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2006年4月29日

◇私の身体のヒ・ミ・ツ

こんにちは。きのです〜。

春うらら 私は風邪で フラフラら〜

そのままの意味ですが(^^;
私は、先週風邪をひきまして、大変しんどい数日を過ごしていました。

体力に自信のある私は、ちょっとの苦痛を大げさに
『もう死んでしまう〜』
と、ビビってしまう小心者ですが、そんな私が自分の不調を知る予兆(?)
は、
『勝手に身体が震え出す(寒い訳でもなく、もちろん武者震いでもなく)』
そうなって初めて、
「あら、私、疲れている」
と分かる訳です。

で、先週は久しぶりに、勝手に身体が震えだしたので、
「おぉ〜久しぶりやなぁ〜この震え」
と、1人でビビリつつも感動していました。

20代の前半から中頃、飲んで歌ってと遊んでは午前3時4時に帰り、
次の(?)朝7時からコンビにバイトに行き、12時から測量の仕事、
で、夜は家庭教師や塾講師のバイトに行くようなことがありました。
たまに、そんな日が3日連続となると、身体が震えていました。
震えた日は、早く帰ってじゅうぶん寝たら、翌日には回復していましたが。
。。

そんなこんなで、私の身体は、よく私にお知らせしてくれます。

生理前には、鼻の中にニキビが出来ます。
これがかなり痛いのです。
鼻の中に異物感を感じ、鼻をほじらねばとすると、その吹き出物に指があた
り、何とも言えない痛みに涙が出ます。
で、数粒の涙を流した後に、
「お、生理前かぁ・・・」
と、その痛みに無理やり納得をします(^^)v
しかしなんで、鼻の中やねん・・・
と思うのですが、普通に出来る部分(おでことかほっぺとか)では、
私が、生理前と気付くことなく、ニキビ処理をするだけで、生理が来たら慌
てるのだろうと、
身体は私に気を使って(?)、特異な箇所に出来るようにしているのかな〜
と。

また、自分では何とも無く日々過ごしていても、ある日突然、お尻に湿疹が
出来ます。
これがまた、むしょうに痒いのです。
しかも、場所が場所なんで、簡単に掻き毟ることが出来る場所ではないので、
我慢します(T-T)
我慢していると、いろんな事への集中力がなくなります。
この湿疹は私に何を教えてくれるか?
・・・・・・・・
食べ過ぎにて、お尻がでかくなってジーパンがきつくなった事を・・・
・・・・・・・・
いやいや、これは私の統計からですが、好きな人が出来たときに湿疹が出来
るようで。

一番最初に、このお尻の湿疹が出来たのは、学生時代も終わりの頃。
前の失恋が癒されつつあるそんな頃。
仲良い男友達がいまして、さわやかなデートをしたりで遊んでいたのですが、
、、
悲しいかな、ある日突然お尻に湿疹でき、彼から連絡が来てもそっけなくし
か返事が出来ず、
多分、彼は嫌われたと思ったのでしょう・・・
私の湿疹が引いた頃には、新しい彼女が出来ていたのです。。。

あぁ、聞くも涙、語るも涙のストーリー。

それ以降、ある日突然お尻に湿疹が出来ては、愛想の良かった私が、
急に無愛想になるというのを繰り返しております。

これが、無意識の抵抗と言うものでしょうか・・・

無愛想には、それなり重大な理由があるというものなのです。

最後に、これを書きながら思い出したのですが、小さい頃、よく足に魚の目が
出る子供でした。
そんな時は、よくお母ちゃんやお父ちゃんに見せびらかして、処理してもらっ
ていました。
親にかまって欲しい時に、風を引くとかはよく聞く話ですが、私は、魚の目を
作る子だったみたいです。

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投稿者 csadmin : 02:02

2006年4月25日

●「血」と「地」のつながり〜息子の出発〜

 友人夫妻の話を聞く機会があった。元々息子たちの保育所での関わりがお付き合いの始まりだったが、子供たちが成長した今はむしろ親同士の付き合いの方が深くなっている。子供たちの成長がそのまま付き合いの長さと深さを見せてくれている。夫妻に逢った理由は、彼らの経営する会社に高校卒業を控え中退した長男が勤めることを双方で考えてのことだった。しかし、私もその話に同席させてもらうことになったのはあとで思うと社長であるご主人の深い配慮の上だったのではないかと感じている。
 私たちが住む神戸の真ん中には「在日」の方が多い。彼ら一家もまたそうである。この一家が在日韓国人であることは付き合いが親密になった頃には知っており、何時どういう経緯でそのことを聞いたのかさえ覚えていないが、この家の長男・次男(我が家の二人の息子とそれぞれ同級生なのである)とうちの息子たちの会話を今でも覚えている。

 「僕は日本の名前がこれ(普段使っている名前)で、韓国の名前はこう書いて日本語の読み方でこんな風に読んで、韓国の読み方もあるねん。お母さんは(韓国の)苗字が違っていて、こんな名前やねん。」
 「へぇっ!!すごいなあ!ええなあ、いっぱい名前があって何かかっこええわ。」

