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2005年12月26日

●年末に思うこと

こんにちは。村本明嬉子です。
コラム初登場ですので、これからよろしくお願いします。

クリスマスが終わりましたが、皆さんはいかがお過ごしでしたか?
クリスマスが終わると、いよいよ年越し、一年も終わるなーという感じですよね。
今年一年どんな年だったでしょうか?

今年一番嬉しかったことはなんですか?
今年一番悲しかったり、つらかったことは何ですか?
私の今年一番のトピックスは、やはりカウンセラーの仲間になれたことです。

私が心理学を学んだきっかけは、パートナーシップからでした。
大好きなのに伝わらない、助けたいと思っているのに苦しめてしまう、彼は何を思っているんだろう、本当に私のことを好きでいてくれるのかな。
心が通じている感じがしない、一緒にいるのに孤独感を感じる毎日に限界を感じ、どうしようもない状態で心理学に触れ始めました。
彼の気持が知りたい、その一心でした。

学んでいくほどに、自分のやり方はとっても愛しにくいものだったこと、愛していると伝わりにくいものだったことを知りました。
そして、本当の心を伝えるコミュニケーションと本当の自分を彼に与えることをひたすらやっていきました。
それでも、不安や、こんな自分は愛してもらえるはずがない、本当の信頼なんてないんじゃないかな、という猜疑心は心のどこかに消えずにいました。

そんな態度は彼を寂しくさせてしまったのでしょう。
彼は、もう一人彼女を作り、別れることになったのです。
その時は悲しかったけれど、今あの時の自分を思い返すと、私が彼の立場になっていたかもしれません。
そのくらい、お互い自分の心の壁を取り払うことができずに寂しくなっていたのですね。

とっても悲しかったですが、彼を手放し、世界中の男の人の中から一番好きな人を探そうと決心しました。
実際世界中の男の人と出会えるわけではないですが、恐れとか、打算とかをすべて取り払った心で感じてみようということです。

友達や先輩と話をしたり、親友に付き合ってもらったり、たくさんの人の力を借りて自分と向き合ってみました。
そして思いました。
もし、私とパートナーが何かのトラブルに巻き込まれてしまい、3畳一間の小さな下宿で、赤い手ぬぐいをマフラーにして横丁の風呂屋へ通い、洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸がカタカタなっていたとしても、毎日ワハハと笑いあい、心からあったかくて私は本当に幸せよと言える相手は誰だろうか?
(↑私なりの表現になってしまいますが、要は本当につらい状況の時に笑って乗り越えられる相手と言うことです^^)
やっぱり、彼しかいない!そう思えました。
本当に心から愛しているな、と。

そして、彼に決めてみようと思いました。
それで彼が他の人を選んだとしても、何の後悔もない、そして思いを伝えました。

それから、何もコンタクトをとることもなく過ごしていましたが、3週間後彼は私に、自分も私に決めたと言うことを伝えてくれました。

それが、お互い本当にコミット(決めること)した瞬間でした。

お互いがコミットしてからは、とっても創造的で信頼しあえる関係になりました。
今までお互いの摩擦に使っていたエネルギーを、仕事や趣味などいろんなことに使うことができます。
アイデアもたくさん出ます!
けんかはするけれど、心の基礎に信頼があるからけんかも怖くなくなりました。
離れていても、いつも繋がっている感覚があるので、寂しいけれど安心感があります。
初めて、パートナーシップってなんてすばらしいんだろうと思いました。

そして、それをお伝えしたくて私は今カウンセラーをしています。
あの時泣いて喜んでくれた親友や、背中を押してくれた先輩や先生のように、私も誰かのお手伝いすることができたら、どんなにすばらしいだろう。

そんな風に今までを振り返っていました。
人生は何が起こるかわからないけれど、それは怖くもあり、同時にワクワクすることでもありますよね。
私は、来年もやってくるであろう、たくさんの出会いや嬉しい出来事にわくわくしています。
来年が、皆さんにとっても楽しいことが盛りだくさんの一年になりますように!!

