと、自分の子供時代のことを思い出しました。

「親に迷惑かけないように」「親に心配かけないように」「親に喜んでもらうために」…

そうしないと愛されないと思って、何かしなきゃ、何かしなきゃ、と、一生懸命にいろいろな「何か」をしてきていました。
それは、大学進学後も、就職して社会人になってからも、そして今も綿々と感じて続けてきたことでした。

そうした思いに耽っていると、突如、受けとらざるを得ない気づきがやってきました。

「両親に愛されている」

!!!!!

それは、「何かをしたから愛する」というようなちっぽけな愛ではなく、どんな僕でも丸ごと包んでくれる、大きな大きな愛でした。
僕は、生まれた時から、いや、ひょっとしたら生まれる前から、その大きな大きな愛で、それがまるで空のようにいつも僕を包んでくれていることに気づいたのです。

あまりにも身近にあって、あまりにも馴染みがあって、それは空気と同じように存在を感じさせず、「それがあって当たり前、あるのが普通」の状態になって麻痺していたのかもしれません。

だけど、確実に僕は愛されていたのです。

奥さんが、何もできない子供のような僕の面倒を喜んで見てくれたように、僕が、奥さんが何もできないことを問題と感じず、ただ奥さんが存在して僕の側にいてくれることを心から喜ぶように。

そんな大きな愛で包んでくれる、父と母の子供に生まれてきて、僕は幸せです。


しばらく顔を合わせてない父と母の顔を思い浮かべ、久々に実家に顔を出そうかと思っています。
たくさんの「ごめんなさい」と「ありがとう」と共に。

投稿者 csadmin : 12:00

2006年10月14日

◇こだわりは・・・

こんにちは。きのです。
人恋しい季節ですね〜。
意味なく切なくなるのも、季節のせいです。
きっと。。。

さて私、ひとり暮らしをはじめてもうすぐ2年になります。
ひとり暮らしの女性のお部屋は雑誌なんかで見ると、とてもお洒落で
「こんな部屋に住んでみた〜い」
と、思わせるステキな部屋ばかりなのですが、私のは・・・かなり所帯染みた
部屋になっています。
1DKなのですが、部屋は和室なので所帯染みているのでしょう。
私は畳っ子なので、和室をあえて選んだわけですが、畳は私を和ませてくれま
す。

私の家でよく飲み会をするのですが、誰かしらその辺で酔っ払っては寝転んで
います。
中には寝息を立てて熟睡をする友達もいます。
スタイリッシュでステキなお部屋にはにない光景です。たぶん。
でもみんな和んでくれているから、私は私の部屋が好きです☆

しかしこの部屋、掃除嫌いの私のせいで、荒れ果てている時は目も当てられぬ
状態となっています。
そんな時は、和むどころか私の心はも廃れ荒れ果てています。
そして、ふてくされた私はその状態を打破すべく掃除をするのですが、掃除も
こだわりがあって、
先ずは、玄関からトイレお風呂、キッチンと、あまり荒れ果てていないところ
から手をつけてしまいます。
しかも、和室が荒れ果てていれば荒れ果てているほど、先にする場所は磨き上
げています・・・。
多分、荒れ果てた部分を見たくないので、簡単なところをしっかりしよう
と・・・
まぁ、それを別の言葉でいえば真実と向き合う前の逃避をしているのですね。
でもこの逃避は、私にとってはこだわりかもしれません。
トイレやお風呂を磨いている時や、洗面台、流し台を磨いている時、無心でゴ
シゴシとしている私がいます。

荒れ果てた心と、無心。

何となく、奥深い話になりそうな予感・・・。

なのですが、私はここから話を広げる術が知識を持ち得ていないようです
(^^;

勘のいいみなさん、そうです!
どうしてこの部屋と掃除の話になったかというと、
「掃除しなきゃなぁ〜っ」
て、ここのところ散らかった部屋を見て思っているけど、
「したくないなぁ〜」
と、思っているからです。

すいません。この公の場、自分の掃除に対する意欲を駆り立てる事に利用して
います。
いけない・・・これはいけない・・・。
という思いだけが、私の心で空回り。

でも、明日には綺麗に磨き上げたトイレとお風呂と流しはあるはずです。


きのかずよのプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 11:29

2006年10月10日

●つれづれなるままに〜秋〜

秋になりました。
季節の移ろい方が昔と違って、最近は夏と冬が長くて、春と秋が少し短い気がします。地球温暖化の影響でしょうか?