 これは息子たちがまだ保育所に行っている時代の会話なので、語弊があったらご容赦をいただきたいと思うが、聞くとはなしに聞きながらある種の感慨を憶えたものである。私の現在住んでいる地域は子供の頃からの住居とほぼ同じ(同じ小学校の校区内と言うことでご理解いただけるだろうか?)。私や息子の通った中学校は学校関係者サイドの表現で言えば「指導困難校」と言う。その理由はここでは詳しくは触れないが、いろんな人生経験を幼少時代から持っている生徒が多い地域、ということにしておこうと思う。しかし、韓流ブームが予測さえ出来なかった時期のこと、まだ幼い子供たちに民族教育を含んだ丁寧なしつけをされていた事をいまさらのように思う。ちなみに、在日韓国人というより「韓国系日本人」と言う呼び方がしたい、と言うこのご主人の意見が私は大好きだ。
  
 この「韓国系日本人」という考え方に本当に納得できるのは、日系アメリカ人の多くは英語を話し、日本語はどうだ?と言うと多分個人差が大きいのではないかと思う。それと同様である程度の歴史的な事実や法律的根拠は知りつつ敢えて言うと、日本の地で生まれ日本人と同じ環境で生活をし、民族学校は「選択」の一つであり、ひいては韓国・朝鮮語を話せる人たちの方が少ないだろう。もしかしたら、それこそ韓流ブームの成果で私世代の女性の方が会話が出来るかもしれない、とすら思う。しかし、生活の中の風習や食べ物は私たち関西人が他の地域に行った時に食事に少々苦労を感じることもあるのと同じように、また沖縄の人が多い地域に苦瓜(ゴーヤ)が当たり前に売っているのと同じように(今でこそ簡単に手に入るが)私は思う。それでいておそらくは「半島」に由来のある人たちの中にはやはりこの国でのいくばくかの生き難さは皆無ではない(これも歴史的な背景と法律的な根拠も踏まえ、である)と言うことを私自身も子供の頃から感じてきた、と思う。話は少しそれるかもしれないが、韓流ブームがこう言ったことへどのくらいの影響力をもつのか?と息子と話すことがあるが、私や息子たちの経験から見るとその辺りに大きな影響はあまり感じない。ちなみに、離婚後親子三人で(息子の部活の日程の関係もあり)お盆の真っ只中のソウルを訪れ、日程の中に板門店の見学を入れた。訪問の最年少限度である11歳に辛うじて達していた次男はバスの中で検査の軍人に年齢を聞かれた。そして到着してすぐに誓約書を提出した、もちろん息子たちも自筆でサインをして。あの時のことを息子たちは苦笑交じりに時々こう話す。
 「あれはちょっと強烈な経験やったで。でも俺らの世代で経験している奴らは少ないよなあ、今思ったら。」
 その後知ったところによると、映画「シュリ」でのモチーフともなった「南北サッカー戦」の翌日で「非常にコンディションの良い日」ということだった、もちろん天候のことではない。私たち一家は観光会社からの連絡どおり、マナーを守っていたが(洋服など)そうでない観光客も少なくなく、途中までしか行けない人もいた。大きな観光バスに乗っているのは運転手とガイドを除くと全て日本人であった。もちろん、「在日」の方もいない。「諸般の事情」から入れないのだそうである。
 
 この旅は言わずもがなであるが深いところでこの友人一家との関わりが流れている。それ以外に私も自分の目で確かめたいと感じていることもあった。また息子たちの近い将来、関わりが必然であると思われたのでどうせ行くなら、と考えたのである。

 子供は「親」を事実レベルでは選べない。生まれる国、住む場所、名前、そして内に流れる血。セミナーやカウンセリングで言う「子供は無意識的に親を選んでいる」と言うこととは相容れないように聞こえるだろうが、たとえそうであっても子供が選ぶのは「環境」ではなく「親」である、と私は思う。結果として子供は様々な環境を手に入れることになる。これは私が息子の年頃に日々考えていたことの一つでもある。私が日々延々と考えていた理由の一つに、幼い頃に両親から聞いた話と、中学・高校(私の通っていた高校は特に韓国・朝鮮問題、中国問題、同和問題についてアツイ学校であった・・・おそらく神戸一だと思っている)で自ずと学んだ事実に大きな違いがあったことがあるのだが、今の私を成す大きな部分を占めることになっていることに後で気付くことになる。

 「差別」・・・
 一言で言うとそういう表現になるのだろうが、私が最も忌み嫌う言葉の一つでもある。血は脈々と継がれ、息子たちは離婚の際に住居をこの中学校の校区に決めた私に感謝していると言う。幼い頃から友人たちの当たり前の会話に心を動かし、ずっと気に留めていたと言うこともあるらしい。私は自分自身の経験からこの学校で「学ぶ」ことを彼らにさせたかったのだが、今の時点では彼らにはほかでは出来ない勉強になっているようである。

 話を元に戻すと、友人夫妻の会社はビルのクリーニングが主な事業である。若い頃から事業を立ち上げたことや外に見える功績は知っていたがこの日、社長であるご主人からどんな経過で今の状態にある会社なのかを聞き、その目線の新しさと先読みのすばらしさに感動して帰ってきたのだが、私と似た地域でよく似た経歴を持つご主人の考え方にはなぜか私が「我が意を得たり」と言う気分になった。息子に話している内容が、こんなだったのだ。