投稿者 csadmin : 12:00

2005年12月24日

◇過去の苦しみを思い出させる夢を見て・・・

今朝、久々にこんな夢を見ました。

私は夢の中で学生に戻ってて、4,5人のグループの中にいつも
いて、その子たちと常に行動していたようです。
だけどある日、私の知らない間にグループでの旅行の話しが進
んでをしていたのを偶然耳にしました。
「どうして私一人がそれを知らないの!?」
って私は夢の中で、あまりの悲しさに号泣するんです。
皆黙ってしまって、誰一人何も言ってくれません。
私は夢の中で、

私はやっぱり皆に嫌われているから誘われなかった・・・!
私はどんなに頑張っても愛されないんだ・・・!!

そんな思いを持ちながら、明け方目覚めました。
目覚めたのは、自分がすごく泣いているのに気づいたからだと
思います。隣にいる主人を起こさないようにしていましたが、
しゃくりあげて涙が止まらなかった私の嗚咽に、彼が気づいてし
まったんですよね。
それが明け方5時くらい。
そのまま起きるまでふとんの中で主人に話を聴いてもらいました。

私は自分がカウンセリングのお勉強をするまで、学生時代に
ひどいいじめを受けていた思い出が強烈すぎて、一週間に一度
ほどの頻繁な割合で、あの頃の夢を見ていたんです。
今回見たようなものでなくて、実際にいじめられている夢。
本当に毎回リアルで、すごい悲しみに包まれた夢ばかりでした。
そして明け方は必ず自分の嗚咽で起きるんです。
「ああ、あれは夢だ。。。もうこんなことは実際にないはずだ・・・。」
という安心感と、
「またこんなことが起きる暗示なの?」
という不安感がいりまじった感情で目が覚めてもすっきりしなかった
のを覚えています。

多くの方は、思い出したくない過去の経験の一つや二つはあると
思います。
辛いことや悲しいこと。それが今回の私のように、夢に出てきてし
まって、すごく苦しむこともあるかもしれません。

私の場合、自分が癒される度合いだけ、相手のことを許すことが
出来たり、自分が悪かったわけではないという自分を受け入れる
ことが出来た分だけ楽になっていったのが原因なのか、いじめを実
際に受けている夢はさっぱり見なくなっていったんです。
なのに今回、いじめの夢ではありませんが、本当に久しぶりに孤独
感いっぱいで泣いてしまう夢を見ました。
そして今、なぜこの夢を私は見る必要があったのか・・・と考えたん
です。元気な自分になってから一度も見ることも泣いて起きること
もなかった孤独を感じる夢を、今なぜ・・・?

考えていくと、それは私の中である環境の変化と共に、大きな誤
解が生じたからだと自分では思っています。
その環境の変化とは、私の12年間闘って来た不妊治療が身を
結んだ妊娠です。

カウンセリングサービスで、こちらを利用していただいているお客様
への日頃の感謝を込めました「感謝祭」というのが11月にあった
んですね。私は大阪、東京と二ヶ所に参加したんです。
私にとって、本当に楽しい二日でした。自分が思っていたよりも、
何倍も何倍も・・・。
私って本当に必要とされていたんだなぁ・・・とか、
私って本当に愛されているよなぁ・・とか、
孤独でいじけて、泣いてばかりいて、怒って怒鳴りちらして、人の
せいにしてばかりで、依存心が強くて、なのに猜疑心も強くて、そ
んな私の生き方って本当に逆転したんだと思わざるを得ない日だ
ったんです。
それがあまりに楽しかったので、終わってしまうとすごく寂しくなって
しまったんですよね。一緒に行ってくれた旦那様に何度も何度も
それを話したし、実際にこちらのコラムでも、感謝祭での講座でも、
妊娠という本当に求めていたものが手に入ったにもかかわらず、
カウンセリングを休業することに躊躇した・・・というお話をさせてい
ただきましたが、その休業することによっての人とのかかわりが少な
くなるということについて、なかなか受け入れられない自分がいる
んですよ。こうして書いている今でもそうなんです。

12月で電話カウンセリングは終了させてしまう。
4回目の人とはいっぱいの感謝を伝えながらも、電話を切った後
は目頭が熱くなることもあります。

私は正直言うと、寂しかったからカウンセラーを続けていたのだとも
思います。

そしてたくさんの方とつながることで、自分の孤独感が癒されてき
たのだと今はそう思います。
今回の夢は私の誤解から見たものだと思っています。
「カウンセリングを休業すると、寂しくなる。孤独感を感じる・・・。」
そんな誤解。
例えお客様や、カウンセリング仲間たちと話す機会が少なくなった
としても、それは私が愛されていない理由になることはない。
自分が孤独に思うのは私自身の勝手な思い込みです。
そんな孤独感にかられることは、私を頼ってくださったお客様や、
仲間たちに対してとても失礼なこと。
自分がやってきたこと、お客様からの感謝の言葉。友人や仲間の
お祝いの言葉。それをきちんと受け止めていたはずなのに、それが
頭でしか理解出来なかったんだと思います。

