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2005年5月28日

◇お母さんが大好きな旦那様−

毎年のことですが、母の日は皆様どうされましたでしょうか?
私たちの去年の母の日は、ケーキを持ってお互いの母親の家で乾杯を
いたしました。今年はどうしようと考えた結果、
私は小さなお手紙を書いてはどうかと彼に伝えました。
主人は
「えーーー、そんなん照れくさいじゃないですか!」
と間髪入れずに言いましたが、強引に東急ハンズに連れて行き、彼にメッ
セージを書くカードを選ぶのをまかせっきりにして、私は別のコーナーに
行ったふりをして影からのぞいていたんですが、めちゃんこ一生懸命、丹念
に選んでいましたね。
「これがいいかなあ。いや、でもこっちも綺麗なんだよね。
ああ、でもこっちの方がメッセージ書くのを考えたら・・・・」
なんだかとても微笑ましかったです。
彼は言葉にしませんが、自分の母親をとても大切にしているんですよね。
だけど私は昔これがとても嫌だったんです。私には、
「好きになった男性の母親は気をつけろ」
なーんて、勝手な先入観があったからなんです。

今から考えると、それは結婚した人の姑さんとの苦労話だったり、雑誌や
テレビで大きく取り上げられるトラブルだったりで、悪い印象ばかりが頭
の中に入ってしまい、自分が経験することも、きっとこうなるに違いない
という、私の勝手な強い思い込みが原因だったと思いますが、この思い込
みが私の中ではすごい恐怖感となってしまって、お姑さんとの関係がとて
も怖かったんですよ。
その思い込みを持ったまま、私は24歳の時に一度結婚をし、そのお母さ
んとはすごい警戒心を持ったまま付き合いを続け、当然お母さんからも
信頼はされず、前の旦那もお母さんと私の間でしんどくなり、限界が来
て離婚にいたってしまいました。

だから、余計にお母さんと仲のいい男性を好きになると、きっとお姑さん
にいじめられても彼は私のみかたではいてくれないだろうという気持ちも
強くなっていったんです。

今の主人にも、結婚前に泣きながらその話をしたことがあるんですよね。

「結婚したら私はあなたの家の人間になるけれど、何かあってあなたの
お母さんと喧嘩になったら、私のことを知らん顔しないで。」って。

今書いてても、私はなんて失礼なことを主人に言ったのだろう。
そして、なんて失礼な目で彼のお母さんを見ていたのだろうと、恥ずか
しく思います。

その先入観は、二度目の結婚して、私がたくさんの人に相談し、お話
を聞いてもらうことで消えていきましたが、本当にすごく怖かったんで
すよね。主人がお母さんと仲がいいと考えるだけで、彼を
「母親べったりの男!」って思って警戒していたんです。

確かに彼は独身時代からとてもお母さんと仲がいいのは事実です。
まめに実家に電話をしますし、メールも結構頻繁にしているようです。
お母さんの買い物にもよく付き合ってますし、電話しだすと結構長電
話になっています。
確かにこれを話してしまうと、世間では、彼を母親とべったりの男性と
思うかもしれませんが、私はもしそうであっても今は構わないんです。

私は彼はお母さんが大好きな男性だと思っています。でも今は、そん
な主人だから私は彼が好きになったのだと自覚しているんです。

お母さんを尊敬し、大事に出来る人は、同じように女性をも尊敬し、
大切にしてくれると思うんです。
お母さんにまめな男性は、女性にもまめであると私は考えています。
お母さんを大事にしていて、そのお母さんが毎日楽しそうであるならば、
結婚相手の女性をも、同じように楽しい毎日をその人と過ごせると思
うんです。
そして、その結婚相手の女性のお母さんも、自分のお母さんと同じ
ようにとても大切にしてくれると思います。

私は主人をとても愛しています。だけど同時にそんなふうに育ててくだ
さった、彼のお母さんもとてもとても愛しています。
オープンで、おちゃめで、可愛くて、ばりばりの名古屋弁で(笑)、
でも寂しがりやで、息子が大事で大好きなお母さんがとても好きです。

母の日のメッセージには、二人して、お互いの母親に、精一杯の愛
情を伝えました。
彼のお母さんは、お仏壇に私たちの書いたカードを置いていました。
(お母さんは大切なものを必ずお仏壇に置きます。)
私の母は、次の日に改めて
「嬉しい。ありがとう。」というメールをくれました。

自分のお腹を痛めて必死になって、人によっては命がけで生んだ子
供なのですから、お母さんにとって息子が可愛くてたまらないのは
当たり前だと思います。。それだけ愛情をかけて育てたのだから、結婚
してすぐそばからいなくなってしまうような感覚を持ってしまうと、寂
しくなっても当然かもしれません。
そんな寂しさからいろいろ口やかましくなるお姑さんもいるかもしれま
せん。だけど、そんなお母さんをほっておけず、世話をやいてしまう、
ついつい構ってしまう、そんなお母さんが大好きな主人を、私もずっと
大好きでいたいと思っています。


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投稿者 csadmin : 12:38

2005年5月23日

●私の性格って治るの!? −私は私が大嫌いだった(自己嫌悪)−

・いつ、どこに行っても嫌われる。
・いつも恋愛ではふられる。
・何をやってもうまく行ったためしがない。

私はこれを3つとも持っていました。
そしてこれらを繰り返すことで、自分で出した結果はこうでした。

「私の性格が悪いんだ。。。私がきっと皆が嫌悪することを、知らないところでいっぱいやってしまっているんだ。。。でも自分では分からない。。。この性格は治らない。。。。」

