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2004年7月30日

◇子供のころの私

私のやりたいことをリストアップした紙を眺めていると、子供の頃に好きだっ
たことがたくさんあることに気づきました。今、私が一番やってみたいことは、
ダンスなのですが、小さいころの写真を見ると、スタンドマイクを前に歌いな
がら腰をふっている私がいたり、盆踊りでゆかたの袖をなびかせて、近所のお
じさんと楽しそうに踊っている私がいます。

友達とおしゃべりをしたり、パーティーがしたいなぁと思っているところは、
保育園や幼稚園が大好きだったり、子供会の行事には欠かさず参加していたこ
とと重なります。

そんなふうに考えてみると、今やっていることと、子供の頃に好きだったこと
に共通点があることにも気がつきました。

例えば、子供の頃は、どんぐりや松ぼっくりを拾ったり、つくしやわらびを採
るのが大好きでした。ただ、拾うだけではなくて、あとで食べたり、何かに使
えるというのがうれしかったみたいなのですが・・・
そういえば、今も、粗大ゴミから拾ってきたタンスを使っていたりします。

母に「私が小さいころ好きだったことって何?」とたずねたところ、
「何が好きだったのかはよく覚えてないけど、いろいろうるさく言われるのが
嫌だったみたい。放っておくと一人で何時間でも好きなことをして遊んでたよ」
と言われました。

う〜ん、確かに、細かくいろいろ指示する上司って苦手だったような気が・・・
子供のころの自分と今の自分を並べてみると、色んな発見があっておもしろい
です。やりたいことがわからないときには、子供のころの自分にたずねてみる
のもいいかもしれませんね。

運動音痴だし、もう若くないし・・・と躊躇していたのですが、昔の写真の中
で楽しそうに踊っている自分に励まされて、ダンスの体験レッスンに参加して
みようかなぁと思っています。

前田紀美子

投稿者 csadmin : 09:58

2004年7月25日

◇コミュニケーションって?

人と人との関係がこじれるとき、多くは
「理解してくれない。」
という想いがとても強いようですね。
ここでこころのコミュニケーションというものがとても大事になって来る
と私は思います。

カウンセラーとして皆さんのお話を伺わせていただく中で、多くの方が
自分を責めてしまうことがあるようです。
「自分のここが嫌。」
「自分の性格に問題がある。」
「私は自分の性格を直さなきゃいけないと思って・・・。」
と考えているようで、どれだけ自分が最低かをたくさん話してくださいます。
私はいつも伝えます。
「今のあなたに何も問題はない。」と。
どんな人にも私はその人本人に問題はないと考えています。
「じゃあ誰が悪いの?」
「じゃあどうしてこうなるの?」
確かに本人にとっては分からないですし、どうしたらいいのか困ってしまいま
すよね。
問題というのは多くの場合、ほとんどが人対人です。相手あってこそ問題
は生じます。そんなときにどちらが悪いか・・・という話になってしまうと、
永久に終わらないんです。だってどちらも自分のせいだと考えたくありません
からね。それにどちらも悪くはありません。犯人探しは関係ないんです。
じゃあどうしてこうなるの?
それはひとことで片付けてしまうと、
「誤解」という部分だと私は思っています。

例えば男女間の喧嘩です。
「あなたが電話をくれないから不安になるんでしょう!」
「だって忙しいんだよ!」
「忙しいって言ったって、電話の一本くらいくれたらいいじゃない!」
「出来るならとっくにやってるよ! でも出来る状態じゃなかったんだから!」
「あなたは私の気持ちをぜんぜんわかってない!」
「君だって僕の気持ちをぜんぜんわかってないじゃないか!」
・・・・終わりませんよね。

女性は電話をくれるくれないも大事ですが、ただ不安だったその気持ちを理解し
て欲しいという思いの方が強かったりするんですよね。
男性は、電話が出来ないほど仕事が忙しくてしんどくて、だから彼女に電話をす
ると、そのいらいらをぶつけることになるから、なかなか出来なかったり、ばた
ばたしててしなかったり。先に仕事を終わらせてその後ゆっくりと、彼女に連絡
をすることを考えていたかもしれません。