今でも心の中では抵抗があるかもしれません。だけどそんな不安
を抱えるのでなく、お客様や仲間に愛され受け入れられたことを、
それがどれだけ幸せで、皆さんからいただいた大切なものかを、
自分が産む赤ちゃんに伝えたいと常に思います。

過去の傷はいつどこで出てくるか分かりません。
カウンセラーとして見られている私はしっかりした女性と見られること
がとても多いです。
依存的だった。自立心など全くなかった。頼りなかった。
泣いてばかりでひきこもっていた。友達はいなかった。
愛したくないけど愛されたかった。人への不信感が強かった。
消えたかった・・・。
そんなことを感じてた子だとは全く見られないようです。
そしてそれはとてもうれしいことです。
だけど、この思い出が出てくるたびに私はとことん考えたいんですね。
「私の今に何を教えるために、こんな夢を見てしまったのだろう・・」
って。
それは何度も起こってしまうことかもしれませんが、
今回夢を見て思ったんです。私が一生かけて考えることが
「人を愛する、愛されること」
「つながりの大切さを感じること。」
だと。。。

過去の辛さや思い出がある方は私以外にも大勢おられると思います。
だけどその方たちにもその過去を背負ったには、何か大きな意味がある
のかもしれません。いえ、私はあるのだと思いたいです。
どれだけ辛いことであっても、それがいつか、あなたの
とても大事な過去の思い出となることを私は願っています。


小川 のりこのプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 10:52

2005年12月19日

●師走の午後・・・心の中のアルバムから

時折窓から差し込む陽射しに子供の頃を思い出したりします。それは友達の
家で遊んだことだったり、縁側で弟と本を眺めていたことだったり、子供の頃
飼っていた犬の背中を撫でている時のことだったり、膝の上で丸くなって喉を
鳴らしている猫とテレパシーで会話したり(笑)・・・サブリミナルのように
私の脳裏に一瞬だけ見えるような気がします。それが現実にそうだったのかそ
れとも自分が創ったイメージなのか・・・少なくとも「そんな感じ」があった
ことは否めないのですが、場面そのものとしてはさだかではありません。

 親子の葛藤でよく言われる「エディプスコンプレックス」「エレクトラコン
プレックス」に私の今までの人生は本当に強く影響を受けていたな、と近頃殊
更に思っているのです。「エディプスコンプレックス」「エレクトラコンプレ
ックス」については簡単に言うと前者が男性と父親との葛藤、後者が女性と母
親との葛藤と言う事になりますが、家庭の事情や環境、きょうだい関係etc.
により現れ方は一人一人違うと言っても良いかも知れません。

 カウンセラー・セラピストは、自分の問題に向き合いつつクライアントを癒
していくのが仕事、と少なくとも私は考えています。なので自分を癒すことが
クライアントに与えることにもなる、と思ってもいます。問題がこんなにある
のにカウンセラーとしてやっていけるのか、と思うことだってないわけじゃな
いんですよね(私って正直^^)。でも私が通り抜けたことは心から伝えてこ
れたし、これからもそうしたいと思っています。私の前に道はなくても後ろに
は道があること、少なくないと感じているから。

 さて、我が家の家族構成はと言うと、両親、私、年子の弟、8年はなれて妹。
妹が生まれる前には大伯母と大叔母。このおばあちゃんたちの代まで遡るとと
っても大変なのでまたいずれかの機会に譲りますね。