 うちの会社の事業内容はこんなことをこう言う地域でやっている(近畿圏のかなり広範囲にわたる)。従業員はこう言う構成である(年齢、経歴、学歴はまちまちである)。同業他社との取り組みと考えの違いはこうである(どこに初期投資をし、人件費や手間を省きながらより良い仕事をするか)。人様に喜んでいただいた上にお金までいただける仕事です。また今後は自分としてはこう言うヴィジョンを持っており、いつかは分社をしたいとも思っている。その際には信頼できる社員を役員にと考えている。君自身がやりたいことがあったら聞かせてください。会社や仕事が合わなくて辞めるならそれでも良い。いずれにしろ、自分が本当にやりたいことがあったらいつでも相談に乗るよ。

 彼らはこの国に生まれ、韓国の血を継ぎ、この地に根を下ろしている。そう言ったこともこう言った考え方に何がしかの影響があるのだろうか。それとも公共団体で長く働いていたので私には遠いものと感じていたのだろうか。民間の企業ならどうなんだろう?外資系の会社なら?規模がそう大きくないから、ということももちろんあるだろう。でも、こう言った想いがもっと社会に一般的だったら・・・。そんなことを思いながら社長の目を見て話を聞く息子の顔を時折見ていた。普段なら「何見とんねん!」と言うところが私の視線に気づきさえしなかった。
 
 そして、翌日。学校へ行かなくなって以来少々体力の落ちていることを自認している息子だが、初日は何とか仕事がこなせたようだ。それどころか良い表情で帰ってきて、私の顔を見て一呼吸置いてこう言った。
 「疲れたっ!!」
 かと言ってぐったり寝込んだりすることもなく、むしろ余っていた体力を使えたことで気分が良かったのだろう、次男と比べ表現が控えめな長男が傍目に見ても機嫌が良く見えた。 
 
 息子が果たして仕事が続くかどうかは判らない。でも、こうも言ってもらっているのだ。
「向き不向きがあるから向かないと思ったら遠慮なく言ってほしい。こちらもそう感じたら次のことを考えるように言うよ。でも個人的な付き合いはまた別やからね。」
 息子もだが私もとても気が楽になり、私自身の公務員生活で言ってもらったことや誰かが言われていることを殆ど聞いたことがないな、とも思った。おそらく民間企業でもそうだろう、と思う。日本で生まれ育った韓国人・・・韓国系日本人を自称する彼らの発想なのかもしれないし、私たちの生まれ育った時代の賜物かもしれないが、心の中にはこう言った考え方があっても実践は難しい、と少なくとも私は思ってきた。これは私が所属していたのが公共団体だからだけではないだろう。枠組みがあって物事が進むのも事実だが枠組み自体を誰が発想し作っているのか、状況が変わった時にすばやく対応できているのか、と考えるとあまり有効な枠組みと思えないことが多い気がする。そして枠に入らないものは切っていく。全体を見たときにはとても大切なことではあるが、小さな組織であってもそう言ったことをしてしまうことが結局のところ社会全体に「ニート」「フリーター」などを増やしているのではないか、と言う気も私はする。

 自分たちの身の周りにもそういうことは頻発する。切ってしまうと管理はしやすいかもしれない。でもそれが管理主体になっており、学校であれば生徒が主体であってほしいのに教師が主役であるかのように感じることも少なくなかったことも思い出している。もちろん、何をおいても生徒が大切、と語っている教師は多い。しかし、その想いが届かないことも多いのだろう。息子たちのような「学校に行かない」生徒を無理に登校させたり退学させるのではなく、生徒の人生を包括的に考えた見守り方をする教師たちが無理なく仕事が出来る学校がもっともっと増えればいい。学校をもっと本当の適性で選べるようになったら中退もニートも少なくなるんじゃないかな、と改めて思う機会を期せずして得た気がする。。

 学歴も勉強することも、スポーツに秀でることも、美術や音楽のセンスも、愛される人格も、人付き合いのうまさも端麗な容姿も、どれもすばらしい才能だ。才能、と言うとすごく大げさに考えてしまい勝ちになる。極端なことを言えば、プロスポーツ選手だの歌手や芸人、学者や研究者・・・などには自分はなれる程の才能は無い、などと思ったりする。でも周りを良く見てみたらいろんなところにプロが居て、天才は実はどこにでも居る。もちろん誰の中にもすばらしい才能はあり、その持ち主自身が気付いて花開かせようと思うのを待っている、と私は思う。もちろん私自身も・・・である。

 息子が自分の意志で生き方(学校に行かないことを含め)を決め出した時に私に出来ることは見守ることしかもはやない、と腹をくくった時があった。そして・・・息子の人生が周りの誰とも違う人生になることを恐れていることに気付いた、「この私が・・・」である。そう、周りの人と違う生き方を選んできたこの私が。でも、そうではない、とまた思い直した。人の人生はどれも一様ではない。一人一人が自分の生き方を本当に誇れる世の中を・・・私は想う。そうなったら私の仕事はもう必要はないかもしれない。でもそうなったらまた次のことを考えたらいいさ。そんな世の中だったら、どんな私でも生き易いはずだから。

