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2004年9月27日

●人を信じる−自分を受け入れること−

人を信じることって本当に難しいですよね。
私は人を信じたいとは思わなかった子でした。

両親に嫌われている。姉妹にも嫌われているだろう。家族さえそうなんだから、
学生時代も皆に嫌われて当然だ。そんな私が誰かに愛される訳がないんだ。
そんな思いを信じていました。
人の目を見るのが怖い。迷惑そうな目をされるのが怖かったから。
人と笑顔で話せない。嫌われないように・・・に意識が向いていたから。会話を楽しめませんでした。
何を話したらいいのか分からない。相手が喜ぶ話題が提供できないと感じていたから。

人前で緊張し、常に臨戦態勢を取り、構えて見据えて関わっていました。
自分も当然しんどいし、相手にもそんな雰囲気はきちんと伝わってしまいますからね。
その結果、相手は私と関わることがしんどくなっていって、離れていきます。
すると私は勝手にこう思ってしまうんです。
「ああ、やっぱりね。。。嫌われる結果になるんだわ。どんなに頑張っても。。。」
こうしたことが積み重なって、強化されちゃうんです。
私自身ここから抜けたいから、毎回毎回頑張っては関わろうとしていくんですが、結果はいつも、
「ああ、やっぱりね。。。」
で、終わってしまいます。そして、
「どうせ何やっても無駄なんだわ。」
「誰かを信じたって無駄。。。」
それがやがて、
「何のためにこの世に生まれたんだろう・・・。」
と、絶望的モードになって行ってました。

同じような思いを話して下さる方は、カウンセリングしていても本当にたくさんおられます。
皆さん本当に何度も何度もそこを抜けたい思いで、精一杯やってきたんだということが、強く伝わります。
私もそうでした。
精一杯やってるのになぜかいつもうまくいかなくて、苦しい結果となってしまいます。
だからどんどん人と関わるのが嫌になって、家族、仕事場などで、関わらざるを得ない状況になると、
我慢して自分を抑えながら相手に向かうからなかなか相手に伝わらないことがつらくて、怒りをぶつけることが多くなって・・・。
だけどそうすると当然相手は去って行きます。
私をすごく嫌って離れるか、逆に攻撃してくるか。当たり前ですよね。こちらのそんな思いは分からないわけですから、
相手はわけがわからず怒りをぶつけられてると感じ取りますから、こちらの攻撃に対しては、逃げるか、防御するか、
攻撃するかで対応するしかなくなりますもの。

そんな具合で人と関わっていた私は、いつも、どこに行ってもトラブルメーカーでした。トラブルメーカーだということも、
自分自身に向き合うことで、初めて気づいたことなんですけどね。(笑)

この「毎回毎回頑張っては関わろうとしていく。」と、私が書いた部分ですが、こう気づけば、私はもっと楽だったと思うんですね。
この関わり方は、自分の中で考えた、最大の関わり方ですが、こころの中では、
「嫌われないように・・・。」
「傷つけられないように・・・。」
「騙されないように・・・。」
という、私の「防御」したい気持ちがたくさん入っているんですよね。それは、
「私はあなたに傷つけられないわよ。騙されないわよ。」って、雰囲気を出してるのと同じなんです。それも相手には伝わってしまいますから、
「あれ? この人なんか変。」
「私が嫌い?」
という誤解をさせてしまうんです。私自身は必死なわけですから、相手をそんな気持にさせているなんて全く気づかないんです。
逆に、私がもし、初対面の人に、
「あなたに騙されないわよ!」
って思われながら関わられたなら、とても寂しくなると思います。誰だってそうだと思います。
私が人が怖かったとき、きっとあちこちでこの
「騙されやしないわ!!」ってセリフをこころの中で叫んでいたと思います。

「私はやっぱり嫌われる。」という考えが強化されてしまった後ですから、
「私は嫌われてるわけじゃないんだ。」と考えなおすことは、相当難しいことなんですよね。

ここではね、
「今のやり方では難しい。」ということだけなんだと思います。
今のやり方で、散々戦ってきました。だけどうまくいかなかった。
だとしたら、それは変化のとき、新しいやり方でやってみる時期に来たということだと私は思っています。