 私は両親が結婚して間もなく授かり、母からは父は男の子を欲しがっていた、
と聞かされていました。でも父は、まだ当時は多かったネズミが私の指を齧っ
た、と(実は指から血が出ていて原因はネズミかどうか定かではないらしかっ
た)罠をしかけネズミに復讐したとか(さすがに扇風機に指を入れて怪我をし
た時に扇風機には復讐しなかったらしいが)、オムツ替えの途中の汚れた足に
“ちゅー”をしようとした、とか、漫画にもならへんような親ばかぶりもまた
聞かされていました。間もなく弟が生まれ、両親はいつでも同じものを二つ用
意しなければいけなかったようです。ママゴトのセット、クレヨン、ボール、
人形、etc.洋服も色違いのセーター、ズボン。少し大きくなった頃に母が用
意してくれたのは、自分のセーターをほどいて(当時は裕福じゃなかったから)
創ってくれたニットのジャンパースカート、弟には汽車の編みこみがあるセー
ター。このころになると、男女差と言うより個性が出て来ていて、関心のある
ものが違っていたんでしょうね。欲しがるものもまちまちになってきました。
当時父が事業を立ち上げるために頑張っていて、母は本当に時間を惜しんで父
を助け、私たちにも愛情を注いでくれました。

 両親は、私に「女の子らしい」ことをして欲しいと望んでいたみたいですね。
可愛い洋服を着せられ、写っている写真。七五三のために髪を伸ばし、自毛で
日本髪を結って貰った私が自宅の前でオスマシして写っている写真。長かった
髪を母は毎日編みこんでくれたり、服装にも気遣ってくれたり。3歳の時に怪
我をしていてこの頃はまだ左足が湾曲していてまっすぐ歩くのにも苦労してい
たので、母としては余計に気を遣ってくれたのかもしれないですね。できない
ことが多い分出来ることを増やしてやりたい、と言う母の気持ちに添うように、
頑張り屋の私は形成されてきたのだと思います。

 一方弟は、生まれたときの産着が期待、と言っていいんじゃないかしら。子
供の頃から空手を習い(今も続けているようです)、スキーも幼い頃から始め
ていました。頭も良く、私はいつもどちらが姉だか兄だか分からない、と言う
コンプレックスも抱いていました。弟は優しい子で、足の悪い私がいじめられ
ていることがあるとどこからか飛んできて守ってくれたり、もしかしたらその
ために空手を続けていたのかも・・・なんていうのは私の思い込みかもしれま
せんが。中学生の頃まだ小柄だった弟が、同級生に絡まれて帰ってきました。
「お前、空手を習ってるんやったらかかって来い」などと言われたけど、弟は
結構実力があったので、殴られても手を出さずにかわしただけだったらしいの
です。ほとんど殴られた形跡もなく、淡々と母に話していたのを覚えています。
でも、このことがきっかけかどうかは分からないのですが、成績が上がりだし
た私と交差するようなグラフを描くように弟の成績は下がりだした気がします。

 もしかしたら、弟と私はお互いに気を遣いあっていたのかもしれません。両
親の愛情を自分だけが独り占めしないように、遠慮しあっていたのかもしれま
せん。

 私は怪我をしてしまったことで母を独占したと長い間思っていました。なの
で、早く母から離れようとしたのかもしれません。同性だから母の気持ちが解
るので、母にも遠慮をしていたと思います。私と父は感性や考え方が似ていて、
母はその事にコンプレックスと嫉妬を感じていたと気づいたのは比較的成長し
てからですが、大好きな母が時々見せる「女」の顔は私を悩ませ、心を閉ざす
こともしばしばでした。一旦私にくれた指輪を取り返したり、父が買ってきた
旅行のお土産を「この子にはもったいない」と関係のない親戚にあげたり、私
ならまずしないだろう事を時々していて、子供心に傷ついたりがっかりしたり、
「自分は良いものには値しない」と言う自己概念を作るきっかけになって、こ
の部分に今もって悩んでしまうこともある、と思います。でも気づけば修正で
きますから、・・・そこは私がセラピストたる所以ですね。母が持っていた感
情を感じてあげることで、昇華してきつつあります。もちろん、生きている限
り続くのかもしれませんけれど、「解ることができるほうから解ってあげる」
ことをしていくことで、自分の人生の糧にする、と言ったら大げさでしょうか?

