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2003年12月29日

●恩師(気づかなかった思い)

皆さんは恩師がいますか?
私はいるんですよ。
中学の時の部活の監督。
まあ、これが厳しい先生でして(^^ゞ
毎日練習、朝錬(これは起きれなくて良くさぼっていました)
昼休みの30分も練習、放課後も練習、週末は決まって遠征。
(うちの田舎は島なので、朝5時位の船に乗るんです)
休みは正月とお盆、あとは休みなし。
練習中ミスするとビンタか竹刀が飛んできて、
サボるとうさぎ跳び(私は毎日位に(^^ゞ)
遊びたい盛りの中学生、毎日の厳しい練習で不満もたまっていましたが、
厳しい練習のお陰か試合で負けることは無かったんです。
でも、ただ一度だけ3年の夏の大会で負け、
初めて負けた悔しさと今までの練習三昧の不満が爆発し、
レギュラー全員が受験もあることだし、
もう辞めようと言うことで監督と話し合いました。
その時のことは今でも覚えてるのですが、理科室で私達は辞める旨を伝え、
監督はその話を黙って聞くだけで何も言わず、私達が勝てなかった相手の決勝戦
のテレビ中継を見せられました。
私はテレビを見るより初めてみる監督の辛そうな表情を見て、何故か号泣してしまったことを覚えています。
ただ一言「お前達に任せる」と言われただけでしたが、
話し合いの末、最後の秋の大会までやることになり有終の美を飾ることが出来ました。
卒業して10年、その先生を交えて部員で集まりを開いた時、
その先生が時効ということで苦労話を話してくれてたんですが、
私達のチームは実績が無かったので練習相手を探すのに困ったこと、
横のつながりが無くて他の監督達に邪険に扱われてたこと、
それが私達の損にならないように、色んな会合に顔を出し、飲み会まで付き合っ
ていたこと、初めて聞く話ばかりでかなり衝撃でした。
私といえば、毎日の練習、週末は遠征にと、
「やってられるか・たまには休ませろー」と、不満を言っていた頃に、
そんな苦労があったなんて夢にも知らず。
まだまだ、子供で誰かを気遣う事が出来なくて、
思い返してみれば、監督には家族も仕事もあるにも関わらず
私達に全ての時間を費やしてくださったんですよね。
今でも忘れられないのは最後の試合で勝った時に、初めて見る監督のうれし泣きの顔。
そのうれし泣きの顔をもう一度見たくて、今、内緒で退職祝いを皆で計画中です。
あの時代は気づかなかった監督の思いをしっかり受け取り、そして今度は私達か
ら、心からの感謝を込めて、ありがとうの気持ちを送りたいと思います。

竹田亜由美

投稿者 csadmin : 11:00

2003年12月22日

●本の出版バンザーイ!

この度めでたく、すばる舎より 『「女子校育ち」のための恋愛講座
ーどうして、男の人と話すと緊張しちゃうの?』が出版されました。
これも日頃応援してくださっている皆様方のおかげだと思っております。
本当にありがとうございます。

僕は昔から本が大好きなので、自分が執筆したものが本になったことを
とても嬉しく思っています。
これからもこうして本を作ったり、雑誌で執筆したりして行きたいなと
強く思います。

でも今回、『「女子校育ち」のための恋愛講座』が出版されて一番喜んでいるのは、
僕本人よりも母方の親戚一同かもしれません。


7月に同じすばる舎から『本当に愛されてるの?』が出版された時のことです。
発売日10日前、僕は母親に電話して
「7月11日に僕が書いた本が出ることになったねん。」と伝えました。

そして発売日から数日後、母親に出版された本をあげようと
『本当に愛されてるの?』を1冊持って実家に行ったんです。
母親に「本が出たからあげるわ〜」と差し出すと
「ありがとうな。でも、お母さんもう紀伊国屋まで行って買ってきたんやで。」
という答えが返ってきました。

さらに本棚を見ると何とまぁ、
『本当に愛されてるの?』が5冊も並んでいたのです!
と同時に心の中で『5冊買っても読むのは1冊やろ!?』
とツッコミを入れてしまいました。