一生懸命自分なりに頑張ってきた・・・という自分をまず受け入れてあげてください。
自分とは一生付き合っていくものですから、その自分自身が、まず自らを受け入れてあげてください。
「それでも一生懸命やってきた私って頑張ったんだ。」
って。本当のことですもの。あきらめずに何度も何度もチャレンジしてきたんですもの。
それでうまくいかなかったにせよ、それらの経験は「恥」や「失敗」では、決してありません。
むしろあなたの「誇り」です。

そこから大きく変化する時が来たわけですから、悪くなってるわけではなく、良い方向に向かっていってる証拠でもあります。
だから、そんな自分自身をまず受け入れてあげてください。その後今までの自分のやり方ではなく、新しいやり方にチャレンジしてほしいと思います。
今までとは違うやり方。それを実行するのはまた難しいことでもあると思います。
勇気もいると思います。だけどそうやって変化していくと何らかの変化は必ずあると私は思っています。

私は人が怖かったです。
人の目が、人の評価が怖かったです。
人の優しい言葉も、
人の思いやりも、
すべてをはねつけて信頼しませんでした。
それでも頑張って関わろうとしていましたが、頑張って関わろうとするとき、信じようとして近寄るのではなく、
臨戦態勢をとり、「騙されるものか」という目で相手を見据え、「嫌われちゃ終わりだ」と感じながら関わっていたのだから、
何度やってもうまくいかなくて当然だったのかもしれません。
だけど、そんな自分自身でも受け入れてあげてほしいと思います。自分が自分を受け入れてあげたとき、人からも受け入れられるかもしれないと、わずかであっても感じていただけると思います。
充分やってきた。一生懸命だった。だからそんな自分を大切にしたい。そう感じてほしいと思います。
自分を受け入れることが出来たなら、次に新しいやり方を考えていきませんか?
もちそんそのやり方がわからないときは、私たちカウンセラーが、全力で、あなたに合ったやり方を、一緒に考えていきたいと思います。

自分を受け入れて、それから新しいやり方を見つけてチャレンジする。
すると、どんなにうまくいかなかった人でも、やがては周りの人も、自分を受け入れてくれるかもしれない。
そんなふうに思える日が誰にでも来ると、私は信じています。

小川 のりこ

投稿者 csadmin : 12:00

2004年9月20日

●花の表情

花を観に行きたくなって、高山植物園に行って来ました。
モネのジヴェルニーの庭園を写真集で観ていると、花があんまりきれいなので、観に行きたくなったんです。

高山植物園は、(当たり前ですが)山にあるので、7月中旬になっても紫陽花の美しさを楽しむことが出来ました。
私は紫陽花が好きですが、高山植物園に行って、紫陽花のことを何も知らなかったんだなあと思いました。
紫陽花にはたくさんの種類があって、それぞれが様々な色の花を咲かせます。
白い上品な花を咲かせるマイコアジサイ、深みのある青い花を咲かせるクロヒメアジサイ、始めは白色だけれど日が当たるにつれて赤くなっていくベニガク、赤い縁取りがかわいいキヨスミサワアジサイ・・・、他にもたくさんあります。
シチダンカは八重咲きで、星のような形をしています。
それに、きれいな薄い青色をした素敵な花です。

私は今回初めて白い紫陽花を観たのですが、とってもきれいで、自然が造り出した白は、心を清らかにしてくれるような気がしました。
そして、今回は残念ながら観られなかったのですが、コアジサイは甘い香りを持っているそうです。
写真で観ると、涼し気な感じの花です。
6月上旬から中旬にかけて花が咲くので、来年はその時期にコアジサイを観に行って、香りを楽しみたいと思っています。
ショップで紫陽花の匂い袋を売っていたので買ってみました。
石鹸のような爽やかな香りで、リフレッシュできそうな気がしました。

池には睡蓮が咲いていました。
写真を撮ろうといろんな角度で見ているうちに、モネの睡蓮の絵を思わせるようなところを見つけて嬉しくなりました。
モネだったらどんな絵を描くんだろう、そう思いながら写真を撮るのは面白かったです。

白い蝶を見ていると、オカトラノオの垂れた大きな白い花の穂にとまりました。
子供の頃、よくこうやって蝶を眺めていたことを思い出しました。
蝶を見つけるたびに喜んでいた、あの頃が懐かしいです。

