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2004年6月28日

●クロード・モネの世界

私は、モネの絵が好きです。
「パリ マルモッタン美術館展」では、モネが愛したジヴェルニーの庭園を映像で観
ることができました。
私はそれまで、モネの絵や画集に掲載されている写真でモネの庭園を観ることはあり
ました。
でも、それは一部でしかありませんでした。
いつか、もっとたくさん観てみたいと思っていました。
今回、思いがけず映像で観ることができて、とても嬉しかったです。
睡蓮が映った時、モネの絵と重なって見えて「本当にモネの絵の世界だ」と感激して
しまいました。

モネの庭園の中で、私が一番好きな風景は、太鼓橋とその上にかかる藤棚の風景で
す。
なんてきれいなんだろうと見とれてしまいました。
緑色の橋、薄紫色の藤の花・・・。
私が初めて美術館でモネの絵を観た時に、とても好きになって買ったカードにもこの
太鼓橋が描かれていたことを思い出しました。
とても印象に残っている橋です。
モネが描いた橋、それを観ている・・・。
あまりにも思いがけない出来事だったので、信じられないような気持ちになりまし
た。

初めてモネの絵を観た時、モネには他の人には見えないものが見えるんだと強い衝撃
を受けたことを覚えています。
それ以来、私はモネの絵の世界に憧れのような気持ちを持っています。
絵に描かれた心地よい風、眩しい太陽の光、涼しい木陰・・・を観ていると、私にも
風の心地よさ、太陽の光の眩しさ、木陰の涼しさが伝わってきます。
それを感じている時、まるで絵の風景の中にいるような気がします。
そうやって絵の中の世界を感じることが楽しくて、これまでに何度もモネの絵を観に
行きました。

そして、今回の美術展でもうひとつ嬉しかったのは、モネの庭園の写真集を買えたこ
とです。
今でも繰り返し観ています。
モネが造った池の水面に映る風景の静けさ、美しさ、その素晴らしさを改めて感じま
す。
“水面”にこれほど存在感を感じたのは初めてです。
この写真集を観ている時には、モネの絵を観ている時のように、ゆったりとした時間
を過ごすことができます。
そして、白い水仙、黄色の向日葵、緑のしだれ柳、青いグラジオラス、薄紫色の藤の
花、赤いツツジ、ピンク色の薔薇・・・、素晴らしい調和した美しさを堪能すること
ができます。
それに、モネの庭園を観ていると、モネの花への強い情熱を感じます。
そして、モネの絵の世界を身近に感じられる、そんな気がするのです。

モネは時間の経過とともに表情を変える風景のその美しい瞬間をとらえています。
モネは「モチーフは私にとって二義的なものだ。私が再現したいのはそのモチーフと
私の間にあるものなのだ。」と言っていたそうです。
本でこの言葉を読んだ時に、モネには他の人には見えないものが見えるんだと思った
ことを思い出しました。
モネがこうして絵という形で、モチーフとモネの間にある、美しいものを残してくれ
たことに感謝したいと思いました。

上田 紘美

投稿者 csadmin : 12:13

◇感じることを大切に

「以前の私は感情を捨てて仕事してたよな・・」と、今回のエクササイズを書
きながら、ふと昔の自分を思い出してしまいました。

一言で言えば自立系。仕事の経験が少ないうちは上司や先輩に頼ることもあり
ましたが、いざ自分が上の立場になってくると頼ったりお願いすることがあり
ませんでした。

かえって「上司の手をわずらわせてはいけない、私がやらなくっちゃ」と仕事
を奪うこともしていたようです。心理学で言えば『補償行為』ですね。私の中
ではこれが当たり前になっていたから恐いものです。

自分一人でやる仕事なら「この時間までにこれをやり終える」と目標を立てて
とことん頑張る。

頑張ってやり終えた後はまた次の目標に取り組んで・・ただ目の前の仕事を手
際よく、綺麗にこなしていくだけ。そこには感情を感じている暇などないし、
弱音は決してはかない。

時間内にどれだけの量をこなせるか?が私のこだわりの部分だったから、
一緒に仕事をしているメンバーに対しても厳しい目をしてました。
なんてやな奴(^_^;)