 誰かのためでもいい。でも「自分のための人生」を選ぶことがためらいなくできたら・・・そしてそのことが実は周りにとっても本当に幸せなことなんだと誰もが心から思えたら。私は今日もそんなことをぼんやりと考えて生きている。

 友人の中に流れる血と彼らが大切にしている大切にしてる地・・・自分たちが居るこの地や人との繋がりを私にも分けてもらった気がした。

投稿者 csadmin : 12:00

2006年4月22日

◇入学式

4月の初めには入社式や入学式の帰りらしい人をよく見かけましたね。
希望に満ちた新鮮な空気と新しい世界へ向けての緊張感が何ともいえないです
ね。

私の大学の入学式は、ある意味思い出深いものでした。


中学生ぐらいまでは、私は「雨女」でした。高校生ぐらいになってその汚名を
挽回できたかのように思っていたのですが、大学の入学式当日は『曇り』でし
た。

私が入学した大学はちょっと遠くて、自宅から電車ですと2時間半ぐらい、車
で行くと1時間半から2時間ぐらいで着きます。両親も出席すると言う事で、車
で行くことになりました。


雨が降らなくてよかったねぇ。何て話していたのもつかの間。見る見る天気は
変わって、空は黒い黒い雲に包まれていきました。


降り出した雨は、はっきりいって『横殴り』の雨です。まるで台風のような雨
でした。真横に向けて降っている雨に出会ったことがあるでしょうか(笑)
本気で横向きに降っていたんですよ。

こんな日に、こんな雨に降られるなんて、「雨女」から抜け出せてない物だな
ぁ。と苦笑してしまいます。と言うよりも、それを通り越して、あまりの雨の
降り方に、逆におかしくなってしまいました。


振り出した時は、まだ車中でしたので、今から土砂降りの中での入学式に向け
て心の準備をしなくては・・・。
土砂降りの入学式のシミュレーションです(笑)


そんな豪雨の中、ふと周りの景色を眺めていると、どういうわけか、向こうの
方の空は明るいんですよね。

「!」これは、期待できるかも知れないと思いました。だって、私達の進む先
の空が明るいのですから。
強いて言えば、雨雲と同じ方向に進んでいた場合は、最悪なことになりますが
・・・(笑)


大学に着く頃には、無事に晴れ間が現れてくれました。と言うよりも、狐に化
かされたかと思うぐらいに雲ひとつない程の快晴になっていました(^^)

まるで、自分の人生のようだねぇ。と笑いながら話していたのですが、その晴
れ渡る空が何かを暗示していたかのように、私の大学時代は遠距離通学にもか
かわらず、本当に楽しく過ごさせてもらいました。

逆境の中でも、大逆転があるというような人生を感じるには十分の経験でした
ね。今思えば、それが最悪の状況に見える中にも大逆転があるという事を感じ
た最初の経験だったのかもしれませんね。


今では、完璧な「晴れ女」とまでは行きませんが、曇り女ぐらいとの間をうろ
ちょろしています(笑)


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投稿者 csadmin : 11:17

2006年4月18日

●「プーシキン美術館展」にて

この美術展では、モネの絵が観られるということで、モネが好きな私はとても楽しみにしていました。
私は、モネの絵が一点でもあれば観に行きたくなるんです。
今回も、たくさんの素敵な絵と出会うことができました。
その中から、私にとって特に印象に残った絵について、皆さんにお話したいと思います。

まず最初に、アルフレッド・シスレーの『オシュデの庭、モンジュロン』です。
この絵を観ていると、明るい太陽の光を感じます。
太陽の光に照らされて白く光る木、生き生きとした緑、澄んだ青空がとてもきれいです。
気持ちのよさそうな木陰もあります。
木々の間を通る小道では、<赤毛のアン>のアンとダイアナが、楽しそうに話しながら歩いていそうです。
小道の先には、建物が見えます。
この絵を観ていて、こんな所に美術館があったら素敵なのになあと思いました。

次に、カミーユ・ピサロの『オペラ大通り、雪の効果、朝』です。
オペラ大通りには立派な建物が並んでいます。
通りの幅がとても広くて、馬車がゆったりと走っています。
街が雪で白くかすんでいるのがとてもきれいです。
道に映る影を見ると、雪で道が濡れているのがよくわかります。
傘を差している人々、行き交う馬車、そこには人それぞれいろんな思いがあって、どこかへ向かっているんだなあと思いながら眺めていました。
寒いはずなのですが、不思議とあまり冷たさを感じませんでした。

クロード・モネの『白い睡蓮』は、夏なのか、強い日差しを感じます。
睡蓮の池に架かる太鼓橋が白く光っていて、眩しいです。
白く輝く睡蓮、生命力あふれる緑がとてもきれいです。
ピンクとブルーの絵の具が引き立てています。
この太鼓橋を歩いてみたらどんな感じだろうとイメージしてみました。
きっと、美しい睡蓮に感動し、時間の経つのを忘れてしまうのではないかと思います。