自分の性格を治したかったんです。でも自分が何を他人にしてしまっているのかもよく分からなかったんです。原因が分からないから人のせいにしてしまうことも多くありました。人のせいにして「あいつが悪いから・・・。」そんなふうに考えなければ、今の自分を保てないと思っていたので必死なあまり、他人には理解不能な行動もいっぱいしていたと思います。
だけどそう思って生きている自分のことは大嫌いでした。嫌われないように必死に生きているのに、やっぱり嫌われるようなことになってしまい、そんな自分を消してしまいたかった。なぜ生きているのだろう。。なぜ皆はあんなに楽しそうなんだろう。。何度も何度も思っていました。

性格ってなんなのでしょうね。

私は自分がカウンセラーになって、「あなたの性格。。。私の性格。。。」という表現はしないようになって来ました。ついつい誰しもぽろっと言ってしまう言葉でもあると思うんですが、この言い方はあまり好きではないんですね。なんだか決定してしまうような感じがするからです。だからご相談いただく際は、「ご自分のことをどんなふうに思っておられますか?」とか、「彼(彼女)って、あなたから見てどんな方なんですか?」という聴き方をしています。

私がたくさんの方のお話を聴く中で学んだ、私個人の考え方なんですが、私は治さなきゃいけない性格なんてないと思っています。
「私は・・・なところが悪いんですよね。」
「自分の・・・なところが嫌なんです。」
こうおっしゃる方は大勢いますが、悪いところではなく、

『時として悪く働いてしまうところ』

だと私は解釈しているんです。

例えば、
「落ち着きがない私が嫌い。」
という方がいたとすれば、その方はエネルギッシュだと言えると思うんです。いつも何かを探していて、もしかしたら好奇心が強いのかもしれません。元気な方だろうし、何事にも一生懸命な方だとも言えると思います。

「おとなしい自分が嫌。」
だという方は、とても謙虚な部分があると思うんです。そして柔らかい暖かな雰囲気を持つ方が多くおられますし、話しやすかったり気が利く方だったり、女らしい要素もたくさんお持ちだと思うんです。

どんなものでも裏と表があるように、人もいいところ、悪いところ(悪く働いてしまうところ)ってあると思うんです。だけどそれがセットだからこそ、その人らしさや個性って出てくるような気がします。

私は気が弱くて心配性であわてんぼなカウンセラーです。だから一度悩みだすととても長く引きずってしまうし、ご飯が食べられなかったりするほど落ち込むことも結構あります。だからそれはなんとかしたいとは思いますが、それが私だし、そんな自分のことって好きなんですよね。

ここを治さなきゃダメだ!!

そう自分で思うことってあると思います。
だけど例えばそれを「万能の秘薬」があったとして、完全に治してしまうと、それとセットになっている、その人のいい部分も同時に失ってしまうと思うんです。

「付け加えて」欲しいんですよね。
今の自分を全く変えることなくです。
落ち着きがないと思うなら、ちょっと周りに目を向けてみる一呼吸置くということを、意識してみる。
おとなしい自分が嫌ならば、少しそれに勇気を足していく。
そんなふうにプラスしていって欲しいと思います。

今の自分を嫌う必要はないと思います。
自分が自分を嫌いなとき。人って自分の悪く働いてしまうところばかり見てしまうんですよね。そんなとき、自分のいいところはいっさい見ようとはしないものだから、余計に自分のことが嫌になってしまうと思うんです。

私もカウンセリングをしていて何度も思うことがあります。
「ああ言ってあげたらよかったのに・・・。」
「こうしてあげればよかった。。。」
「あーあ、なんて私は未熟なんだろう!」
「こんな私がカウンセラーなんてやってていいの!?」

だけどそんな思いでいっぱいになって、苦しくなってしまったとき、

「ありがとうございます。とても嬉しかったです。」
という感謝を伝えてくださった方の言葉を受け取ってはいないんですよね。
その方の思いを無視しちゃってるんです。


「私の性格は治りますか?」
誰かに聴かれたら私はこう答えます。
「治さなきゃいけないと思うようなことがあるのですか?」と。そして、

そしてどんな人にも伝えたいと思います。そのままでいいのだと。
だけどそれが苦しいならば、楽になる方法を一緒に探して付け加えてることをしていきたいと思います。
そして考え方や見方を変えていくことをお勧めしていきたいと思います。私がそれで楽になったように、同じように自分が大嫌いだと感じている方に、伝えていきたいと思います。

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投稿者 csadmin : 12:00

2005年5月21日

◇自分を好きになったら・・

うちの息子は、この前二歳になったばかりです(喜)
五月は連休を利用してはじめて遊園地に連れて行きました。

もちろん、ジェットコースターはまだ乗れませんが、
汽車にのったり、広場を走り回ったり、アンパンマンショーを見たり。
お父さんも、朝から晩まで汗だくで走り回り  ・・楽しかったです(笑)

彼が生まれてから、ずっとその成長をビデオに収めているのですが、
最近ちょっと忙しくてビデオを撮っていません。
それで久しぶりに僕は、ビデオカメラを片手に、
朝から晩まで息子を追いかけまわしました(笑)

バッテリーが切れるまで・・・・・収録時間は、一時間!!
今までで一番の長編です(笑)


くたくたになって家にたどりついたのに、
親としては、やっぱりすぐに観たいものです。
夜中に早速、上映会。
TVに映し出される息子を微笑ましく眺める両親。
子供はかわいいですよね。笑っていても、泣いていても。

だけど、そのビデオを観て一番喜んでいるのは、息子自身なんです!