そんな毎日を10数年も続けていたら、体が悪くなってもおかしくないんです
よね。

仕事を始めた頃から腎臓をわずらっていた私は、ただでさえ疲れやすい体質に
なっているのに責任&残業等で追い討ちをかけてましたから、一時期はかかり
つけのドクターに「残業などしないように、ストレスは貯めないように。なん
なら診断書を書いて休めるようにしましょうか?」とまで言われてしまったこ
ともあります。

「仕事なんだし、立場上休めないし仕方ないじゃない・・」
「こんなに頑張っているのに神様は病気になれって?」
「一体私にどうしろっていうのよ!」
怒りなのかなんなのかわけのわからない感情がいっぱいごちゃごちゃになって
ました。

仕事優先の私にとってとやればやるほど悪くする。またここでストレスを感じ
てしまう悪循環。

でも一方では嫌な考えですが、もっとひどい病気になって入院できたらいいの
に・・、なんて思うこともあったんです。矛盾してます。
今だからわかることなんですが、
『病気になれば堂々と仕事が休める』そんな風に私の身体も心も悲鳴をあげて
いたんだろうな、と思うんです。あの状態で続けていれば、私は完全に壊れて
いたかもしれません。

病は気から、とよく言われますが、本当にその通りだと思うんです。。
ネガティブな感情の状態を続けていると身体を悪くしてしまう、という話を
セミナー中に聞くことがあり、「じゃあ私の病気を治してみよう」とまさしく
人体実験のごとく取り組んでみたんですね。疑いは完全に拭いきれるものでは
なかったけど、やってみる価値はあるかもしれない、なら自分に優しくして
あげたいな、って。

どんどん置き去りにしていた感情を感じられるようになっていくと、
出てくるものはほんっとにひどい感情ばかり。

「こんなに弱い私は駄目だ〜〜!!」と認めたくないから、
それを感じたくないからこそまさしく『臭いものには蓋』状態で防衛していた
んですよね・・。

でも、「私は弱い。それでもいいんじゃない?いいよね。」と溢れてくる否定
的な感情も抑圧して見ないようにするのではなく、正直に認めてあげられるよ
うになってからは、何年か後の健康診断で常に要検査の印を押されていたのが
『陰性』の結果を得られたんです。

病気が悪化しきってしまう手前だったからいい結果が出たのかもしれませんが、
心のストレスをなくしていくことで身体にもよい影響を与えることが出来る、
という事実を証明出来た!なんてなんだか嬉しく思いましたね。

(ただ、今は検診を怠ってしまっているので健康状態が把握できていないんで
すが、多分、大丈夫だと思います。・・多分ね。)

ただ、やはり習慣は出てきやすいですから、
今でもついつい「大丈夫、やれるよ〜」なんていいながら本当はいっぱいいっ
ぱいになりそうな状況を作ってしまいます。

リラックスした状態の本来の自分の状態を知っているからこそそんな時は
やっぱりどこかおかしい感覚がありますから、身体でわかる時は呼吸をしてて
も胸でつかえててその下のお腹まで行き届いていないような気がするし、心は
何かもやもやしてすっきりしない感じだったりするんですよ。

この落差があるおかげで感情を大切にしていないな、と気づいてあげられるよ
うになれたのでしょうし、気づいたら最後。もう駄目です。

蓋をしたままでは鍋の中身が気になってしまう性分になってしまったので、
そんな風に何か滞っている感じがする時は、感情を置き去りにしてしまってい
るんだな、と思い、自分に『しんどいかなあ?』ってなどいろんな言葉も心に
浮かべながら感じていることに対して向き合おう、と心がけています。

その中で「ん〜、これかな・・」とピンとくるように思えるものがあると、
まるでごちゃごちゃになっている引き出しから探し物を見つけた時のように
心がほっとするような感覚になって楽な感じがします。きっと心の声を
やっと聞いてくれた、っていっているのでしょうね。

自分の感情に気づいて自分に優しくしてあげられるようになれた私は、あれだ
け厳しい批判の目をしていたまわりに対して穏やかな気持ちで接することがで
きるようになれたし、「自分なんて大っ嫌い!」だったけど、
好きになれたな、って思えます。

中野知枝

投稿者 csadmin : 12:11

2004年6月20日

●あなたの伝えたい思いは?

