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2004年4月30日

◇伯母の贈り物

私の伯母は、誕生日やクリスマスには、
いつも、本をプレゼントしてくれていました。
・・・というよりも、
本以外のものをプレゼントされたことはないというほうが
わかりやすいかもしれませんね(^^;
そして、それが暗黙の了解のようにもなっていました。

彼女は体が弱かったために、義務教育しか出ていませんでしたが、
家の中には小さな図書館と言えるくらいにたくさんの本が並んでおり、
もちろん近所の書店の店員さんとはお馴染みさんでした。

幅広いジャンルを読んでいたために、いろんな知識を持っていたし、
なにより向上心がとても強い人でした。
そんな伯母のことが大好きだったので、
私自身も本をよく読むようになりました。

それは、伯母が選んだものであったり、
時には自分が読んでみたいものをリクエストしたりと、
毎年たくさんの本をもらっていたのですが、
そんな中で、今でも一番印象に残っているのが、
私が中学生のときのクリスマスにもらった一冊の本です。

それはミヒャエル・エンデの「モモ」という本で、映画化もされています。
この本をお持ちの方はご存知かもしれませんが、
主な対象としては・・・
“小学生向け”なんですよね(^^;

なんで・・・・?
なぜ今中学生の自分にこの本を贈ってくれるのだろうか・・・?
疑問が湧き上がってきました。

でも実際に読んでみると、彼の作品は奥が深く、
ただのファンタジーと言うよりも
どこか考えさせられるものがあるんですよね。

「モモ」についても同様で、
(この作品では「時間」がテーマになっているのですが)
自分の命と言う“限りある時間”をどう過ごしていくか、
そんなことを考えさせられました。

伯母は、“本”という世界を通じて、
人生で大切なものを贈ってくれていたんだなぁ・・・
と感じずにはいられませんでした。
・・・と言っても、このことに気付けたのは、
だいぶ後になってからでしたが(^^;

物を大切にするのと同様に、周りの人たちの心を大切にする、
そして自分の心も大切にする。
そんな思いやりの気持ちも一緒に贈ってくれたのではないのかな、
振り返ってみるとそんな思いの込められた贈り物だったように感じます。

伯母はもうだいぶ前に他界していますが、今までにもらった大切な贈り物たちは、
これからもずっと大切にしていきたいと思います
そして、私もそんなギフトを贈れる人になりたいな、と思います(^^)

by渡辺晴美

投稿者 csadmin : 11:26

2004年4月26日

●妹

私は3人姉妹の真ん中です。
4つ上の姉と2つ年下の妹がいます。
実家は阪神大震災で、家を失い、今小さなマンションで妹と母と二人暮しで
生活しています。母は最近身体のあちこちに痛みを訴え、歩けなくなってきました。
その妹に最近よく吼えられるんですよね。

妹は、甘えることを自分に許さない、超超自立型の女性です。
本を読むのが大好きで、ジャンルこだわらずいろんな本を読むものだから、
非常にたくさんの知識があり、それはわたくし足元にもおよびません。
頭の回転が速く、口喧嘩は100%私が負けます。
それでいて、インターネットにマンガを連載したり、認められて雑誌に掲載されたり、
家に入らないほどのでっかいキャンバスに絵を描き、あちこちで入選しまくっている
という多趣味で活動的な妹でもあります。

そんな妹は・・・・・。

強烈なストレス持ちです。
「会社辞めてやる!」が口癖です。
「お姉ちゃんもちゃんとお母さんの病気や私の苦労を考えてよ!!」のセリフが友達です。

彼女は私がカウンセラーという仕事をしていることを認めません。
だから私にほとんど相談事をしたりしないんです。
姉からはいろいろ相談されますが、妹は今までに一度も家族ももちろんですが、私にも相談事を
持ちかけることはありませんでした。

なぜなら。

妹は、私が自分自身を最低だと感じ、めちゃくちゃしていた時代をよく知っている
からです。恋愛依存で泣いてばかりで、男にすがりつき、わがままいっぱいで妹にきつくあたり、
母に対して知らん顔して、夜の商売に足をそめていた頃の私をよく知っているからです。
こんな私がカウンセラーをするようになったこと自体、私自身未だ持って
信じられないなぁと感じることもあり、たくさんの方のご相談をお聴きしているのにもかかわらず、
この仕事をしている自分がおこがましい気がしてならないときもあります。
私自身そうなのだから、妹にとっては受け入れられなくて当然だとも思います。

私は姉には自分の持っている汚い部分をさらけ出し大泣きしたことがありました。
だから姉は私を頼ってくれるようになったんです。
だけど妹には上手にコミュニケーション出来ません。
「あのお姉ちゃんが、人の悩みなんて上手に聞けるわけがない!」
そう思っているように感じるからです。それだけ私は妹のことも姉のことも
考えないで、ずっと勝手気ままに生きてきたんです。

母や姉が私の仕事に関心を持ち、いろいろ聞いてくる中で、妹だけは全く無視してる状態
なんですね。ふーんとも、そうなん? とも何も言いません。カウンセリングという
言葉ひとつも彼女の口からは出てきません。
2年程前、彼女が私にこう言ったことを覚えています。
「うつ病なんて、怖いやん! 私はこんなんになるほど弱くなんかならないわ!!」と。

最近妹からたくさんメールが来ます。
「家が、お母さんがどうなってるか知ってるの!? 分かってる? こんなに大変な状態なのを!」
「ご飯食べに連れて行くような、楽しいことばかりでかかわってくるけど、毎日毎日、
身体が悪くなる一方のお母さん見てるの私やねんで!!」
それらのメールを見るたびに悲しくなります。
母とはメールや電話で会話もまめにしますが、どれだけやっても妹には理解してもらえないのかと。