「5冊も買ってどうするの?!」と僕が聞くと
「なんかの時に、5冊持っといたら人にあげれるでしょ?」とのこと。

『・・・なんかの時って何???』

そう思いましたが、ツッこむのはやめときました。
母親も自分の息子が本を出したことが相当嬉しかったんでしょうね。
こうも喜んでくれると、僕も息子として嬉しい限りです。
本を出したことは母親に直接何かしたわけではありませんが、
結果的には立派な親孝行になりました。


さらに母親の話を聞いていると、どうやら喜んでいるのは母親だけでは
ないらしいんですね。

母親は、母方の姉妹に電話をかけて本が出ることをふれまわったそうです。
すると親戚一同、「それはすごい!本を買わなければ!!」ということに
なったらしいんです。

母親の近所に住む僕のおばさんは、
発売日に近所中の本屋さんを回ったんですがどこにもなく、
わざわざ電車に乗って紀伊国屋まで買いに行ってくれたそうです。

それだけでも“そこまでしてくれるなんてすごいなー ”って思うんですが、
それだけではありませんでした。

次はおばさんの娘(つまり僕のいとこ)がもう一冊購入。
さらにおばさんの息子(つまりこれも僕のいとこ)が
「お母さん、後で読ませてなー」とおばさんに言うと、
「なに言うてんの、あんたも買い。」
そう言って子供一人につき1冊ずつ、買わせたらしいんです。
おばさんの分も合わせると、一家で合計3冊(!)買ってくれたということです。

・・・すごい。


また、和歌山に住んでいる別のおばさんも
発売と同時に近所の本屋さんに行ってくれたんですが、
見つからなかったため車を飛ばして市内中の本屋さんを回ってくれたそうです。
それでも見つからなかったので、今度は市外まで車を飛ばして
本屋さんをしらみつぶしに回ってくれたそうです。

後からわかったことなんですが、実は流通の都合で発売日当日には
和歌山にはまだ本が届いてなかったらしいんです。
もちろんおばさんはそんな事を知る由もなく、
丸一日和歌山で本屋さん巡りをしてくれたんです。


また別のおばさんは、自分の仕事先のお得意様に本の宣伝をして
行商をしてくれたそうです。
中でも知り合いの本屋さんでは
「じゃあ私の店がスポンサーになって、新聞に広告を出そう!」とまで
言ってくれたそうです。


このように、わが一族の喜びようは大変なものでした(笑)
こんなに喜んでくれるのは本当にありがたいことです。
“本当に僕は愛されてるんだなー!”ってしみじみ感じます。

今回の『「女子校育ち」のための恋愛講座』に関しても、発売日数ヶ月前から
母親に「次の本はいつ出るの?いつ?」と5回ほど聞かれてたんですね(笑)
次の本が出ることをすっごく楽しみにしてくれてたんでしょうね。

今回の本の出版も、わが一族あげて喜んでくれそうです。
新たな大騒動ネタができそうで楽しみです (^_^)

原裕輝

投稿者 csadmin : 10:59

2003年12月19日

◇時間がかかるという思い込み

12月になっていろんな行事で忙しくなるこの頃。
忘年会やクリスマス、年賀状作成や大掃除など、楽しいこともあるけど
取り掛かるのがおっくうなものもありますね。

特に大掃除。私は掃除は正直言って苦手なんです。

掃除というよりも整理整頓が苦手なのかな?やり始めたらどうしても
あちこち隅々までやりたくなり、時間を取り過ぎてしまうんですよね。
それにちゃんと片付けられたら問題ないのですが、いろんなものに目を
通しているうちに時間が経っている・・それに気づいて
「わ〜、もうこんな時間!」となり、結局元のままにしちゃったり。

余談ですが、私は小さい頃からよく机の引き出しの片付けなどを
遅い時間から始める癖があったようで、よく親に
「お前は夜になるとごそごそし始める!」と嫌味を言われ怒られていました。
昔はとても突発的な子供だったようです。
今でもそんな思いつきが浮かんできますが、ほとんど感じないように
見ないようにしている方が多いです。
というのもこれまでの経験で「やり始めると時間がかかる」という
思い込みがあって、時間がかかるから明日にしようと、物事を後回しに
考えてしまうんですよね。
まるで学校の夏休みの宿題のように、特に苦手なものに対して強く思うようです。