今回、初めてエーデルワイスを観ました。
エーデルワイスと言えば歌がありますね。
みなさんは、どんな花をイメージされますか?
私は、百合のような白いすっきりとした花をイメージしていました。
でも、全然違っていました。
星のような形をしていて、白い綿毛に包まれています。
こんな花は初めて見たので、なんだか不思議な感じがしました。
エーデルワイスは「アルプスの星」「銀の星」と呼ばれるそうです。
和名は「ウスユキソウ」と言って、薄く雪をかぶった草という意味だそうです。
私はこの名前の方がきれいな感じがして好きです。
それに、冷たい雪の中に咲く強さを感じます。

写真を撮っていて感じるのですが、花にも気持ちがあって、表情があると思います。
好きな花はきれいに撮れます。
それはきっと、私が好きだと思うと、花にも伝わるからではないかと思います。
そして、花もきれいな表情をするんじゃないかな、そんな気がします。
モネがあれほどきれいな絵が描けたのは、花がとても好きだから、そしてその気持ちが花に伝わっていたからではないかと思います。

今度花を観る時は、もっといろんな花の表情を楽しみたいと思っています。

上田 紘美

投稿者 csadmin : 12:00

2004年9月17日

◇固定観念から離れてみた時

毎朝、僕は新聞を読みます。歳を経てからだんだん強く感じるようになった
のですが、世界とか、広い範囲で起きている出来事に関心を持つことはとっ
ても大切ですよね。

社会的な意味ももちろんあるけれど、どちらかというと、大局観を持つとい
う意味で。

薬屋さんでお米が売られていたり、コンビニでお金が引き落とせたりする時
代です。何が何とつながるのか、便利さという基準を元に、固定観念がどん
どん取り払われている今、押し寄せてくる時代の足音が聞こえてくるかのよ
うです。

固定観念が意味を成さなくなりつつある今の時代の流れの中で、とても大切
になるものはやっぱり、自分の気持ちなのではないでしょうか。

先ほど書いたように僕は毎朝新聞を読むのですが、休日の朝はさらにチラシ
を読みます。理由は、単純に好きだからです(笑)

先日見ていたら、最新の携帯が格安で販売していました。
別段今の携帯に困ってはいなかったけれど、カメラ付きのものにするのもい
いかな、と思い、すぐに替えてきました。
・・・たぶんすぐにカメラ機能は使わなくなるのだろうけれど。

とりあえず1度ぐらいは使おうと思い、被写体を探しました。
何人かの人が僕の犠牲になりましたが(笑)、人を撮るのも飽きてしまった
ので、うちの「すてぞう」を撮ってみました。

ここで大部分の人が「すてぞうって何だよ?」と思ったことでしょう。
すてぞうにまつわるエピソードはあるのですが・・・。ここでは割愛。
結論を言うと、6年前に拾った熊のアイピローです。
アイピローは本来、寝るときに目の上に乗せて使うものですが、僕が名前を
つけて部屋に飾っていたら、周りの人たちも丁重に扱うようになりました。
今では座布団の上に座っています。

固定観念をなくすということは、とても柔軟性のいることだと思います。
でも、柔軟性を育むと人生や生活の中にちょっとした変化が訪れるかもしれ
ませんね。


高橋大

投稿者 csadmin : 11:54

2004年9月13日

●カウンセラーをしていての喜び

クライアントさんから「原さん人の話ばっかり聞いてて疲れません?」
と聞かれたり、「カウンセラーって人の悩みばかり聞いてしんどくない
ですか?」と質問される時があります。

悩みを聞く、相談にのるということは、疲れるようなことのイメージ
があるのかもしれませんね。

しかし、人のお話を聞かせてもらえるからこそ、相談してもらえるか
らこそ得られる喜びや、嬉しさもあるんですね。

僕がカウンセリングをしていて、一番嬉しいことはクライアントさん
が幸せになることなんですね。

その喜びを感じられる瞬間は多々あります。

例えば・・・

長いお付き合いのクライアントさんとお話していると、初めてお会いし
た時のことを懐かしく一緒にお話しすることがあります。

「○年間前初めて会ったときは、こんなご相談いただきましたね。」
「そうですね〜ホントあの時は助かりました。あの時と今の私じゃ
 全然ちがいますものね〜」

笑いながら、初めてお会いした時のことをお話していたりします。
初めて会った当時抱えていた悩みのことを笑えるということは、素敵な
ことだと思います。

その当時は切実な問題だったのですから、笑えるようなことではありま
せん。
それを笑えるということは、問題の捕らえ方が変わったり、問題が解決
できたということなんでしょうから。