どうしたら妹に理解してもらえるのか。どうしたら分かってもらえるのか。。。
そんなとき私は「分かってよ!」「理解してよ!!」モード一色なんですよね。
怒りと悲しみが先に出て、妹を
「理解しよう」「分かろう」としていないんです。
”自分はやってるのに、努力してるのに”ということだけを伝えようとして、相手がメールする気持ちを
理解しようとしていないことに気づきます。

妹はなぜこんなに私に攻撃的になるのか・・・。
彼女は自分に持ってないものを私が持っていることに怒りを感じてるようです。
妹は未婚、彼がいません。仕事と趣味はたくさんあるけれど、パートナーがいないことをひどく
気にしています。だから幸せいっぱいにみえる私を見たくないところもあるようです。
私にだって、私なりの悩みや苦労や悲しみがたくさんありますが、彼女には
「何にも悩みなくてチャラチャラしてる」と見られるんですよね。

妹が今回またそんなメールを書いてきました。
私はあまり何度もなので思い切り泣いたあと、冷静に考えました。そしてこういうメールを出したんです。
「確かに毎日お母さんと二人だけで生活しているのだから、お母さんの病気や足の悪さの進行が
私よりもよく分かってて、それを見てるのはすごくつらいと思う。だから私の毎日ってちゃらちゃらして
見えて当然かもしれないね。だけど、お母さんが言わないだけで、私はメールも電話も結構まめにしてるよ。
お母さんも毎回、電話ありがとうと言ってくれるよ。自分の家族のことをほったらかしにはしないし、
いつも気にしてるし、こっちでも彼とよく話もします。だけどそれがあなたに伝わっていなかったとしたら、
すごく悲しいです。だけどこうやってお叱りメールをもらうことでそっちの状況が分かるというのもあるから
そこはすごく感謝してるよ。ありがとうね。」

実際妹がそれを教えてくれなければ、私は実家のことがよくわからないままになることがあります。
連絡していても、母の日々の変化はすぐには分かりません。
それによって妹がどれだけつらい状態かも分からないままです。

このメールを送ってから10日くらい後、彼女から初めてこんな返事が来ました。
「先日のお姉ちゃんの意見は、もっともだと思ったわ。お母さんは自分から連絡しないのに、かまってもらい
たがるから。しかも自分で言わず私に言わそうとする。甘えてんねん。娘やし。でもこれから全部を
真に受けんとくな、私も。やばいと感じたら相談もする。そうしないと意味ないわな。よろしく」
ぶっきらぼうな言い方だけど、私は涙が出るほど嬉しかったです。

私は今、自分の家族が好きです。
何十年もないがしろにしてきました。母のことはもちろん、姉のことも、そして妹のことも。
一番身近な人たちだからこそ、すごくコミュニケーションは難しくて、勇気も要ります。
だけどその怖さより、つながりを見て行きたいと思います。どこまで上手に出来るかわかりませんが、
大切な家族だからこそ少しずつでも、今よりも更に近づいて行きたいと思っています。

小川のりこ

投稿者 csadmin : 11:25

2004年4月23日

◇感じられなかった母の偉大さ

カウンセラー仲間にも子供を持つ親が増えてきたせいか、親心というものを
まじかで感じられることが多くなりました。
子供が誕生する時はちゃんと生まれてきてくれるのか?など心配しながら
思ってくれているし、少しずつ成長してしていく姿を見て
(時にはやんちゃでイライラすることもあるでしょうが)こんな風になって
くれたらいいな・・と感じつつ祈っていたりするものなんですね。

私はすでに父は亡くなっているため親は母一人です。それも大阪からはるか
遠い西の方に住んでいますから、実家に帰るのは一大イベントのように
とても大変です。
ですから多くても年に一度程度。その埋め合わせとして電話をしているような
感じです。
でも・・そんな唯一の電話すらかけることも実はあまりしてこなかったんです。

というのは、
電話するたびに何かにつけて「文句を言われているように感じていた」から。

こう書くと、「罪悪感を持っていますね」と突っ込まれそうですね・・。
・・その通りです・・(^_^;)


就職先を見つけて大阪に行く、と話した時のことです。
母としては「仕事はこっちで見つけて欲しい」と。淋しくなるのが嫌だった
のでしょう。
でも田舎ですからいい仕事はないし、私としてはどうしても手に職を
つけたかったので、そんな母を尻目にとにかく「自立しなくっちゃ!」と
家を出たい一心で決めてしまいました。
その後はそのことが次第に大きな罪悪感となり、就職してからは母を
見捨ててしまった・・という思いからどんどん自分を遠ざけるようになっていき、
そしてその思いに付加をつけて、「見捨てた私は悪い奴」を証明するようにも
変わっていきました。
20代の前半には「この人と結婚する!」と言って無理やり紹介したり
会社の寮を出て一人暮らし、それから部屋を何回も替わる、仕事を辞めるなど。
実際にはそんなに言うほど悪いことをしたわけではないんですが、
私の感情レベルではとても悪いことをしているように感じてしまっていたようです。
こんなに悪い娘だから放っておいてね・・と言わんばかりに。

そしてもう一つの要因。
私は物事を悩んで決める時の癖がありました。
「こうしたいと思っているんだけどどうかな・・?」といった相談ではなく、
全てのことを自分で決めて電話で「○○することにしたから・・」と事後報告。
何故そんな風になっていたかと言うと、この何かを相談をすることは私にとっては
「弱さを見せる」=「心配をかける」ことに繋がっていたのでどう転んでも
できなかった。
だから仕事が大変でも絶対に言わなかったし、というか感じなかった方が
強いかな・・、辛いことがあったとしても電話口では泣き言は一切もらしません
でした。