子供の頃なら、思いついたら後先を考えず感情のまま即行動!だったのに、
大人になるにつれて、いろんな知識が付いてくるのに伴って
「それをやったら寝る時間が惜しい」と制約したり、大事にするものが
変わってきたりして、そんな突発的な行動が出来なくなりがちです。

そんな私でも、何年か前にインテリア雑誌を見て感化されて
「よし、部屋の模様替えをしよう!」と思い立ち、その日から
取り掛かったことがあります。
姿見の縁取りが黒だったのが気に入らず、黒の枠をやすりをかけて色を取り、
その後は茶色のペンキで塗装してみたり、押入れのごちゃごちゃも
整理したいから全部ひっくり返して棚を入れて整理したり・・
あちこち手を入れて4日間はかかったでしょうか。夜中まで作業して
朝方になって寝たりしていました。

結果から言うと、確かに時間もかかって大変だったな、という気持ちも
ありますが、やっている時は嫌なわけではなく、むしろ楽しめた。
一つ一つが綺麗に片付けられていくのを見るととても心地いいし、
こうやってみたらどうかな?って創造していることを具現化した時の出来た!
っていう達成感もあり、とても楽しかったんです。

何でもそうですが、頭から時間がかかると決め込んでしまうと取り掛かる
ことも億劫になってなかなか始められないし、でもやってみたら案外早く
終われるものかもしれない。
時間ってどれぐらいかかるものなのかは実際にやってみないとわからない
ものなんですよね。

それに後回しにしてしまうことで、気になっているのは頭から離れませんから
やってないな〜と嫌な感じがしてしんどさを増す原因になって落ち着かない。
取り掛かる前の「やらなくっちゃ・・」という感情を感じるのが嫌なんだな、
と思いました。
そんな嫌な気持ちを味わう前に、まず始めてみよう、と心がけるようにしています。

年末まであと少し、大掃除頑張りましょうね。


by 中野知枝

投稿者 csadmin : 10:58

2003年12月15日

●春の熊のように

季節が移り変わりだんだん寒くなってくると、元来出不精な僕は、
これから訪れる冬に備えて栄養を蓄える熊のように、ひっそりとしてしまう
ことがよくあります。

そうなった時の僕は大抵、同時に内面で何かしらの変化や気づきを体験している
のですが、反面、外的な刺激から遠ざかってしまうようなところがあったりする
のです。

そういう時期の自分には全く気づけないのですが、ふと我に返ると、世の中や
周りのみんなの時間が自然に流れていることを知り、愕然とします。

それはまるで冬眠から目覚めた熊のような気分です。

「へぇ〜」と言うだけで済ませればいいのかもしれないけれど、自分自身が
今年の流行語すら知らないでいるような人間だということに愕然としていたりします。

これではいけないと思い、生活の中に刺激や変化を取り入れるべく、とりあえず
近頃は自分の住んでいる町の周辺を散策することから始めました。

あてもなく、なにとなく町並みをさまようのって、せわしなく生きている自分に
とっては最高の贅沢の一つかもしれないなぁ、と思います。
この季節特有の乾いた風は、全ての生き物に対して平等に降り注がれるけれど、
その風をどのように受け止めるかはそれぞれですよね。
僕は今年の風をどのように受け止め、どのように感じているだろう?