 父と弟の葛藤も見てきました。母は私より身近にそれを見ていた筈です。母
の気持ちは如何だったでしょう。結果として弟はこの関係性で勝者となり(違
う見方をすれば一生勝てない敗者、でもあるのですが)、罪悪感を背負って生
きており、父との関係性で私は勝者となり「ここでも」罪悪感を持つ事になり
ました。ところがおトンボの妹は両親どちらの愛情も得ていて、その罪悪感と
末っ子特有の「私は何もできない」と言う役立たず感(実際にはそんなことは
全くないのですが)と姉兄に対する罪悪感と、それでも私たちから見たら持っ
ているチャッカリ感(笑)が憎めなかったりする。

 父の命日を向かえ、今までとは違う形で家族に向き合って見ました。父から
貰ったもの、母から貰ったもの、父が私に望んだ事、母が望んだ事。弟にどん
な想いを持っていたのか、弟はどんな想いを持っていたのか、妹はどうなのか。

 私の後ろには息子たちを始め、たくさんの人たちがいます。私の背中を守っ
てくれる人たちがいます。一人一人を感じながら、一歩一歩確かめながら、た
だ前に進む。数年前、ワークショップでそんなセッションをしていただいたこ
とを思い出しています。今が本当にその時なのかもしれません。

 私の進む先には何もないかもしれないけれど、なければ創ればいい!手を広
げて待ってくれているのなら飛び込めばいい!

 今はそんな風に思っています。

 こんな風に想えるのも、形にならない父の形見なのかもしれません。

投稿者 csadmin : 12:00

2005年12月12日

●たくさんの幸せをありがとう!!

最近ブログで妊娠を機に、カウンセリングをしばらく休業いたしますと書かせていただいてから、もう12月になってしまいました。
本当に月日が経つのをとてもとても早く感じてしまいます。
それはもしかしたら私自身の「12月が早く来なければいいのに・・・。」という勝手な思いからかもしれません。

待機待ちなどの方が大勢おられるので、来年も少し活動はいたしますが、一応12月で私の電話カウンセリングは全て終了とさせていただきました。そのことに関して私がずっと考えていたことを、今ここでもう一度書き記したいと思います。

カウンセラーという職業を選ぶずっと前から不妊治療は何度もしてました。
治療が続く毎日で、私は正直「もう駄目だ・・・。もう何度やってんだろ・・・。」と、子供のことはほとんど諦めていたんです。そんなとき、先輩カウンセラーに聞かれたんですよね。
「のりちゃんが子供が産まれたら困る・・・って思ってることがあるとしたらなんなんだろね。」って。
それを聞いたとき、真っ先に浮かんだのが、
「寂しくなるから・・・。」だったんです。

私は愛されるはずがない・・・と自分のことを評価していて、だけどようやくそこから抜けることが出来て、今は夫をはじめ、家族、大勢の友達、仲間、そして多くの方に愛されている自分がいるということを認識できるようになりました。こういう自分になれたことは、今でも昔の私からは全く予想がつかなかったことだと思います。
人とのつながりを避けていた私が、ようやくつながる喜びを知ることが出来ました。だけど妊娠したら・・・?

●カウンセリングを休業する。
●人とのつながりが切れる。
●今まで毎日のように人と触れ合っていたのに、それがなくなってしまう。
●この間に、皆と会う機会も少なくなっていって、私は忘れられてしまう。。。

こんな思いが頭に浮かんで来たんですよね。
このときに、
「なんだ・・・。こんなこと感じてるんじゃ、赤ちゃんが寂しくなって、私の元に来るわけないじゃん。」
って、とても悲しい気持ちになったんです。

だけどこれって、たくさんの人が私を愛してくれている・・・ということを疑っている・・・。ということじゃないの?
それも同時に感じたんですよね。
私は赤ちゃんが欲しいと願いながらも、心のどこかで「産まれたら困る。」と思っていたのだと思います。でも欲しいと思う気持ちもやっぱり強くあるのは確かだし、そんな思いが交錯していました。

カウンセリングサービスの母体の「神戸メンタルサービス」では、毎月100人近くの人たちとともに行うヒーリングワークというのがあります。これは、自分の感情に向き合うのにとてもいいワークなのですが、それに妊娠以前に参加したとき、私はその思いがとても強く出てしまったんです。
「私は欲しいと思いつつ本気で願っていない、なんていい加減な女なんだ!」
「赤ちゃんがこんな私を選ぶわけがない!」
「私は産む前から母親失格だ!!」
「私のもとに来た子供は不幸だ!! だから私は赤ちゃんが出来なくて当然なんだ!」
すごく自分を責めて、苦しんで、辛くて辛くて号泣したんです。