そう考えるとどっちも悪くないと思いませんか?
だけどお互いが思っちゃったんです。
「理解してくれない」と。

ではどうしたら理解し合えるのでしょうね。

それはこころの中の思いをきちんと表現すること・・・だと私は考えています。
よくあるのが、
「だってあなたが、・・・だと思ってたから。」
「僕だって君が、・・・・だと考えてると思ってたから。」
おっと、我が家の話が入ってしまいました f(^^;)。

私はカウンセラーをしているので、喧嘩をすると彼がこの切り札を使うんです。
「だって、のりちゃんカウンセラーやろ? だから分かってくれると思ってたか
ら・・・。」
カウンセラーは、超能力者ではありませんと私は答えてやります。

でも、私もきちんと自分の思いを伝えずに、
「彼なら・・・こうだろう。」と考えて、自分の中で決定してしまってるんです
よね。だけどこの考えは、「彼なら・・・」と考えているにもかかわらず、そこ
にある考えは、「私なら・・」なんです。
だって実際に私の頭で、「彼なら・・・こうだろう・・・」と、
「推測」しているに過ぎないのですから。なのに勝手に「こうだろう」と決め付
けてしまっているんですよね。

こうして誤解は生まれてしまいます。

「こう思ってた・・・」
「こう考えているんじゃないか・・・」
と考えるのは、あくまで自分の脳で考えることなんです。
本当の彼の思いはそうでないことが多い(自分の考えですから)ので、ここで
「ありとあらゆる誤解」が生じてしまうんです。
自分が相手のことを勝手に考えて決定付けて、違うことを相手が考えていると、
私たちは「こんなはずじゃなかった。」となります。そしてすれ違いが生じ、
「彼は私の気持ちを理解してくれない。」になってしまうんですよね。

これは、お互いにコミュニケーションが浅いということなんです。

だけどこのこころのコミュニケーションは、私たちにはなかなか至難の業でもあ
りますよね。
「言って嫌われたらどうしよう。。。」
「話して馬鹿にされたらどうしよう。。。」
これらの怖さがありますから。
だけど「誤解」は「誤解」をうみます。悪循環ですよね。

皆さんにお願いしたいのは、自分のこころの中の本当の気持ちを出すとき、
「怖さ」や「痛み」にばかり目を向けないで欲しいのです。
そこに目を向けている限り、きちんとしたコミュニケーションは出来なくなります。
「まあいいや。」
「面倒くさいし、ごたごたも嫌だし、黙っていよう。」
「そのうちきっと分かってくれるよ。」

怖さや痛みに集中するあまり、相手がこちらをきちんと見ようとしてくれているこ
とに目を向けられなくなったり、大きな壁をつくったり、気持ちを伝えることに、
抵抗してそこから逃げようとしてしまうからです。
あなたの大事な人にこそ、怖さや痛みを越えて、本当の気持ちを伝えて欲しいと思
います。そうするとあなたの大事な人は、あなたのその勇気にきちんと応えてくれ
るものですよ。

コミュニケーション。
簡単で難しく、難しいようで簡単なものですが、人は経験上、それを怖く感じるこ
とも多く、なかなか躊躇してしまいます。だけど怖さや痛みを越えて伝えて下さい
ませんか? あなたの本当の思い。その怖さ。その痛みを抱えることなく伝えて下
さいませんか? それが出来たとき、とても深いつながりを感じることが出来ると
私は考えています。

小川のりこ

投稿者 csadmin : 10:58

2004年7月19日

●気持ちを吐き出すことの大切さ(いじめの体験を通して・・・)