ビデオの中の自分と同じ様にはしゃぎ。
ビデオの中の自分と同じ様に笑い。
ビデオの中の自分と同じ様に踊ります。

どうしてこんなに自分のことが好きなんだろう・・
ビデオの中の自分を大喜びで、テレビにくらいついて見ています(笑)

そして、ビデオが終われば、
「もう一回!もう一回!」と何度も何度もせがみます。
「もうだめ!」と叱るまで、永遠に自分を見て楽しんでいます。


僕が知っているかぎり、子供は自分のことが大好きです!
そんな大好きな自分が、感じる気持ちや欲しいものにもただただ素直です。

いつでも、誰にも、どんな事でも、
自分の感じる気持ちを、素直に表現します。
どんなおもちゃで遊びたいか、どんな食べ物が食べたいか、
どんな遊びが楽しいか、どんなところに行きたいか・・

これは、自分が好きでないとできない事です。

そんな彼の周りにいる人達は・・
僕や妻、おじいちゃんやおばあちゃん。おじさんやおばさん達までも。
皆んな彼のこと良く知っています。

だから・・彼の人生は本当に豊かです(笑)

お誕生日やクリスマス、お正月、普段たまに会いに来るときですら。
彼の欲しいおもちゃ、食べ物、楽しい事・・
皆んな彼へのみつぎものの様に何かを持ってきます(笑)

そして彼は遠慮することもなくただただ 大喜び します(笑)

そしたら周りの大人たちはもっと彼を喜ばせたいって思うでしょう(笑)

彼の人生には欲しいものが、どんどんどんどん増えてきます(笑)

欲しいものが全て手に入る    ・・・・・幸せですよね(笑)


もちろん、彼がまだ子供だからという見方もできるでしょう。
だけど、もし、彼が自分のことが大嫌いで、
誰にも自分の欲しいものを伝えず、何も表現しなかったとしたら、
そんな風に色んな幸せが彼のもとに与えられないんじゃないのだろうか?

自分のことを大好きだから、
彼には嫌いな人は存在していません。
自分のことを愛しているから、
彼の人生にはあらゆるものが与えられます。


 *   *   *   *   *


僕達大人は、いつ頃ぐらいから自分をきらいになったんだろう・・
僕達大人は、いつから自分を愛さなくなってしまったんだろう・・

ビデオや写真に写る自分を見て、
なんか、老けたなあ・・
去年より太ったかも・・
この髪型、似合わないなあ・・
やっぱりおしりが大きいな私・・


そんな僕達も子供の頃は皆んな 自分のことが大好きだった。

上手にごはんが食べられなくても・・
大人より早く走れなくても・・
ちゃんと、言葉で伝えられなくても・・
悲しいことがあるとすぐに泣いてしまっても・・
寂しいことが大嫌いでも・・


今もう一度思い出す事ができないだろうか?

僕達は、自分のこと が大好きだった。
僕達は、自分 を愛していた。


・・それはまるで、そのすべてが神様に与えられたもののように・・


※吉原 直人は2007/6月でカウンセリングサービスを退会しました。

投稿者 csadmin : 12:51

2005年5月15日

●オープンハート 〜子供時代の愛読書

みなさんにとって、「ハートがオープンになる」「ハートがオープンである」
ってどんな感じでしょうか。どういう時、どんな状態・状況でしょうか。

私が、オープンを意識するのは、
「自分の事が信じられるっ!」、「こうなりたい・ああしたい!」と、
ただ思えて行動している時です。
好きな物事について、「嬉しい・楽しい」とデレ〜としている時です。
そんな風に、自分自身でいられて、他者との垣根もない状態だと、
心が開かれているのを感じます。

好きな事をしたり、好きな事が楽しいというのは当たり前の事じゃないかと、
感じられるかもしれませんね。
また、今かかわりの中で、我慢や不安が多い方には、少し同意が得られる
かもしれませんね。

「自分の事が信じられる」ことは、私にとってオープンさの原点のようです。
具体的には、○○が好きだと思う、△△が嫌いだと思う、□×をしたいと思う
◎▲になりたいと思う自分を認め、
全身でその思いに取り組むことが出来ている時に、
「大丈夫!」と信じられているように感じます。

今年になって参加したグループセラピーで、参加者全員が「幸せを選ぶ!」
という思いで一つになるという出来事がありました。
落ち込んでいて難しかった人達も、一人では「とても無理だった」そうですが
その時は幸せを選んでもらうことが出来ました。
互いへの「大丈夫よ」という温かい思いでの繋がりや、
全身で幸せを選ぶことで、
ハートが開かれているのを強く感じられた機会でした。

私が心理学の世界で学び続け、カウンセラーをしているのは、
こんな状態をお客様や仲間達と分かち合えるのが、ただ嬉しく幸せに
感じられるからなんです。
セラピーの後、この幸せな一体感を振り返っていると、ふと、
10代の頃に何度も読んでいた『小公女』が頭を過ぎり、
「あぁ、違っていたなぁ」と思いました。
そして、○○年以上ぶりに、昔の愛読書を子供時代とは異なる心境で
読み返してみることになりました。


『小公女』は、英国出身のバーネット女史によって書かれた児童文学の一作で
す。
子供の頃の私は、主人公のお嬢様だったセーラが、父親の破産と死により、
預けられていた学校の召し使いとなり、色々苦労したり苛められたりするにも
関わらず、誇りと周囲への優しさを持ち続け、
その結果、隣人から学校には秘密で「魔法」の援助を受けて苦しさを乗り越え
最後には本物のプリンセスになるというストーリーが大好きでした。

