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2004年5月31日

●『ごめんなさい』の多い私

最近、先輩であるカウンセラーの方に、
「自分で思う、日本人の良いところと悪いところって何だと思う?」
ということを聞かれ、そして私はこう答えました。

「良いと思うところは、性格が丸いところかな? 日の丸って、日本人の
柔らかい、優しい、穏やかさ・・・みたいなものを表してるように思います。」
「悪いところは・・・。『ごめんなさい』が多いところかな? 日本人って、
ありがとうって感謝を伝えることより、すぐ先に誤っちゃいますよねぇ。」

だけどこれは「日本人」というものを通して、私たちが自分をどう見ているか
という、心理学でよくいう「投影」だったんですよね。

結果、「小川は、丸い穏やかな人柄だが、『ごめんなさい』の気持ちが多い
人間でもあります。」
ってことになるんです。

実は、この『ごめんなさい』
私の長年のテーマでもある「罪悪感」なんですよね。
人は誰しも多少はあると思います。

「私が悪いんです。」「・・・と考えることは、私が悪いんですけど。」
というお話は、カウンセリングの現場でもよくお聞きします。

私は昔、極端にこれがすごかったんです。

私は長年のいじめ体験がありますので、常に
『ここにいてごめんなさい』
『生きててごめんなさい』
『迷惑かけてごめんなさい』
『気持ちわるがらせてごめんなさい』
『不快にさせてごめんなさい』
と考えてました。だからこの質問には正直ドキッとさせられましたね。

普段自分が『ごめんなさい』を背負っていることを意識してはいません。
それに、今ではこの気持ちも随分楽になりましたし、
相手に対する怒りはほとんどありません。
だけど、人の経験は消えませんから思い出したり、いきなり顔を出したりしちゃ
います。

今は
『幸せになってごめんなさい』
『楽しくなってごめんなさい』
『良いお嫁さんでなくてごめんなさい』
『頼ってばかりでごめんなさい』
が時々出てきたりします。
人は『ごめんなさい』と仲良くなりすぎてしまうと、自分をたくさん攻撃してし
まいます。
「私って最低!」
「なんでいつもこうしてしまうの!?」
自分のことをちっぽけに扱ったり、こころの中で罵ってしまったり。

それが強くなって、自分を責めるのが余りにも痛すぎてしまうと、その気持ちは
社会に向けられます。
「きっとお前もそう思ってる。」「そう思ってるに違いないわ。」
周りは私を非難しているわけでは決してないのにね。

カウンセリングをしている私も、一人の人間なので、当然分かっていてもこうい
った感情に振り回されることがよくあります。
分かっているからこそ、振り回される自分に頭に来ることもよくあるんです。
とてもとてもとても悔しいとも思ってしまうんですけどね。

そしてこれを抜けるのは「許すことと感謝すること」。
このHP上の心理学講座でも何度か書いていますよね。

だけど私は自分が罪悪感ストーリーをすぐ作ってしまうことが非常に得意です。
「ああ、私がこうしなきゃよかったんだ。相手はこんなふうに思ってるかもしれない。
そうすると、私にも責任があって・・・。」
と考えはとりとめなくなってきます。すると旦那様が、
「のりちゃん、ダークストーリー(暗い話)になってきてるよ。」
と鋭いつっこみを入れてくれるのですが・・・。

『ごめんなさい』が出てくるとき、そこにはきっと「その人のおかげで得た何か」が
あるはずだと考えるようにしています。
悪かったという思いは、相手に対して「こうしておけばよかった・・・」という気持ち
が出てきますから、次に『ごめんなさい』にならないように考えるきっかけを、相手の
方が教えてくれたとも取れると思います。

そしてもし、私に「誰かを許すこと」が必要だとしたら、
もし、誰かまだ許していなくて、感謝することをしていないのだとすると、私の場合
は「ちゃんと出来ていない私」に対してかもしれません。

