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2004年12月27日

●カウンセラーさんにさえ気を遣ってしまいます。〜初めてカウンセリングを使ったときの私〜

「あ。そんな感じじゃない。。。だけどそれを言ったら失礼かも。。。」
「う〜ん、ちょっと違う感じなんだけど。。。言えないし。。。」
「私が・・・って言うのを待ってるのかなあ。。。」
「・・・言ったら、このカウンセラーさんは喜ぶかもしれない。。。」

私が初めてカウンセリングを使ったときに感じたことです。人が怖かったし、自分が言う言葉に対しての相手の反応もとても怖かったので、極端に「嫌われる恐怖」「見捨てられる恐怖」があった私は、自分の意見をきちんと言うことが出来ませんでした。
だから当時お電話したカウンセラーの方にさえ気を遣い、
「まあ、いいや。」
「そういうと喜ぶのなら、合わせておこう。」
「一生懸命なんだから、気分を悪くさせたらダメだ。」
そんなふうに感じながらカウンセリングを受けていました。
だけど、合わせるのがしんどくなって来るんですよね。

私自身、カウンセリングのたびにこんな思いを持っていたのに、それを忘れていたことを、ご相談に来てくださる方が教えてくれました。
カウンセラーを長くやっていると、つい
「それってこんな感じかなあ。。。」
と言っちゃうんですよね。
だけど例え9割の人が「そうなんです。」と答えて下さったとしても、後の1割の方は「違うなぁ。。。」と思うかもしれません。だけどそんなとき、気を遣ってくださる方は、「・・・そうなんです。」と答えて下さいます。
カウンセリングに来て、気を遣わせていたんだと思うと、とても反省したいところです。

人によっては、
「う〜ん、ちょっと違うなあ。・・・・かなあ?」と言って下さる方もいます。
これは本当に大変ありがたいんですよね。

とても勇気を持っておっしゃって下さった方も何人もおられました。
「実は私・・・今までカウンセラーの方にも気を遣って話してたんです。。。今日もそうやって話していたんだと思います。」
「いろんな病院やカウンセリングを回ったけど、いつもカウンセラーの方に気を遣ってしまって、先生の言うことに”そうです。そうなんです。”って。合わせてばかりいたから、全然すっきりしなかったんです。」
カウンセラーにすら気を遣っていたとおっしゃる方が、その思いをカウンセラーである私に伝えて下さったんです。こんなに嬉しいことはなかったですね。相当勇気のいることだったと思います。

私自身、こう思いながらも、何度もカウンセリングを遣っていました。
私の場合はこれらを伝える勇気はありませんでしたが、それでもカウンセリングを使っていく間に、人と話すことに慣れ、楽しいおしゃべりになってきて、そして自分の意見を伝えることが出来るようになったんです。

まあ・・・。自分がそうだったので、ここに書くのが少々恥ずかしくもありますが、
これだけ人に気を遣ってしまう人って
「相手の気持ちに敏感で、感情に繊細な人。」なわけだから、
「常に相手の気持ちになって考えている。」
ということですし、それだけ人の「こころ」というものを大切にしている方なのだと私は思います。
それも考えることなく、それが自然と出来る方なんですね。
それに、気を遣うこと自体は悪いことではありませんね。
ただ「しすぎる」ことに、苦痛を感じてる部分。これがしんどいだけなのだと思います。

食べると人はお腹が満たされますが、食べ「過ぎる」と苦痛になっちゃうもの。
だとしたら、その加減を学ぶと楽になります。だけど食べ「過ぎる」にも理由があるかもしれません。
例えば
「だって残したらもったいないってずっと親に厳しく言われてたし・・・。」
「せっかく作ったのに捨てるくらいなら、我慢しても食べてしまう。」
とか。

だとしたら、気を遣いすぎてしまってしんどくなる。。。という部分があるのにも、ちゃんと理由はあると思うんです。
それを探してそこの話をいっぱいいっぱいしてみませんか?

気を遣うことは緊張感を生みます。緊張感があると身体が硬くなってしまって、言葉が出なくなってしまうこともあります。自分に対する相手の目や評価をいっぱい気にしてしまいます。そうなると、自分より相手を中心に考えてしまいますから、自分のことはほったらかしになって、相手の求めると思う言葉を探すことに意識が行ってしまいます。だけどその行動は、外から見るとやはり不自然で、
「私のことをちゃんと見てる? 私のことをちゃんと聞いてる? ちゃんと私と向き合ってくれてるの?」
という相手の評価を得てしまうので、
「彼女(彼)は、私をあまり好きではないかもしれない・・・。」
という誤解まで生んでしまいます。逆効果ですよね。

ほとんどが誤解。
だからこそ、この誤解を生まないためにも、気を遣ってしまう気持ちを、気を遣うことなくいっぱいお話してみませんか? 
私も散々気を遣ってやってきました。
どうしてあのとき「・・・」と言わなかったんだろうと思い返すことも何度もありました。

だけど気を遣いながらでも続けると、少なくとも話すことには慣れてきます。話すことに慣れてきたら、きっと自分の気持ちを伝えることも出来るようになると思います。

全国の「ああ、もう気を遣うことなんてしたくない!!」方、お待ちしております♪

小川 のりこのプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2004年12月25日

◇自分のため?人のため?