そんな私を慰めるかのように、数ヶ月経って思いもよらない妊娠。
私の苦しみを癒してくれるかのように、初診で見た、私の中の子宮内部に産まれた小さな小さな心臓。
嬉しくて愛おしくてたまらなくて、すぐ夫のお母さんと母に電話で伝えると、彼のおお母さんはすごく喜んでくれて、私の母は電話の向こうで泣いていました。まだ流産の兆候もある妊娠1ヶ月と少し。3ヶ月経って出血がおさまった頃ブログに発表しようとしたんです。
だけどそのときにまた出てきてしまった寂しさと罪悪感。
「私を頼ってくれていた人にどう伝えたらいいの!?」
「彼ら、彼女たちとは話したり会ったりすることもしばらくなくなっちゃうじゃん!」
「私はカウンセリングを休業せざるを得なくなるんだ。。。」
だけどこの寂しさも罪悪感も、全て私がこれからの皆さんの頑張ろうとしている力や、仲間の協力を信頼していないことに繋がってしまう。人に信じる喜びを伝えたいと続けているカウンセリングなのに、私自身が皆を信じなくてどうするの!?
そう考えて決心してブログに発表いたしました。
そしたらね。。。
本当にたくさんのたくさんのお祝いメールや言葉をいただいたんです。
本当に・・・。たくさんのお祝いの言葉。。。。
一人一人の言葉はきっちり覚えていますし、いただいたメールは全て大切に保管させていただいてます。
思ってもいないほどのお祝いの言葉に、すごくいっぱい泣いてしまいました。

私は自分が思っていた以上にたくさんの方に支えられていることを実感しました。
思っていた以上に愛されていることも、思っていた以上に感謝をされていることも。。。
こんなにたくさんの方の祝福を受けて、私もおなかに宿った子供もなんて幸せなんだろうって。。。

今までいろいろな方に手紙やメール、電話、面談などで私は多くの方に頼っていただきました。
自分自身が自分の存在を認めて欲しくて、愛されたくて、だけど無理だと決め付けていた生き方でした。
そこから抜けるきっかけとなったのが、カウンセリングという世界でした。
そして初めて心理学というものに興味を持ち、カウンセラーとなりました。

だけど本当の学びはここからだったんですよね。
多くの方が「小川さんのおかげで・・・。」「小川さんがいたから・・・。」
とおっしゃってくださいます。
でも本当に助けられていたのは私です。
旦那様に向き合えないと苦しんでいる方とお話するとき、私は自分自身が夫を愛してあげているだろうか、自分の思いばかり伝えてないだろうかと反省いたします。
彼の気持ちが分からないと苦しんでいる方とお話するとき、私は夫の気持ちをきちんと理解してあげているだろうかと考えます。
「自分を責めないで。自分の悪いところを排除しようと苦しむ必要なんかない。今の自分のまま足りないと思うことがあれば付け足せばいい。」
そう自分がお客様に伝えるとき、私自身は今の自分を受け入れているだろうかと考えさせられます。
皆さんと話せば話すほど、私自信が学ぶことになっていきます。
苦しい状況にいるにもかかわらず、諦めることなく頑張っている人がたくさんおられます。
1ヶ月でいきなり変化される方。
1年でゆっくり変わっていく方。
何年もかけて努力される方と、それぞれですが、
そんな方たちとお話したときは、人にはちゃんとリズムやその人のペースがあって、その人なりのペースを守りやり続けることが大事であって、スピードは関係ないと学ぶことも出来ました。
皆さんと共に成長させていただいたのは私の方だったんだと、今はとても強く思います。
私に頼ってくださった大勢の方々へ、大きな感謝を込めて言わせてください。
皆さんの「ありがとうございました。」という笑顔や喜びの声、あたたかいお言葉で、小川はどんどん幸せになっていきました。
本当にありがとうございます。
2月15日をもって、面談の方も終了いたしますがHPでは今までどおり、コラムやブログでちょこちょこ書かせていただきます。
よろしくお願いいたしますね。

小川を幸せにしてくださって、本当にありがとうございます。
大きな大きな感謝を込めて・・・。

小川のりこのプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2005年12月10日

◇運動は大切!