実際はそれが母にとっては何も言わない私はかえって心配になるでしょうし、
何を考えているのかわからない娘に映っていたでしょう。
ですから電話をかけるたびに「お前はいつも・・・」と文句を言われ、
それが直球で私の罪悪感を刺激してくれるのでますます遠ざける、という
パターンを繰り返していました。
母にとってはただでさえ遠くにいて、どんな生活を毎日送っているのかなんて
見えていないから余計に心配になって当たり前なんだ、ってことがずっと
わからずにいたのです。

そんなこんなで私の好き放題にしている人生のはずが、潜在意識での罪悪感が
邪魔をしていて、心の中では本当には楽しめていなくって、何処かでいつも
空しい感じがありました。それを感じたくないし打ち消したいために
「私は楽しいわよ!」と虚勢を張って頑張ってきたんですよね。

少しずつ感情の仕組みを理解できるようになってきてから、改めて私と母の
関係を考えることができました。
母の束縛を感じていたのは、私のやってしまった罪悪感からくる癒着。
この癒着のせいで母の愛情をゆがめてしまっていたのかもしれない。
なんやかんやと文句は言うけれど、それでも反対することはなかったし、
それってもしかしたら私を自由にさせていてくれた?
だとすれば、母はとてもすごい人なんじゃないの?

なんだか・・ありがたいな〜って気持ちが出てきます。
素直にありがとう、って言葉は直接は恥ずかしくて言いにくいけれども、
心の中で感謝することは出来るものなんですね。
この気持ちにたどり着くまでの道のりは長かった。それだけ重たい荷物を
持ち続けてきたからこそ、少しずつおろしていくのに多くの時間を費やす
ことが必要だったんだ、と思います。

そんな風に感謝の気持ちがあふれると、簡単に電話が出来るし会話も苦痛に
ならない(笑)不思議です。
感情はいたってシンプルなんですね。本当に不思議です。
今度は体にいいお茶を送ってあげようと思っています(*^_^*)

by 中野知枝

投稿者 csadmin : 11:25

2004年4月19日

●今は二人の姉のための

このコラムはみなさんが読んでくださるものですが、今回は特に、多分これを読んでくれている、
僕の良き友人であり、人生の先輩であり、そして大切な家族である二人の姉たちが読むことを意識
して書いてみようと思います。

先日、父と飲みに行きました。
冒頭から、二人の姉たちは少し驚いたかもしれません。僕達が子供の頃、酒を飲んだ父はさんざん
家族に迷惑をかけたし、その結果体を壊して今は酒をほとんど飲んでいないから。
まぁ、父は飲み屋でお酒は飲まず、僕が一人で飲んでいたのですが(笑)。
「親父みたいな酒飲みに、ならぬつもりがなっていた」って演歌がありましたが、あの歌は真実を
ついていますね・・・(ノД`)

父の前で自分だけがお酒を飲んでいるという状況は不思議な感じがしました。
僕が子供の頃、それこそ年齢が一桁の頃、父はよく僕を連れてスナックやらラウンジやらへ行って
いたんです。
5〜6歳の頃、そういう場所は恐怖の対象でしかなくて、僕は酒を飲んでいる父の前で常に涙ぐんで
いましたね。
でもそれ以降は慣れたもので、スナックでスペアリブを食べたり、ラウンジでよくアーモンドを
食べていたことを覚えています。

父は家で感情を抑えられなくなった時、僕を連れてよくそういう所へ行っていました。
今から思うと、やりきれない時に飲みに誘える友達がいなかったのかもしれませんね。
・・・う〜ん、というより、自分が感じているものをもて余していたのかもしれません。
伝える言葉を持ち合わせてなかったのでしょう。

今は冷静にかつてを振り返っていますが、しばらく前までは父に対して感情的なしこりがやっぱり
残っていたと思います。僕が大人になったあと、どことなく父が僕と飲みに行きたそうにしている
空気を感じたこともあったけど、僕はそれに気づかぬフリをしていました。息子と飲み屋で語り合う
という父親としての喜びを与えることに抵抗があったからです(苦笑)。そして父も、過去の自分に
対しての申し訳なさから、それ以上は突っ込んではきませんでした。

今回、なんで飲みに行けたのでしょう・・・?正直言ってよくわからないんです。
なんか・・・、なんとなく。

父は子供のように無邪気に喜んでいました。そういう素直さをとてもうらやましく思います。
飲み屋に行ってからの父も本当に不器用で、店員さんとまともな会話になっていませんでした。
でも、一生懸命に僕をもてなそうとしてくれている父はあまりに真っ直ぐだったから、僕はたまに
「店員さんはこう言いたいんじゃない?」と軽くフォローするに留めました。父親としての面子を
潰させたくなかったから。でも店員さんは大変だったことでしょう(笑)。

こういう不器用な父が現れる時、苛立っている母をよく見かけます。その気持ちはよくわかる。
でも僕は、苛立っている母に対してイライラすることのほうが多かったりするのです。

父は生まれてすぐに父(僕にとっての祖父)を亡くしています。だから、手本にする父親像を持たず
に家庭を持ったので、父としてどう振舞ったら良いのかわからないのでしょうね。
そしてそれは僕にもあてはまります。
飲んで暴れていた父はとてもじゃないけれど理想の父親像にはあてはまりませんでした。だから、
男の大人の模範を持たなかった僕も、社交の場でどう振舞ったら良いのかわからないという気持ちは
よくわかるのです。