こういう仕事をしていると、「愛」という感情については、いろい
ろと研究を重ねる必要があります。

多分、うちのカウンセラーたち全員が持っているであろう哲学とし
て(なんせ、師匠がそうなんで)、
「心理学は人を癒さない」
というのがあります。
それは手段に過ぎず、人を癒すのは、愛情だということですね。
本当にそうだと思います。

ですから、じゃあ、愛ってどういうことなんだろうか?というのは
僕はいつも考えてしまいます。

うちの奥さんが、神戸メンタルサービスのカウンセラー養成コース
に通いだしてから、特にそれを強く考えるようになりました。

なぜ、きっかけがそうなのかというと、それはもちろん、奥さんが

「うちのだんなは私をあんまり愛してくれない。。。」

と言い出すのが怖いからですね。

いやあ、これは恐怖です。
根本や中原なんかは、よくやったよなぁと感心します。

それはさておいて、最近、その「愛」に関連して、
「人の為に生きることと、自分の為に生きること」と言うのについ
て、考えをめぐらしていました。

「自分を愛しましょう」とか、
「自分の為にがんばってみませんか?」
って話を聞いたことがある人は、いっぱいいるかもしれません。
僕は自分を愛するって言うことは下手なので、僕自身のことを考えた
ときに、必然的にこれはテーマになることがよくあるわけで。

たとえば、疲れているときにちゃんと休みを取る、ということも、
自分を慈しむ行為のひとつですし、自分が望むことをしていく努力
をするのもそうです。

では、そこに他人が絡むとどうなるんだろうと。

自分が、「誰かの為に何かをしたい」と考えるのは、僕はずっと愛
だと思っていたのですが、それが、単なる自分のニーズだったとし
たら、それは愛ではないのではないかと疑問に思ったわけです。

先日、そんな話をお客さんにしてたら、
「難しいこと考えてるんですね」
と言われました。
まあ、暇だというか、悩む性質というか。
そのお客さんとは、そんな感じでお互い笑ってたんですが。

でも、実際、その疑問が晴れなかったときはきつかったです。
本当に、何にも手につかなくなったこともありました。
いやあ、しんどかったなぁ〜(笑)。

結局、さんざん悩んだ挙げ句、出た結論は、
「愛するっていうことは、自分のためでもあり、人のためでもある」
ということで、自分のためだけでも、人のためだけでも、バランス
が悪いということでした。
「誰かの為に何かをしたい」と思ったとしても、それが、自分のた
めにも、人のためにもなるのなら、なぁ〜んにも問題ないんだと言
うことですね。

今から省みると、なんて当り前なことなんだろうと思うわけですが、
おかげでいろいろ収穫はありました。
自分を慈しむということは、自分にうそをつかない、ということな
んだ、とか、その他にもあげだすと結構あります。


でも、悩むと疲れます、実際。。。


悩んだら、誰かに相談すればいいのに。。。
というのも、疑問が晴れたあとに気づきました。

これも収穫だなぁ。。。

皆さんも、あんまり悩まず、相談しちゃってくださいね。
疲れますから。


投稿者 csadmin : 12:55

2004年12月20日

●きのかずよセルフQ&A

こんにちは、きのかずよです。
セルフかウンセリグをしてみたのを
洒落をまじえて書いてみました(笑)

Q:カウンセラーの皆さん、はじめまして。
kinoと言います。どうか私の相談にのってください。
人生楽しい事ばかりで、友達も多く、人間関係もそこそこ上手くやっていく自信があって、普段は何の悩みも無いように思うのですが、ここ最近ひどく虚しく、寂しく、悔しい感情が溢れてきています。
そのため、ここ連日、酔っ払って、同僚にクダ巻いてしまっています。会社の上司にも、時を構わずメールを打ちまくっています。
皆もきっとうんざりしているはずです。。。
この虚しさの原因は自分でも分かっています。

『彼氏がいないからです』

いや、出来ないのです。心から渇望しているにもかかわらず、彼氏のいない年月を、とても多く過ごしてきました。現在形です。これを書いているこの瞬間も、過ごしています。いいえ、未来進行形でもいいはずです。これを読んでもらっている瞬間も。回答をもらって、それを読んでいる時も・・・。