10代の頃、読み返しては、
「人に善い事をしていれば、きっといつか良いことがある筈!」
と思っていました。セーラがよくしていた「公女さまならどうするか」という
想像は、私が行動を決めるのによく役立ちました。
どんな時でも、誰かを好きな気持ち、善い・正しいと思っていることを忘れず、
優しくて親切な言動を選ぶことが出来、色んな人と仲良くなれました。
元々人見知りが激しかったので、仲が良い人がいるのはとても嬉しかったです。

けれど一方で、善い事をすればするほどに、寂しさや虚しさも感じることがあ
りました。良いことがある筈!?・・・確かに嬉しかったのですが、本当には
満たされていないと感じることもありました。
そして、寂しさや虚しさが限界に来ると、
「善い事なのにどうして?!」という怒りや失望感から、
それまでの人間関係を切ってしまうパターンが出来てしまいました。


どうして、セーラのようであれなかったと思いますか?
それは、子供の頃の私が、セーラが公女さまのようでありたいと思う気持ちを
読みきれていなかったからなんですね。

セーラは、聖人だったわけでも、めげない子だったわけでもなくて、
むしゃくしゃしたり、悲しみに暮れたりする普通の7才の女の子だったのです。
ただ、普通の7才より大人びた洞察や慈愛を持っていて、
父親やお友達を大切にするために、そして自身が辛い事を乗り越える為に、
「公女さま以外のものにはならない」と行動していたのです。

文学的なことは他に譲りますし、主人公の心理分析は、実は本編に出ているの
で省きますが、今回読み返してみて、セーラが小公女であれたのは、
彼女が想像力を使うことで、自らを開いていたからだと思いました。

セーラには、自分が感じたことを楽しく面白いお話に空想する癖がありました。
彼女の「想う力」は、辛い境遇に立たされた時、
いつまで続くのかという絶望感を越える力にもなりましたが、
その想いの強さは、彼女がその物語を聞かせる時、本人も聞いている人々も、
お話が本当のことであるかのように、セーラの愉快で優しい世界へ惹き込み、
信じられるようにさせていたのです。

彼女は、ありのままの自分を皆から愛され、慕われて、後援者に見つけ出され
た後も奢ることなく、ますますプリンセスとなっていっていたのですね。
そしてこの、「ありのままの自分」というところが大きく違っていたわけです。

20代で社会人となり、仕事という「しなければならないこと」「するべきこと」
を持つようになるまで、私は、大勢の中に居る時よく「不在」でした。

嫌われない為に、仲良くしてもらえるようにと期待を抱きながら、
自分が善いだろうと思う精一杯のことをしていました。
けれど、「善い事」というのは、立場や状況によっても、
また同じ人でも体調や気分によっても色々沢山あるんですよね。
見つけるのには細心の注意が必要でした。

他者の価値観ですから、上手く分からない事は起こり得るのですが、そんな時、
「これだけ努力してきたのに」と、期待が裏切られたように感じて怒り、
それまでの関係性を切っていたのでした。

子供の頃はその瞬間に「心を閉める」と思っていたのですが、
実は、私のハートは、多くの状況で初めからか途中から、
既に閉じられていたようです。
「善い事」の中に、「私がしたい事」が入っていなかったのです。

これは、私が周囲の意見や態度に影響を受けすぎる子供だった為に出来た、
「癖」でした。
他人が言うことの全てが重要で正しく、必要な事だと感じられ、
それと異なると大変なことになってしまうと思っていました。

「大変なことになる」いうのは、何の根拠もないお化けのような怖れでしたが、
それが分からなかった私には、複数の矛盾する意見が存在するのは、
大きな混乱でした。
そんな中で、「自分がしたい事」「自分」は唯一、取扱可能なものだったので、
自分の胸の中にしまい込み、混乱を減らしていたわけです。

小学校高学年の頃、「心に鍵をかける」という言葉を使った詩に出会っていま
した。
鍵をかけて安全な所に自分を置き、やっと誰かに関わる余裕出来たのですが、
結局、ハートを閉じてありのままの自分を表さないことで、
100%の満足感、繋がり、楽しさ、幸せ・・・etcを受け取れなくなってい
たのでした。


○○年ぶりに『小公女』を読み返してみて、そもそものきっかけのセラピーを
思い出してみると、閉じている事が多かった私が、少しずつハートオープニン
グ出来るようになった要素が全部入っていたのに気づきました。
それは、

まずは、自分の本心を知ること。<幸せになれるんだろうかという疑いなど>
次に、詮索も期待もなしに周囲を見ること。<「大丈夫」「来て」という声>
そして、今、100%望むこと。<「幸せを選ぶ!」>

の3つでした。
三番目は、私自身、いつも特に大きな抵抗感がありました。
そのような発想をする自分の存在を認めることは、元々の怒りや失望感を
思い出させますし、いい自分になるのは、自分には似合わないような、
はずかしさや自己嫌悪も出てきます。
さらに、そのように動くことは、試した事がないというリスクを感じること
だったからです。

カウンセリングの中でも、頭では「今は昔とは違う」「今は良い」と
充分理解されているのに、どうしても昔の恨み辛みが忘れられなかったり、
また傷ついたらという恐れで一杯一杯になってしまったり、
自信がないと自分を責めてしまったりするというお話を伺うことがあります。
そんな時には、「いかに現状が困難か」ということが多く語られるものですが
私はいつもそれらの困難の向こう側にある、
「本当に望んでいること」
も大切にしていけたらいいなぁと思いながら伺っています。