でもそんなことは言い訳にもならない。社会との関わりや現実は、全ての人に対して平等に与えられ
ます。誰かしら何かを抱えているものだし。わかっているからこそ頑張るけれど、時折どうしようも
ない気持ちになってゆく・・・。
これは父に、そして僕にもあるモノです。そして多分、僕は会ったことのない祖父にもあったものだ
と思います。祖母が生前、「おじいちゃんは変わり者だった」と言っていたらしいから。
それを呪いのように感じていた時期もありました。「生まれのせいかよ、おい」って(笑)。

父はそういう状況の中、物事の答えを白か黒かで結論付ける人間になることで折り合いをつけたのだ
と思います。正しいことか、間違っていることしか世の中にはない!という感じ。
そして、そういう父を持った僕はどうなるかと言うと・・・。
想像に難くないですね。はっはっは。

父が飲みに誘ったのは、僕が自分自身に情けなさを感じていた時だったからかもしれません。
別段何を聞くわけでもなく、飲み屋で父はただ喋りました。

「最近はな、人が何人かいる時、100点や90点の人たちばかりではダメだと思うようになった。
 20点や30点の人たちだって必要なんだよな・・・。」

僕にとってその一言は、アドバイスとか説得とかカウンセリングとか(笑)そんな生っちょろいもの
ではなく、大げさでもなく人生観が覆されるような言葉でした。かつての父だったら、ダメなヤツは
ダメだ!と切り捨て追い込み、自分自身も追い込んでいただろうに・・・。

父は父なりに、白や黒ではなく、全員が納得のいく灰色の場所を探しているんだな、と思いました。
すると、成長していない自分がなんだかさらに情けなくなって目頭が熱くなってしまいました(笑)。
昔はよくポロポロと泣いていた涙も、最近は枯れていたというのに。
父はそんな僕を知ってか知らずか、巨人がボロ負けのナイターに目線をずらしてました。

ああ、なんかこの状況、子供の頃と変わってないなぁ・・・(-_-;)

父が変わろうとしているのに、僕が状況や環境を理由に変わることを拒むわけにはいきません。
変わるぞ!みたいなポジティブな感じではないけれど、静かな決意のようなものが、お腹の中に
できたような気がします。

昔の父は母にお小言を言われたりからかわれたりすると、ただじっと我慢しているように見えました。
父にはさんざん迷惑をかけたという負い目が母に対してありますからね。
でも最近は、ほーーーんのちょっとずつだけど、お互いの合意点を探そうとしている父がいるように
感じます、少なくとも僕には。それが微笑ましくもあるのです。


特に二人の姉たちへ・・・。

お互いが過ごした時間や環境は一緒でも、そこで感じてきた経験や歴史はもちろん違うでしょう。
だからどう思っているのかわからないけれど、僕はあのかつての日々を肯定したいと思います。
今さらそこをつつくのは辛いけれど、否定し続けたらもっと辛いから。

今は二人の姉のための、何かというものは与えられそうにないけれど、
幸せであるという喜びを得られるよう、祈るぐらいはできるかもしれません。

飲み屋を出る時ぼそっと父は言いました。
「俺を見てお前に結婚したくないと思われると困るから、少しずつ変えていかないとなぁ・・・。」

ううっ( ̄□ ̄*)!!
父よ、あなたはカウンセラー?
痛いところを・・・。

自分より他人を、そして家族を思いやること。かつての父には欠けていた部分です。
ほんの少しずつだけど、父の中でそれは育まれているのかもしれません。

だから今は二人の姉へ、僕が父から渡されたものを、文章を通して渡してみました(笑)。

高橋大

投稿者 csadmin : 11:24

2004年4月16日

◇お誕生日おめでとう!!

初めて僕がこのカウンセリングサービス情報便の担当をさせていた
だいてから、1年が過ぎました。

去年、どんなネタを書いたのかといえば、そう、うちの末娘、希美
の誕生についてでした。

その希美が、この間1歳の誕生日を迎えたのでした。


いやあ、月日の流れるのは早いもんだ。

希美は生まれる前から、なんだかやきもきさせる奴でした。
予定日を過ぎてもなかなか出てこないし。

3ヶ月目ぐらいまでは、本当におとなしく、夜泣きすらしない赤ち
ゃんでしたが、今では本性を表して、すっかりやんちゃ娘です。

泣くわわめくわ、相手をしないと立派に怒りますし(しかも手がで
る)、触っちゃだめ!って言うのに限って、手を出しますし。

生まれたときからそうだったのですが、本当に表情は豊かです。
よく笑うし、よく泣くし、よくしゃべるし、よく怒る。

人間らしい限りです。


どんどん娘は大きくなりますが、3人も生まれると、さすがに子育
ても慣れてきます。

子育ての楽しさは、本当にこの末娘に教えてもらってますね。
そういえば、うちのカウンセラーの後藤みどりが、

「子育ては3人目が一番楽しい」

と話していました。彼女は5人のお子さんがいますから、説得力が
ありまくりですね。


子育てを楽しむ、というのは、実際問題、簡単に楽しめたら、苦労
はありません。

実際のところは、親としての責任感や、重圧に、押しつぶされるこ
ともありますし、そこから、子供につい、厳しくしすぎてしまった
りすることもあるかもしれません。

でも、僕たち親の方が、大人として成熟していく度合いだけ、子育
ては楽しくて仕方ないものになります。

家の子は、3人とも、本当に僕と、僕の奥さんを成長させ続けてく
れてます。

そのことに感謝もこめて、引越しのどたばたの中で(笑)希美の誕
生日を祝ったのでした。

来年も、みんな元気に、そして今よりももっと幸せに包まれて、ま
た、娘たちの誕生日を祝いたいですね。

by 田村厚志

投稿者 csadmin : 11:23

2004年4月12日

●恥かしがり屋さんの僕と魔法の呪文

名古屋にカウンセリングで出張していた時のことです。
1日のお仕事が終わってお風呂にはいってポッカポカな体でホテルの25階から
名古屋市内の綺麗な景色をボーーーーーーーーーっと眺めていました。