自分で言うのもなんですが、性格はそこそこいいはずです。顔は白石美帆に似ていると言われました。多分言われてたはず。誰もが頷くはず。くそっ無理にでも、頷かせてやる!!
難癖あるとしたら、かなりの面倒くさがりと、考えすぎて何も出来なくなるところだけだと思います。あ、ちょっとだけ、太っているところも・・・。
なので、どうして私に彼氏がいないのか分かりません。
この世は、みる目の無い男ばかりだと考えた時期もありましたが、それも今では慰みにもなりません。
どうしてですか?どうして、彼氏が出来ないんですか?教えてください。理由が分かれば、何とかなると思います。お願いします。
・・・え〜い、お前ら、プロのカウンセラーなら私に彼氏が出来るようにしやがれ!!!!私の目の前に、真実の彼をとっとと連れてきやがれ!!!                    (kino19歳)


A:kinoさん、はじめまして。カウンセラーのきのかずよと言います。ご相談ありがとうございます。
偶然ですね。私も「きの」といいます。しかもkinoさんのご相談内容が、まるで自分の胸の内、心の叫びを聞いているようで、読みながら胸が締め付けられる思いでした。
気を引き締めて回答させていただきますね。

一つ大きく気になるところがあるのですが、いいですか?
19歳と書かれているのですが、本当ですか?
書かれている内容のヒネクレ具合に、どうしても若さを感じないのです。
ご相談内容からは、すごく焦りと怒りを感じます。
これは、例えて言うなら、30歳を目前とした時に、周りと自分を比べて、とても自分が劣っている、そう、劣等感を感じている女性の焦りと怒りに似ているのです。

いつも、こんな事をしていないですか?
初対面の人に歳を聞かれた時、最初に「それは違うやろ〜。」と突っ込まれるぐらい極端に若い歳(今日は19歳ですね)を言い、その後、微妙にごまかしの効くぐらいの年齢(25歳くらいでしょうか?)を言って、その場をしのいでいるような事。

セ、セコイ、それはセコイですね〜。
そのセコサが、彼氏の出来ない原因だと思います。
すいません。ついつい自分とダブってしまい、そうしていると断定してしまいました。

話をご相談内容に戻しますね。

> ここ最近ひどく虚しく、寂しく、悔しい感情が溢れてきています。

『ここ最近』と言う事ですが、どうしてか、私には分かります。

それは、もう直ぐクリスマスだからです。

た、単純。単純すぎます。よく、簡単な女だと言われる事は無いですか?
もしかすると、kinoさんてこんな人ではないですか?
好きな人に「長い髪が好きだ」と言われれば、せっせと伸ばし、「やっぱり短い方が好き」と言われると、「私もそう思ってん。」とあっさりとカットしてしまう、自分の意思というものを持たない人。

その自分を持たない精神が、彼氏が急に音信不通になる原因だと思います。。。
またまた、すいません。ついつい自分とダブってしまい断定してしまいました。

話を戻しますね。
そう、ここ最近、街はクリスマスムードに溢れていますね。
私は神戸にいるのですが、街も人も『ルミナリエ』に心躍らされています。
そんな最近の街と人の中で
「そういえば、昔彼氏と見に行ったよなぁ・・・楽しかったなぁ・・・また、一緒に行きたいなぁ・・・。」
などと、執着甚だしいばかりの感情に襲われたりしていないですか?

その執着が、彼氏の出来ない原因だと思います。
すいません。気にせずに読んでください。どうしても自分とダブってしまって・・・。あぁ、何故でしょう?涙が出てきてしまいました。。。

涙・涙・涙・涙

申し訳ありません。もう大丈夫です。落ち着きました。

kinoさん、あきらめていませんか?
自分のイメージを自分で作りすぎていないですか?

夜のエッフェル塔の下で、カップルが芝生に座って、ワインで乾杯していた姿を見て、影響を受け過ぎ、「いつかは自分も・・・」なんて思いながらも、「日本には、それができる粋な男性は、ほとんどいない」と決め付けたり、「私には、ポートタワーの下で、焼酎でも飲んでいる方がお似合いなのかも」と感じていたり、本当はすごく恥ずかしがりで、人の目を見て話せないだけなのに、空を見つめて、興味のないように気取ってたり。。。恥ずかしさメーターが振り切れてると、恥知らずになったり・・・。

自分をもっと大切に扱ってあげてくださいね。
可愛く扱ってあげてくださいね。

kinoさん、あなたは本当は、彼氏が出来ると困ると思っています。「彼氏が欲しい〜」と心から渇望しているにもかかわらず、出来ると困ると思っていらっしゃるようです。

ズバリ言うわよ!(←パクリですm(__)m)

『彼氏が出来たら、ネタに困る』

と思っていますね。

今すぐ、自虐ネタは止めましょう。
大丈夫です、彼氏が出来ても、それをネタにするでしょ。
しかし、何でもネタにするような事を続けていると、あなたに気のある人は、いつ自分がネタに使われるかと思うとビクビクして、あなたに近づけません!!!
と言うか、たいがいの人は、そういうことを嫌います。