・楽しくないのに、ピエロとなっていました。それをネタにいつも皆に
馬鹿にされていました。そうするしか人から笑いかけてはもらえませんでした。
・誰も来ない校舎裏のトイレの中に鍵をかけ、お弁当をいつもそこで
一人で食べていました。お弁当箱を見るたびに、いじめにあっていることを、
母に言えないことが、とても苦しかった。
・どんな命令も、聞いていました。私を必要としてくれるならば、例え悪いこと
だと思っていても、何度も出来るほどになっていました。
・「あの子」「気色悪い子」と呼ばれ続けていて、一度も名前を呼ばれることは
ありませんでした。

これらは私がいじめにあっていたときに、一番辛かった出来事です。
今考えても、本当に信じられない行動をずっと取り続けていたんだと思います。

現在カウンセラーとして、たくさんの方とお話する中で、
・昔いじめにあっていたんです。
・会社で社内いじめみたいなものがあって・・・。
というお話を本当によく聞きます。
だから、あらためてあの頃のことを考えることも多くなってきました。

いじめに関して、よく
「私のいじめって大したことないんですけど・・・。」
「私みたいではなく、もっとひどいことをされた人っていると思います。その人
たちと比べたら、私の場合は随分マシかもしれませんが・・・。」
とおっしゃってくださる方も多いですが、
大したことのないいじめや、人よりマシないじめなんて私は存在しないと思って
います。どんないじめであってもその人にとって、そのいじめは
「最大に苦しいこと」なんですよね。

こういうお話を私たちカウンセラーにしてくださる方は、私は本当に勇気があっ
て、すごい方だと思っちゃいます。
なぜなら、私は、私がいじめられていたことを、何十年も誰にも言えなかった子
だったからです。

「言ったら嫌われ者だったことを公表することになる。」
「そんなみっともないことを言ったら誰だってひく。」
「あの頃のみじめな生き方をしていたことを誰にも知られたくない!」

これらの気持ちが、とても強くあったんですよね。

長い長い間隠し続けました。親にも兄弟にも好きな人にすら隠して来ました。
そして当時付き合ってた人に、
「のりちゃんは異性だけでなく同性にも人気があるし優しいね。」
と言われ、私は
「優しいんでなく、嫌われたくないからとりつくろってるだけなのにな・・・。」
と恥ずかしい思いでいっぱいでした。

そんな私がカウンセリングを受け、33歳になって、初めて人に自分で汚いと感じて
いる過去を話しました。誰にも言えなかったこと。怖くて怖くて自分に向かい合う
と悲しい思い出しか出てこないという思い。こんなに泣いたことって今までになか
ったというほど、泣きながらカウンセラーに話をしたんです。

そしてその日のうちに彼にも話しました。
彼はそういう苦しさを乗り越えてきた私を尊敬すると言ってくれたことが、今でも
私の大きな支えになっています。そしてその彼は、今は私の主人です。

長い間一人で抱えていたたくさんの重荷を、私は初めて降ろすことが出来たんですよ
ね。

私たちは悩みや苦しみを経験すると、それはひとつひとつその人の重い荷物になって
しまいます。そしてそれを人に話すと迷惑に思われてしまうと感じますし、また、重
たければ重たいほど、相手に嫌われる怖さが出てきてしまいます。そしてそれが大き
なストレスになり、胸に黒いもやもやとしてたまってしまいますよね。
けれども自分の今抱えてる苦しみや悲しみを、声に出して外に表現することは、ぱん
ぱんに張り詰めたこころにスペースを空ける作業にもなります。感情の解放と私たち
は呼びますが、それが「余裕」となり、余裕が出来ると私たちのこころはどんどんと
軽くなり、楽になり、新しい気づきや発見が、そのスペースに入ります。

私がこのいじめの体験が苦しくて、その結果、人が怖くてたまらなかったときよく夢
を見ました。いつもその夢の中で、私は体験したことと同じようにクラス全員に仲間
はずれにされていて、それが辛くて涙をぼろぼろ流し、「助けて。」という声と共に
目を覚ましたことが何度も何度もありました。
だけど不思議なことに、初めていじめの話を聞いてもらった数日後、またいじめの夢
を見ましたが、夢の中で私は彼女たちにこう言ったんです。
「私はもう何も怖くない。あなたたちのいじめなんかは怖くない。」って。
いじめられていたあの頃、実際には一度もこういうことは言えませんでしたが、夢で
も一度も言えなかったことなんですよね。