 「大切なのは何と言うのかじゃなくて、何と思っているかということ」
こんなことを聞いたことってありますか?
大事なのは気持ちであって言葉じゃないというような意味のことです。

確かに気持ちが一番大事だと思います。
ただ、その気持ちを伝えるのってコミュニケーションしないと伝わり難いん
ですよね。

ですから、気持ちが一番大事と思いますが言葉も大事だと僕は思うんです。

コミュニケーションは言葉だけでなく、態度であったり、笑顔などの表情で
あったりといっぱい形がありますね。
いろんな形使いながら伝える努力というのがいるのかもしれません。

コミュニケーションというのは、技術の一つですから練習しないとなかなか
上手く使えないんですよね。

ボキャブラリーの数(手数)や、間の取り方(タイミング)、場の雰囲気を
読むこと、この相手にはどこまで言ってもいいのか?というのを判断できる
こと、自分の中の恥ずかしさとの葛藤を越えること等は練習をすることで
レベルアップしていけるんですね。

その為にはコミュニケーションすることにチャレンジしてみようという意欲
が一番大切なのかもしれませんね。

 このコミュニケーションという技術が上手に使いこなせない時は私たちは
誤解が生まれてケンカしちゃったり、すれ違いが起こったり、理解してもら
えないことがでてきたり、仲良くなれなかったりと、いっぱい問題が起こっ
ちゃいます。

男女関係の問題の7割はコミュニケーション不足からきているという説もあ
ります。 納得って感じです。

カウンセリングなんかでも女性のクライアントさんから彼の気持ちが全然
分からないんです「愛してる」とか「好きだ」とかは付き合う時に言っても
らったけどそれ以降は聞いたことがないとか、ひどいケースだと1回も言っ
てもらったことがないなんてケースもあります。
それはそんな気持ちになってもしかたがないなと思います。

男性は特に言葉でのコミュニケーションが苦手なようで
「愛してる・・・ちゃんと言いましたよ、結婚式の時に。」
「ところで、今結婚何年目ですか?」
「15年目です。」
こんなケースもざらにいます。15年間に1度しか気持ちを伝えてないと
したら、誤解やすれ違いから離婚問題が起きてもしょうがないかもしれませ
んね。
せめて1年に1回言うくらいでも、ちゃんと気持ちを伝えようと努力をすれ
ば、すれ違いは起きないのかもしれません。
(それでも少なすぎと思いますが)

逆に伝えたい気持ちはあるんだけど上手く表現できない場合もありますね。
これは、すごいもどかしい気持ちになると思うんです。

例えば、“好き”という気持ちがあったとしますよね。
この自分が持っている“好き”という気持ちと同じくらいか、それを越える
ような表現が見つからなかった時は、もどかしくなっちゃうと思いますし、
表現方法が見つからないんで伝えらないことがでてくると思うんですね。

これは表現方法のボキャブラリーを増やすための努力がいるのかも知れま
せんね。映画を見たり、小説を読んだり、人と話したりの中で表現方法の
ボキャブラリというのが増やしていくといいかもしれません。
これもチャレンジしないと増えないんですよね。

ボキャブラリの数が増えてからコミュニケーションを取ろうとすると、
その間コミュニケーションが取れなくてパートナーシップなんかは、
手遅れになってしまうかもしれません。
ボキャブラリーを増やす努力をしながら、今ある手持ちの駒をうまく使い
ながらコミュニケーションしていくとことがいるんでしょうね。


 なんでもそうなんだと思いますが、最初から上手いことできることってない
と思うんですね。

習字でも、お茶でも、お花でも、スポーツでも、なんでも最初はへたくそが
あたりまえと思うんです。
だから、“へた”であることを恥じる必要は無いと思うんです。

そこから少しづつ練習して少し上手くなって、経験を重ねて達人になっていく
プロセスがあると思います。

大事なのは、“上手”とか“へた”とかいうことじゃなくて、
“この気持ちを人に伝いたい”と思う意欲とその為のチャレンジだと思います。
この意欲とチャレンジがコミュニケーションの達人の道を歩かせてくれると
思います。

“この気持ちを人に伝いたい”は特に大切な人の為ならなおさら意欲がわく
かもしれませんね。(^^)

原 裕輝

投稿者 csadmin : 11:54

2004年6月19日

◇なんのためにがんばるの?