たぶんその時は、口をあんぐりとあけて、ユルユルの顔でかなりボーーーーーーーー
としていた思います。

その時に、頭の中に『お礼を言わなくっちゃ』という思いが突然頭に浮かんできました。
あることで、お世話になった友人にお礼を言ってなかった事を思い出したんですね。

なぜか知らないですけど急に『お礼を言わなくっちゃ』って思っちゃったんですね。
でも次に出てきたのが『今更お礼言ってもな〜』という思いがでてきました。

お礼は言いたいけど、タイミングが逸しちゃったというか、タイミング的に
今お礼を言うタイミングじゃないんじゃないかなという感じがしたんです。
(たぶん、僕の恥ずかしいとい気持ちが、タイミングを逸してるんじゃないかという
 理由を作って言わなくてもいいようにしようと思ったんだと思います(^_^;) )

僕たちの心は面白いもので恥ずかしさ、罪悪感などの感じたくない感情があると、
もっともらしい理由を作って、その感じたくない感情と向かい合わなくて済むように、
いろいろ理由をつくっちゃうんですね。

また、その理由っていうのが、もっともらしい理由だったり、正論だったりするんです。
でも実は感情から逃げてるだけだったりするんですね。

こういうことを知っていたんで、
『うわぁ〜僕、恥かしいから言わなくてもいい理由を考えてるんだな』
って気づいちゃったんです。
(カウンセラーなんかしてなくて、こういう心のしくみを知ってなかったら
 気づかなくて済んだのになぁー(笑)(^^) )


気づいてしまったら最後です。

僕はしたほうがいいと思うことをしなかった時に後悔をしちゃう性格なので、
もっともらし理由を作ってしなかったら後で後悔しちゃうなって思ったんです。
だからお礼を伝えることにしました。
(少し照れくさかったんですけどね。(^^) )

ちなみに罪悪感っていう感情は2種類ありましてね、
なにかしてしまった罪悪感となにもしていない罪悪感ってあるんですね。
前者は、なにかしてしまって、悪いことしちゃったなとか申し訳ないなーと感じるもので、
後者は、したほうがいいなと思ってるにも関わらずなにもしていないことで
申し訳ないなーと感じるものなんですね。

どっちがきついかというと後者の罪悪感のほうがきついと言われます。
(こんなこと知ってたらよけいにした方がいいなと思ってるならしてしまおう
 って思いますね(笑) )


ただメールで、「ありがとうね。」って伝えたんです。
(こんだけのことを伝えるのに先ほど書いた文章のようにいろいろ考えたんですよね。
 僕がどれだけ恥かしがりやさんなのか分かってもらえると思います。(^^) )


すると、その友人からとっても嬉しいメッセージが返ってきました。
とっても嬉しいメッセージです。
それを見て嬉しいのと感劇なのと少し照れくさい感じがしました。

照れくさいって、恥かしさなんですよね。

自分でもホンマ恥かしがりやさんだなーと思います。(笑)
昔はこの恥かしいのを感じたくなくて、人にからかわれたりすると、
「もう、人のことはほっとけよ(怒)」って怒っちゃってました。(笑)
怒りと言う感情を作って、恥かしさを感じないようにしてたんですよね。

昔、僕の先生から
「恥かしがりやさんの男の子と、恥かしがり屋さんの女の子が恋に落ちたらどうなると思う?」
という冗談半分の質問をされたことがあったんですね。

どうなると思います?

答えは・・・・・・・・
「なにもおこらない」(笑)
この答えを聞いた時、この話僕のことだと思ったんですよね。
その日から恥かしさに強くなることが、僕の課題になりました。

今はその修行の甲斐もあって、からかわれて恥かしさを感じても怒ることなく
「えへへへへ(#^.^#)」と照れ笑いできるくらいには、ようやくなりました。
まぁ、恥かしがり屋さんってのは相変わらずなんですけどね。

恥かしさに強くなるということは、恥かしさという感情を感じることに強くなることが
必要なんですよね。感情を感じることに耐えられなくて、
「もう、人のことはほっとけよ(怒)」って怒っちゃったりするんです。
まぁ、恥かしさに強くなるのはそれだけではないんですけどね。


今回、恥かしさに打ち勝ってメールを出せたのは、
恥かしさより友達がしてくれた思いを大切にしたいなと思ったんですよね。
(そう思えた自分が好きです(^^)v)

僕たちは恥かしさから大切な人を大切にできなかったり、
大切なものを大切にできなかったりすることってあると思うんです。
それは、親だったり、子供だったり、パートナーだったり、夢だったり、人の想いだったり、
etcです。


そんな時は、よかったら僕が使ってる魔法の呪文を思い出して使ってみてください。

“自分の恥かしさより大事なものがあるよ”っていう呪文を(^^)

原 裕輝

投稿者 csadmin : 11:22

2004年4月 9日

◇昔懐かしの映画

最近、昔懐かしの、ちょっと昔の映画にハマッています。

きっかけはテレビでやっていた、映画『愛と追憶の日々』。
有名な映画なのでタイトルは知っていたけれど、見る機会もないままに、
この間たまたまテレビで見かけたら…、マジで大泣きしてしまいました。