私は自分で自分が「罪悪感ストーリー」をすぐ作る人間だということを分かってい
ます。人に対して、『ごめんなさい』という感情がよく出てくることも分かってい
ます。多分これからもこの感情とはずっとお付き合いすることだと思います。
だけど私の中に、この『ごめんなさい』がある限り、意識して
「許すことと感謝すること」とも手をつないで生きていきたいと思っています。

『ごめんなさい』
そう感じることが、もしあなたに出てきてしまったら、同時に
「許すことと感謝すること」とも仲良くしてみませんか?
出来るかどうかよりも、とりあえず仲良くなってみようと思うことで、自分を責めて
苦しむことは少なくなると思いますよ。

今の私は「許すことと感謝すること」
というものが、人に与えられた幸せの法則だと思って仲良く手をつないでいます。

小川典子

投稿者 csadmin : 12:46

2004年5月29日

◇水が合う

その土地土地で「ここは落ち着くなあ」「ここは忙しないなあ」などと
感じることってありませんか?
周りの喧騒や静寂さとは無関係に「ここ好き!」「ここは嫌な感じ」と
そんな感覚を持つようなこと。

それは場所だけでなく、人も同じですよね。
いわゆる“第一印象”。
昔、こんな話を聞いたことがあります。
「人の印象は後々になっても第一印象が80%の割合を占める」
「最初が肝心」なんて言葉もありますよね。

ほとんど情報がなくても、僕たちは人に会ったとき、あるいは、
どこかの場所にでかけたとき、何らかの感覚を得るものです。

「初めて会ったときから友達になれそうな気がした」
「この人とはきっと長い付き合いになるだろうと思った」
そんな風に。

僕もそんな自分が「好きだなあ」と思える場所をいつも探しています。
もちろん、自宅の近くにも、大阪や東京のカウンセリングルームの近くにも、
出張先の名古屋にも、多かれ、少なかれ、そんな場所を見つけています。

それはカフェだったり、公園だったり、ちょっとした小道だったり、
ホテルのロビーだったり。

あ、そういえば、ホテルのロビーやカフェなどでも、自分が好きな場所が
あるものですね。
このカフェは窓際のこの席が好き。
この公園では、あそこのベンチが一番。

そして、そういう場所に出かけると、否応なく癒されてしまうことだって
少なくないものです。
だから、少しでもそんな「マイ・エネルギースポット」というのが見つかると
嬉しいし、ちょっとした宝物を得たような気がします。

原や中原などの東京出張族と話をしていると、よく
「ねむねむは色々出歩いているんやなあ。行動的なんや。」
なんて言われます。

そうは言ってもけっこう閉じこもってることも多いと思うんですけど、
外出するときは、そのお気に入りの場所に出かけているか、あるいは、
新しい場所を発掘していることが多いのかもしれません。

この前の東京出張の際も品川から泉岳寺までまだ歩いたこと無い道を
歩いてみました。
高輪の辺りは明治や大正の頃のものじゃないか?なんて思われる洋館が
違和感なく立っていたり、京都を思い出させる三重塔を構えた立派な
お寺があったり、変わったカフェやレストランがあったり、
散策には事欠かない面白さがあります。

特に何も見つからなくても、その街に少しずつ自分が馴染んでいくような
感覚もありますし、そうしてブラブラと歩いてみるのは面白いですね。

ただ・・・、僕はこの体型にして、早歩きなんですよね。
たったったっと歩いていきます。
よく妻にも「もっとゆっくり歩いてよ」といわれることも多く、
そもそもが落ち着きのない性格なので仕方がないのですが。

だから、のんびりと散策なんてのは案外してなくて、情報収集よろしく
「あ、こんなものが、あ、ここ面白そう」と歩いているのです。
で、気に入ったカフェに入ったとしても、長居はしません。
15分とか20分とかで、ふーっと息をついてさっさと出ます。
一方で誰かといるときは大抵そこで長時間話し込むんですけどね。