僕の記憶が正しければ、確か夏頃。うだるような暑い日々が続いていた時期。

カウンセラー仲間である渡辺から「高尾山に登らない?」と誘われたのでした。
当時夏バテ気味だった僕はただ一言、子供のように言い放ちます。

「暑いからやだ」

…。
なんてヤツだ、と思われる方もいらっしゃることでしょうが、ここはさすが
渡辺、彼女は僕と違ってちゃんと大人の対応ができるヤツなのです。

「じゃあ涼しくなったら行こうね。」

秋なら涼しかろうと、深く考えずに生返事。その後は日々の生活に忙殺され、
風情などからは程遠い月日を過ごした挙句…。

やや冬がかった先日、カウンセラー仲間である首藤も誘って高尾山に行って
まいりました。

投稿者 csadmin : 12:55

2005年12月 4日

●ケンカに学ぶ

木村家は結婚して2年になりますが、最近夫婦として成長したな〜と思える事がありました。

先日、奥さんとケンカをしました。
お出かけ先に向かう車の中で言い争いとも言えないくらい些細なやり取りからお互いの怒りに火がついてしまい、一気に車内は険悪なムードに…

1泊2日でのお出かけだったので、「お出かけ先でこのまま2日も過ごすのか…」と想像もしたくない状況を想像していたのですが、結果的には、お出かけ先に到着するまでの30分足らずで仲直りをすることができ、車を降りてからは仲良しで楽しい2日間を過ごす事ができました。

お互いの積極的な歩み寄りがあったから、短時間で仲直りをする事が出来たんだと思います。

そのお互いの歩み寄りの姿勢と意欲と決意と表現というのが、この2年の間で夫婦で築き上げたものであり、成長の証であると感じたと同時に、奥さんと結婚して本当に良かったと強く感じました。


木村家は二人とも怒りの表現がヘタで、怒ると引きこもるタイプで、まわりを凍てつく空気にしてしまう、それはそれはタチの悪いケンカをします(笑)

付き合い始めた頃や結婚した当初は、お互いに怒る事ができなくて、不満があってもひたすら我慢という感じでした。

その我慢の限界が来た時に厳冬の季節を迎えるのですが、それでもケンカをするのが怖くて、二人だけでケンカをする事ができませんでした。

友達が遊びに来ている時や、心理学のワークショップへの参加中など、他の人がいるところでようやくケンカをすることができるという状態でした。

第三者に仲を取り持ってもらって、みんなに慰められて励まされて、本当に伝えたい事を通訳してもらって、それで何とか仲直りをすることができていました。

それにも慣れてきてようやく二人でケンカをすることができるようになったのですが、二人共引きこもってしまって、どちらかがそれに疲れ果てて限界が来て、ようやく仲直りへ向けて動き出し、相手も疲れ果てているので意地を張れなくて仲直りをせざるを得なくなって仲直りをしていました。

最近になってようやくお互いに少しずつ言いたい事を言えるようになり、何で怒っているのか?何が嫌なのか?どうして欲しかったのか?ということがケンカをしながらわかるようになりました。
それで ケンカ〜仲直り の時間はかなり短縮されたのですが、それでも仲直りの仕方が疲れ果ててウヤムヤになっていつの間にか… というのは相変わらずでした。

今回のケンカでも、二人とも怒ってブチ切れながら言いたい事を一通り言っていました。

ヒートアップして最高潮を迎えた時、奥さんがブチ切れながらこう言うんです。

「もっとよーちゃん(奥さんによーちゃんと呼ばれています)と仲良くしたいねん!」
「よーちゃんが怒ってたり元気じゃない姿なんか見たくないねん!」
「仲直りしたいけど、どうしたらいいかわからへんねんっ!!!」


僕は、もう怒れませんでした。


奥さんはめちゃくちゃ怒ってきつい口調でしたが、僕の心に届いたのは怒りではありませんでした。

僕は奥さんに愛されてるなーというのを一杯感じて、それがうれしかったんです。
そんな奥さんの想いを見ようとしないで自分の事しか見てなかった自分のことがすごく情けなかったんです。

「奥さんにはかなわないな〜」と思いました。
「この人と夫婦でほんとによかった」と心の底から思いました。
「この人とずっと一緒にいたい」と強く強く思いました。

さらに情けない事に、その時には「ごめんなさい」しか言えなくて、「うれしかった」や「ありがとう」をきちんと言う事ができませんでした。
だけど、つまらない意地を張ることなく、自分の意志でケンカを止めることができました。