まぁ、「ネタにしてくれ〜」と、面白がる心の大きい人を見つける事です。

楽しみにしています。

では、ご意見ご感想をお待ちしております。

きの かずよ のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:54

2004年12月18日

◇『弟従兄弟』

先日、石原慎太郎氏原作のドラマ『弟』を見ていました。

最終話では、弟が亡くなったときに、過去の出来事を回想するシーンがあり
ました。

なんとなく、私も弟との子供時代などを思い出してみました。
そして、母方の従兄弟とも仲が良かったので、タイトルもくっつけて新しい
単語にしてみました(笑)
いったい、どう読むのでしょう。。。。(^^;


思春期を迎える以前の私たち姉弟は近所でも評判の?仲の良い兄弟でした。

年子であることもそうですが、引越しが多かったことや、友達の家と少し
離れていることなどもあり、二人で遊ぶことが多かったからかもしれません。

弟のあまりのパワフルさに、私の体力がもたない事もしばしばでしたが…
(――)
彼はまさに疲れ知らずなのです。
彼は夢中になって遊んでいるのに、私はすっかり疲れきってしまい、
母が呼びにくるのが待ち遠しいこともありました。

そんな私たち姉弟も例外では無いようで、思春期の気配がする頃には
少しずつ距離が出来始めていました。
そんな頃の印象的な出来事です。

私が小学校6年の時に東京に引っ越したのですが、その直後の習字の時間に
事は起こりました。
以前の学校では墨汁をそのまま使用していたのですが、新しい学校では、
墨を摺るように指導していたようで、前の机の男の子と言い争いになりま
した。

しかし、子供の頃の私はとても口下手でどちらかというと口の代わりに手
が出る方でした。口げんかでは必ず弟に負けていたんですよね。

当然、その男の子にも口では敵うはずもなく、力の争いに発展の後、どう
終了したのかは覚えていませんが、感情を表現できず、怒りだけがたまっ
て悔しくて泣いてしまいました。

休み時間に弟がその話を聞きつけたらしく
「大丈夫か?」
と飛んできてくれたのです。

弟がそんな風に飛んできてくれたことがとても意外でした。
あまり口をきかなくてもちゃんと心配してくれてるんだな、と嬉しかった
です(^^)
小学生ながら実に男らしい弟です(^^)ゞ


そんな私たち姉弟が従兄弟に影響を及ぼしたことがあります。

彼らは普段はとても少食なんですね。
ところが私たちが泊まりに行くと、私たちの食欲(というか、がっつき
具合?)に影響されて、彼らの食も進むようで(何か鬼気迫るものを感
じたのでしょうか^^;)たくさん食べるようになり、叔母がいたく感
心していました。
やはり、渡辺家は豪食な一族なのでしょうか・・・
いえいえ、きっと4人で遊んで楽しかったんでしょうね。

弟は茶目っ気があるというか、ユーモアがあるというか、そういう楽し
さをたくさんの人に分けてあげることに関しては、ものすごく才能があ
るんですよね。

人は楽しいときには、食も進むものです。


大人になってしまってからは、
そんな風に遊んだ風景はあまり思い出すこともなかったのですが、とて
もいい機会になりました。

子供の頃の楽しい思い出というのは、
どこかおかしく、あたたかい気持ちを呼び起こしてくれますね。
皆さんはどんな思い出を思い出すのでしょうか。。。。


渡辺晴美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:31

2004年12月13日

●怒り

先日、妻と大阪の町を車で移動していました。

すると、妻が何かを見つけて私に車を止めるようにいったんです。

どうしたのかな? と思って車を止めてみると、そこは四天王寺というお寺でした。

このお寺は関西、特に大阪では有名なお寺で、聖徳太子が建立したことでも有名なお寺です。

妻はこのお寺で何を見つけたのでしょうか?

それは、駐車場近くの掲示板に書かれていた、ある言葉でした。

「忿(いかり)を絶(た)ち瞋(いかり)を棄て,人の違ふことを怒らざれ」

妻いわく「今の私にはこの言葉は心に響くわぁ」

読んでみて、私もなるほどなぁと感じました。

私は歴史研究家ではありませんので、本当の意味はわかりません。

しかし、この文章から感じることはなんとなく、ですが感じるものがあります。

家に帰って、この言葉が何なのかを調べてみました。

すると、この言葉は聖徳太子が作った「憲法十七条」の第十条の一部でした。

原文はこうです。
十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理。誰能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我独雖得。従衆同挙。
(十に曰はく。忿(いかり)を絶(た)ち瞋(いかり)を棄て,人の違ふことを怒らざれ。人皆心有り。心各執ること有り。彼是(ぜ)なれば吾は非なり,我是なれば則ち彼非なり。我必ずしも聖に非ず。彼必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫(ぼんぶ)のみ。是非の理,誰か能く定む可き。相共に賢愚,鐶(みみがね)の端无(な)きが如し。是を以て彼の人は瞋(いか)ると雖も,還(かへつ)て我が失(あやまち)を恐る。我独り得たりと雖も,衆に従ひて同く挙(おこな)へ。)
(「古代史の扉http://www.asukanet.gr.jp/tobira/syotokutaishi/shotokutaishi.htmより抜粋)
この文を読んで、おそらく人によって解釈はいろいろあると思います。