そんなことを考えながら最近はあまり行っていないような場所を訪れると、
野球場ぐらいのスペースが空き地になっている所に出くわしました。

すごくびっくりしたのですが、その後すぐにわく疑問。

「あれ?ここって何があったっけ??」

長年住み慣れた町なのに、しかもものすごいスペースが空き地になってるのに、
何があったのか思い出せない・・・。

慣れというものは恐ろしいですね。自分自身のアンテナが錆びついていることに
気づかされます。でも、気づけたことは良い刺激になりました。

家に戻った折に、その場所のことを家族に聞いてみました。すると、

「あそこは建築資材置き場だったろ。」
「何いってんのよ、団地だったじゃない。」
「違うよ、普通の住宅地だったよ。」

・・・。
僕は個性的な家族を持てて幸せです。

このことがきっかけになって、「今与えられている現実に変化を加えてみる」と
いうことに最近は凝っています。

例えば、駅からの帰り道をいつもと違ったルートで帰ってみる。
風景が変わるだけでも新鮮な気持ちになれます。面白そうなお店も見つけました。
今から思うと、なんで僕は駅から家までの最短ルートにこだわっていたのだろう?
ちょっと違う道を通ったところで、せいぜい5分ぐらいしか変わらないのに。

ああ、そうか。行動が変わると感情も変わるんだ。
おお!ちょっとすごい発見です!

「内面の変化を体験」って、要は単調な生活を繰り返しているってことですね。
変化は行動した時のほうがリアルだということもわかりました。

熊は今、冬に備えるために栄養を蓄えるのではなく、暖かな春を楽しむために
今できることとして栄養を摂っているのかもしれませんね。

これからは、冬の熊がする冬眠を一番大切にするのではなく、春の熊のように
動くことを大切にするような自分でありたいと思う今日この頃です。

高橋大

投稿者 csadmin : 10:58

2003年12月10日

●気づきの連続

ハワイ渡航シリーズ第3段です。
さて、今回は、2週間のセミナー中にあった、週末の休日の過ごし方の中で起こった大きな気づきについてお話ししようと思います。

私は、ハワイに渡航するのは、心理学のセミナーでは初めてでしたが、観光も含めると5回目の事でした。
ハワイは、湿気もなく、あの場に舞い降りるだけで、不思議と心が解放される感じが好きでした。だから、看護婦として働いていた頃に、そのストレスを発散するために、英語を使わなくてすむ海外だったので、友人と数度訪れた場所でした。
でも、あれから5年の月日が流れており、すっかり忘れた頃にまた渡航できるチャンスがやってきたという感じでした。

さあ、セミナーも5日目を終え、週末がやってきました。自己嫌悪を扱うセミナーの反動か、日本人の一行は、ショッピングで癒されまくってしまい、「セミナーに出るより、ショッピングに来る方が、いいんじゃない。」と、笑い話ですが、皆で話したぐらい、盛り上っていました。
最初に、皆で行った場所は、もちろんアラモアナ・ショッピングセンターでした。
到着し、集合時間を決めると、各人はバラけちり、目指すお店に直行という感じ。
私は、今回は、日頃の忙しさから、事前にハワイ研究をする事もなく、勉強に来たんだから、遊ぶなんてとんでもないと思っていたようで、観光ガイドさえ持っていかずでしたので、「さあ、どうしようかな?」と、思ったものの、とにかく動いてみるという感じで、1件目の店に入って行きました。
すると、単純な私は、店の広さや、シンプルなんだけど日本にない洋服のラインに魅了され始めました。
そして、試着すると、なんと「ちょっと大きいかな?」なんて、日本では味わいない感覚に陥ったのです。
実は、私は、身長は165cmあり、当然足のサイズは、日本の普通の店にはないサイズ、
さらに、これぞ日本人体型というほどの下半身デブタイプ、もっと付加えれば手が異常に長いという体型なのですが、顔が長く、出ている部分が細く見えるので、私の洋服や靴選びの苦労は、あまり共感してもらえないという感じでした。
もちろん、人それぞれの悩みってありますものね。
例えば、私の例なら、足が大きいだけ出なく、日本人の木型によくある甲高とは全く正反対だからピッタリフィットを求めるのは無理というような細かい点など、言い出せば、誰にでもきりがないくらい出て来るものです。

でも、あるんです。ハワイにはね…
先ずは、靴のサイズは、当たり前のようにどれでも出てくるので、デザインからでも選び放題、シャツの袖は、ピッタリフィットよりやや長めなのでスッと手が出てる感じでセクシーだし、何よりパンツの太ももが入るから、どんなパンツの形でも色でも選び放題。
「一体、私に何が起きてるの?」と、とにかくビックリ。