でも、どちらにしても僕にとってはとても解放的な気分なのです。

自宅や車の中以外にそういう自分にとっての居心地のいい場所、
好きな場所があるといいですね。

根本 裕幸

投稿者 csadmin : 01:29

2004年5月24日

●プロポーズされちゃいました

はじめまして。
きのかずよです。
自己紹介も無く、いきなりですが、長文です、しかも駄文です。
お付き合いくださいませ。

実は、私、この火曜日に、プロポーズされちゃいました(*^−^*)

え?誰に?
駅で乗り継ぎを聞いてきた、陽気なインド人に・・・(++)

普通電車がホームに入ってきたときに、私の横で、電車を指しながら
「舞子(←駅名ですよ)?コレ舞子?」
と言う、外人さん。
私は、
「うん。舞子、止まるよ〜」
と、素晴らしい笑顔で言っちゃったものだから、
電車に乗ってからも、
彼は私の横に来て、話し掛けてきた。

「アナタ、ドコ降リル?」
まぁ、私もノリがいいなと思うのですが、経路図を指しながら、
「舞子ここ。わたしは、ここで降りる。手前ね」
「ココ?ウ〜ザンネン。ワタシ、日本ノ、オンナノヒト好キ。アナタ好キ」
「きゃはは。電車の中、日本の女の人いっぱいでパラダイスやん。日本来て何年?」
「5年。ウレシイ。デモ、サ、サミシイ。」
「日本語お上手ですよ。」
「ニホンゴムズカシイヨ。ボク、アナタ好キ。歳。歳。」
「きゃはは。ん?歳?私?28」
「ッケッコンシテル?ケッコン?」
「してない」
「ドウシテ?」

「ドウシテ?」と聞かれても、
「何でなん?」と、私のほうが、人に聞きたいくらいであってやね〜。
笑ってごまかしていたら、

「ボクとケッコン。シヨ。」
「ん?きゃはは。・・・いや」

きのかずよ28歳。
生まれて始めてされたプロポーズが、会って5分とも経たない陽気なインド人。
いやいや、プロポーズどころか、初めてされたナンパがこれだ。
喜ばしいこと?ん〜少し複雑(**)

「ケッコンダメ?電話オシエテ」
「いや」
「ドウシテ?アナタ、タノシイ。ボク、スキ」
「私も楽しい〜〜〜。でも電話いや。
あ、明日のこの電車で会えたら、教えてあげる。」
「ア、明日仕事。火曜ダケヤスミ」
「残念やね」

なんて会話をしながら、あっという間に私の降りる駅に着いてしまい、

「ありがとう。楽しかったわぁ。」
「オリルノ?」
「ばいばい〜」と、手を振ったら、
いっぱい投げキッスをしてくれ、ハグを求められ・・・
いつもの癖で(?)、応えようとしたけれど、
ここは電車の中だと思い直し、握手して別れた。

しかし、周りの人はどう見ていただろう?
私、よく笑ってたしなぁ。
途中、少し恥ずかしくなったのだけど、喋っているのが楽しかったんで、
そのうち周りが気にならなくなってた(^^;

駅から家に帰る途中、面白かったなぁと思いながら、ふと
「ん?私、28の誕生日、この1年の目標に、『プロポーズされる☆』と、決めたなぁ・・・
え?これって早くも、目標達成?」

「それでいいのか?きのかずよ」
自分に問い掛けてみた。
・・・
答えが出なかった(><)

友達にメールで聞いてみた。
「おめでとう!」
「きのちゃんの笑顔は、国境を超えた!」
「なんで、受けとけへんの。」
「国際結婚流行やん」
「きのちゃん、インド似合うし」
言いたい事を言う、友人達だ。。。

しかし、先輩の一人から、
「目標を達成する力があるって事だから、
次は『大好きな彼にプロポーズされる』って言うのを目標にすればいいねん」
と言う、お返事が。
これは、私のハートに響きました。
と言うことで、あと半年弱、私の目標は、
『大好きな彼にプロポーズされる』
に決まりました。