意味は皆さんがそれぞれ解釈していただいてもいいと思います。

ただ、この分を読んで私が感じたことが一つ。

1000年以上前の人も、怒りをうまく扱うことができなかったんだな。
1000年以上経っても、昔の人も今の人も心の中はあまり変わらないんだな。

そう思ったら、ちょっと笑ってしまいました。

1000年以上経ってなかなかうまくいかないことが、たった何十年の人生でうまくいくこと自体、奇跡なんだなと。

そうすると、怒りがあること自体当然のことだし、その怒りをうまく扱えないのも当然だと感じ、それを少しでも扱い方を覚えていけることが、心の成長なのかな、などと感じてしまいました。
当たり前だと思っていたこと

先日、妻と車で移動していたときの話です。

私「長い間運転していると、右足が疲れるからねぇ」

妻「私も両足が疲れたよ。」

私「? 何で両足なの?」

妻「だって、右足でアクセル踏んで、左足でブレーキ踏むでしょ。」

私「はぁ? 両方とも右足で踏んでないの?」

妻「そうだよ、教習中からずっとだよ。」

私「ちょっと待って、最近教習所ではそんなふうに教えてるの?」

妻「そういえば、教官から「ブレーキ踏むのが早い!」といつも注意されてたなぁ。」

私「というより、教官も気がつかなかったの?」

妻「だって何にもいわれなかったもん。」

そりゃ言わないでしょう。
私だって、妻が右足でアクセルを、左足でブレーキを踏んでいて、ずっとそれで運転していたなんて、今話を聞くまで知りませんでしたから。
教官もあまりにも当たり前すぎて、全く意識しなかったんでしょうねぇ。

車を運転する人にとって、アクセルもブレーキも右足で踏むのが当たり前ですから、運転しない人からすると、解らないことなんでしょうね。

自分が解ることはみんな解っていて当たり前。

この考え方がいかに相手に対して間違った概念を持ってしまうのか、今回の件で心から実感しました。

しかし、教本とかに書いてあると思うんですが、本当に妻は気がつかなかったんですねぇ。

起用だねぇ。
と思いつつも、こんなこと本当にいっぱいあるのかもしれませんねぇ。

一度自分の身の回りで「当たり前だ」と思っていることをチェックしてみませんか?

意外と面白いことに気がつくかもしれませんよ。

中原謙一のプロフィール>>>

投稿者 csadmin : 01:11

2004年12月11日

◇ビジョンに生かされる

僕がプロカウンセラーになって、2年目くらいのことです。

ある日、僕のカウンセラーの師匠から、電話がかかってきました。

プルールールール(電話の着信音)
「もしもし、原です。」
「もしもし、お疲れー、忙しいところ、すまんなー。ちょっと、お願いが
 あるんだけど良いかなぁー」
「なんですか?」
「今日、東京でカウンセラーになりたい子の為のカウンセリング講座がある
 んだけど、みんなの前で、どうやったらカウンセラーになれるか話してほ
しいんやー」
「いいですよ。わかりました。」

こうして、僕は師匠が行う、カウンセリング講座にゲストとして呼ばれ、
出向くことになりました。

そして、師匠が行うカウンセリング講座の会場につきました。
すると師匠が、
「ありがとうなー
 あとで、みんなに紹介するんで、ちょっと待っててなー」
とのこと。

僕の心の中では、
・話して欲しいと頼まれた。
・ゲストという立場
・わざわざ、呼ばれてやってきた。
というのがあったので、さぞかしすてきな、紹介をしてくれるものと、
ワクワクしていました。

そして、いざ紹介の時間がやってきました。
師匠が僕を横にしてこう言うんです。

「え〜僕が原君と初めてあった時、なんて才能のない奴だと思いました。」

え〜!!!(@_@)びっくりです。
まさか、こんな出だしとは!

「何を説明しても、わかったか、わからないかのような顔をしていました。
 大丈夫かなコイツと思いました。」

え〜!!!(@_@;)どこまで落とすんですかぁー。

「でも、原くんは、努力の人でした。 誰よりも努力しました。
 そして今では、うちのトップカウンセラーです。」

ホッ(^_^;)ようやく落ち着いた。

「では、原くんにバトンタッチします。」

なんて喋りにくい、紹介の仕方をしてくれたのでしょう。(笑)
笑いが取れたので、まぁ、よしとしますが・・・・

でも、僕の師匠の言う通り、カウンセラーになりたいと思い、勉強し始めた
頃は、僕は自分のことを才能のない奴だと思っていました。

カウンセラーになろうと一緒に勉強している僕の同期の友人達は、飲み込み
が早く、どんどん実力をつけていましたが、その頃の僕は、同期の友人たち
の心理学についての議論についていけていない状態でした。
劣等感もいっぱい感じました。