別に、ハワイが変ったわけではないし、私の体型が変ったわけでもない。でも、今までのハワイの旅では味わえなかった感覚を体験しました。
それで、ふりかってみると、それまでのハワイの旅は、特にこれが欲しいという感覚がないまま、ストレス発散が目的だったので、ブランド物を買って一気にお金を流す事を目指していたように思いました。だから、目的が他にあったので、ブランド物を手にしても、本当は、あまり嬉しいと感じていなかったのが本音に気づきました。
それから、英語ができないので、洋服を試着するという事へのチャレンジもしてなかったので、今回のような体験を味わえてなかったという事があったと思います。
チャレンジしてみると、今回だって、私が英語が出来るようになったわけでなく、ハワイの店員さんが、日本語がますます上達しているから、気軽に試着できる状況があった事に気づきました。

そして、最大の気づきは、日本という私のサイズに合うものをあまり生産していない国で、
必死に捜し求めているという事に気付いてなかったので、ショッピングに行く度に疲労し、ちょっと大袈裟かもしれませんが、日本のファッション業界に絶望し、文句を抱えていたという点に気づきました。
この業界の方は、ビジネスですから、売上を見込んでの御商売をされているだけなのにね。ほんと勝手に恨んでてゴメンナサイという感じです。

この2日間は、私の買い物クセに関する気づきが、本当にたくさんありました。
「なあんだ、手に入りにくい場所で、一生懸命手に入れようと、今までもがいてたんだ。
なんと、どんなに労力と時間を無駄にしてきたんだろう。それから、意図しないネガティブな恨みを持ってしまってたんだろう。」と、思うと、はぁーと肩の力が抜けるような溜息が出ます。でも、今気づいて良かった。

で、更なる課題が…。
簡単に手に入る外国に、せめてもっと楽に簡単に行けるようにするには、どうすれば良いんだろう?という新しい想いが出てきた事は、新しい意識の扉なのだろうけど、なんだか「不可能を可能にするってどういう事、誰か教えて!!」と、おもわず嬉しい悲鳴をあげてしまう今日この頃です。


深澤三津子

投稿者 csadmin : 10:56

2003年12月 9日

●魔女

ハワイのセミナーの体験の中から学んだ事をこのエッセイを読んで下さっている方に、おすそ分けしたいと思い、今回は、ハワイに滞在していた期間中に、ハロウィンがあったので、それと心理学に関する事を書いてみたいと思います。

さて、日本では、このハロウィンというイベントは、一般的には、あまり盛んではないと思います。
でも、10月になると、かぼちゃお化けみたいなグッズが店に並んでいるのは、目にした事があるのではないでしょうか?
実際、私も、ハロウィンについては、今回初めて体験したり、「ハロウィンとは?」という説明を受けたりしました。
アメリカでは、1年の中の大切なイベントの一つのようです。
簡単に言えば、日本のお盆のような感覚で、ちょっと違うかな?という感じがしたのは、10月31日に、悪霊を追い払ってしまうというような点でした。
それを表現するのに、それぞれコスチュームを着たりするわけですが、この日に、町中にお化けの姿をした人が歩いている光景を見るのは、面白いけど、気持ち悪いという感じもありました。このイベントは、31日に、悪霊を追い払い、11月1日からは、お盆明けという感じのスタートとして捉えられているということでした。

そこで、今回のセミナーは、このハロウィンを使って、自分の中にいると思い込んでいる「魔女」の部分を癒すという事が、大きなテーマとしてありました。
実際、20日から始まったセミナーは、「魔女」の部分について自分の意識の奥深くに入っていきました。そして、31日は、セミナーも最終日で、煮詰まりきっている、意識のもっとも奥深くにある姿が現れるという感じでした。
要するに、皆さんにわかりやすく言えば、自分の中にある「魔女」の部分とは、最悪な自己嫌悪の部分という事です。
さらに、「魔女」と言われるぐらいですから、この自己嫌悪の部分は、普段は自分の中にあるとは認めがたい部分なわけです。
私の学んでいる心理学用語では、この部分を「シャドー〈影の部分〉」といいます。