けど、今、
「あの時、結婚いいよ〜。OKって、言ってたら、どうなってただろう?」
と、ふと思ってしまいました(^^;
まぁ、笑って同じように別れてたのだろうけどね。
あの陽気な彼は、誰かれとも同じように、あんな感じで、いっぱいの人にプロポー
ズをしていたとしても、私にとっては、初めてされたプロポーズ。
多分、一生の思い出☆★☆になるのでしょう。

さて、インド人と言えばもう一つエピソードがありまして。
縁があるのか無いのか、分かりませんが、
次回、書いてみようと思うので、楽しみにお待ちくださいませ(^-^)

きのかずよ

投稿者 csadmin : 12:07

2004年5月22日

◇自分の中の「善」を信じて・・・

周りには敵しかいないと思っていた時代がありました。
家族は私を傷つける。大人は私を傷つける。社会は私を傷つける。
傷つけられたくないから、自分を守るために人をいっぱい傷つけて、
傷つけた人たちに復讐するかのようにして、生きていた、
そんな時代が私にはありました。
自分を何度も痛めつけ、どこに行っても問題児。どこに行っても嫌われ者。
そんな醜い私を自分自身が一番嫌って憎んでいた毎日でした。

だけど私は今楽に生きています。悩みは相変わらず沢山ありますが、その悩み
とも仲良くしながら、元気に生活しています。

カウンセラーという職業をするにあたって、私のプロフィールを読んでいただいた
方によく聞かれます。
「どうやって変わったんですか?」
私はそれに対して上手な言い方がなかなか出来ませんでした。

だけど今、間違いなく言えるのは、私の「悪」ではなく、「善」の部分を見続けて
くれた人たちがいたからだと思います。

「悪」と書きましたが、人には「悪いところ」なんて私はないと思っています。
「悪いところ」ではなく、時として、「悪く働いてしまうところ」だと私はとらえ
ています。全ての人に「悪(悪く働いてしまうところ)」と「善」は多かれ少なか
れ存在するのも事実だと思ってもいますが、「悪」である部分が強く働かなくては
生きていけない状況だってあると思うんですね。

私が昔自分を守るために人を傷つけるようなことをしていたことも、この部分が強
く表に出ていたんだと思います。その頃の私に「善」があるなんて考えられません
でしたけど…。
「私は悪い人間です。今に大きな罰が下される」そんなふうにしか自分を扱ってい
ませんでした。
カウンセリングで、沢山の方とお話する中で、私が昔感じてたようなことを話して
下さる方が大勢います。
「私は悪い人間だから。」
「私は迷惑な人間だから。」
だけど私はそういう方たちの「善」の部分を見続けたいと思っています。
全ての人が持っている「善」の部分。本人には感じとることが出来る状態ではない
ならば、私が一人一人が持っている沢山の「善」の部分を見つけたい。
そしてそれを伝えて行きたい。例えその人が自分の「善」を信じられなくても、言
い続けて行きたいんです。かつて私の「善」を見つづけていてくれた人たちのよう
に。もし皆さんが誰かに誉められたり、良いところを伝えられたときには、その人
の言葉を信じてくださいね。
その人が見てくれた自分の「善」の部分を信じて欲しいんです。
「そんなこと言ったってお世辞かもしれないじゃん。」
「騙されたりしないわ。」
「自分に良いところがあるって言われても自分ではそう思えない。」
そんな抵抗も出てきてしまうかもしれません。
けれども抵抗を感じつつも「信じたい」とも思って欲しいんです。

それでも抵抗したくなるならば、ぜひとも言っていただきたいと思います。
「私にそんなとこあるなんて、信じられへんわ!」
ならば、私はこう答えたいです。
「じゃあ、あなたが信じられるように、ずっと伝え続けさせてくださいね。」
と。
全国の自分の「善」を感じられない方。
私たちカウンセラーが、お待ちしております♪