そしてそれ以来、私はいじめの夢を見ることも、泣きながら目を覚ますようなことも
一度もありません。私がひとりで抱えていたことを声にして話したことで、私の中に
溜まっていた「苦しみ。」「寂しさ。」などのごみが、一気になくなって、こころの
中から出ていったんだと私は思っています。

人に自分の苦しみを話すこと。

簡単なようで難しいことでもありますよね。私自身長い間抱えちゃいましたから。
怖いと思います。私もとても怖かったです。怖かったからなかなか言い出せませんで
した。けれどもあなたの何かが変わるかもしれません。
一人でも多くの方に「気持ちを吐き出すことの大切さ」を体験して欲しいと思ってい
ます。

小川 のりこ

投稿者 csadmin : 12:47

2004年7月16日

◇豊かさと温かさ

21世紀になり、はや3年と半年。ノストラダムスの大予言やコンピューター
の2000年問題はもはや過去のこととなり、今ではみんな21世紀になじん
でいるかのようです。
人類の努力とともに文明は発達し、科学や技術の発展は我々に豊かさをもたら
しています。

冷蔵庫や洗濯機、白黒テレビが「三種の神器」と重宝がられていた時代はもは
や過去のもので、今ではデジカメ、DVDレコーダ、薄型テレビが「新・三種
の神器」なんだそうです。

ううう、どれも僕には縁が無い・・・。

豊かさがもたらす恩恵は先人の知恵の結晶であり、ありがたく思うのですが、
反面その豊かさが当たり前のものと感じるスピードの速さに空恐ろしさを感じ
たりもします。
今ではエアコンやケータイの無い生活はとても考えづらいですからね。

かつて環境問題を真剣に考えている人が、「全人類は1970年代の生活水準
に戻すべきだ」と語っていたのを見たことがあります。
気持ちはわかるけれども、それは難しいですよね・・・。

例えばケータイ。
今では持っているのが当たり前かのような風潮すらありますね。
ビジネスにおいてももはや必須アイテムです。
連絡をしたい時、指示をしたい時にすぐ伝えられる。
時代の流れの早い中、その迅速さは必要なものなのかもしれません。
そのかわり、営業さんなどはゆっくりできなくなっちゃってるのかな?

ビジネスに限らず、普通の交友関係でも重宝なものです。
声を聞きたい時、すぐに聞ける。
自分の気持ちを誰かとつなげるには、とっても便利なものですね、ケータイは。

でもそんな時、僕はふと思ってしまうのです。
声を聞きたいのに聞けない時間、相手の気持ちを思い煩うひとときも、
あるいは人には必要なものなのではないかなー、って。
僕はアナログな人間なのかもしれませんね・・・。

ちょっと時間は経ってしまいましたが、7月と言えば七夕の季節。
織姫と彦星が1年ぶりにやっと会える七夕のストーリーを、
「会えない時はケータイやメールとかしていればいいんじゃない?」
な〜んて価値観が崩してしまわないことを切に願っちゃったりするのです。

にもかかわらず僕が今年の七夕で短冊に書いたことは、
「30年後の時代にもちゃんとついていけますように」
だったりするのだけれど。

投稿者 csadmin : 07:39

2004年7月12日

●YOU ARE MINE

先日、テレビで歌手の平松愛理の特集をしていました。

私は昔、平松愛理のおっかけをしていたことがあり、興味深く番組を見ていました。

内容は彼女が今まで生きてきた怒涛のような人生を再現していました。

内容はこんな感じでした。

彼女は、歌手としてデビューしたときに重度の子宮内膜症になり、本来なら3センチ
くらいの大きさの子宮が7センチにまで腫れ上がっていたそうです。

そして病院で手術を受けるとき承諾書に「子宮摘出」の文字があり、なかなかサイン
ができませんでした。
そのとき一緒に来ていた母親が、病院の隅で泣いていた姿があったそうです。