その笑い顔を見ると僕も笑顔が浮かんできます。


そんな長いお付き合いのクライアントさんと、今抱えている問題と当時
の抱えていた問題の違いについてお話しすることもあります。

例えば、当時はお父さんが嫌いで見るだけでストレスが溜まるという問
題だったのが・・・
今はお父さんに優しくしたいけど、恥ずかしくて上手く優しくできない
という問題に変わっていたり。

当時は、彼氏がおらず彼氏ができても上手く行かないことが多いことで
悩んでいたのが・・・
今は彼氏と結婚しようかどうかで悩んでいたり。

当時は、慢性的な寂しさを抱えていて、依存的になりすぎることが問題
だったのが・・・
今は彼を助けてあげたいという問題に変わっていたりします。

当時と今とを比べると、問題の内容が全く変わっていることに、
ついついクライアントさん自身笑いがこみ上げてきて、カウンセリング
ルームで笑っていたりします。

その問題の内容が変わっているのを見ると、
クライアントさんが自分の抱えている問題に向かい合って取り組んでき
た成果なんだなーと思います。

問題解決に取り組む時には、自分の痛みと向かい合ったり、向かい合い
たくないような感情に向かい合ったりする時もあります。
その努力に花が咲いて実を結んだんだなと思うと嬉しくなります。


クライアントさん自身、自分が当時と比べて成長していることを実感し
たり、自分が変わっていっていることを実感するとお話してくれます。

自分が変わったことによって、自分を取り巻く状況が変わっていって
いることを実感され、
「だから問題の中身も変わってるんですね」
とおっしゃられる方もいます。そして、そのことを喜んでくれます。

そんなお話を聞くと、僕もとっても嬉しくなります。


カウンセリングを通して解決していった問題を懐かしく思い返している
と、今抱えている問題も乗り越えられることに自信が湧いてきたと
おっしゃってくださるクライアントさんもいます。

人間は生きている限り問題というのは、何かしらあるのかもしれません
が、問題と向かい合って乗り越えてきた分だけ、未来に問題がでてきた
としても乗り越えられることに信頼が持てます。
そのことに信頼が持てると人生がとても楽です。

そしてなにかあったら、また原さんに相談にきたらいいやと思うと気軽
になれるとおっしゃってくださる方もいます。
「お守りみたいなもんですね。」なんて笑いながらお話したりします。

それくらい信頼していただいてるんだなと思うととても嬉しくなります。


クライアントさんを取り巻く周りの状況が変わっていく話、
楽になっていったり、幸せになっていってる話を聞かせていただく時、
なによりも嬉しくなります。
そして心から「本当に良かったですね」とお伝えします。

クライアントさんにとって、物事のとらえ方や、状況がいい方向に進ん
だことに、心から本当に良かったと思える喜びと、クライアントさんの
お役にたてて良かったという二つの喜びを感じます。

この喜びを感じるときは、僕がカウンセラーになって本当に良かったと
思う瞬間でもあります。

そして、これからもクライアントさんのお役に立てるよう頑張ろうと、
モチベーションが上がる瞬間でもあります。

これからも多くの人のお役にたちたいなと思います。
そして幸せになるお手伝いがもっともっとできればと心から思います

原 裕輝

投稿者 csadmin : 12:00

2004年9月11日

◇心の中の目にかけるサングラス

■心の中の目にかけるサングラス

秋と聞けば、みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか?
食欲の秋・スポーツの秋・芸術の秋・読書の秋など、いろんなイメージが浮か
びますよね。

僕は、秋と聞くと夕暮れ時のあかい紅(くれない)の空の色を想像します。
とても色鮮やかでキレイな色を連想します。まるで、明るいあしたや未来を予想
する、情熱的な色として。

でも昔はその逆で、夕暮れ時を悲観と絶望など、暗い道を思い浮かべる色とし
てとらえていました。

普段、僕達は目の前にあるものを見る時、その時々の心境によって、ものの見
方とらえ方が、まるで変わってきます。それはまるで、かけるサングラスのレ
ンズの色によって、目に見える白いボールの色が変わるのと同じくらい、変
わってきます。