そういえば、数年前、旅先で知り合ったブラジル人の女の子が、
「カトリックの教えでは、『ハートを開く』って、“Blessing”ってことよ。」
と話してくれたことがありました。
帰国後、意味を調べてみると、“Blessing”には、
「祈り」の他に「祝福」という意味がありました。

誰かのハートが開かれるということは、自分にウソがないという他に、
周りの人々にとっても喜びなのだ。そんな意味があるのかもしれませんね。

下を向いて周りを見ることが出来なかった私が、少しずつ周囲との繋がりを
取り戻せてきたのは、私の事を信じてくれた多くの人達のおかげでした。
まだ、これから開いていく部分が多々あるからかな、
オープンで、繋がりを感じられる喜びや幸せは、私にとって
とても気になることの一つのようです。

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投稿者 csadmin : 12:00

2005年5月14日

◇『自分にとっての「当たり前」、相手にとっての「バカの壁」』

こんにちわ、成井です。
番組改編の時期はスペシャル番組が多いですよね?
私は結構「スペシャル!」とか「限定!」の言葉に弱いので、TV局の
企み通りにまんまと見てしまいます(^_^;)
先日(と言ってもかなり前なのですが)、「日本一受けたい授業SP」
というのをやっていて、ちょうど時間が空いていたので見ていました。
懐かしのノッポさんが工作の授業を本人自ら!しゃべりながら行ったり、
大臣の竹中さんが日本の経済について分かりやすく授業を行ったりして
いて、番組のタイトル通り「これは受けたいかも!?」と思える授業の
目白押しでした。
その中には、ベストセラーの「バカの壁」の著者の養老孟司さんの授業
もありました。

私、ブームに乗って「バカの壁」と「死の壁」を嬉しそうに買ったにも
関わらず、本を買った事に満足をしてまだ1Pも読んでいないという、
読者とは決して呼べないフトドキ者なのですが、そんな私にもよく分か
るように、簡単に「バカの壁」についてのレクチャーがありました。
そしてその内容に私は「おぉ〜!!!」ととても感銘を受けたのです。

どうしてか?というと、つい最近私にもそんな「バカの壁」があったか
らなんですよね。

「バカの壁」を成井的に簡単にまとめてしまうと、
『バカの壁とは、自分の中にある「こうであろう」という思い込みから
生まれる、相手との理解すれ違い』
の事のようです。
つまり、Aさんにとっての「当たり前」や「常識」と、Bさんにとって
「当たり前」は2人の共通ルールではなく違っていて当然にも関わらず
、「こうであろう」とお互いが自分の感覚のままにコミュニケーション
や自己表現した際には誤解が生じる。という事です。
確かに、相手と100%同じ感覚で話が通じるなんて事は難しくて納得で
すよね?

こういった「バカの壁」はカウンセリングの中でもよく出てきます。
「私は良かれと思ってしたんですけど・・・、相手に喜ばれなかったん
です。」とか、
「相手には何度も私の気持ちを伝えているんですけど、あのバカは分か
ってくれないんです!」とか、
「あの人は何にも私のこと気遣ってくれないんです!」とか・・・。
自分では一生懸命頑張っているんだけれども、相手に伝わらないこと、
理解してもらえないこと、喧嘩して2人の距離に溝が出来てしまうこと
ってありますよね?
そして私達は多く、頑張った分だけ疲れてしまって、「あの人とは合わ
ないのかもしれない」とか「きっと相手は外見は人間だけれども、違う
星から来た異星人に違いない」とがっかりしてしまいます。

でもそういった方のお話を、私は第3者の立場として聞く機会がある訳
なのですが、私から見ると「あ〜。誤解があるな〜。もったいないな〜
。」と見えることがよくあります。
そして通訳さんのように、違う星の言葉を訳すのです(^_^)
2人の間に対立がある時、その2人の間にそびえて立っているのはまさ
しく「バカの壁」なんですよね。
誤解の回数が増えれば増えるほど、そのバカの壁の高さは高くなってい
き、もうどうにもこうにも超えられないように感じるのです。

ところで、最初のほうに「つい最近私にもそんな「バカの壁」があった
からなんですよね。」と書きましたが、そのお話を少しさせてください
ね。
この事は私自身にとっては大きな”気づき”だったので、もしこの話が
同じ様に誰かの気づきのヒントになれば嬉しいです。

結論を先に書くと、今回の私にとっての「誤解の素」は、「私の中であ
まりにも”当たり前”になっていたので、あえて周りの人に表現をして
こなかった」という事にあります。
その事で周りの人を振り回してしまいました。
バカの壁を私は自分の回りに高く積み上げてしまっていたので、相手と
の温度差が出来てしまったりとか、誤解を与えてしまったんですね。

何があったのか?というと、私には1年前にお別れした彼氏がいます。

その人とは私の20代のほぼ半分を一緒に過ごした人です。
当然、周りの友達達からも「いつ結婚するの?」と公認の仲でした。
でも、私もカウンセラーといえども人の子。
どうしても相手との間で許せない事があり(これも「バカの壁」といえ
るのかも知れません)、彼を受け入れられなくなってしまいました。
本当は彼が頑張っていたのも知っているし、大事にされているのも知っ
ているからこそ、私も彼を大事にして、幸せにしてあげたかったのです
が、でもその時の私は、彼と一緒に住んでいて毎日顔をあわせることが
ある分、限界だったんですね。
私は自分自身でどんどん「彼に優しく出来ない自分」を責めて、自分で
自分の居場所を奪ってしまったのです。
なので、彼に「別れて欲しい」とお願いをしたんです。
自分の中でこの答えを出すまで丸1年かけました。