結果として医者の配慮で子宮は摘出しなかったそうですが、以来12年間痛みを抱えた
まま、仕事をしていたそうです。
そんなそぶりをファンには微塵も見せずに。

そんな時、当時彼女が付き合っていた彼が、子宮内膜症の話を聞いて彼女の元から
去っていきました。
そのとき彼女は、「自分はもう結婚なんてできないかもしれない」そう思ったそうで
す。

そんなときに作った曲、それがあの「部屋とYシャツと私」でした。

彼女はどんどん仕事が忙しくなり、同時に内膜症の痛みもどんどんひどくなっていっ
たそうです。
冬でも半そでで汗をかく姿や、何度も収録中にあ倒れて病院に担ぎ込まれたりしなが
らも、彼女は歌い続けました。

そんな時、好きな人ができたのですが、以前のことが頭をよぎります。
子どもが産めないかもしれない私が、結婚するなんて・・・。

しかし、結果として彼のほうから告白してきました。
「僕は君の子どもと結婚するんじゃない。君と結婚するんだ。」

この言葉が、彼女のあきらめかけていた夢を実現させました。

そして結婚。
「部屋とYシャツと私」を、このとき始めて「自分のため」に歌いました。

そして、1995年の1月17日。

彼女は神戸市の出身で、実は私の実家からもそんなに離れていないところに彼女の実
家があります。
私がファンになった理由のひとつに「地元」があったのは言うまでもありません。

彼女にとって、見慣れた大好きな街並みが無残な姿でテレビに映ったとき、言葉を失
いました。

幸いだったのは家族が無事だったことです。

彼女は精力的に活動しました。
被災した人々の心を少しでも癒すために。

そんな時、奇跡が起きました。

子どもができたんです。
彼女は、どこかで子どもをあきらめていたのかもしれません。
でも子どもができたことを彼女はこう語っていました。
「きっと、震災で亡くなった人の誰かが、この人のところに生まれてこようと私たち
を選んでくれたんだ」と。

しかし、クリスマスイブの夜、彼女は不正出血で倒れてしまいます。

夫が運転する車の中で、自分の不安を少しでも解消するように、彼女は「赤鼻のトナ
カイ」をおなかに向かって歌い始めました。
そして、夫も一緒に歌って励ましてくれました。

不正出血の原因は「切迫早産」。
次に不正出血があれば母子ともに命の保障は無い。
最低2ヶ月はベッドの上で絶対安静。
実はこのことは、ファンクラブに入っていた人たちには連絡がありました。
今危険な状態だけれども、安心して見守っていてほしい。
その1枚のコピーされた直筆の手紙には、彼女のファンに対する想いがいっぱい詰
まっていたのを覚えています。

そして、無事に女の子を出産しました。
彼女は、生まれてきた女の子に分娩台の上から「ハッピーバースデー」を歌ったそう
です。

ところが、その後。
子宮内膜症の痛みというのは、子どもを生むと治るケースが多いらしいのですが、彼
女の場合は治らず、再び痛みと戦うことになりました。

「この子に兄弟を」

彼女にはそんな想いがあったのですが、立っているのがやっとなくらいな痛みを抱え
ていては、子どもに優しく接してあげることもできない。

「娘のために」

彼女は12年間に渡って付き合い続けてきたこの痛みを手放すことにしました。
子宮を摘出したんです。

これでもう大丈夫、そう思った矢先です。

今度は乳がんが見つかりました。
彼女は子どもに心配をかけないよう、「海外に仕事に行く」と言って手術しました。

手術は無事に終わったのですが、その後今まで経験したことのない痛みが彼女を襲い
ました。
もう子どもに隠すこともできません。
彼女は悩んだ末、がんを公表し、闘病生活に入りました。