今回のセミナーは、カウンセラーのランクUpセミナーということもあり、精神的にも身体的にも厳しいトレーニングだとは聞いてましたが、ここではこの自己嫌悪を、自分自身の体を使って表現するという事が求められました。その目的は、全身で、「魔女」になりきる事で、その「魔女」の部分を感じつくすという事が求められたわけです。
「感情というのは、感じつくすとなくなる」という論説がありますが、参加した38名が個々の「魔女」の部分を表現しているのを見るのは、とっても楽しく、記念撮影もしたのですが、各々を見渡すと笑ってしまうけど、おかしくて笑うというより、なんだか笑うしかないという感じの笑いでした。
そして、午前中の「魔女」の部分を癒すというセッションが終わると、皆が一斉に衣装を脱ぎ去り、化粧を落とし、何もなかったかのように振る舞っていました。
私は、あまりにひどい感情が出てきたので、それを人に転化しないように気をつけながら、自分自身の中では、その感情を感じつくし、夜中になってやっと全ての感情を終わらせたというぐらい時間がかかりました。
結構、感情に関しては、エキスパートになるぐらい学び、癒してきたので、どんな感情も
最近では、とっても早く解けてなくなるという感覚だったので、今回の体験は、自分でもまだ奥が深いんだなという、ある意味で、楽しみにもかわった経験でした。

そして、不思議と、その時表現した、色や姿が、今は懐かしい思い出です。
最後に、「魔女」のセッションで学んだ、自己嫌悪にまつわる色に関する情報をプレゼントしますね。自分が「魔女」の格好をするなら、どんな姿をし、どんな色を身につけるでしょうか?または、普段好きを通り越して「これが自分の色」というような感覚で着ている色、嫌いだから着ない色、というような視点で、自分の中の自己嫌悪を見てみるとおもしろいかもしれませんね。ただ、この色分析は、この日の先生の話しから出てきた表現をかいつまんだものなので、「こんな一部分も、もしかすると自分の中にあるのかもしらない」という程度に、楽しく受け止めてみて下さいね。

 ≪色の診断≫
  赤…怒り
  黒…人生を奪う、人生を吸い込む
  ピンク…愛を盗む
  黄…知識を盗む
  緑…創造性・はぐくみを盗む
  オレンジ…繊細さを盗む
  紫…スピリチュアリティを盗む
  青…スピリチュアルパワーを盗む
  白…自分自身を現していない、本当は人を助けない
  グレー…落ち込み、鬱
  レインボー…成長したいというふりをする
  シルバー…人の生命を奪う
  ゴールド…ゴージャスな生活を歩みたい、欲しいと奪う
  小麦色・茶…自然さを奪う
  *赤と黒…人に呪いをかけるのが得意

深澤三津子

投稿者 csadmin : 10:55

2003年12月 8日

●国境を越えて人々と繋がり学んだ事

10月の後半2週間を使って、只今とりこになっている心理学の勉強のためにハワイに行ってきました。
今年は、6月のカナダのセミナーに引き続いて、海外のセミナーは2度目です。
今回は、日本・台湾・イギリス・スイス・ドイツ・ノルウェー・カナダ・ハワイ・マレーシアの9ヶ国の人が38名参加していました。
国籍・人種・文化・宗教・言語などなど、多くの違いを持った人々が、ほとんど初対面という中で、狭いセミナールームの1室に集り、これから2週間という時を、どのように過ごすんだろう?
どんな事が起きていくのだろう?
また、38名がそれぞれの想いを、一つの方向に向けていく事は出きるのだろうか?
また自分自身がどう変化していくのか、ドキドキしながらの参加でした。

今回のセミナーは、ランクUpセミナーで、既に心理学を学び始めて規定の日数を受講している人の集りで、心理学の講座やカウンセリングを仕事として始めている人も多くいましたし、これからやっていこうとしている人もいました。