・・・でも、私の周りの人は、まさか私が1年そんな事を考えていたな
んて知らないんですよね。

彼と別れた後、彼には新しい彼女が出来ました。
私は本当に嬉しかったんです。
自分は失敗してしまったけれど、やっぱり彼には幸せになってもらいた
かったですから。

・・・でも私の周りの人は、彼に対して怒りを持ってしまいました。
「別れてから何ヶ月も経ってないのに!ひどい!」と。
・・・彼は何も悪いことはしてないんですよね(^_^;)
むしろ「幸せになろう!」という事に関して前向きな彼を、私は尊敬し
ました。

周りの人から見れば、「順調に思えた2人が突然別れて、そして彼の方
にすぐに新しい彼女が出来た。」と見えたようです。
だから「そんな簡単に次の人と付き合うなんて、彼はひどい男だ!」と
見えてしまったようです。
私の代わりに、多くの人が私に対して彼への不満をぶつけたり、文句を
言って怒ってくれました。
でも本当は私の中ではずっとずっと「別れ」について考えていた時期が
あるんですよね。
だから、本当はその時はとてもすっきりした気持ちだったんです。

その私の心の変化の過程を、私は表現してきませんでした。
だから、誤解ができてしまったんです。
私に対して親身になってくれる人ほど、「新しい彼女と彼は合わないと
思う!」と言ってくれます。
きっと私が同じ立場なら、やはりそう言うでしょう。
それくらい私のことを応援してくれている気持ちは嬉しかったのですが、
でも新しい彼女とも私は友達なのですごく悲しくなったんです。
そして逆切れして彼に怒っていました。
「自分の好きな子さえ守ってあげれないなんて、最低!」と(^_^;)
・・・今だからこそ、ごめんなさいm(__)mです。

彼はネット上でBlogという日記を書いていました。
その中には個人名は出てこないもの、私とお付き合いしている時には、
私が「彼女」としてよく登場していたんですね。
そしてお付き合いしている当時は彼と共通の知り合いも多く、公認の仲
だったのでそのBlogを読む人の中で暗黙の了解のように「彼女=成井」
という図式が出来上がっていました。
そして彼とお別れしてしばらくしてから、また彼のBlogには「彼女」が
登場します。
それは私ではなく、「新しい彼女」なのですが、ただそのBlog を読む
人はその差が分からなくて当然ですよね?
だから別れた後も「○○君とうまくいってるみただね〜」と私に声がか
かる事がよくありました。
そして最近、その彼が彼女と結婚したんです。
「今度彼女と結婚することになりました。」とBlog上で発表です。
だから、さぁ大変(^_^;)
お祝いの言葉が、私に沢山届きました。

それくらい、自分が応援されていたことはとっても嬉しく思います。
でも「・・・私、実はもう別れているんだよね」と正直に言うしかあり
ません。
そこで私はそのお祝いの言葉をくれた人達に「あ・・・。ごめん。知ら
なくて・・・」と言わせてしまうんですよね。
知らないのは、私が表現していないからなので当然なのに、でも本人達
は自分の事を責めます。
そうやって私は本当に多くの人を傷つけました。
そして、「結婚したのが私ではない」と知った人が、今度は私を心配し
て沢山連絡をくれます。

・・・いや〜。こう書くと私って本当に愛されてますよね(*^_^*)

私としては、自分が彼と別れるまでに1年かけているし、別れてから彼
が新しい彼女と結婚を選ぶまでにも1年弱の時間がかかっているので、
その問題はとても整理されていました。
彼女との結婚を決めた時に、彼から直接報告を貰ったんですよね。
すごく嬉しかったのを今でも覚えています。

だから、親身になって相談に乗ろう!と何とか私から気持ちを引き出そ
うとしてくれた人たちとの間に温度差が生まれました。。
なので、あっけらかんとしている私を見て「私じゃ役に立たないのかな
?」とやはり相手を傷つけてしまうような事をしてしまいました。

私の中で時間をかけて出した「答え」。
でもそれを私が自分自身で表現しなかったとしたら、それは周りの人と
の間にそびえる「バカの壁」なんですよね。
私の中であまりにずっと考え続けていたことだったので、あえて表現し
なくてもいいくらいの「当たり前」になっていた部分があったんです。

しかし、それは私にとっての「当たり前」であって、他の人がどう感じ、
どう思うのか?はまた別の話なんですよね。
「当たり前」であればあるほど、ついついその事を忘れてしまいます。
今回の出来事は、私にとってとてもいい勉強になりました。

皆さんの中にもこの「バカの壁」はそびえたっていませんか?
私と一緒に壊して行きましょうね(^_^)v


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投稿者 csadmin : 02:18

2005年5月 9日

●書道教室の先生

書道教室のある日、先生から事情があって来られないと連絡がありました。
そして、私が先生の代わりを務めることになってしまいました。
以前から先生には「私が来られない時には、代わりに教えて欲しい」と言われていたんです。
今年の年賀状には「紘美さんに期待しています」と書かれていました。
そしてついにその日が来てしまいました。