小川のりこ

投稿者 csadmin : 02:17

2004年5月17日

●世界の中心

最近、よく感動して泣きます。

音楽を聴いても、ドキュメントを見ても、アニメを見ても、映画を見てもすぐ泣きま
す。

本でもよく泣きます。

よく妻が私に言います。

「このテレビ、あなたが見たら絶対泣くで。」

そして実際、見たら泣きます。

最近、泣いたのがアニメの「攻殻機動隊 スタンドアローンコンプレックス」と一青
窈の「ハナミズキ」,、平井堅の「瞳をとじて」です。
アンビリーバボーでも泣きます。
ガンダムSEEDも泣きましたよ。
中島美嘉のエンディングがかかると、もううるうるしちゃって、妻にそのことを話し
ながらまたうるうるしてます。
今は曲を聴いただけでもうるうるします。

時々、電話のカウンセリングで知り合いの話をしているときに、うるうるすることも
あります。

特に何か理由があるわけではありません。

ただ、気がついたら自然と涙が出てきます。
運転中にMDからこの音楽が流れてくると、運転中にもかかわらず涙があふれてきて、
泣きながら運転してます。
危ないですけどね。

でも、泣いた後すごく気分がすっきりするんですよ。
これって不思議ですよね。

初めてそうなったときは、「何で泣いてるんだろう、俺」とすごく不思議な感覚にな
りました。
でも、気分がいいのでそのまま今に至っています。

5月8日公開の「世界の中心で愛をさけぶ」も、見たら確実に泣きます。
もちろん、見に行く予定です。

昔、失恋直後に「ゴースト〜ニューヨークの幻〜」を一人で見に行ったときは映画を
見て感動して泣きましたが、その後映画館の中がカップルだらけでアツアツだったの
を見て、別の意味で泣きそうになりました。(笑)

私は昔、いじめられっこで泣き虫でした。
毎日のようにいじめられ、毎日のように泣いていました。

でも、今流す涙はそのころの涙とはまったく違う涙ですね。

当時は「だめなやつだ」とか「情けない」とか「嫌われたくない」とか、そんな想い
がたくさんありましたから、いつも自分を責めて、認めてくれない誰かを責めて泣い
ていました。

でも今は、そんなことでは泣かなくなりましたね。
あまり自分を責めなくなったからかもしれません。
感動したときは、迷うことなく泣きます。

感動するって、いいですよね。

そこには、理屈も理由もいりませんから。

でも、感動の裏には多くの苦労や苦悩、痛みや悲しみが隠れていたりしますよね。

映画の「世界の中心で愛をさけぶ」も、好きな人をなくした痛みと向き合いながら、
未来へ歩んでいこうとする。

主人公の心の痛みは、映画を見た人の心を揺さぶり、そして忘れていた何か、あきら
めていた何かに気づかせてくれる。

私はそんな感じがしています。

この映画の話をしているとき、妻に聞いてみたことがあります。

「世界の中心って、どこなんだろうね?」

すると妻が、迷うことなく答えました。

「自分がいるこの場所が、世界の中心でしょ。」

その一言に、私はすごく納得しました。

相変わらず妻は的確な答えを私に与えてくれます。

世界の中心がどこかにあるのではなく、自分が今いるここが「世界の中心」なんだ。

昔の私にとっての世界の中心は「自分ではない誰か」でした。
だから、いっぱい誰かのせいにしていたのかもしれません。

でも、今の私にとっての世界の中心は「妻といるこの場所」です。
「妻といる自分」こそ、私にとっての世界の中心かもしれません。

皆さんも、「世界の中心」を「今、ここにいる自分」を感じてみませんか?