ストーリーは、頑固で偏屈な母とその娘の絆を書いたもの。
よくある話ですよね。。娘が病気で亡くなってしまうところなんかも
いかにも…な感じはするかもしれません。
でも、そんなストーリーとは裏腹に、実際は淡々と出来事だけが描かれていて
盛り上げるような場面も、殆どといっていい位でてこないんです。
喧嘩あり、浮気あり、不倫あり、女たらしあり、のどこにでもありそうな話。
でも…、なぜかすごく泣けちゃうんですよね。
なんでこんなに泣けるんでしょう?たまたま私の心にヒットしただけなのかも
しれないけれど。不思議です。

思えば、最近の映画は、SFやCGを駆使した超スペクタクルな話が多いです
よね。苦労して苦労して…やっと…幸せになるぞー!みたいな。
複雑なことが苦手な私も、いつのまにかそういうハードなものに慣れて
しまっていたのかもしれません。
疲れきって感覚がマヒしている時は、それ位ハードでないと感じれない
というのもありますが…。

でも、この映画は逆にそのシンプルさがすごくよかった。
本当にカッコイイ泣かせるような言葉なんか、ひとつも出てこない。
どちらかというとカッコ悪くて、人間くさい。
思わず、つっこみたくもなってしまう…。
でも、心の微妙な感じやちょっとした思いやり、愛情が、登場人物のしぐさ
や雰囲気で伝わってくるんですよね。

それからは、ちょっと古い映画にハマッてます。
音楽ダサイやん…、そんな単純な…、××若くてカッコイイ!などと
つっこみながら。(笑)

映画や本は、自分のその時々の状態で好むものも変わってくるけれど、
今の私は、こんな風にストレートに優しさや温かさが伝わってくるような
ものが、どうやら好きなようです。

みなさんは、どんな映画が好きですか?
悲しいニュースも多い毎日ですが、
自分が心地よくなれるものにも一杯触れてみてくださいね。

ちなみに、大好きなCMは、フレッツの「今時選べないなんて…」。
これ、何回みても笑えます…。ツボにはまってしまいました。。

by 塩田純子

投稿者 csadmin : 11:22

2004年4月 5日

●流れの中から学ぶこと

あちこちで書いていることなので、「またか・・・」とか思われる方もいらっしゃるかもしれないのですが・・・。
今日は本格的に書いてみようと思うので、ぜひ、お楽しみ下さいませ(^^)


カウンセリングをしていると、その日の流れからその週、その月など、同じテーマが繰り返しやってくることがあります。

年齢も仕事も状況も全然違う方からのご相談なのに「なぜか同じテーマが続くなあ・・・」ということがよくあるんですね。
例えば朝から「執着を手放す」ってテーマばかりが続いたり、二日間にわたって「自分を大切にしよう」って話をよくしていたり。

僕がプロフィールページで毎日書いてるネタも、そんな流れを紹介していることが多いんです。

で、これまた不思議なことなのですが、それをご覧になられている方の中には、ミニコラムを読んで、
「あー、これ今日私が考えてたことだよ」
とか
「最近、ずっと悩んでたことがそのまま書いてあってびっくりしました」
などと感じられる方も多いようで、皆さんの心とも何か連動しているところがあるみたいですね。

どうしてだろう???って考えていくと、どんどん深みにはまりそうですが、こういうのは理屈ではなく、心の繋がり(心の中でも『無意識』と呼ばれるところの繋がり)を表しているんだと思うんです。

人と人には相性というのがありますよね。
だから、もしあなたが僕の書くことを気に入ってくれたとしたら、僕自身の波長とあなたの波長とがどこかしらフィットしているからだと思うんです。
そのことを俗に「縁」と言うのではないでしょうか。

この前のコラムでも触れましたけど、人と人とが出会う確率って相当なものですから、こうしてめぐり合うのも何かの縁、一期一会の気持ちで・・・というのは美辞麗句ではなく、本当に僕が大切にしたい気持ちなんですよね。
だから、変な話ですけれど、カウンセリングを続けて問題が解決したりして区切りを付けられるのは嬉しいことなのですけど、正直言えば、ちょっと寂しいところもあるんですよね。
まあ、卒業式で学生を送り出す先生の気持ち、退院していく患者さんを見送る看護婦さんの気持ちのようなものでしょうか。
まあ、また縁があれば、ひょこっと出会うこともあるだろうな・・・と自分を慰めているのですが・・・(苦笑)

*−−−−*−−−−*−−−−*−−−−*−−−−*

話が逸れてしまいました・・・。

さて、その『流れ』なのですが・・・。

例えば実際に最近「恥ずかしさ」がカウンセリングのテーマになることが多いんですね。
1週間ほど続きました。

そうすると、カウンセリングの中で、「その恥ずかしさがどこから来たのか?」とか「どうやってそれを乗り越えていくのか?」とか「乗り越えるとどうなるのか?」とかいうお話をしていくわけです。

※※※※※
恥ずかしさというのは、パートナーシップや対人関係の「壁」になってしまう大きな要素で、夫婦間の問題を扱っているときには、とてもよくお目にかかるテーマでもあるんですよね。
なかなか気付かないことですから、皆さんも何か問題があるときには「恥ずかしさがあるんじゃないか?」って見てみるといいかもしれませんよ。
※※※※※

質問させていただいて心の中を掘り下げていく場合もあるし、僕の経験からお話させていただく場合もあるし、実際にその壁を乗り越えるセラピーをする場合もあります。

でも、そんな話をいつもしているとしたら、誰が一番その話を聴いているんでしょう?