秋と言えば、そう、僕は先ず「食欲の秋」ですね。
食べ物がとても美味しい季節です。
新米、秋刀魚、松茸、秋茄子、栗、葡萄、柿・・・枚挙にいとまがありません。
自然が育んでくれた物、人間が手間ひまかけて育ててきた物、様々な美味しさが秋にはありますね。秋は、「収穫の秋」でもあります。
この季節、美味しい食べ物を酒の肴にしてお酒を飲むと、また一入ですね。
みんなでワイワイ呑むのもよし、恋人やパートナーとしっぽり呑むのもよし、お気に入りの音楽に浸りながらゆっくりと呑むのもよし。
様々な楽しみ方が出来ますね。

ところで、僕は最近スポーツクラブに通い始めました。正に「スポーツの秋」ですね。
スポーツクラブに通い始めた理由は色々あるのですが、一つは主治医から運動を勧められたからです。
実は、随分と前から運動することを勧められていたのですが、そして僕も運動をしたいとは思っていたのですが、結構忙しい日常生活を送っているものですから、「そんな時間なんて、とてもない」と思っていました。

人間の気持ちというのは不思議なもので、心のどこかに何らかの抵抗があり、わずかでもそちらの力が強いと、行動を起こしません。この抵抗は意識していない場合もありますね。しかし、その抵抗の強さに比べて「やりたい」と思う気持ちが少しでも強まると、人間は動き出します。

僕には、運動をする事か、スポーツクラブに通う事に、どこかで抵抗があったのでしょう。ようやく重い腰を上げました。

僕の場合、そうやって重い腰を上げた時には、3日坊主の恐怖が襲ってきます。何かの通信教育もそうだったし、英会話もそうだったし・・・という過去が甦ってきます。
でも、運動は続けることに意味があります。
3日坊主の過去の自分の心理分析をすると・・・「ああ、あの時は、とにかくやらなければという思いが先に立っていたなぁ」とか「人に負けたくない」とか、そんな気持ちでやり始めた事が多かったような気がします。本当に好きでやりたいことではなかった様な気がします。
だから、今回は敢えて「やらなければ」という気持ちよりも、「やりたくなったらやるだろう」と、いつか動き出す自分を信じて待つという感じで、主治医からの勧めを一旦横に置いてみたんです。
そうしたら、やっぱり運動がやりたくなるようなきっかけがあって、始めることにしたんです。

そのきっかけは、友人が、くも膜下出血で倒れた事でした。
まだ20代の、いかにも病気とは縁がなさそうな、元気な、明るい、楽しい友人でした。
その知らせを別の友人に会った時に聞いたのですが、その瞬間、僕はボロボロと泣いていました。僕にそのことを教えてくれた友人も、一緒にボロボロと泣いていました。
そのとき、僕の心の中では、「なんで、あの友達が・・・」という思いで一杯でした。

僕は、人間の病気がこんなに人に悲しみを与えるものなのか、と改めて思いました。
そして、人が人を思う気持ちの大切さを噛みしめました。
僕は、自分の体を、自分の事をもっと、もっと大切にしたい、と思いました。

幸い、倒れた友人は順調に回復して、後遺症も残らないだろうとの知らせが届きました。ご家族の願いが、多くの友人の願いが、僕の願いが通じたんだろうなぁ・・・と思っています。

さて、スポーツクラブでの私はというと・・・毎回ストレッチから始めるのですが、なんと体の硬いこと。自分でも驚きです。
トレーナーからしっかり見られていたようで、「体固いですね」と指摘されてしまいました。
そのお言葉に、僕は笑うしかなかったですね。