その日は課題の締切になっていて、課題を仕上げないといけませんでした。
私にそんなことができるだろうか、と思いました。
でも、思い悩んでいても仕方がありません。
子供達がこれまで練習してきた成果を充分に発揮できるよう、できることをただ精一杯やるだけです。

課題は、その月毎に決まっていて、1ヶ月くらい時間をかけて仕上げていきます。
でも、部活動や事情があって、そんなに時間をかけられない子もいます。
その日、部活動で教室を休んでいた子達が来ました。
その子達は、その日1日で課題を仕上げないといけません。
「この子達の今月の成績が悪かったらどうしよう・・・」一瞬そう思いました。
でも、次々に子供達はやってきます。
無我夢中で子供達と一緒に課題に取り組んでいるうちに、いつの間にか不安なんてどこかに行ってしまいました。

子供達と接しているうちに、子供達なりに私に気を使ってくれるんだなあと感じられることがありました。
私が準備をしていたら、早く来た子が手伝ってくれました。
自分から「もう嫌だ」とか「もう駄目だ」とあきらめてしまう子はいませんでした。
片付けも最後になった子が手伝ってくれました。

その日、最後に教室に来たのは、小学生の頃からずっと教室に通っている中学生の子でした。
見ていると、その子は、自分なりにお手本と自分の書いた字の違うところを見つけて練習していました。
私は、彼女の成長ぶりにただひたすら感心していました。
教室が終わって、振り返って気付いたのは、子供達がこれまで学んできたこと、子供達の上手になりたいという気持ち、子供達の持つ力を信頼すればいいといいうことでした。

思うように、上手く書けないということは、大変な苦痛になることがあります。
私もそうでしたし、それで何度もやめたくなったことがあります。
でも、あきらめずに練習すれば上手くなるんです。
ですから、子供達には、練習を嫌わないで欲しいと思っています。
それで今回は、最初に書いた字と最後に書いた字を比べて、最後に書いた字の方が上手に書けていること、それは頑張って練習したからなんだよ、ときちんと伝えるようにしました。

些細なことかもしれませんが、子供達にとってこのことが成功体験となって、将来につながって欲しいと思っています。
子供達が将来、自分にチャンスを与えてあげられるように、やりたいことを諦めなくていいように、そう願っています。
これから、私が書道を通じて得たものを子供達に伝えて行こうと思っています。
そして、カウンセリングを通して、皆さんにお伝えしたいと思っています。

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投稿者 csadmin : 12:00

2005年5月 7日

◇それは、MDウォークマンが壊れたことから始まったんです。

ほぼ毎日使い続けて1年半。パソコンと連動するそれは使い勝手がよく、
機能に関してもなんら不満の無い、最高の相棒でした・・・、壊れるまでは。

突然、MDを読み取らなくなっちゃったんです。
説明書を読んだりと、いろいろ試行錯誤しました。でも、解決しません。
仕方ないので、サポートセンターに問い合わせ、修理の見積もりを出しても
らったら、「8000円ぐらい」と言われました。

8000円って、微妙な金額じゃあないでしょうか。
新しく買うよりは安いけれど、ポンとすぐに出せるような金額でもないな、
と僕は思いました。ちょっとお金を足して、最近流行っている何千曲も入る
やつを買おうかな、という思いが頭をよぎります。
数日考え、修理をせずにそれを買うことにしたのですが、それからが大変な
ことになってしまいました・・・。

よく聴くCDやMDを新しく買ったものに録音すると、部屋のよくいる場所
に置いてあったそれが、だんだん目障りになってきたんですね。だから整理
したり、処分したりしました。
すると次に、最近あまり使っていないコンポの存在が気になりだしました。
もっとうまく活用できないものか、と考えたら、ひらめいちゃったんです。
テレビと今度買ったやつの音声を出力できるようにしよう、って。
そうなると、使い勝手を良くするには、パソコンとテレビとコンポが近くに
ないといけないわけです。
そこから、僕にとっては5年ぶりぐらいの、超大々的な部屋の模様替えが
始まってしまったのです・・・。

いや、それにしても今回の模様替えは壮絶でした。ダンボールにして6箱分
ぐらいのさまざまなものを捨てたり、売ったりしました。それでも理想的な
形に収まらなかったので、最近ほとんど読んでいない、かつて読んでいた本
を、本棚1つ分(300冊ぐらい)売りました。

整理をしながらすごく思ったのですが、物って大抵、感情がくっついている
んですね。
「これ、あのころ使ってたんだよなぁ」とか、
「辛い時期にこれ、読んだっけ」とか、
「しまい込んでるけどまだ使える、これ面白いんだよね」とか・・・。

すると、もう何年も手を触れていないにもかかわらず、捨てるのが惜しくな
ってしまったりします。
あぁ、執着ってこういうことなのかな、と思いました。

心を軽くするために部屋を掃除するという提案が、よく本に書かれていたり
するのを見たことがあったのですが、そうだろうなぁ、と思いつつ、なんで
部屋を掃除すると心が軽くなるのか、深く考えたことはありませんでした。
でも今回、しみじみと理解することができたようです。
意識ではその物の存在をすっかり忘れていても、無意識はしっかり覚えてい
て、心のどこかでなーんか引っかかっちゃってるんですよね。

例えば、僕の部屋にはなぜか空き箱がたくさんありました。
これ、何なんだ?と考えたら、中身だけ友達に貸していた事を思い出しまし
た。すっかり忘れてたんです。すぐに連絡を取って処分したんですけれど、
その時ずいぶんすっきりとした気分になれたことに驚きです。

散々整理して終わってみると、思った以上にいろいろなものを手に入れるこ
とができました。
お金と、スペースと、快適な環境。あと、心のゆとりかな。
ずいぶん身軽になった気がします。

みなさんも、時間があったら部屋を整理してみてはいかがでしょうか?