ここまで書いて自分でも思ったのですが、この人はよくここまでいろんなことがあっ
たよなぁ、としみじみ感じます。
コンサートやファンの集いなどで彼女に会っても、病気のことなど微塵も感じさせず
に、自分のできるせいいっぱいを表現している。

「歌手になりたい」
「歌いたい」
「結婚したい」
「子どもがほしい」
「生きたい」
どんな困難があろうと、彼女は自分の信念を貫き通した。
その結果、彼女が望んだものがすべて彼女の手の中にある。

今までファンとして彼女を見てきた私ですが、今が一番輝いて見える、そんな感じが
しました。

今彼女は復帰して、歌い始めています。
今まで自分を支えてくれた人たちに感謝しながら。
そして、歌うことのできる今に感謝しながら。

そんな彼女の想いの詰まった歌が「YOU ARE MINE」だそうです。

よかったら、聞いてみませんか?

中原 謙一

投稿者 csadmin : 12:40

2004年7月 5日

●こいごころ

 初めての恋、初恋っていくつの頃でしたか?

 私が初めて感じた「これが恋?」と言う感覚は、中学2年生の頃。相手は同級生で、お決まりのようにスポーツマンのいわゆる「かっこいい」タイプ。その次は、高校2年生の同級生で、数学がとてもよくできて、でも落研に所属していて、百人一首が得意。「一字取り」「二字取り」なんて言うのを教えてくれ、覚える気の無い私はよく叱られた(笑)。高校時代の彼とは、大人の目から見ると、多分「両想い」。でも、これがまたよく言う「恥ずかしがり屋さんと恥ずかしがり屋さんの恋」で、友達が撮ってくれた二人の写真もそっぽ向いて辛うじて端っこと端っこに写っているんですもん。想いを伝えることもなく、卒業してからは恩師の家にグループで行ったきり・・・友達に言わせたら「確かに良い人とは思うけど、私にはあなたの恋する気持ちはわからない」と言われたな。でも、この人が多分その後の好きな人や恋愛の、基本のラインになってるな、と思っています。

 何も特別にしないのに、なぜか人気者。頭の回転が速くて、どこか観点がユニークで、そっけない言動の割にはいつも気にかけてくれていた。いやぁ、懐かしい。今ごろ、どうしてるかな。私のこと、覚えてるかしら(笑)。

 恋心を科学的に分析した本なども読んだりするのですが、やっぱり恋は頭でなくハートで感じるもの、ですよね(^^)。あのときめき、心臓がばっくんばっくん相手にも聞こえそうなくらいの音をたてて、ふとしたことにどきどきして、すぐ真っ赤になって・・・あー恋はえーなぁーと四十過ぎた今も思います。

 誰かをひたすら想うあの素直さ、柔軟さ。そして情熱。世界を動かしているのはこんな恋心なのかもしれない、いや、そうであってほしい(笑)。銃弾や暴力や、そう言ったものではなくこんな気持ちが世界を動かしていてほしい、と思うのは私だけではないはず。そう、この間、息子たちとあのブラピの「トロイ」を観たんです!ブラピかっこえーわー、あれはただの男前やないと前から思ってたけど、とご満悦の私に呆れ顔の息子たち。

 ブラッド・ピット演ずる勇者アキレス。そう、アキレス腱の名の由来になった、あのアキレス。彼にかなうものは一人もいなく、しかも誰にこびることも無い孤独の勇者。でも彼を慕う人は多く、彼の軍隊は抜群のチームワークと能力の高さで無敵。でも女には、、、そんな人間的な最強を誇る勇者アキレス。でも、「トロイ」で描かれているアキレスは、自分が絶ってしまった命の幻影に悩まされたり、最愛の従弟の仇である王子ヘクトルを殺めた夜、その亡骸に涙する。その亡骸を敵である父王に返し、弔いのための停戦を守る。ブラッド・ピットの切ない表情に、歴史を亘る余儀なくされた殺戮の虚しさを想っていました。ブラッド・ピット自身が言ってるんですよね、アキレスの本当の泣き所は心だったと。人間が他の動物とのもっとも大きな違いである、心。私たちが人間である由縁はこの高い精神活動なんですよね。