僕たち人間がつらくなっているとき、必ずと言っていいほど、僕た
ちの中で分離している何かがあります。

分離感は「さびしさ」という形で現れる以外にも「嫌われている」
「愛されていない」という形でも現れます。

あらゆる分離感は愛とつながりで、癒すことができますが、あまり
にもこの分離感と長く一緒にいすぎたため、僕たちはこれを本当に
扱いあぐねています。
そんなときに、「もうどうしたらいいかわからない」と感じるわけ
ですね。

でも、僕たち人間は、そこでいつもがんばっています。

どうやってこの分離感を払拭しようとしているのでしょうか?

「自分は魅力のないだめなやつだから、もっと魅力的になる必要が
 ある。」
 
そう思って必要以上に自分に鞭を打ち、もっとがんばらなくちゃと
感じてしまうときがあります。

もちろん、がんばることはとてもいいことですが、なんのためにが
んばっているかとか、なぜがんばるのか?というところでは、チェ
ックが必要になります。

もし、「誰かに愛されるため」ならば、そのがんばりは、報われた
ようにはあまり感じません。

なぜなら、がんばらなくても愛してくれる人は、僕たち人間には必
ずと言っていいほど、いるからです。

たくさんの方のお話を聞いてきましたが、そういう「愛してくれる
誰か」がいなかったことは、まずありません。

皆さんのお話を聞いていて、本当にそういう人が誰もいないと僕が
感じたときは、僕がその最初の人になりますから、やっぱり、僕が
お話を聞いた人の中には、「愛してくれる誰か」がいない人はいま
せん。

だから、愛されるために自分に鞭を打つというのはあんまり意味が
無いわけです。

また、自分の価値を認められたとき、初めてこの分離感を感じない
ですむようになるから、やっぱりがんばるということもあります。

でも、人間の価値とはもともとあるもので、がんばることで得るの
ではなく、高めるものですから、がんばればがんばるほど、価値を
高めることはできても、得ることはできません。

価値を得るには、あなたの中の価値に気づいていく、という作業が
必要です。それは自分に鞭打ってすることではありません。

もうお気づきの方もいるかもしれませんが、分離感はがんばって埋
め合わせるものではありません。

自分を慈しみ、人も慈しんでいくことで払拭していくことができる
のです。

なんだか心理学の話ではないような感じですが、いくら分析しても
分離感は「愛情がない」状態ですから、結局は「愛」の話になって
しまいますね。

でも、僕たち人間は、この分離感を埋め合わせるためにがんばりす
ぎているのかもしれません。

だから、「愛」が必要だと感じたとき、また、「愛し愛されるため」
にがんばってうまくいかなかった度合いだけ、僕たちはみんな、

「愛し愛されること」=「苦労すること」

と感じています。

でも、当然それは誤解です。

「愛」とは「繋がり」であり、繋がりは別に苦労をしなくても強く
することも出来れば、新しく作ることもできます。

それは、ほんのちょっとした変化で作ることができます。

もし、あなたが変わりたいと感じたら。

そのほんのちょっとした変化がどこでいるのだろうか?
と思ってみてください。

今のあなたを否定する必要などありません。

否定すればするほど、自分はだめだと、自分に鞭を打てば打つほど
どんどん愛と繋がりからは遠ざかります。

本当はたくさんある、あなたの中の、「誰かを愛している偉大な自
分」、探してみませんか?

田村厚志

投稿者 csadmin : 12:44

2004年6月14日

●言いたい事を伝える難しさ

カウンセリングの時に、時々こんな質問をさせていただくことがあるんです。
「今日、言いたい事の何割くらい言えてると思います?」って。

その答えの多くは2、3割なんですよね・・・。
でも、実際はもっと低いのかもしれません。

終わった後に、あれをいい忘れた、これを言えば良かった等々、もっと色んな気持ちが出てくるでしょう。

なんせ、僕がカウンセリングやセラピーを受けたときはいつもそうだったから(笑)

今でもカウンセリングや講座の後、メルマガを発行した後などに時々同じことを感じることがあります。
今は言いたいことの7,8割は表現できるようになってきてるかと思いますが、それでも、「あの話をしてあげればよかった」「この質問すればよかった」と思うこともよくあります。

ホームページに掲載されるようなネタであれば、後から思いついたことは追加したり、書き直したりすることができます。(だから、僕の書いた記事は時々後から修正されます)
でも、声に出して伝えたり、メルマガとして発行してしまったりした後には、ほとんど取り返しが付かないんですよね。