劣等感もいっぱい感じましたが、心理学の勉強は嫌になりませんでした。
なぜならば、カウンセラーになりたいという夢があったからです。

僕には、単純なところがあったので、人よりわからなければ、
勉強する時間を人の2倍にすれば、ついていけるんじゃないかと思い、
そう思いついた日から、勉強時間を増やしました。

そのころは、サラリーマンをしながら、カウンセラーになる勉強をしていた
ので、睡眠時間が3〜4時間くらいになっていました。

でも、辛いと思いませんでした。
なぜならば、カウンセラーになりたいという情熱があったので、
心理学の勉強ができるが、うれしくてたまらなかったからです。

例えて言うなら、大、大、大好きな彼女と24時間デートしても苦にならな
い感覚と似たようなものだったと思います。

もともと、僕は勉強が好きかというと、そうではありませんでした。
学生時代は、授業中に寝ていて、よく怒られたものです。(笑)

僕が睡眠時間3〜4時間で頑張れたのは、カウンセラーになりたいという夢
があったので、情熱の力をもらえたからだと思います。
カウンセラーという職業に恋していたと思います。

そして、気付いたらカウンセラーになっていました。

夢の持つ力というのは、ものすごいと思います。
こんな言葉を聞いたこたがあります。

「ビジョンに生かされる」

頑張って、頑張って、頑張ってきたけど、もう頑張れないと思う時があり
ます。
燃え尽き症候群や、デットゾーンとよばれるものです。
この状態の時は、情熱がわかなくなってしまいます。

でも、これだけはしてみたい、こんな人生欲しいなど、ビジョンをもてた時
(夢をもてた時)、まるでビジョンに呼ばれてるかのように情熱が湧いてきま
す。
そして、再び活き活きと生きられるのです。

このような話は、カウンセリングの現場でよく聞きますし、
逆に、活き活きするエネルギーを得られるよう、カウンセリングの現場で、
ビジョンを持てるようなアプローチをしていくこともあります。

やる気が出ない、つまらない、燃え尽きてしまった、どうせ・・・等とあきら
めの感覚ばかりでてくる時は、ビジョンを探してみてはいかがでしょうか?

ビジョンの力が、あなたをサポートしてくれると思います。


原 裕輝のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 02:09

2004年12月 6日

●どうして男ってこうなの!? -男性への怒りがありますか?-

●男はひとりの女では物足りないの!?
●男は平気で浮気する!
●男はすぐウソをつく!
●男は何か言ったらすぐ黙る! だから何考えてるのか分からない!
●男はSEXのことばかり考える!

これは私が昔から、とても強く思っていたことでした。
だから恋愛がとっても下手でした。人を好きになればいつも泣く、怒るを繰り返し、ふられるとすぐに「騙された!」と傷ついて、男性からの愛情を強く欲しいと願いながらも、上手に人を愛することも愛されることも出来ずにいました。

そのときは分からなかったんです。どうしてこうなるのか。
そして分からないまま一人で悩んで、苦しんで出した結果は、
「男がこうだから!!」
という自分勝手な思いでした。
相手のせいにしちゃえば自分が楽になりますからね。だから、
「男なんて最低!」
ていう思いをいつも持っていて、それなのに男性の優しさを本当はとても欲していて・・・。
結局うまくいかず、好きな人が出来てもいつもふられる形に終わっていました。

「いい男なんていない!」
「優しい男なんて存在しない!」
「男はいつもはじめだけ! 釣った魚にえさはやらない!」
「男なんて大大大嫌い!!」

あるのはいつも恨みつらみ。どんな男性でも決してこころを許すことはありませんでした。

今書店にも並んであるたくさんの心理学の本によると、男性に対しての想いは、自分の「父親」が基本になると書かれてありますね。私自身それを痛感したんですね。
父親は私に暴力的だったし、とても私は憎んで、嫌いで、恐れて、
「愛してくれたことなんかないじゃない!!」
といつも怒っていましたから。
でもこれって気持ちは「子供」の状態なんですよね。
大人である、今の私の気持ちじゃないんですよ。

「お父さんは私を見てくれないの。寂しいよ。私が悪いの?」

愛されなかった想いをたくさん抱えた、子供の私が、愛されたいと思う人を目の前にすると、頻繁に現れるんです(これをインナーチャイルドっていうんですけどね。)。
だから初めて好きになった男性の前で、今の私でなく、この頃の子供が

「お父さんは私を見てくれないの。寂しいよ。私が悪いの?
だから、あなたは私を見てよ。愛してよ。寂しくさせないでよ!」
この想いを持って大暴れ。

自分の中で、これらの欲求が満たされないと思うと、相手にぶつけるんです。相手の男性は、そんな私の昔の経験やそう考えてしまう気持ちなんて分からないし、私自身もあの頃自分のこころがそうなっているなんて分かりませんから、ただ「彼が悪い!」と判断してました。今思えばそう考えて自分が悪いんだということを認めるのがつらくて、彼のせいにして逃げていたんですよね。

そしてこういう恋愛は、自分がこのこころの状態に気づきませんから、繰り返してしまうんです。だからいつもいつも同じようなことで喧嘩して、ふられるばかり。傷つきたくなくて、