もうひとつ、クロード・モネの『ジヴェルニーの積みわら』です。
私はモネの積みわらの絵が好きです。
特にこの絵は、積みわらの周りにある大気を感じるような気がして、とても好きです。
積みわらの後に見えるポプラ並木は、青々としていてきれいです。
葉の匂いがしてきそうなくらい、生き生きとして見えます。
深呼吸したら気持ちがいいだろうなあと思います。

フランシス・ジュールダンの『春』では、白い花を咲かせた木が左手に描かれています。
何かいいものが降ってきそうな木です。
右手には平野と川が見えます。
青空も広がっています。
とても静かな感じがして、ぼーっとするのによさそうです。
この木の下に座って本を読んだら、気持ちがいいだろうなあと思います。
子どもなら、この木の白い花びらを水に浮かべてすくって遊んでもいいでしょうね。
子どもの頃、そんなふうにして遊んだことを思い出しました。

私は、絵を観ていると、いろんな所に行ったような気持ちになります。
ある時はオシュデの庭、次はオペラ大通り、そのまた次はモネのジヴェルニーの庭園・・・と、実際には行けなくても、その風景を感じることができます。
その日が曇っていても、太陽の光を感じたり、その日が肌寒くても、暖かさを感じたりします。
そうやって日常から少し離れることで、リフレッシュすることができるんです。
そして、「また頑張ろう!」と思えます。
みなさんはリフレッシュしていますか?
このコラムがみなさんにとって、何かよいきっかけになれば、とても嬉しいです。

上田紘美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2006年4月15日

◇ありがとうの気持ち

ときどき、自転車に乗ろうとすると、カゴの中に、空き缶が、
捨てられていることがあります。みなさんも経験があるのでは、
ないでしょうか。

飲み残しのコーヒーが缶の口からこぼれて、自転車のカゴに、
しみが、ベタッと少しついています。

他にも自転車があるのですが、なぜ自分の自転車に・・・と、
ムッとするんですが、

誰にも訴えようがないし、その缶を自分が捨てて帰るわけにも、
いかないし・・・。

誰がしたのかわからないけれど、仕方がないなぁと思いながら、
その空き缶をカゴに入れたまま、家まで持って帰ります。

ある夜、カウンセリングの帰りに、同じようにカゴに捨てられた、
空き缶を、持ち帰りながら、ぼーっと考えてみたことがありました。

こうして迷惑をかけていること、自分もあるんだよなぁ。

自分はこれまでどれほどの人に迷惑をかけて、どれほどの人に、
お世話になっているのかなぁと過去のいろんなことに、
思いをめぐらせていました。

感謝しなきゃいけないなぁ・・・しばらくの思考のあと、
ふと現実に戻ってきて、カゴに目をやるのですが、

それを考えれば、空き缶の一個くらい、なんてことはないよな(^^)
と自然に笑えてきました。

さらに、今もなお、何かしら誰かの、お世話になって、
生きていますし、みなさんにも駄文に目をつぶって読んで
いただいていますからね。いつも、ありがとうございます。

人生には、ちょっとついていないなぁと感じる場面が、
ときどきあって、イライラしてしまうこともありますが、
そういう場面でも、感謝の気持ちを忘れなかったら、そこにある、
幸せを大切にして、優しい気持ちで生きていけると思います。

ありがとうの気持ち、大切にしたいものです。


清水三季央のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 10:52

2006年4月11日

●私にはまだやりのこしたことがある。

 2年前、私は大阪のとある病院の12階に入院していて、
ちょうど2回目の手術が終わり、一日も早い退院を望みながら
窓の外に見える大阪城公園の落ちていく桜を眺めていました。

 なぜ2回の手術をしなければいけなかったかというと、それはタレントの向井亜紀さんと同じ病気で、1回目の手術で病巣を切り取ったものの、病理検査結果によりその臓器を全摘する事が一番命の安全性が高い…と言う事で2回目の手術を受ける事になったのです。

 手術に関しては、あくまでも本人同意の上で行うことだったので、2回目の手術を勧められた時に主治医に時間をくれるように頼みました。

 決意を固めるまでに、私はたくさんの心の整理をしないと、どうしようもなくて…。

 2回目に手術を受けてももし状態が悪ければ、その後の治療をしなければいけないのだろうか…、そうなるとかなりきついと思うし、そんな辛いことをするのならこのまま受けずに死期を待った方がいいのではないだろうか…。生きていても辛い事ばっかりかもしれない…

そんな思いをめぐらせる最中、友達がリッチなホテルに泊まりに行こう!!!と誘ってきます。
私は一度行ってみたいホテルだったので、友達のお誘いをありがたくお受けし、ホテルに泊まりに行く事にしました。