中原 謙一

投稿者 csadmin : 12:00

2004年5月14日

◇新鮮な感動

先日、所用で千葉の館山に行ってきました。
僕は千葉に住んでいるのですが、同じ千葉といえども千葉最南端の館山は
とても遠いです。
車で行ったことはありましたが、かつて館山近辺で野ザルをひきかけた苦々しい
経験があるので、
今回は電車で行くことにしたんです。

久しぶりに房総の町並みを電車の窓越しに見ます。
とても気持ちよく晴れていたので、僕の目には生き生きとした千葉が
飛び込んできました。
町並みを見ていると、1つ1つの町の主張したいことがなんとなくわかるものです。

木更津辺りまでは、
「私たちの町はもっともっと繁栄する(アクアラインも通っちゃったし)!」
みたいなフロンティアスピリッツを感じるのですが、館山辺りになると、
「ここは田舎。なんか文句ある?」
とでも言いたげな、弛緩した雰囲気が漂います。
でも、それがまたいいのですけれどもね。

ここにもし住んでいたら、時の流れをゆっくりと感じることが出来るでしょう。
そこには安らぎと穏やかさが内在している優美さを味わえることと思います。


かなり久しぶりに海を見ました。
夕日が映し出された海は幻想的で美しかったです。
この時初めて、僕の携帯にカメラがついていないことを悔しく思いました。
まぁ、心のアルバムにしまっておいたぜ、とキザなセリフでこの虚しさを
埋めることとします(笑)

海を見ると、なぜか懐かしい気分になります。
これといった思い出はないのだけれど、そういうものなのかな?
自分の身近に、こんなにも新鮮な感動を与えてくれる場所があるのに、
何か最近、心が急いていたようなところがあったと思います。
一呼吸置いて冷静に周りを見てみると、豊かさというものは転がっている
みたいですね。
別にタヒチやグアムに行かなくても、僕は良いみたいです。
安上がりな自分に感謝。

皆さんも、身近な感動を探してみませんか?

高橋 大

投稿者 csadmin : 12:32

2004年5月10日

●心に響くやさしさ

私は音楽が好きでコンサートやライブによく足を運びます
音楽が好きと言うよりも
ライブが好きなのかもしれません

高校生の頃に行ったコンサートにがきっかけだったのですが
CDで何度も聴いていた曲が
こんな風に演奏されているのか!!
すごいギャップでした

そのコンサートに行っていなければ
こんなにもその曲が皆に愛されていることを
知らずにいたままだったでしょうね
こんなことなら、この曲をもっと聴きこんでおけば良かった
そう、感じたほどです(^^;

それ以来、数えられないほど足を運び
『生』で一度しかないステージを楽しんできました
同じツアーでも会場が違ったり、
お客さんが違ったり、
アーティストのコンディションが違ったりと
盛り上がりや雰囲気は異なったものになるんですよね

アーティストとお客さんが一体化したステージ。
その時感じるエネルギーと言うのは
言葉で表現できるものではないのですが
会場中の人の心が響きあっているそんな風に感じられて
生きている幸せと言うものを感じられますね(^^)


そんな私は、数年前に初めて野外コンサートに参加する機会を得ました。
夏も終わりに近かったのですが
小雨が降っている、天候の悪い河口湖と言うこともあり、
気温は一桁でした・・・・(;;)

その気温に反して
都心の会場とは異なり、車の誘導から会場整備までが
町の人でまかなわれているようで
会場が温かい雰囲気に包まれていたんですよね

寒さに震えながらも、ステージが進み
会場中の人が寒さに絶えるという共通の思いを抱え、
一体感が生じていました。

会場に居るスタッフの温かさと
心揺さぶる演奏とハートフルなMCなどに支えられ、
心は温かさに包まれていました。

コンサートの終わりというのはいつも
『最高に楽しい』という思いと共に
『終わってしまう寂しさ』もあります・・・

そんな気持ちの中、アンコールで数曲のア・カペラが歌われ
もう、これで終わってしまうんだな・・・
この野外ライブを楽しんでいる全ての人がそう思ったとき
背後から花火が上がったんです。