「男なんて最低だ!」

という勝手な答えを出し、自分自身の相手に対する態度を振り返ることなんてしませんでした。
だけど自分を守ることに必死になって、ふられて相手のせいにしている間に手に入れたものは、積み重なった恨みつらみ。幸せを手にすることは出来ません。私はそのことを「離婚」をしてようやく考えることになったんです。

「あの男もこの男も、結婚した相手さえ最低だった!
男ってこんな最低な人ばかりなの!? 
じゃあ、私は幸せになんかなれないじゃん!
でも幸せな人はいる。離婚しない人はいる。
私もその人たちになりたい! そうなる方法を教えて欲しい!!」

そうして自分と向き合う作業を続けることになったんです。
その結果、始めに私が書いたたくさんの男性への怒り。
これは全く逆に覆されてしまいました。


●男はひとりの女では物足りないの!? →

○そのひとりの女性から欲しいもの(優しさなど)がもらえないから、誰か他の女性で補おうとしているだけ。そこには
「本当は好きな人に優しくされたいのに・・」という男性の寂しさがある。
○そのひとりの女性を失う怖さがある。彼女が自分からきっとそのうち去っていくだろうという強い思いを男性が持っていると、ひとりに絞ることが怖くてたくさんの女性と関わろうとする。


●男は平気で浮気する! →

○平気ではない。自ら楽しくて浮気する人はいない。
ただ寂しいだけ。好きな彼女にに理解をしてもらえなくて。好きな彼女に思いが伝わらなくて。もし、浮気をしてしまっても、そのことに対しての強い「罪悪感(俺はひどい男だ。ごめん! お前に愛してもらう資格はない!)」に襲われて、彼女から自ら離れるか、彼女を避けてしまわざるを得なくなってしまう。そしてその罪に耐えられなくなると、相手の女性に「お前が悪い!」と言い放ってしまう人も・・・。そして別れを言い出す人もいる。


●男はすぐウソをつく! →

○男性がウソをつくのは、今の幸せを守るため。
ここにも強い「罪悪感」がある。明らかにウソだとばれるようなことでも、今の幸せを失いたくない思いがあると、徹底してウソを通す。特に恋愛関係だと、パートナーを失いたくない思いから。


●男は何か言ったらすぐ黙る! だから何考えてるのか分からない! →

○特に男女間の喧嘩だとこれはよく起こるが、女性に比べて男性は、感情を感じるのがとても苦手。(悲しさやつらさを感じるのが、男らしくないや、女々しいなどの思いから嫌な人が多い。)だから喧嘩になったときや、つらいや悲しいを口にする、感情を伝えることを男性に言うと、男性の頭の中では、
「俺は責められているのか!?」
「どうやったら彼女がこれ以上傷つかないような言葉が言えるんだろう。。」
「なんて言ったら彼女に思いが伝わるのか・・・」
そんな思いでいっぱいになって、口にするのがとても怖くなるか、もしくは、どうしたら・・・の思いだけでぱんぱんになって、無力感に陥って何も言えなくなるか、人によっては時間をあげると、話す人もいるが、女性がその長い沈黙に耐えられない。


●男はSEXのことばかり考える!
男性にとってはSEXは特に「親密感」。普段感情を思い切り「感情を感じる」ということを禁止している男性にとって、SEXは唯一「気持ちいい!」という感情を爆発させれるもの。そして一番安心を得られる場所でもある。確かに十代から二十前後の男性にとっては、好奇心もあるものだが、それと同時に「こんなことばかり考えてしまう俺は、変態なのか!?」とも感じているもの。そして二十半ばからの男性にとっては、自分が唯一、苦手な言葉や感情を出さずに「愛情を伝えられるもの」。だからこそ、男性にとって、好きな人を見るとSEXによって、全身全霊で相手に愛情を伝えたいと思うもの。


これらは私自身が自分の中で納得できるようになったことです。(男性によって、生き方や環境からとらえ方に多少違いは出てきます。)
男が大嫌いだった時代の私には思ってもいないことでした。私が勝手に持ってしまっていた「誤解」の部分です。
男も女も同じだったということが分かったんです。
ただ傷が深いといろんなところで自分を守らざるを得ない状態になって、相手を悪者にしてしまって逃げようとするのものだから、何でもかんでも
「相手が悪いんだ!」
って感じることで、自分を守っていたんだと思います。
だけど嫌でも分かってくるんですよね。
だっていつもいつも同じようなことが起きて、いつも同じようなセリフを相手に言われ、いつも同じような別れを繰り返す。
そうすると、おのずと「自分にも非があるんだ・・・。」と思わずにはいられなくなってしまいますからね。こうなるともう認めざるを得なくなって、ようやく自分に向き合おうとしたんです。