当日、チェックインまで時間があるので、映画を観よう!!!ということになり、
「ラブ・アクチュアリー」
というハートウォーミングなラブストーリーを観にいきました。

内容は、数人の様々なラブストーリーが描かれていたのですが、それを見ながら何やら心がワサワサと騒ぎ始めてきて、単語が浮かび始め…

「まだ…」

「…やりのこしてる…」

途切れた言葉がどんどん1本の文章となり

「私にはやりのこしたことがある!!!まだこんな幸せな恋愛をしてない!!!生きて最高にハッピーなパートナーシップを手に入れたい!!!」

と、ドッカ〜ン!と大きな思いがやってきました。

それは、私がいくつかある「生きる理由」のひとつになり
私を2回目の手術を受ける方へと促していったのです。


その後、2回目の手術を受け、退院し、療養をして、社会復帰をしました。

社会復帰をした時には目の前にあることをこなすのに精一杯で、パートナーシップはちょっと横に置いといて、自分にできることを一生懸命やろう!と思った矢先、
偶然、7〜8年ぶりにある男性と再会しました…。

その男性は私の事情を知ると、時間の許す限り私がやろうとしてる事を必死でサポートしてきます。

「東京で研修がある…」と言えば、ついてきて私の荷物を持ってくれたり、案内してくれたり、若いながらも自分の知っている事全てを使って私を支え、守ってくれようとしてくれました。

 今、その男性は私の夫となり、
時には激しいバトルを繰り広げたり、嫁から優しく(?)蹴られたりもしますが
横で上機嫌に笑っています。


「私のやりのこしたこと」は、もうやってしまった…
だからといって「思い残す事はない」とも今は思えなくて

次ぎの心のワサワサに突き動かされています…。

「おばあちゃんになったら、彼に最高の介護してもらいたい!!!」

この思いに促され、私は今日も明日もこの先何十年も生きていくのだろう。

「やりのこしたこと」なんて、実はくだらない事でもいいのだと思う。
くだらない事であってもあなたの「生きる」エネルギーになるのだとしたら、
それは素晴らしい事。

あなたのやりのこしたことは何ですか?


村尾ゆみ子のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2006年4月 7日

◇未 熟 〜大いなる成長〜

僕たちは、生きているかぎりいつも未熟なのだろう。
その時には、見えなかった人の思いやりや、
感じれなかった愛を、後になって知ることも多い。

      ・・・僕もそんな人間のひとりです。


今こうして、こころと向き合う仕事をして、
人のこころを深く知れば知るほど、
ふと、過去の至らない自分を思い出すことがあります。

学生のころ、何気ない友達の話に怒りを感じてしまった僕。
彼女がいつも伝えてくれていた言葉を、ずっと受け入れられなかった自分。
僕のためにしてくれていた事を、素直に喜べなかった自分。

僕たちは、色んな経験を通して、
もうくじけまい、もう傷つかないよう、もう負けないようにと、
こころに、たくさんたくさんの鎧を着て生きています。

嫌われても傷つかないように・・・
バカにされてもへこたれないように・・・

そんな目的のために、
いつも自分に、こう言い聞かせています。

僕なんか、はじめから愛される存在じゃないから・・・
もともと、大した自分ではないから・・・

もう痛みや悲しみを感じなくてすむように、
必死でこころを守ろうとして生きています。
悲しい思いを、何度も何度も繰り返すのは嫌だから。


だけど、時に、そんな自分を守るための鎧が、
周りの人を傷つけていたことに、後から気付くときがあります。

彼女が必死に「愛している」と伝えてくれていたのに、
こころの奥底で「自分なんか誰にも愛されっこない」と感じていたら?

誰かが自分を信頼して、すべて任せようとしてくれていても、
自分が「人からそんな評価をされるわけがない」と感じていたら?

素直に自分を応援してくれている友人がいても、
自分は「それに値するような人間」でないと考えていたら?

僕たちは、人のその思いを素直に受け取れなくなってしまいます。

きっと裏があるに違いない。
何か意図がるんだろう。

そんな風に感じて、人のこころを傷つけてしまっていることがあります。

こころを深く見つめて行った時、
そんな過去の自分と、傷つけてしまった人の心に気付いてしまう。

恋人に、友達に、先輩に、親たちに・・・

その時、僕たちのこころは張り裂けんばかりに、もう一度傷ついてしまいま
す。
自分の至らなさを、今さらながら責めるでしょう。
自分を消してしまたいと思うほど、悔いるかも知れません。

でも、その時僕たちが出来る事は、
自分を責めることでもなく、悔いることでもないのです。

あの時出来なかった素直さを、今取り戻すことなのです。
鎧の中の素直なあるがままのこころで、
もう一度その人たちの気持ちを受け取ることなのです。

「自分はあんなにも大切にされていたんだ。愛されていたんだ」と。


僕たちは、生きている限り未熟なのです。
だから失敗することも、傷つけ合うこともしてしまいます。
大切なことは、そんな自分の未熟さを受け入れることなのでしょう。

自分が生きている限り未熟なんだと感じることが出来た時、
人は大いなる成長を遂げることができるのです。

そうすれば、僕たちが人間としてここに生まれて、
たくさんの人間たちとこの時間を過している意味が、
少し見えてくるかも知れない。


自分の未熟さに気が付いた時、
もう一度、今を見渡せればよいのです。

今日この日、素直な気持ちでいられただろうか?
今周りにいる人たちに、素直でいられているだろうか?