もしも、あなたの心の中に、目があるとしたら、、、。
明るい色のレンズのサングラス(明るい心境)の時には、見るものすべてを、
明るいものの象徴として見ます。
暗い色のレンズのサングラス(暗い心境)の時には、見るものすべてを、暗い
ものの象徴として見ます。

人は誰しも、悲しいことやらつらいこと、苦しいことをわざわざ選んで生活し
てるわけじゃありませんよね。
本当は、楽しくて幸せでハッピーな毎日を送りたいですよね。

でも、なかなかそうはいかないとしたら、、、。

その心の中の目にかけるサングラスの色を暗くさせる、何かがあるのかもしれ
ませんね。

じゃあ、そのサングラスのレンズの色を明るくするために必要なものを、一緒
に考えていきませんか?


向井康浩

投稿者 csadmin : 11:00

2004年9月 6日

●誕生

実は今日9月6日は僕の誕生日です。
わがままを言って、この日にコラムをスケジュールしてもらいました。
なかなかタイミングが合うことって少ないですからね。

僕はそもそもイベント事や記念日を大切にする人なのですが、中でも誕生日というのは、とてもとても特別な一日です。
この日が有意義だと、この一年、すごく良く回りそうじゃないですか?
それで一つ一つの出来事にとても意味を感じてしまう一日でもありますから、前の日から、どんな一日になるのかをワクワクドキドキしながら待ってるんです(笑)

まあ、ちょっと子どもっぽいことかもしれませんが・・・。

誕生日というのは、自分自身が生まれてきたことを感謝する日だと思うんです。
一年で、一番自分自身のエネルギーが高い日でもありますね。

ですから、たくさん受け取り、たくさん与える日だと思ってます。

そして、何よりも自分を産んでくれた両親に感謝する日ですね。

*−−−*−−−*−−−*−−−*−−−*

僕も半年前に親になったばかりですが、子どもが生まれてみると、実感として「親」が分かるようになりました。
親の心理はカウンセラーをしていて感覚的に分かっているつもりでしたが、やはり現実の学びは深いです。

もちろん、これから色んなことを経験しながら「親」に磨きをかけていくわけですが、考え方や価値観も気付かないところで随分と変わっているはずです。

妻ともよくそんな話をします。
妻は精神的にも肉体的にもとてもタフに強くなりました。
物事や状況に元々逃げずに向き合うタイプでしたけど、更に腹が括れてるというか、細い体でありながら、地に足が付いた感じがしますね。

僕も妻やお客さまや仲間から「変わったね〜」と言われることも増えました。
「深みが増したよね〜」とか前向きな言葉を下さる方が多いので、それだけでも、娘に「生まれてきてくれてありがとう!」です。

娘はまだ6ヶ月になったばかりですが、本当に日々、色々なことを教えてくれる存在です。
存在するだけで意味があり、価値があるということ。
家族というものを教えてくれたこと。
人間の強さや成長力。
自然体であることが、いかに大切かということ。
そして、自分自身の命、体や心を大事にすることが、いかに大切なことかということ。

そして、親になって分かることは、やはり自分の親のこと。
こういう気持ちで子どもを見つめていたんだな・・・と実感を持って理解できます。

もう父親は他界してしまってますが、改めて感謝の気持ちで両親を思い出します。


○父について

父から愛されてるって実感は小さい頃からありました。
たくさん遊んでくれたし、僕も大好きで誇りでもありました。

でも、不器用な人だったんですよね。
ストレートな愛情というのは専ら母親に譲り、少し離れたところから愛情を注いでくれるような存在でした。

だから、思春期に入る頃にはその距離のためか、父親の存在は僕の心からは少しずつ薄れてしまっていました。
ちょうど新しい事業を始めて、家にあまり帰ってこなかったこともあって。

父は幼い頃に実母を亡くし、継母にいじめられながら育ったそうです。
だから、父は愛された経験がなかったのでしょう。
だから、母や息子、妹達に愛情を感じながらも、どう愛していいのか?どうすれば良いのか?がずっと分からなかったのかもしれません。