そう、僕自身です(^^)

僕自身も何かしら恥ずかしさを乗り越える必要があるってことをその流れは教えてくれているわけです。
だから、僕自身もそのことについて自分を見つめなおしてみる必要があるわけです。
「今、何に対して恥ずかしさを感じているんだろう?」
「この恥ずかしさを越えたら、次はどんなステージに成長できるんだろう?」という風に。

それが、この仕事の面白いところでもあり、素敵なところでもあります。

でも、ある意味、とても厳しさを孕んでますよね。
常に自分を見つめて、成長していくことが求められているわけですから。
自分が滞るとカウンセリングも滞ってしまうんです、実際。
問題の出口が見えなかったり、うまく言葉がひらめかなかったりしますし、お客さんの数が減ったりすることもあります。

逆に自分の心がすっきり良くなると、難しい問題にぶちあたっても、すすすっと方向性が見えてきたり、問題の中心が見えてきたりしますし、お客さんの数もぐぐぐっと増えるんです。

不思議でしょ?
特にこの仕事をするようになってから、自分の力以上のもの、流れを強く感じるんですよね。

でも、これはどんな仕事にも共通すると思うんですよ。
自分の心の状態というのがそのまま営業成績や売上げや仕事の効率などに直結する、というのは営業マンや販売員さんは少なからず感じていらっしゃると思います。
ネガティブな気分の時にはさっぱり売れないし、逆に前向きになっているときには意外なほどに売れてみたり。

いや、仕事だけじゃなくて、パートナーシップでも、対人関係でも、すべてにおいて繋がってきますよね。

僕自身もそんな状態を経験上知っていたので、「カウンセラーなんだから、成長し続けなければ」と、以前はよくプレッシャーに感じるほどでした。

だから、こうしてカウンセリングの流れを振り返って自分自身に置き換えてみること、そして、チャレンジすることというのは、僕にとってはすごく大切なエクササイズなんですよね。

それに加えて、自分が変化したところや成長したところも、自分なりに受け取ってあげようとも思ってます。
実はこれも大切なことで、変化というものは髪の毛が伸びるがごとく少しずつ起きてくるもので、意識していてもなかなか気付きにくいものでもあるんです。
(そういえば「変化を受け取る」なんてテーマが先月からとても多かったですね。)

そして、こうして流れの中から学ぶことって、とても楽にプロセスを進められることに気付きます。
何か問題が起きてしまったとすれば、感情に振り回されて、なかなか学ぶところまでは意識が向きにくいですし、問題が無いときに自分を内観していっても、なかなか分かりにくいですよね。
それに、ついうっかり自己嫌悪して、自分を責めてしまうこともありますしね。

それが今の流れを見て学び始めると、問題点や解決方法まで分かってしまったりするものです

「自分のことは分からないけれど、他人のことは良く分かる」とも言いますしね(^^)

だから、自分の周り(それは家族だったり、同僚だったり、友達だったり)を見つめていくと、今自分が学ぶべきこととか、チャレンジすべきテーマが見つかるものではないでしょうか。

「最近、周りの人に○○なことが起きてるなあ」
とか
「旦那がこのごろ○○って言うのよね」
とか
「このところ○○な記事やニュースが気になるなあ」
とか、そういうところに『流れ』は潜んでいます。

こういうのは何か問題が起きていないときには「事前策」になることが多いですし、もし問題が起きているときには「解決策」や「ヒント」になることが多いですから、皆さんにもぜひお勧めしたい視点なんですよね。

ただ、こういうのは案外皆さんやってらっしゃることも多いんですよね。
特に病気に関しては繊細になることもありますよね。
「最近、周りでよく腎臓が悪いって話を聞くんだよ。一度、検査してもらおうと思ってね」
なんて会話を耳にしたこともあるのではないでしょうか。

さて、その『流れ』に気付いたら、それが今の自分にとって何を意味しているのかを考えてみるんです。
「えー、ちょっとイヤだなあ・・・」と思ったり、「心当たりが全然無いんですけど・・・」と思ってもOKです。

しばらく考えてすぐに分からなければ、頭の隅にでも入れておいて下さいね。
何かの瞬間にインスピレーションが閃くものですから。

実際僕もその『恥ずかしさ』というテーマが続いたときに「なんだろうなあ?」と自分なりに考えてみたんですね。
でも、なかなか分からないし、そのことを妻に相談すると
「恥知らずな裕幸にも、まだ恥ずかしいって思うことがあるの?」
なんて訝しがられたり・・・。

それで、しばらく放っておいたんです。
その間も相変わらず「恥ずかしさ」がテーマになることが多くて、「どうしてなんだろうな?」と、ただ、ぼーっと思っていたんです。

そしたら、ある瞬間にその答えが分かりました。
それは、友人のカウンセラーの北端くんがある時、
「今度、テレビに出ることになってん。しかも生放送で。東京まで行って来るわ」
と話すのを聞いて「これか!」と閃いたんです。

こういうインスピレーションがやってくるときというのは、意外な場面だったりするんです。
テレビを見ているとき、雑誌の記事を読んでいるとき、ネットサーフィンしているとき、通勤電車の中でそれとなく周りの人の話す言葉が耳に入ってきたとき・・・等々。

それをキャッチできるかどうかってのは自分自身の状態によるのですが、その瞬間はピースがパチッとはまったような感じになったり、ただ訳も分からずハッとしてたりするものですね。