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投稿者 csadmin : 12:15

2005年5月 2日

●泣き虫で、心配性で、気の弱いカウンセラー −私もクライアント−

私が始めてカウンセリングというものの存在を知ったとき、
「この人たちに私の苦しさは伝わるのだろうか・・・。」
そんな思いでいっぱいでした。

幼少の頃に父の暴力と級友からのいじめで自分を守ることばかり覚え、怖いから「来るな!!」って人に対して攻撃的な態度を取り続け、その結果誰も私のそばによることはなく、友人も恋人も家族とさえつながりを持てず、孤独な時代がとても長くありました。

そうして大人になっていくにしたがって、出来上がった私は
とても性格がひんまがっていたんです。今から考えると本当に恥ずかしいお話ばかりです。

今自分がカウンセラーとしてお話をお伺いする中で、ご相談に下さる方は言ってくださいます。
「あんな体験が小川さんにあったなんて、こうやって話してたら想像つきませんね。」
「本当に人が怖かったんですか!? 信じられないです。」
「私も小川さんと同じ状況だから、小川さんと話してたら、元気になれるかもしれないって思ったんです。」

そう言われるたびに、自分自身、本当に変われたんだなあと実感するので、とても嬉しく思います。伝えられるたびに、ますますお力になりたいと強く思います。

だけど私が始めてカウンセラーの方とお話したときは、
「この人は完璧な人で、カウンセリングは全く必要ないほど上のレベルにいる人。」
という気持ちを持っていました。
どんな悩みがあっても、自分でしっかり解決が出来る力を持っているんだろうな。。。
人として完璧なんだろうな。。。
第一悩みなんてないんだろうな。。。
こんなふうにね。
だけど、今自分がカウンセラーになって思うことは・・・・。

いい加減になった。。。
悩みが増えた。。。

なんですよ。( ̄_ ̄ i)

いい加減になったのは、自分に厳しかったのがある程度自分に優しくなれたので、「まあいっか・・」が多くなってしまった結果です。これはこれで楽なので私自身はそれでいいと思っています。
そして悩みが増えたのは、感情を勉強するわけだから、こころがどんどん繊細になってしまって、それでなくとも弱気な私なのに、それがますます大きくなってしまったんです。
もともと泣き虫なのに、更によく泣く子になってしまったし、
もともと心配性なのに、更に必要以上にびびってしまうようになったし、
もともと気が弱いのに、それに輪をかけて気弱になってしまいました。

でもそれは同時にいいことも倍になった・・・ということでもあるんですよね。
嬉しいとき、楽しいとき、思い切り喜ぶ、思い切り楽しむ。楽しむことがなくなると、身近なもので楽しもうとする。楽しみを見つける。それが上手になったと思います。だからつまんないと感じることは今はほとんどありません。

ただ悲しいときはめちゃくちゃ大きく悲しみますので、この処理が大変なんですよね。
人の過去の傷は癒せますが、思い出は消えません。傷が癒されたので、そこに相手に対する憎しみや怒りはほとんどありませんが、ただ悲しかった。。。辛かった。。。という思い出は残ってしまって、そのトラウマは完全にはなくなることはないんですよね。なくなっても困るんです。そういう悲しみがあるからこそ、私は優しさをたくさん学んだと思っていますから。だけど、深い傷は生活の中でちょこちょこ顔を出すんです。それは私がカウンセラーとなった今でも過去の辛い思い出として残っています。消したいとは思いませんが、その傷が出てくることによって苦しむこともありますから、この処理はカウンセリングを知らない頃は一人で抱えていましたが、今はもうひとりで苦しみたくないので、カウンセラーになった今でもカウンセリングを受けます。

私もクライアント(相談者)のひとりなんです。
恐らく一生ね。

苦しいときに、自分の大好きなカウンセラーの方たちにお願いして愚痴を聞いてもらう、クライアントなんです。ずっとずっとカウンセラーとして、そしてクライアントとして、両方にお世話になりたいと思うんです。

カウンセリングというのは苦しいときにも使えますし、普段のプチストレスを溜めないようにも使えるし、自分をどんどんよくするのにも使えます。私はよくばりなので全部をうまく使っていきたいと思っているんですね。

自分がカウンセラーになってやっとわかったんですよ。どんな人でも皆頑張ってて、皆悩みを持っていて、一生懸命なんだって。。。だけど自分が苦しかったときは自分以外の人が楽に見えてしまっていますから、カウンセリングなんて必要ないんだろうなと勝手に思っちゃうんですよね。

私は今までにたくさんの方のお話を聴かせていただいているカウンセラーです。
だけど同時に過去の傷に引きずられ、苦しくなる時もあります。カウンセラーだからこそ、その理由は分かっても、誰かに慰めてもらったり、褒めてもらったりしたいと思うクライアントでもあります。だけどカウンセラーとしてお話を聴かせていただく立場だからこそ、カウンセリングをいっぱい受けて、いっぱい泣いて、自分を楽にしてから、リラックスした状態でご相談くださる皆さんと関わっていきたいと思います。

だから私は今もひとりのクライアントです。
今現在もいっぱい悩みを抱えるクライアントです。
だからこそ、その部分で皆さんとは一緒に悩んで考えて行きたい。そう思っています。

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投稿者 csadmin : 12:00