父とのエピソードで印象的なことが二つあります。
ひとつは小学生時代、地区の運動会があったんです。
その時父は自治会長としてその運動会を仕切っていたんですけど、最後に“親子二人三脚競争”があったんですね。
父はそれに僕と一緒に参加するのが楽しみにしていたようなんですが、思春期に入っていて、そんなことをするのが恥ずかしい僕は最初は断ってたんです。
でも、二人三脚用の紐を持って右往左往している父を見ていたら、妙に寂しくなって、哀しくなって「出ようよ」と声をかけたんです。
父親は表情にはあまり出さなかったけど、すごく喜んで、張り切って、夢中になって、そして、僕を半ば引きずりながら走ってました。
結果はもちろん1位。
僕も恥ずかしい一方で、実はとても嬉しかったんです。
それが今から思えば一番の父親孝行だったような気がします。
あの時、断っていたら一生後悔したかも・・・と思う出来事です。

もうひとつは浪人時代。
その頃はもう両親は離婚していて、父親に会うことはめったになかったんですが、ある日、家に僕一人でいたときに、ふっと父親がやってきて「お母さんはどこだ?」って一言だけ声をかけてきたんです。
なんて答えたかは忘れてしまったんですが、父親が「そっか、分かった」と言って、家を出ていった瞬間、どうしたわけか涙がぶわーっとあふれ出てきたんです。
わけがわからなくて、僕自身が途方に暮れるくらい涙が出てきました。
それくらい寂しかったんだな・・・父に会いたかったんだな・・・と気付いたのは、その何年も後のことです。
その時はそれが不思議で仕方ありませんでした。
でも、結局それが父親を見た最後だったように思います。

もしかしたら、僕はどこかでそれが父との別れだったことを知っていたのかな?
だから、あんなに涙が出たのかな?
なんて考えてみると・・・ちょっと怖いです・・・。

○母について

とても情熱的で愛情の深い人です。
それが普通の母親だと思っていたのですが、色んな母親の情報を耳にするに連れて、うちの母はちょっと違うんだなあ・・・と思うようになりました。

その愛情が高じて、過干渉になってたきらいはあるかもしれません。
でも、基本的には何でもやりたいことをやらせてくれて、全身全霊で応援してくれる存在ですね。
僕が何をしても絶対的な味方でいてくれる、というのは、ものすごい安心感でした。
だから、すごく自由を感じられるんですよね。
苦しい時代もありましたが、常に僕自身の「わがまま」で生きられてるのは、そんな母親のお陰かと思います。

母は家が神道の教会をやっていたためか、小さい頃からとても貧しく、お金ですごく苦労したそうです。
その時代にはよくあったことかもしれませんが、頭はよかったのに高校進学をあきらめざるを得なかったんですね。
だから、子ども達に対してはお金で苦労させない、学校はできるだけ出す、という方針で、一時期は教育ママゴンになるくらい一生懸命でした。

その一方で、何と言うか深い優しさや愛情に満ちたところがあって、僕ら兄妹はそんな温かいものに包まれて成長してきました。
自営業でしたから、大変な時代もあったそうなんですね。
でも、子どもには、家族には絶対迷惑をかけないと、完璧なほどに守ってくれました。

母親とのエピソードで印象的なのは、僕が小学校1年生の時。
随分昔のことですが、今でもはっきり記憶してます。
その頃から落ち着きがなく(笑)、慌てん坊だった僕は、祖父母の家の近くで遊んでいて思い切りこけたんですね。
その時、大きな石に左足の膝をぶつけまして、白い骨が見え、次の瞬間、血がぶふぁーっと吹き出たんです。
母が慌ててすっ飛んできて僕を近くの病院に連れて行ってくれたんですが、あいにく、その日、村はお祭りでして、お医者さんも出かけてたんですね。
で、その時僕を腕に抱きながら母親がこう叫ぶんです。

「私のことならどうなってもいいけど、この子だけは助けて下さい」

その言葉を腕の中で聞いていて、とんでもない強い愛情で守られているんだな・・・とすごく実感しました。
今でもその膝の傷は残っているんですが、それを見るたびに、母のその強い愛情も一緒に思い出すものです。

もう一つの思い出は高校生の頃。
甘えん坊の僕は昔から母親の膝枕が大好きだったんですけど、思春期に入ってからはさすがに遠慮するようになっていたと思います。
高校2年か3年のときだったと思うんですが、何の気なしにふと膝枕してもらったんですね。
随分久しぶりだなあ・・・と思いながら。
でも、それと同時に「もしかしたら、これが最後になるかもしれないな・・・」と漠然と思ったんです。
そして、すごく寂しく、哀しくなりました。