3階にいた私達の目線の高さで上がっているんです
花火を目線の高さで見るのはもちろん
生まれて初めてです。

その花火の鮮やかな美しさ。それと共に
その演出を用意してくれていたアーティストの気持ち
そして、何よりこの寒さの中
最後まで花火の準備をしてくれていたスタッフの方の気持ち
それが温かく、嬉しく感じました。

きっと花火の一つ一つをあげるときに
私達に楽しんでもらいたい。
そう思いながら心をこめて
打ち上げてくれているように感じ、
「花火の響き」や「花火の輝き」全てが
きらめきながら、やさしく心に響いてきました。

一緒に参加した友人以外は見ず知らずの人ばかり。
恐らく回りの人達も同じでしょう。。。
でも、そのホール中の人達全ての中に
まるで音楽が響くように
『やさしさの波』が響き渡っていたのではないかと
私はそう思います。

渡辺 晴美

投稿者 csadmin : 12:00

2004年5月 3日

●一人より二人 〜 Four eyes can see more than two . 〜

  一人でいる時間、どう過ごしていますか?音楽を聴いたり本を読んだり、ゲームやネットに夢中だったり、ぼーっと寝てたり、テレビを見てたり…といろいろ過ごし方はあると思うのですが、あなたはどんな「ひとりじょうず」でしょうか。

 私は実は今まで一人暮らしの経験がなくって、必ず誰かと一緒に生活をしているんですね。だから大人になった(なりすぎた?)今も一人暮らしにちょっと憧れているんですよ。孤独好き、ということはまあ、ないでしょうね。でも、一人になりたいっっっ!!と思うことは多々あります。そういえば最近息子たちも「早く家を出るねん」「一人暮らしをしたい」と言ってます。そして、そうなる日もそう遠くないかもしれません。

 彼らが一人暮らしをしたいのはきっとこんな感じでしょう。
「好きなものを毎日食べられる」「好きなだけ夜更かしできる」「色々煩く言われずに済む」「邪魔されたくない」…まあ、お互い様、というところで親には親の言い分もあるのだけど。

 一人暮らしの経験が無いせいか、私は一人で食事をするのがとても苦手なんです。家にいるときには、その辺の手近なもので済ますことばかり。時間も不規則で、本当に適当です。お料理は苦にならないのだけど(片付けは苦になる…)、自分だけだと意欲的にはなれません。かといって外食はどうか、と言うとこれがまた苦手で、一人で外食をした、なんていうのは今まで本当に数えられると思います。それも出張などでやむを得ない時くらい。それさえもコンビニ食品を買って部屋で食べる、というくらい。食べることに関心がないわけでもないのです。友達と食事をするときにはどれもおいしそうに見えて言われるのです、「二人で何人分注文してるねん」って。たくさん食べたいわけじゃないんです。一緒に食べるのがただ楽しい、そんな感じかもしれません。

 ワークショップの打ち上げには、大勢で居酒屋で盛り上がります。私は大阪での時はたいてい車で往復しているのでお酒は飲みませんが、盛り上がり方はそう変わらない…かも。大勢でいろんなものを少しずつ食べるのが、今はとても楽しく感じます。

 家では、というと、頭数は三人なのになぜか料理は五人前くらい。もちろん息子たちがほとんど食べるのですが、場合によっては(私の帰宅が遅いときなど)作り置いている五人前が空っぽになっていることも。育ち盛りなので、ありがたいことなんですけどね(^^)。

 そんなわけで、一人でいると感じる時間が殆ど無いことを最近思っていました。車の中とか、お風呂とかお手洗いとか、本当にそんな感じです。中でも車の中、って言うのが一番心地よい場所かもしれません。私の車の中では殆どずっと音楽をかけっぱなし。カーオーディオに凝っているわけではないんですが、ソースがCD、MD、カセットのどれでも使えるものを車を買うときに探してもらったんです。結局、ほとんどMDばかりを聴いていますが、最近、不調で、接触が悪いらしく表示が全くでないにもかかわらず音はちゃんとなり続けているという、「頑張り屋さん」のデッキが愛しくて、、、。音楽をかけながら遠回りをして帰ることも、けっこうあります。