自分の未熟さを受け入れた時、
知らず知らずに身に付けていた鎧の奥の、
あるがままの僕たちのこころに目を向けてみることです。

そして、僕たちはまたひとつ大きく成長するのです。
そして、ひとつ大きく成長した未熟者になれるのです。


※吉原 直人は2007/6月でカウンセリングサービスを退会しました。

投稿者 csadmin : 11:58

2006年4月 4日

●踏み込めない僕

こんにちは、よしみです。

ついに4月に入りましたねぇ〜(^^)v
4月と言えば、やっぱり新学期・新社会人・新入生と言ったような、
新しいことが始まることが多いですよね。

この新しいことって、自ら新しいことを始めるというよりも、むしろ
周り(学校や社会)が新しいことを始めさせるというような、周りの
影響によるものが多いような気がします。

はっきり言って、ぼくは新しいことを始めるのは苦手です(>_<)
新しい環境に入っていくことも苦手です。

なぜかというと、恥ずかしいんですよね。
気を使わないといけないんですよね。はっきり言って(笑)
それに新しいことすると、上手くできない自分にも腹が立ちますしね。

だから、そんな気持ちになるくらいだったら、
「現状のままでいいや!」
って思っちゃう感じです。

本当は、恥ずかしいと感じたり、気を使ったりしなかったりしたら、
もっと、いろんなことにチャレンジできたり、いろんなことを習得でき
たりして、自分自身にとってプラスになるんだと思うんですよね。

そんなこと分かってるんですよね。自分でも。
でも、できないんですよね。その場になってみると。

そのうち、イヤ〜〜になって、辞めちゃうこと多いです(笑)

自分が恥ずかしいとか気を使っちゃうってのは、人の目を気にしちゃ
ってるんですよね。人にどう思われているかを気にしてるんですよね。

自分が新しいことを始めることに怖れを感じているのと同じように、
人にどう思われているのかを感じるのに怖れを感じてるように思うん
ですよね。

じゃ「自分はどんなふうに思われたいのだろう?」って考えることに。

・やさしい。
・頼りがいがある。
・男らしいetc・・・

う〜ん、結構分からないものです(^^ゞ

でも、そうすると
「優しくしていない自分。」
「頼りなさげな自分。」
「女々しい自分。」
を自分が許すことができなくなり、そのような感情を感じそうな場面に
出くわしそうなところは避けるようになってしまいます。

別にいいやん。
「優しくなくても・・・」
「女々しくても・・・」

そんな声が聞こえてきそうですが、これが結構許せないものがあったり
します。

これはやっぱり、家族の影響があると思うんですよね。
ぼくの父親は、優しくてすごく頼りがいのある人です。
少なくとも、ぼくにはそのように感じていました。

ぼくが、父親のようにならなくてはならないと思っていたのかもしれま
せん。
もしかしたら、ぼくが、父親にようになれと言われてきたのかもしれません。

でも、そんなぼくを試すかのように、何度となく自分自身を情けなく
女々しくさせるようなことが起こりました。

そして、「こんな僕でもいい??」というかのように、父親の前で
何度も、そんな情けないぼくを見せてきました。

出社拒否なんか、まさしくそうでした。

父親は、「そんなときもあるよ・・・。」
といってくれるのですが、自分自身がそれを認めないんですよね。

「そんなこといってるけど、本当は怒ってるよね??」
「ホントは、いい加減にしろって思ってるよね??」
と、自分自身が問いかけていたような気もします。

自分自身で認めたいけれど、それができないから、父親に認めてもら
うことで納得したい、許してもらいたいというのがあったと思います。

そして、それを試すようにいつまでもウジウジ女々しい自分を父親に
見せたりしてたような気もします。

そして、誰でもいつまでもウジウジされたら怒りますよね(笑)
父親が怒り出したら、「ほら、やっぱり。」って、こんな僕じゃダメ
だよねって思ったりしてたんですよね。

こんなことは建設的じゃないと思うんですが、何か新しいことを始め
る時に出てくる心理的パターンになってしまっていました。

そして、その自信のない自分を満たしてもらいたいという感情は、親
子関係だけでなくパートナーとの関係でも、このパターンが出てきた
りするんですよね。

こんなとき、こんな情けない自分でもOK!を出せれば、すごく楽に
なるんだと思うんですよね。

ようは、「人にどう思われるか?」を思うよりも、「自分がなにがしたいのか?」に焦点をあてることができれば、新しいことを踏み出したり
新しい環境に自分がいったとしても、大分と楽に過ごせれるんだと思う
んですよね。

現在の自分にOK!を出せていますか??