セミナーの内容を明かす事は、守秘義務の関係上できませんが、私が体験した経験は、お話しできますので、これからは海外で経験してきた事もある見方の一つとして感じていただければと思い、書いていきたいなと思っています。

さて、海外のセミナーに参加してくると、たくさんの大きな気づきがあり過ぎて、何をお伝えしょうかな?と考え込んでいるうちに、月日が流れていってしまうという感じになりがちでした。
というのも、自分から発信する事が、公になっていく事の恐れという事を感じると、不思議と原稿を打つ手が止まってしまうという繰り返しでした。
また、この大きな恐れについて自分自身の中を見つめてみると、私の場合は、「女性が前に出ていく事」に関しての恐れが大きく、自分を止める声になっていました。

私は、カウンセラーという事を仕事にしながら、現在も自らを癒すというタイプのセミナーを受講し続けている訳ですが、そんな中で、自分自身の気づきをたくさん持ちます。
そして、この「女性が前に出ていく事の恐れ」という件では、父との関係性を
見直さざるを得ない状況だと感じ、少し長い心もちで、取り組んでいる所です。

もちろん、これが癒されないからといって、父との関係性が悪いという訳ではありませんし、カウンセリングを始める前と比較すると、何十倍にも関係性は改善され、父にカウンセラーという仕事を受け入れてもらえない時期もありましたが、最近では、海外出張というと、「子供が可愛そうに…」なんて皮肉は多少あるけれど、それでも心から支援はしてくれるようになりました。
まあ、今では、この皮肉が、年をとっていく父の元気のバロメーターだと、笑って聞けるようにもなりました。

私の父は、たぶん日本人気質の強いタイプだと思います。
今でも、「女性は、男性の後ろを3歩下がって歩くのが美しい光景だ。」とか、「家庭というのは、女性があってこそだ。女性が切り盛りするから、家庭が安泰なんだ。」
とか言いながら、男性は、仕事の事だけ考えてればよろし、他の事は全て女性のする事で、例え寝る間を惜しんででも家庭の事ならやれ、という始末です。
私が、「今は、女性も仕事を持つ時代なんだよ。その考えじゃ、今は無理だよ。」と言っても、「それはそれ、関係ない。それで、辛いのであれば、女性が仕事を止めればいい。」と言ってのける父です。
また、母も、この意見に全面的に異存なしという支持派で、これが当たり前ですとばかりに母も口に出して主張するタイプでした。

一方私は、幼少の頃から、誰にも支配されたがらず、自由を好む人間でした。
また、中学生の頃から、明確に両親のいう男尊女卑気質を嫌い、それを家庭内でも主張するタイプでした。
そして、結果的には、両親からはとんでもない事を言い出す人間だという扱いを受けてきました。
「男性より上に立つような事を言ってるようでは、社会に出ると、大変な目にあうから、とくかく今すぐ止めなさい。」と言われ続けた日々でした。
そして、このやりとりの中で、私自身に出来た観念は、「女性が前に出る事は間違いだ」というものだったのかもしれません。
この観念があると、不思議な事に、自分自身の人生が、隠れた人生のような感じになってしまうようです。
私の場合は、女性ですから、日の目にあたるような事は、禁止された人生を生きなければならなくなる訳です。
ずいぶん、この部分は癒してきたつもりですが、それでもまだまだ隠れているので、よく人から、「どうして、そんなに自信がないの?」というふうに言われる事があります。
もっともっと女性のリーダーとして出てきて欲しいと、ありがたいお言葉を頂く事もあります。
でも、私の中では、「女性は目立ってはいけない」と思っているので、態度は煮え切らない自信のない人ととられているようでした。
また、実際、私の自己表現でも、曖昧な部分が多くなりがちで、人から誤解を受けるという点を感じ、これも癒してしまいたいなと思っていました。