ところで、カウンセリングが、スポーツクラブのように誰でも、気軽に利用出来るようになればいいなぁと僕は思っています。
スポーツは健康的な感じがしますが、それに比べてカウンセリングは、まだまだ日本では偏見がある気がします。
僕は、スポーツが体を鍛えたり、整える方法だとすると、カウンセリングは心を整える方法ではないかと思っています。
現代社会は、多くの人がストレスや何らかの問題を抱えています。心の汗を流してさっぱりする、カウンセリングがスポーツクラブのようにもっと身近なものになると、人間関係も円滑になって、より暮らしやすい、楽しい社会になるのではないでしょうか。

大谷常緑のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2006年10月 7日

◇本当に欲しいもの

当たり前ですが、子供って本当に素直です。

うちの息子は、TVでおもちゃのコマーシャルが流れる度に

「あんなん買いたい♪」
「こんなん欲しい♪♪」 と節付きで叫んでいます・・・(笑)

また「抱っこして!」「遊んで!」「一緒にあそぼ♪」
いつも感じたまま、ためらうこと無く表現します。

僕たちも、小さな頃は自分の気持ちに素直だったり、
感じたまま伝えられていた時代があったんだと思うのですが、
大人になると、自分の本当の気持ちが解らなくなったりします。

そして身近な人との関係でも、
一番伝えたい気持ちが見えなくなってしまうこともあります。

彼と喧嘩して距離が出来てしまったり、
私の気持ちを理解してくれない彼を許せないでいる時、
私の心の中にある本当の気持ちは「許して欲しい」だったり・・・

妻に苦労ばかりかけているなあと思いつつ、
家に居る時間を避けたり、あまり妻に近づかない夫が、
心の底に仕舞い込んでいる言葉は「ありがとう」だったり・・・

パートナーと「別れたい」と思い詰めているあなたが言葉に出来ないものは、
例えば「助けて欲しい」だったり・・・

今「えっ??」って思った方、自分の気持ちに繋がれてませんよ(笑)

大人になれば、随分と長い時間取り組まないと、
自分の本当の気持ちに繋がらなかったり、
自分でいくら探しても、本当に感じている気持ちが分からない・・・
なんてこともあります。

不思議ですよね。
子供の頃は探さなくてもいつも感じられていたのに。
きっとたくさん傷ついて、心に固いカバーが付いてしまっているのでしょう。

僕が、心の中の埋もれた色んな気持ちに取り組んでいた時、
こんな自分を思い出したことがあります。

まだ小さい頃の事です。
両親の喧嘩が始まると、僕はいつも自分の部屋で一人小さくなりながら、
「神様、どうか、うちのパパとママが仲良しになりますように」って、
真剣にお祈りしていたんです。

今から考えるとあまりにも純心で、自分でも愛おしくなりますが(笑)

でもね、何度も何度もそうお祈りしても喧嘩が絶えないとしたら、
あまりにも悲しくなってしまい、子供心にも、
「うちのパパとママじゃあ無理だな」って気持ちになってしまうでしょう?