特に電話カウンセリングは45分と短いですから、その限られた時間の中で、できるだけお話を伺って、その後で、お伝えしたいこと、知っておいて欲しいことなどを伝えようとすると本当に苦労するんです。
お客さまは話したいことをどれくらい話せただろうか?
次にどんな質問をさせていただこうか?
僕から何をお伝えしようか?
を色々思慮するだけで、どっと疲れてしまうことすらあるくらい。
最近では2時間の面談カウンセリングでさえ、そういう思いをすることがあります。

時々、最初にお話を伺った後で「このテーマでしたら、明日の朝までお話しを続けたいくらいです(^^)」と冗談めかして言うときがあるんですけど、これは案外本音だったりするんです。

だから、そういうときには考えても埒があかないので最近はより直感を使うようにしました。
その時、口をついて出てくる言葉に任せよう・・・そんな感じ。

*−−−*−−−*−−−*−−−*

言いたい事を言葉にして表現することも難しいですが、それを自分が意図した通りに相手の方に伝えるのはもっと難しいかもしれません。
カウンセリングの中では“悪気”として捉えられることは、さすがにほとんどないのですが、言葉のあやで誤解を与えてしまうことも時々あります。
僕は時に話を茶化したり、ちょっと大袈裟に表現したりすることがあるので、そういうときは自分の意図したことと違うように取られてしまう可能性がありますよね。

それを後からメールなり、次回のカウンセリングの時などに伝えていただければ、フォローのしようもあるのですが、そこで気分を害されたとすると、もう二度とお話することが無い場合もありますものね。
だから、すごく怖いなあ・・・と思うのと同時に、この悪い癖を何とかしなきゃな・・・といつも思います。

僕のカウンセリング後の一人反省会で一番多いのが実はこの手のことなんですよね。
「きついこと言っちゃってないかなあ?気分害してないかなあ?ツッコミすぎていないかなあ?しゃべりすぎていないかなあ?」という風に。

そういえば、昔から(特に女の子に)「根本君って、時々、ドキッとするようなこと、平気な顔して言うよね」とか言われることがあって、そのたびにこの怖さを痛感したものです。
相手の痛いポイントを付いて傷つけてしまったり、言わんでもいいことを言ってしまったりするんでしょうね。
本当に申し訳ないなあ・・・と思うと同時に、すごい自己嫌悪に襲われていました。
自分でもその時は気付かずにやってることが多かったですから・・・。
(最近はそれでもだいぶマシになってきたと思ってはいますが・・・)

だから、こうして文章にするときには何度も推敲を重ねるんですね。
「これを読んだ人はどう感じるだろう?」って何度も考えて、書き直すようにしています。

でも、声に出して伝える場合には、そうもいきませんよね。
カウンセラーというのは特に言葉を使う商売だから、なおさら、重みがあるんですよね。

*−−−*−−−*−−−*−−−*

さっき「言いたい事の7,8割は表現できてると思う」って書いたんですけど、昔からそうだったわけではありません。
あんまり信じてもらえないんですけど、僕って元々はすごく口下手な方じゃないかと思うんです。

昔は言いたい事の2,3割どころか、1割、いや、5%も表現できてないように感じてました。
時には、言いたいことどころか、言いたくないことばっかり言ってしまって、マイナスやん・・・と思うことも。

そうは思っていても、きちんと伝えたいことを伝えなきゃいけない場合、表現しなきゃいけない場合ってありますよね。

だから、とにかく文章にすることにしてましたね。
言いたい事を一度、実際に文章にして書いてみる、それを読み返してみる、書き直す、そんな作業の繰り返しでした。

僕が大学院に入る頃はちょうどインターネットが流行り出した頃で「Eメール」を学生達が頻繁に使い始めた頃でした。
僕にとってはこのメールというのが本当にいい表現の練習になりました。
友人と長い長いメールを交換したり、ネットで知り合った女の子と色んな話をしたり。

普通、文章といえば文語体で、どっちかというと堅いものが多いですよね。
でも、メールというのは手紙よりももっと気軽で、口語体が普通ですよね。
それまで話し言葉にコンプレックスを持ってた僕は、メールでそれを練習することにしたんですね・・・。
もちろん、意図的に練習しよう!って思ったわけではないんですが、少なくともメールという存在が出てきたことは僕にとってはチャンスだったんです。