 車に乗るのが好きなのは息子たちも同じ。私の予定があいているときには三人が揃う時間に(たいていは真っ暗ですけど)車を出して、行き先は決めずにドライブをします。決まって助手席には長男、次男は後部座席にでれーんとするのが好きなようです。いろんな話をします。学校や友達の話、観たいあるいは観にいった映画の話、日ごろ思っていることやテレビの話。一緒にいる時間が少ないので車に乗っている時間は確実に私といることができるから、会話がはずむのかも知れないな、と思ってはいるのです。ミドルティーンの二人は、日常の生活を見ていると母親なんていなくても大丈夫やないかな?と思ったりするのです。でも、こんな時間が大好き、と言うのは隠しません。面と向かっていうときっと怒るのでここで言っておこう。「あんたたち、かわいいわよ(^^)v」

 話を戻しますが、こうして考えると私が一人暮らしをしなかったことで手に入らなかったものと、いつも誰かといることで気づかないけど手にしてきたことって両方あるんだな、と思いました、まあ、当たり前のことだし反対のシチュエーションでもそうなんですが。

 子供たちと話すことで本当にたくさんのインスピレーションや優しさや、目には見えない豊かさたくさんを受け取っているな、と思います。私が親と一緒に暮らしていた時代も、親にとってそうだったんだろうか?とごくまれにですが(笑)思います。自分としてはあんまり親の役に立っていた感覚がないのですが、息子たちがどうかというと、もしかしたら同じ年頃の私の方が物理的には少しは「役に立ってたかな?」って思います、息子には言えないけど。でも、息子たちの存在が私にこんなゆとりをもたらしてくれているですよね。

 まったく違った視点を持っていることをあたりまえに受け入れられる気がします。これがもし、パートナーだったらどうなんだろう。ある意味目の高さが同じことをお互いに当然と思い、相手に要求する関係性です。離婚の理由のもっとも多くを占めるという「性格の不一致」は考えてみればまったく生まれも育ちも違う二人が夫婦として生きていくわけですからあたりえのはずです。それどころか、違いこそが魅力だった時代があったはずなんですよね(ちょっと遠い目をする私…)。でもなぜか言われる性格の不一致。

 自分自身の経験を元に考えてみると、私にはひとつの答えがあります。それは、「性格や趣味の不一致はなかった。でも、価値観・人生観・世界観が合わなかった。」ということ。これは、別離や離婚を肯定しているわけではありません。でもね、がんばっても、互いに努力しても本当にどうしようもないときはあるものなんです。ただ、これを逃げにして良いとは思わないんですね。離婚や、パートナーシップに関して私のカウンセリングを受けられた方は思い当たる節があるかもしれません、私はたいていこう言うんです。
 「どうせ終わるかもしれないんやったら、今やれることをしておこうよ。」と。

 これは体験的に思うことなんですね。たくさんの恐れを抱えて生きていると、ちょっとしたことで逃げてしまったり、隠れてしまったりします。でも、です。今までに行ったことのないエリアにしか答えがないことがあることが少なくありません。これは、この関係性が続くにしろ終わるにしろ、いつかは超えない限りエンドレスになる可能性があります。そして一度超えたボーダーラインは、次にはきっと楽に超えられる。これもまた、私の体験的から感じることです。

  今、この関係をどうしようかな…と思っておられるとしたら、一人の楽さを思っているのかもしれません。私にもその気持ちは本当によくわかります。でも、一人ではやっぱり超えられないラインがある、と感じることもまた少なくないのです。

 そんな時、思い浮かべる顔は?だんな様や奥様、彼氏や彼女、子供、親友…。

 二つの目より四つの目。二つの耳より四つの耳。二本より四本の手、そして足。一人より、やっぱり二人。

 誰かを本当に必要と感じてみるときなのかもしれません。誰かを当てにしてみてくださいね。


中村ともみ

投稿者 csadmin : 11:39