そして、自分のその気持ちや願いすら感じないようになってしまいます。
そして、そう祈ることもなくなってしまいます。

こんな経験を何度も何度も重ねて来た大人たちは、
自分が本当に願っている思いや、本当に欲しいものを、
すぐに思い出せなくなってしまうのです。

いまだに許せないでいる彼に、
もう伝えることすらしなくなったパートナーへ、
あなたが諦めてしまった、本当に伝えたい気持ちを探してみてください。

そしてもし、
今あなたが、欲しいと思っているのに手に出来てないものがあるとしたら、
もう一度あの 欲しい という気持ちを思い出してみてください。

受験の時、好きな人が出来たとき、また人生で大変な時・・・
僕たちは、神社に行って、神様に手を合わせて、
必死の思いでそれを願い祈りました。

大人になった僕たちは、神様に今ある幸せを健康を心から感謝します。
そして、周りの人や知人の幸せを心から祈っているでしょう。

でも、時には自分のためだけにもう一度強く祈ってください。
子供の頃のように、今欲しいものを本当に欲しいと感じてみてください。

「パートナーが欲しい!!」「幸せになりたい!!」「お金持ちになりたい!!」

あなたが願うその強い思いともう一度繋がってください。
涙が溢れ出るぐらいその気持ちと繋がってください。

あなたの思いはまだ生きています。
そしてそれは不可能でも無理でも無いのです。

その純粋で強い気持ちが、必ずあなたの人生に変化を与えてくれます。


※吉原 直人は2007/6月でカウンセリングサービスを退会しました。

投稿者 csadmin : 11:26

2006年10月 3日

●「印象派と西洋絵画の巨匠たち展」にて

この展覧会は、印象派好きの私にとって、とても待ち遠しいものでした。
今回もたくさんの美しい絵と出会い、絵の中の風景を楽しんで来ました。
その中からいくつか、特に印象に残った絵について、皆さんにお話したいと思います。

カミーユ・ピサロの「春、朝、曇り、エラニー」は、一面に広がる緑・・・心を照らすような明るい緑に心惹かれます。
春の清々しい朝、という感じです。
タイトルには、「曇り」とありますが、水色の空、浮かんでいる小さな雲を見ていると、晴れているように思えます。
白い花・・・気持ちをすっきりとさせてくれるような・・・をつけた木が左側と中央にあります。
その間には、何か作業をしている人がふたりいます。
左側が女性で、白っぽい長袖のシャツを着ていて、前かがみになっています。
右側は男性で、白いシャツを着ていて、腕まくりをしているようです。
男性は、左手には何か袋のようなものを持っています。
絵の左端にはあぜ道が見えます。
緑の中にたくさんの黄色い花・・・もしかしたら実なのかもしれませんが・・・が見えます。
この黄色は、観ていると和むような黄色をしています。
絵の中央を横に道が伸びています。
この道を通る人がいれば、作業の手を止めて、会話したりするのだろうなあと思いながらこの絵を観ました。

次に、アルフレッド・シスレーの「牧草地の牛」です。
左に高く伸びた大きな木があります。
青々とした力強い緑をした葉をたくさん付けています。
その下では、涼んでいるのでしょうか?
木陰に牛の番をしている人がいます。
牛は3頭いて、1頭は黒と白、もう2頭は茶色と白のまだら模様をしています。
3頭とも草を食べています。
右下には、弓なりに道があります。
どこへ続いているのでしょうか?
気持ちのいい濃い青空、モクモクと広がった雲・・・夏のようです。
この絵を観ながら、ゆっくりと流れていく時間を感じていました。

最後に、エドワード・W・ウェイトの「ひな菊の野の子供たち」です。
右上に雲が広がっていて隙間から青い空が見えます。
雲の下には丘があり、白い動物がたくさん・・・羊でしょうか・・・が見えます。
丘の手前には、川があり、2艘のボートが見えます。
左上には大きな木、その木の下には女の子が2人と少し離れて男の子が1人います。
1人の女の子は、茶色の服にピンクのエプロンのようなものを着て、ベージュの帽子を被っています。
もう1人の女の子は、ブルーの服に白いエプロンのようなものを着て、白い帽子を被っています。
男の子は、白のシャツに茶色のズボン、ベージュの帽子を右手に持っているように見えます。
子供たちの周りには、ひな菊がたくさん咲いています。
3人ともひな菊を摘んでいるようです。
大きな木は、子供たちがそうやって遊んでいるのを見守っているように思えます。
きっと、エドワード・W・ウェイト自身が、優しく見守るような気持ちで子供たちが遊んでいるのを観ていたのでしょうね。
この絵を観ていると、そんな気持ちが伝わって来るようです。

今回は絵を通して、日常の中にある美しさを思いました。
風景だけでなく、そこで生活する人々の精神的なものも含めて、美しさが伝わって来るような気がしました。
今度絵を観に行く時には、私はなにを感じるのでしょうか?
また何かを見つけて、皆さんにお話できるのを楽しみにしています。

上田紘美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00