でも、一度受け取れなくても何度もそのインスピレーションはやってくるものです。
皆さんも何か一つのことを気にし始めたら、やたらその話や姿を目にするなあって経験はありませんか?
特にメジャーでもないけれど気になるアーティストができたら、その後、FMでもCDショップでも、街角の広告でも、そのアーティストの曲やポスターがふっと目や耳に入るなあ・・・とかいう経験。

僕はそういう経験よくするんですよ。
それはまるでその方向に扉が開いて、情報が流れ込んでくるような感じなのかもしれませんね。

そして、そのインスピレーションが受け取れたら、今度はそのテーマに向き合う番ですね。
向き合う方法、乗り越える方法を考えたり、乗り越えたらどんな世界がそこに待っているのかを想像してみたり。

僕も向き合ってみました。
「恥ずかしさ」と友人の「テレビ出演」。

・・・別にテレビの話は無いしなあ・・・。
んんん???と最初は思いました。

今までもそういう話は無かったわけではないのですが、スケジュールの都合などで他に流れてたんですよね。

でも、そこで( ̄□ ̄;)!!と気付きました・・・。

今まで本を出したり、ゲリラ的に雑誌に記事を載せてもらったりしたのですが、その都度、かなり恥ずかしさを感じていたんです。
恥ずかしさからか、怖くて、自信がなくて、どうしよう・・・と不安になることもあるくらいで。

つまりは「表に出ること」が僕にとってはすごく恥ずかしいことなんですよね、今も。
(すごく意外に思われるかもしれませんが・・・)
だから、テレビじゃなくても、雑誌でも書籍でも、同じなんです。

嬉しいけど、すごく恥ずかしい・・・そんな気持ちでしょうか。

そう気付いたら、かーっと体が熱く、恥ずかしさが体中を駆け巡って来ました。
「うわー、本を書くなんて、なんと恥ずかしいことをしてるんだ〜」
「こうしてホームページに自分のことや講座を書いたりするのもすごく恥ずかしいことなんじゃないのか?」
なんて気持ちにもなりました。

何を今更・・・という感じもしないでもないですが・・・、その時々で感じてなかった(知らず知らず抑圧してた)感情が、こうして戻ってきたのでしょうね。
ちょっと我ながらびっくりしました。

しばらくそんな気持ちを感じていたら、次第に恥ずかしさも収まり始めて、色んなものが僕の心の中でパチパチと繋がり始めました。

そしたら、また不思議なことが一つ起きました。
その恥ずかしさに顔を赤らめていた次の日、一通のメールが入ったんです。

「雑誌○○の編集を担当している△△と申します。この度、○○誌上でセックスレスに関するテーマで、カウンセリングの症例をご紹介いただけないでしょうか?」

その雑誌は僕の書いた記事を載せて4月下旬に発行されるそうです。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 11:21

2004年4月 2日

◇一人じゃないよ

癖のようなものになっているんだと思うんですが、僕はよくこう思います。
『もっとしっかりしなくっちゃあ』

こういう風に思います。確かにこう考えることは大切ですし、大事なんです
ね。でも、自分でも知らない間にこの考え方が暴走して行き過ぎちゃう時が
あるんです。

自分を律し始めて、強くあろうと考え出して、自分一人で何でも解決しよう
と抱え込んじゃうんですね。
それは仕事だったり、プライベート的な悩みだったりです。

こういうのを心理学では『自立』って言います。

この癖のような考え方は自覚はしているので、『自立を手放そう』『誰かに
助けを求めよう』『誰かにゆだねてみよう』そう考えることを心の中に留め
ておくように心がけています。

でも人間ですから、気をつけていても忘れちゃって暴走しちゃうことがある
んですね。

こないだも、あるプライベートの問題を解決するにあたり、
『もっとしっかりしなくっちゃあ』と思うことがあったんです。
それは、そう思うことが大切な局面だったんですが、その思いが強くなりす
ぎて抱え込みすぎになってしまってたようで、自分でも知らない間に元気が
少しなくなっていたようです。

そこで、ありがたかったのが友達の存在なんです。

僕は、誰一人と相談をしていなかったのにも関わらず、友人達が僕に近づい
てきて僕のことをサポートしてくれたんですね。
抱え込みすぎにてたのものを吐き出させてくれたり、僕の悩みを受け止めて
くれたり、僕のことを気遣ってくれたりと、その友人なりのサポートをたく
さんしてくれました。
僕から相談はしなかったんだけど、僕のことを見ていてくれてたんでしょうね

それは、とても嬉しいことでした。

その時、僕は「一人じゃなかったんだなー」って思ったんです。
そう思った時にとても癒されました。

私たちは、『もっとしっかりしなくっちゃあ』と持った度合いだけ、自立心
が強くなり、一人でなんとかしなくっちゃと思ってします。

一人でなんとかしなくちゃと思った度合いだけ、私たちは心のどこかで孤独
を感じてしまいます。『一人だなー』ってね。
この心のどこかで感じている孤独感が心の苦しみを作ってしまうんですね。
そして、つながりや、人の助けを益々求めなくなっていきます。

でも、真実はあなたは一人じゃありません。

どこかで、あなたを見てくれている人、あなたのことを思ってくれている人、
どこかで、あなたのことを気にかけてくれる人がいるでしょう。

あなたが助けを求めた時に、あなたのことを思ってくれる人、あなたのこと
を考えてくれる人、気にしてくれている人が世界中のどこかにいると思いま
せんか?
その思いの量や、表現方法はの違いはあるかもしれませんがそんな人はいる
と思いませんか?

問題が出てきた時、悩んだ時、苦しい時には誰かに助けを求めてくださいね。

あなたは一人じゃありませんから。
もちろん、僕もその一人になりたいと思います。

by 原裕輝

投稿者 csadmin : 11:20