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投稿者 csadmin : 12:00

2006年4月 1日

◇誕生日に想う

こんにちは。塩田です。
今日、このコラムを書いている日は私の誕生日です。
コラムの〆切を伸ばしてもらったものの、丸一日のんびりしようと思っていた
誕生日にまで突入してしまいました。(笑)

何あれ、Happy Birthday to Me !! です。
今日で私も……34歳…(^^)v、になりました!
34になったなんて、去年までは年齢のことは全くといっていい程気にしなかっ
たのですが、なんだかすごく重みを感じてしまいます。

年齢を重ねるごとにどんどん素敵になっていく人が私の周りには多いので、
歳をとること自体はそんなに嫌ではないのですが、ふと我に返って今の自分と
昔思っていた34歳のイメージを思い浮かべてみると、あまりのギャップに驚い
てしまいます。

小さい頃は、34歳はすっご〜〜〜く大人!に思えたのですが、いざ自分がなっ
てみると、ほんとに34ー??と疑いたくなる位子供っぽい自分がいたり、世間
ズレ?
している自分がいるような気がします。(あくまで私が思う一般的な、という
イメージだと思うのですが。)

34だったら、結婚して旦那さんともすっかり落ち着き、子供も二人位はいて
さぞかし安定した生活をしているんだろうなぁとなんとなく思っていたもの
の、落ち着くどころか、今だに夫婦で喧嘩はするし、夫も決してジーっとし
ている人ではなく、ましてやカウンセラーなんて変わった仕事をしていると
は!
というか、カウンセラーという職業があること自体大人になるまで知らなか
ったんですよね。それ位、自分には縁も興味もないものだったんです。

子供の頃によく「将来何になりたい?」と聞かれますよね。でも、私はその時
何と答えていたか全然覚えていません。
それだけじゃなく、子供の頃自分が何を望んでいたかというはっきりした記
憶がほとんどなく、ただよく泣く子供で、恥ずかしがり屋で、でも、親には
いつもつっぱっていたなぁという記憶だけがあります。

そうそう、「〜になりたい!」というのはなくても、「〜は嫌だ!」というの
は沢山あったんですよね。
一番よく覚えているのが「学校の先生だけにはなりたくない!」でした。
それが、カウンセラーという仕事をやっているのですから、全く同じではな
いにしろ、人生て怖いですよね。。(苦笑)

でも、思えば、私が節目節目で何かを決める時は、いつも「‘〜は嫌だから
’〜しよう。」が動機づけだったような気がします。
学校の進路を決める時も、大きくなってから何かを決断する時も。
だから、頑張ってやっても思うような結果にならなかったり、スムーズに事
が運ぶことがなかったんだろうと思います。

たとえば、表面的には、理系の方が得意だからこっちの分野に進もうと思っ
ても、実際はそういうお仕事とは縁ができず、何故か人が苦手なのに、人と
関わる仕事ばかりすることになったり。。

当時は、「どうして望むものは手に入らないんだろう?」と思っていたけれ
ど、根っこがそういう部分からきているので、本当に自分が望むもの、自分
が好きなものをよくわかっていなかっただけなんだなぁと今は思います。

本当に自分が好きで心から楽しめることなら、上手く流れていくんですよね。
でも、つっぱったり何かに抵抗しながら頑張っていると、流れが滞ってしま
う。
まるで神様が自分を見失っている私に、「それは違うよー!目を覚まして!」
と一生懸命訴えかけてくれるかのように。。
そういうからくりがわかってきただけでも、少しは大人になったかな?と思い
たいところです。(笑)

最近子供の頃のことを思い出しながら、私は何が好きだったのかなー?と想う
ことがよくあります。

つっぱっていた頃は、あれがしたい!これがしたい!と、それこそ大きな夢と
いうより志みたいなものをもっていたけれど、どれも一過性のもので長続き
しないものばかりだったんですね。
まれに達成したことでも、達成した途端疲れてしまったり。要は、どこか無
理して自分を追い込んでいたから、全然楽しんでいなかったんです。

さらにそんな時代を遡って振り返ってみると、何てことない日常の、家族が
みんな笑っている姿だったり、みんなで一緒にテレビを見ていることだった
り、そういうことが一番楽しかったなぁと思います。
大家族で育ち、家族がいがみ合うことも多かったので、余計に人のそういう
何気ないぬくもりが好きだったのかもれません。

自分の部屋を着飾ったり、整理したり、小物をつくったりお菓子をつくった
り、そんな女らしいことも好きでよくやっていましたね。
思春期や反抗期の思いが強すぎて、そういう女らしい、細かいことはどちら
かといえば苦手だと思いこんでいたのですが、本当はそう見られることが恥
ずかしくて、必死に隠しているうちに、それが本当の自分のようになってし
まっただけなのかもしれないと思います。

最近、本屋で手にとる雑誌をみても、明からに自分の趣向が変わってきてい
るのを感じていて、人って変わるものだなぁと思っていたのですが、実は、
本来自分にあったものをひとつひとつ開いていっているだけなのかもしれな
いなぁとも思います。
歳をとる、大人になっていくというのは、余計なものがとれてどんどん自分
らしくシンプルになっていくことなのかもしれませんね。

頑張って何かを追い求めてきた時代もいい部分は沢山あったけれど、これか
らは、もっと楽にもっと自然に肩の力を抜いて、流れに身を任せていきたい
なぁと思います。
もちろん、ただ落ち着くということではなくて、新しいことにもチャレンジ
して!
そうやって変化しながら歳を重ねていきたいものです。

そして、周りの友人達のように、歳をとるごとにパワーアップして、毎日楽
しく笑っていられたら、最高!ですね。(^-^)

そんなことを想った一日でした。


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投稿者 csadmin : 11:27