ほんの小さな出来事ですが、僕が子どもから大人になった瞬間があるとすれば、この時かもしれません。

*−−−*−−−*−−−*−−−*−−−*

他にも両親に関するエピソードはたくさんあるのですが、今の僕にとても影響を与えたお話をさせていただきました。

妻からも周りからも「裕幸ってすごく親に愛されたって感じがするよね」って言われるんですけど、僕としては「当たり前」になっちゃってるんですけど、こう見返してみると、ほんとに愛されてるよなあ・・・といつも思います。

とはいえ、実際には5,6年か前まではカウンセリングを受ける時以外は、家族の話はうっとおしくて、恥ずかしくて、絶対しなかったんです。
ある意味厳しい親の愛情に不信感を抱いていたこともありました。
表向き仲はいいんですけど、ちょっと距離を置くというか。

その頃は自立することに一生懸命だったんでしょう。
自立の妨げになると思って両親やその愛情を否定していたのかもしれません。
その頃は自分は子どもがいらないと思ってましたし、結婚も・・・うーん、あんまり前向きじゃなかったかもしれません。
(子ども時代に辛い思いをしたり、自己嫌悪が強かったりすると、自分の子どもが欲しくなくなります)。

でも、今はこの両親の元に生まれてきたことが凄く幸せだと思ってます。
だから、大きな感謝を込めて、僕が生まれた日に感謝を贈りたいと思うのです。

どうも、ありがとう。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 12:00

2004年9月 4日

◇結婚記念日

先週、私は妻と6回目の結婚記念日を迎えました。
ああ、もう結婚して6年になるんだな。
しみじみそう感じつつ、知りあってからはもう17年経っていることにも気
がつきました。
ずいぶん長いつきあいです。

ただ、結婚記念日と言っても、何か特別なことをするわけではありません。
特に今回は、妻が転んで頭を打って寝込んでいましたし、私はカウンセリング
の講座がありましたので、全く日常の生活でした。

ただ、私たち夫婦が結婚記念日にすることが一つだけあります。
それは「契約更新」です。
これは、最初の結婚記念日に妻が提案してきたもので、おたがい1年間、一緒
に過ごせたことを感謝し、また1年一緒に歩んでいけますようにと、まるでお
正月のご挨拶のようなことをしています。
妻いわく、「どれだけ愛し合っていたとしても、お互いの人生の目的や方向性
が変われば道が分かれてしまうのは当然のことでしょ。それを、1年1年確認
していくことができれば、お互いが今どの方向に向かっているかわかりやすい
じゃない。」
妻らしい発言です。

私自身、日常の生活の中に埋もれてしまうと、つい妻に対して感謝の心を忘れ
てしまいがちになります。
それくらい、私にとっては妻がそばにいることが「当たり前」になっています。
でも、「当たり前」だからこそ、そばにいてくれることを、1年一緒に過ごせ
たことを感謝したいと思います。
ご存知の方もいるかもしれませんが、妻は厚生省指定の難病を持っています。
正直、突然死んでしまうこともあるかもしれません。
妻はそのことについては、とても病人に見えない全く普通の生活を送っていま
すし、今まで特に大きなことが起こったということもないので、周りも妻の病
気のことを忘れがちになってしまいます。
ただ、結婚当初は妻も私もどこかで怖かったんだと思います。
ある日、突然妻が倒れてそのまま2度と眼を開かなかったら。
ある日、突然妻がこの世からいなくなったら。
私にとって、これ以上怖いものはありません。
だからこそ、今妻と一緒に過ごせることが、そんな当たり前のことが、すごくす
てきなことに感じます。

感謝することって、難しいことでも何でもないんですよ。
ただ、「ありがとう」と心から伝えるだけなんですよね。
でも、当たり前になってしまうと、それすらも言えなくなってしまいます。
当たり前でなくなったとき、その気持ちに気づいても後悔ばかりが出てきてしま
います。
「当たり前のことを、心から感謝する。」
簡単なように見えて、意外とやってみると難しいことかもしれません。
しかし、ほんの少しでも感謝できたとき、本当に自分の大切さ、誰かがそこにい
ることの大切さに気づくことができるかもしれません。
当たり前と思っていることを、ほんの少しでいいので、周りの人たちに対して、
心から、感謝してみませんか?


中原謙一

投稿者 csadmin : 12:05