 話は戻りますが、私は二面性のある男性に魅力を感じます。一見強面で鋭い眼をしているかと思えば、すごくデリケートな愛情を見せてくれたり、反対に気弱そうでいながらいざと言うときにはリーダーシップを発揮してくれたり。ずっと昔になりますが、「天使のように大胆に。悪魔のように細心に。」というCMのコピーがありました、ウィスキーの宣伝なんですけどね、確か。BGMは交響曲「驚愕」だったと記憶してます。ふと思い出していました。もっとも、人の心は多重の層を成しているのですけれども。でも、これが私の思っているのと反対だと、非常に大変なわけで(笑)。こまやかなところに行き渡った感性を大胆に表現する、というのには魅力を感じるけど、どうでもいいところに細かくて、デリカシーにかけるのはちょっとなぁ・・・と言う具合に。まあ、思うに、人間の多くはそういう面をもっているわけです。女性であっても、すごく女性的な外見なのに意外に「男前」な性格だったり、男っぽい立居振舞をするのに、とてもチャーミングな心を持っていたり、そんな友人が私の周りには多いんです。

 男性の心の中には女性性が、女性の中には男性性がひそむ、と言います。ユング心理学のアーキタイプで言う「アニマ」と「アニムス」ですね。ある本で、自分の中の異性(男性であれば女性性、女性であれば男性性ですね)と相手の中の異性とが愛し合う、というのが最も強い心の結びつきになる、とあり、なるほど!と思ったのです。私であれば、私の中の男性性=アニムスが相手の中の女性性=アニマに恋をするんです。恋愛とは、似ていて同感する部分と異質な部分と両方あるから惹かれもするし解らないから解ろうとする、って思います。私の中の「男性」の部分が相手の「女性」の部分を好きになる・・・ふーん。なるほど(・・・ちょっとうつろな目(笑))。この内なる異性は自己・パートナーの成長と共に成長し続けるといいます。

 ティーンエイジャーの頃、そう、初恋は卒業した頃ですね、「男らしく」「女らしく」という言葉が大っ嫌いでしたね。物思う(!)高校生だった私は、何を持って○○らしいと言うんだ、と思っていたんですよ、ステレオタイプにはまりたくない、という感じで。まあ、今思うと、はまろうと思ってもはまれなかったはずだけど(笑)。それよりも「自分らしく」という方が、私にはぴったりくるな、と感じていました。年月を経て、やはり三つ子の魂百まで、ではあるのですが、自分が今の自分の体を選んで生まれ生きていることを考え出してようやく女性としての自分に意識を向けるようになった気がします。学んでゆく中で、あるいは人と向き合っていく中で、自分の女性としての感性は否定できなかったんですね。

脳の構造は解剖学的に、男女差があるのだそうです。大きさ・重さもですが、左脳(論理的な部分を支配していると言われる)と右脳(感性や感情を支配していると言われる)をつなぐと言う脳梁が女性のほうが太いのだそう。つまり、女性の方が五感を初めとした感性と思考とが密着している、のだと。「女の勘」だとか「(女性的な)細やかな気配り」と言うのはこういったところからなんだそうですよ。もちろん個人差はあるのですけれども。

 こんなことを知るにつれ、私は自分を「女性なんやなあ」と思わざるを得なくなりました。やっぱり男性とは違う、と思いますね、男性から女性をみた時もきっとそうなんでしょうね。男と女は似て非なる生き物、と昔の友人は言いましたが、本当にそう思います。