レポートやプログラムを書かなきゃいけない事情もあって、ブラインドタッチは問題なかったですから、なおさら幸いでした。

そこで、言いたい事を何度も見直して、書き直して、送信する、そんなことを何度も繰り返してきました。

特に気持ちを表現するときは困りました・・・。
何度書き直してみても「これはちょっと違うなあ・・・」と思ったり、この気持ちはなんて言葉で表されるんだろう?ってすごく悩むことばかりでした。
今でも時々やりますが、辞書を引きながらメールを書いたことも何度もありますね。
調べる言葉はほとんど形容詞、副詞の類だったと思います。

こういうカウンセリングや心理学についても、その頃からネットを通じて色んな場で関わってきたんで、カウンセラーになった頃は電話よりもメールの方がずっと得意だったんですよね。

だから、僕がボランティアカウンセラーになった頃はお話を伺って、一度、頭の中で「メールだったらどう返事するかなあ?」なんて考えてからお話してたりしました。
元々電話が苦手・・・というのもありましたけど、僕にとってはそれくらいメールの方が話しやすかったんですよね。

でも、そのうちメールの持つ難しさにも気付いてきたんです。
何の気なしに「それって○○って意味ですか?」みたいなことを書いたんですね。
そしたら、相手から「どうしてそういうことで怒るんですか?」なんて返ってきて。

え?なんで?
一瞬、頭の中がパニックになりました。

僕の書き方が怒ってるように相手に伝わっちゃったんですよね。
実際はむしろ優しく質問するようなつもりで書いたんですけど。
「それって○○って意味なのかなあ?」とか「○○って意味なんでしょうか?」って書いてれば、そんな誤解を与えることもなかったと思いますが、当時の僕には分からなかったんです。

それがまた学びになりました。
メールでは柔らかい表現が大事なんだな・・・と。

今でも毎日日記のようにミニコラムを書いていますし、講座やコラム、はたまた、カウンセリングの紹介など、カウンセリングサービスのホームページには僕の書いた文章があちこちに掲載されてるんですけど、そこで一番こだわってるのが「柔らかい表現」という奴なんですよね。

それでも誤解を与えることはあろうかと思いますが、できるだけ読みやすく、分かりやすく、柔らかく表現するように心がけてます。
もうそれが今では癖のようになってますから、そんなにしんどいことじゃないんですけど、最初の頃は本当に苦労しましたね。
ホームページを作るとき、うちの先生から口を酸っぱくして「これを読んだ人がどう感じるのか?それを徹底的に考えろ」と言われてましたから、そこでもまた色んなことを学びました。

幸い、僕の文章を優しい、柔らかい、分かりやすいとおっしゃってくださる方も多くて、すごく嬉しい気持ちになるんですよ。
自分の狙いが伝わってるんだなあ・・・と感じて。

そして、それが話し言葉にも反映されるんですよね。
時に僕の言葉や文章はくどかったり、何度も同じことを話してたりすると思うんですけど、それは出来るだけ分かりやすく、誤解を与えないように伝えたい、と思うからなのかもしれません。

まあ、でも、それでもくどすぎるような場合は教えて下さいね。
それもまた学びになると思いますから。

そうして、口語体の文章ベースで“言葉”を使うことが多かったので、カウンセリングや講座の中で言葉を使うときにも、伝わりやすいような言葉を選ぶことや、気持ちを表現することはだいぶ平気になったと思います。
それで7,8割なんて自己評価ができるんでしょうね。

僕がコミュニケーションをテーマに講座やコラムなどをよく書くのも、僕がそこに苦労して、自分なりにノウハウを積み重ねてきたからなんです。
でも、元々はとてもコンプレックスを感じていたジャンルです。

まあ、それでも誤解を与えたりすることがあるわけですから、言葉って本当に難しいものなんだな、と思いますし、まだまだ学ぶことがあるんだなあ・・・と素直に謙虚になれるのもまた不思議な気持ちがします。

根本裕幸

投稿者 csadmin : 12:19

2004年6月11日

◇時が経って

最近、随分ご無沙汰していた友人と会う機会が多くなりました。
会社を辞めて以来会っていない友人になると、8年位経ってるんですよね。
改めて振り返るとすごい年月です。

それぞれいろんな人生を歩んでいるし、私自身も、心理学に出会って自分を見つ
めるようになってから随分物の見方が変わったので、会う前は、ちょっぴりドキ
ドキしてしまいます。
元々人見知りが激しい方なので、余計にかもしれません。