こうして仲直りをする事が出来て、前よりも仲良くなることができたのでした。


今回のこの出来事で僕達夫婦の成長や絆を感じる事ができました。
他にもいろいろな気づきがありました。

最後に、その中で僕にとっての一番の気づきを紹介させていただきます。

ケンカをしないに越した事はない。
怒りを使わずに伝える事ができるに越した事はない。

だけど、ケンカをしてもいい。怒ってもいい。罵り合ってもいい。

その人への愛と、その人からの愛さえ見失わなければ。
その人を愛している自分と、自分を愛してくれる相手を信頼さえしていれば。

投稿者 csadmin : 11:43

2005年12月 3日

◇親の血を受けついだ娘・・・

こんにちは。きのかずよです。
寒いですね〜。
こんな季節は、焼酎お湯割それとも熱燗ですか・・・。

と、と、と、言うわけで、私はかなりお酒が好きです(*^-^*)
それもこれも、お父ちゃんが酒好きでありますから、その血を引き継いだも
のと思います。

しかし、引き継いだのは酒好きの血だけではありませんでした。

10月某日快晴
大学時代の同期の結婚式での出来事。

同じく同期の男子達と待ち合わせをして会場に行こうと言う事で、
待ち合わせ場所に、いつもしない化粧をして綺麗な格好を自分なりに出来た
なと満足げにニコニコして行くと、、
「きのちゃんが何を目指しているのか分からんわ」
と、言い放たれてしまいました。Σo( ̄□ ̄;)
「その服は何?」
「なんでぇ、綺麗やないの。この柄は私の南国顔をもってこそ、着こなせる
ドレスじゃないかぁ。ラテンよラテン☆」
「派手じゃ」

う、う、

私は、南国顔です。
両親ともに日本の南国出身です。
アムロちゃんや、山田優のような今時の南国顔ではなく、誰もが両親の出身
地を聞いた瞬間に「なるほど」と、うなづいてしまうような顔です。
ま、嫌いな顔ではないのですが(^^;
ただ、ほっぺたが異様にコンプレックスです(T-T)

ほりが深いからと慰めてくれる人が多いのですが、異様にほっぺが突き出て
います。
丸い鼻の両隣にプクっとあるこのほっぺ。
笑うとさらに突き出てきて、視界に入ってきます。

顔だけでなく、そんな、南国の血がさらに発揮された同期の披露宴。

余興の時間がすぐやってきて、親友と言われる人たちが、出し物をやってい
きます。
そして同期の中学からの親友と言う女性が、三線を持って現れました。

むくっむくっ

私の中で何かがザワメキだってきました。

「えっと、音楽が好きで習い始めた、沖縄の三味線の三線です。沖縄民謡を
演奏します。よろしかったら、お祝いの曲なので、踊ってくださいね☆」

ドクドクドク

あ、私の中の血が暴れだそうとしているわ〜

と、感じるまもなく、演奏が始まると同時に、スクッと席を立ち、演奏者の
彼女の横へと踊りながら出ていってしまいました。。。
「サッサッ、イヤァサッサッ。ハッハッハッハッ」
掛け声も忘れることなく。。。

演奏が終わり、ふと我に返りありゃありゃと、恥ずかしげに席に戻りました
私に待っていたものは、、、

「いやぁ、盛り上げてくれてありがとうございました」
という、同期のご両親様からのご挨拶と、お酌。
「君かわいいねぇ。」(と聞こえた)
と、言ってお酌をしに来てくれた、新郎の会社の上司様方。
「演奏できて楽しかったですぅ」
と、ニコニコお酌をしてくれる、演奏者の彼女。

調子に乗った私は、どんどん飲んでしまいました。

なので、それ以降の記憶はありません。。。なんてウソです。
披露宴後の全体での写真撮影、幸せな二人を見ていると嬉しくなりすぎて、
泣いてしまいました(^^;

そしてご陽気なまま〜師範や同期たちとカフェに行きました。

少しまったりした時間を過ごして、お店を出るときに失敗してしまいました。

そんなところに段差があるなんて、、、お酒の入った私には分かりません!!!
ここに道がある・・・はずなのに・・・無いっ・・・
(T□T川))

私は足を踏み外し、ズテンと前に転んでしまいました。

あぁストッキングは破れてしまい、ひじ・ひざからは血があふれ出て。。。
なのに酔っているから痛みを感じないっっ。

次の日から、ひざの痛みを抱えながらの生活を余儀なくされたのでした。

そう言えば、昔、酔っ払って自転車で壁と激突した父親をバカにした事があっ
たなぁと、感慨深く思い出しました。

そんな親を持つ娘。そんな娘を持つ親。

どちらも大変だと思います(^^;


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投稿者 csadmin : 11:07