 恋する気持ち、というのは、「自分に似ている」「でも明らかに自分とは違う」「違うところに魅力を感じる」「でも通じるところがあるから理解し合える」文章にしてみればこんな感じかもしれないのですが、何よりも、あの「言い難い感覚」が私たちの心を占拠します。だいたい、他の誰かが見たらそんなに魅力的とは思わないかもしれない彼や彼女を唯一の人、と思うこと自体、不思議ですよね(体験上です、はい)。でもそう感じるからこそ結びつきは強くなり、理解は深まる。そう思います。

自分自身を一番知っているはずの自分が、誰かを愛した時・愛された時、違う自分を発見する。相手の中に今まで逢った事のない彼・彼女を発見し、さらに愛しく思う。恋する気持ちを持ち続け、相手や自分を大切に思うことを続ける。「永遠の愛」「真実の愛」はそんな積み重ねなのでは、と思うのです。でも、日常生活の中で(特に結婚年数が二桁に乗っちゃうあたり)難しいのは「恋する気持ちを持ち続けること」かもしれません。いや、きっとあるんですよね、恋心は。でも、何をいまさら・・・なんて思ってしまうのでは(これも体験上・・・)。第一恥ずかしいですよね。

でもね、恥ずかしいのは二人の間でだけです。自分の想いが彼(夫)・彼女(妻)に知られるのって、とても恥ずかしい(照れくさい)のですが、でもじゃあなぜこの人といるの?と思ったらそこに答えは無いでしょうか。まるで洋服を着せるようにたくさんの理由が出てくることは多いと思うんですが、洋服の中身、つまり自分の心の核にはどんな感情があるのか、関心を持ってみてみませんか?恥ずかしい、照れくさいかもしれないけれど、新鮮で良いもの、とも私は思います。

核心に触れていくほど、叶えられなかった願いや夢、期待、これは相手だけにでなく自分自身へもともすれば攻撃の矢となって向けられます。そして、あたかも夢の残骸を見るように感じてしまうこともあるかもしれません。でももしかしたら残骸ではなく、琥珀のように時をかけてはぐくまれる美しいものだってあるかもしれないのです。だとしたら、もったいないですよね。

あなたの中に眠る琥珀のような恋心を掻き立ててくれるのは、隣にいる余りにも見慣れた人なのかもしれません。

中村  ともみ

投稿者 csadmin : 12:05

◇海

もうすぐ海の日ですね。

夏の強い日差しときらめく海!(^O^)/

それだけで、心が躍ってしまうような・・・

大好きなものの一つです(^^)v

私は小学校の6年間の内5年間を

静岡で過ごしていたのですが

海も山も近い所にあったんですよね。

私の通っていた小学校では、

春か秋の遠足で毎年海に行っていました。

その海岸が特別きれいな所であったわけでもないのですが・・・

どこか特別な思いがあるような気がします

転校しているから余計にそう思うのかもしれませんね

上級生と一緒に手をつなぎながら海まで歩くと言うのも楽しかったですし

海で貝殻を拾ったり、砂で山や家などを作ったり

「はんごう」でご飯を炊いたりカレーを作ったりするのも

楽しかった記憶があります。

何より仲良しの友達と一緒に長い時間遊んでいる

ということが楽しかったのかも知れません(^^)ゞ

皆さんは海の思い出ってどんなものがありますか?

楽しい思い出も、切ない思いでもありますよね・・・・

でも、全てを包み込んでくれているような感じがします

「海」が好きな理由とか惹かれる要因というのは

それだけではなく、他にもあるような気がします。

広〜くどこまでも続くように感じさせる水平線

優しく時には激しくもある波の音

潮の香りと風

太陽の光を受けて色々な色を見せる海面

そこで開放される人々の心・・・

挙げだしたらきりがないのでしょうけど

色々なものの複合効果なのでしょうね(^^)

自分の気持ちに合わせて

物静かにも

思い切り楽しくワイワイと出来たり

きっとどんな自分も受け入れてくれるような感じが

するからなのかもしれませんね

今年の夏の海は

どんな風景を見せてくれるのか楽しみです

渡辺晴美

投稿者 csadmin : 12:03