でも、実際会ってみると、お互いに「変わってないね〜。」から始まるんですよ
ね。一目みて「変わってないね。」も少し哀しい気もしますが…。
話していても、すぐに昔の時に戻ってしまうから、時間の感覚て不思議です。
本当に8年も経ったとは思えない位。

でも、一つだけ嬉しい違いがあることに気づきました。
それは、私自身の相手に対する感じ方が随分と変わったこと。

昔は、私も人付き合いが苦手で、表面的には今目の前にいる友人と上手くやって
いても、なんだか自分だけがみんなとは違う存在のように感じていることが多かっ
たんです。いつも、他人と自分を見比べて、自分を卑下したり嫉妬したり。
だから、同じ共通項のある仕事に関することは話せても、なかなかプライベート
なことや内面的なことは話せないことが多かったんですね。
そうやって勝手に壁をつくって、一人でどんどんしんどくなって。

でも、時が経って、ある程度周りに流されずに自分をみつめられるようになった
今じっくり話してみると、相手も苦しんでいたり、同じようなことで悩んでいた
り、そんな当たり前のことに気づけるようになったんです。
上手くやっているように見えても、それぞれにいろんな思いを抱えている。
なんだ、みんな一緒だったんだ、て。

自分のことに精一杯で自分と他人を比べている時は、周りの人がすごく立派に見
えて、自分が特別にひどいように感じていたけれど。でも、本当はそうすること
によって、相手のこともしっかりみていなかったんですよね。

もちろん、今でもそれぞれの悩みは違うし、これから歩んでいくだろう人生を考
えても、これ以上の縁にはならないかもしれないなぁと思う人もいます。
でも、それでも、みんな同じ土台の上で生きている、そう感じられるだけで、な
んだか心強くなった気がします。
私は私なりに頑張っていこう、そう思えるようになりました。

今不可能なことも、時を経て、またこんな出会いができるといいですね。
楽しみです。

塩田純子

投稿者 csadmin : 01:27

2004年6月 3日

◇影響力と健康ブーム

良いことか悪いことかは置いといて(考え方によっては間違いなく良いこと
だとは思うんですが)僕はすっごく人の影響を受けやすいんですね。

友人であり、仕事仲間の根本とつい2ヶ月ほど前に、東京出張で一緒になっ
たことがあったんですね。
(詳しくは僕のミニコラムをみて下さい)

その時に根本がサプリメントやミネラルウォータに凝ってる話をしてくれ
ました。
彼的に健康ブームがあったようです。
あげくのはてには、「シジミの味噌汁が肝臓にいいからハラッチもお酒好き
だから飲んだほうがいいよ」って体調の心配までしてくれる始末。
なんていい奴なんだ(;_;)

そんな根本に影響されたのか僕も健康ブームの波に乗ったようで、
今まであまり飲まと思わなかった味噌汁を意識的に飲むようになったり、
サプリメントを買ってきたり(あまり飲んでないんですけどね・・・)
ダイエットを始めたし、禁酒も行ったりと・・・・

すっかり影響されてますよねー。
でも、これって良い影響をうけてますね。(^^)

人には影響力がありますんで、僕ほど影響を受けないとしても、
人の影響力を多かれ少なかれ誰もが受けてるんですよね。

僕たちが日本語を覚えたのは日本語学校に行ったわけではなく、勝手に親の
話しているのを見て覚えました。

でも覚えたのは日本語だけではなく立ちい、振る舞い、癖、迄も親を見て覚え
てきました。
親の影響をうけてるわけですね。


この人の影響力を僕たちは受けるということを上手く利用することで、
私たちはなりたい自分に楽になっていくこともできるんですね。

この人みたいにこんな風になりたいという人を見つけて、その人と友達になっ
て遊ぶんです。
そうすると近くでその人といる度合いだけ、そのなりたい人の影響力を受けて
なりたい自分に近づいていけるんですね。

なりたい自分になる為に那智の滝に打たれて修行する訳でもなく、
飛騨の山奥にこもって修行する訳でもなく、こんな風になりたいという人と
友達になって遊ぶだけって楽だと思いません?

この方法の重要なポイントは、そんな人達と友達になりたいと思うことが、
一番重要なことかもしれませんね。

これを書きながら、僕に良い影響力を与えてくれる素敵な友達が多いなーと思い
ました。
そんな友達にありがとうです。(*^_^*)

原 裕輝

投稿者 csadmin : 11:58