・・・長かったですね。気づくまで随分かかってしまいました。
だけど気づくとやることがいっぱいなんですよ。
変化したい思いもいっぱい。だからたくさん聞いて、とことん分かるまで理解しようと努力するから、ようやく抜けられたんです。
苦しかったしつらかったけど、その分私が長い間持っていた男性に対しての「誤解」は無くなりました。
だからこそ、今自分の旦那様の偉大さや、父親に対しての感謝。そして異性の仲間や友人の魅力的な部分を見れる自分になれたんです。

とてもとても男性嫌いだったのに、男好き(!?)になってしまいました。
今私の周りにいる旦那様以外の男性は、皆とても魅力的で、素敵な人たちばかりです。そんなふうに評価できるようになった自分を、私は誇りに思います。だけど、これは嫌いだった時期が長かったから、余計そう思うんですよね。

「私は男なんて信じられない! なんで男ってこうなのよ!!」
・・・と思ってしまっている女性の皆様。
私と一緒に男好き(ううむ・・!??)になりませんか?
男性への疑問をぶつけに来てくださること、大歓迎です!
ぜひカウンセラーを質問ぜめにしてくださいな。お待ちしております♪

小川 のりこのプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2004年12月 4日

◇家族ものにはまる〜「Big Fish」

私は家族ドラマの映画が大好きです。
アクションやSFものも好きですが、心にいつまでも残るものはやはり家族
をメインに描かれたもので、最後は大団円のわかりやすいストーリーでも
心理学をやっていることもあって、演じる役の気持ちを感じとりすぎるの
かもしれませんが、描かれるプロセスに涙、涙。
「いい映画や〜〜」としみじみ思う私はほんと単純だな、って思います。

そんな私の今年のハマりものは「Big FISH」。
ファンタジー&家族ドラマ的なもので今年の5月頃に上映されていました。
最近ではビデオやDVDの新作コーナーに置かれていますが、スクリーンで
2度見てそれでも手元に欲しくってDVDを買ってしまったぐらいのお気に
入りです。

簡単に紹介すると、父親と息子のストーリーで父親は自分の人生を奇想天
外でファンタジー溢れるほら話を語り、聞く人を楽しい気分にさせてくれ
ます。
息子も子どもの頃はそんな父の話を聞くのが大好きだったけど、3年前の
自分の結婚式で喧嘩して以来、父とは母を通しての繋がりでしかなくなり
ました。
そんなある日、母から父の病状が悪化したとの知らせを受け、息子は妻を
連れて実家へと向かいます。
でも、病床でも相変わらずほら話を繰り返す父。嫌悪を抱きながらも、
そんな父に対して普通に接していく妻の姿を見て、父の本当の姿を知りた
い気持ちがどんどん募っていく・・そんなお話です。

映画の中でこんな場面があります。(うろ覚えですが・・)
ベットで横になる父親と二人になり、息子は話を始めます。

「お父さんはまるで氷山の一角なんだよ。
 本当のことを言ってくれないからお父さんがわからない。
 自分にも子供が生まれてくるし、子供に理解されないのは辛い。
 善人でも悪人でもいいから、本当のお父さんを見せて欲しい。」

すると父は、

「いつも私は自分そのものだ。見えないのはお前が悪い。」

言い切ります。
そんな風に言われたら息子はますます嫌になるでしょ・・
そんな突っ込みを入れたくなるぐらい、お父さん、言い切ります。

お父さんの言い分もわかるんですよね。私たちだってこれまで普通にして
きたこと、これが自分なんだ、ってやってきたことをを気に入らないから
変えて欲しい、そう言われたら困ってしまいますもん。

私たちのまわりに対する思いにも似通った部分って多いと思うんですね。
この人はこんな人だから・・と思い込んで、ちょっと嫌な感じを抱いたま
まだとそこで終わってしまいそれ以上の関わりを持たなくなってしまう。
逆に、「この人には私のことなんてわかるはずがない」と思い込んで、
それ以上相手とあまり関わりを持たないように見えない壁を作って接して
しまったり。
友人や上司などの他人だったらそれでもいいのかもしれませんが、もし、
家族だったらどうでしょう?
身近な家族だからこそそんな思いも余計に強くなるし、本当にありのまま
のその人自身を理解することって、とっても難しいことです。

それでも息子はあきらめなかったんです。何とかしてお父さんのことを理
解しようって。

ストーリーが進んでいくうちに、父親の話が嘘で固められたものではない
ことが次第にわかっていきます。全てが嘘ではなく、真実のエッセンスが
話の中にこめられていたことを。

この映画は、自分の見方を変えなければ理解することはできない、相手を
ありのままの受け入れるというのはどんなことなのか、そして本当に見よ
うとすれば真実は見えてくるものなんだということ・・そんな気づきを教
えてくれています。

映像もとても綺麗で所々笑いもあり、じわ〜〜と心が和んできて自然に暖
かい涙が出てきてしまう。余韻がいつまでも残る素敵な映画です。
特に男性の皆さんにお薦めです。良かったら見て下さいね。


中野知枝

投稿者 csadmin : 12:08