今回、ハワイのセミナーでは、カナダの先住民の方も参加されてました。
ご存知の方は、少ないかもしれませんが、先住民の方が負われた歴史的背景の傷跡は、今もなお、大きな痛みになっています。
移住民族に土地を奪われ、長年にわたって家族と引き離され、意図しない教育を強制的に受けさせられ、という人生を送ってきた人々がたくさんいます。
でも、私は、今回見ました、聞きました。
セミナーが始まって数日たったある日、私達に起こった深い痛みというテーマに関して癒していた中で、先住民の方が自ら、みんなの前で、
 「私は今まで自分に起きてきた事を、どう考えればいいのか、どう受け止めればいいの か、ずいぶん長い間悩んできた。でも、今は思う。もう、過ぎた事だと。私に起きたすべての事を、神が私にくれた運命なんだと受けとめようと。そして、ここから、私が学んでいく事が、これからの私の人生である事だと。」
悲痛な表情が、ハートが開く事で、にこやかに解け放たれていく瞬間を。

私は、今でも父が発する一言一言に、長い間やってきた無意識的な癖のように、反抗した発言をしてしまいがちです。
でも、父は父で、その時代を生きた中での発言をしているだけだと、やっと頭だけでなく、
ハートで感じる事ができるようになってきました。
そして、今回のセミナーを通して、私自身も、私は私で、時代の変革期にさしかかった中での発言をしてきただけだと、自分で自分を認めてあげたくなりました。

そして、先ずは自分の子供から、父の時代でもなく、私の時代でもない、新しい時代を感じる世代の一人として、自由に発言できる場を提供出来るようになりたいと思います。
また、それを受け入れられる一人の人間でありたいから、私は今日からまた、次の新しい章の意識の扉を開いていきたいと思います。
そして、今後も、この大好きな心理学の世界にさらに奥深く入っていくのだと思います。

心理学は、ハートを開くツールとして、楽しく簡単に使ってもらえるものではないかと、今回の私自身の旅の中から、より一層感じました。
ほんの少ししかお伝えすることはできませんが、今回は、心理学の楽しさを極めたり、感動の深い旅でした。

最後に、今年は、6・8・10月と長いお休みを頂くにあたり、カウンセリングのセットコースの方には、心良く送り出して下さった事に深く感謝致します。
また、日々私を支援してくれている、私の家族や親族一同、友人やこちらの組織の方々にも、心よりお礼を申し上げたいと思います。

「運命を受け入れる」。
そして、そこから私が出きる事をやっていくという事に、全力を注いでいきたいと思います。
たくさんの感謝の心をこめて、ありがとう。

深澤三津子

投稿者 csadmin : 10:54

2003年12月 5日

◇本当に許すことで癒されてしまうの?

僕がもっとも研究した、「許す」というテーマ。

初めて「許し」という言葉を聞いたとき、真っ先に考えたのは、

「なんで許さなくっちゃいけないの?」

でした。

傷つけられたと感じてしまう人、けんかしたした人、ひどい目にあわされたのに、
なんで許す必要があるんでしょうか?

そんな疑問をもっていたとき、聞いたのは、
「その人じゃなくて、自分を許すこと」ということでした。

そのとき、両親を許せない〜っと感じていた僕の頭の中は、
はてなマーク(→?)でいっぱいになってしまいました。

要するに、両親を許せるぐらいに寛大な自分になってしまうことを
許してないってことなのか?
それとも、両親にむかついている自分を許してあげることなのか?

今、カウンセラー・セラピストという職業を選択している僕が、頭の中に
はてなマークをいっぱい飛ばしている昔の僕に言うとするなら、
「どちらも正解」と言ってあげたいと思います。

単純に言ってしまえば、心理学で言うところの「許し」とは、受容のことだと
僕は思っています。
多くの場合、怒りを感じればその下には抑圧された感情があり、
さらに怒りまで抑圧してしまう
ところまで行ってしまうと、もう、毎日が無気力で、な〜んにもする気が
起きなくなってしまうなんてことになるみたいです。

感情を抑圧する、というのはよく言いますが、実は、これは並たいていの
ことではありません。
感情は感じれば感じるほど、別の感情に変化していきますが、感じずに
押さえ込んだり、無視したりするほど、心の中に残ったままになり、
膨らみつづけていきます。

大きくなった感情を押さえ込もうとおもったら、その感情と同レベルか
それ以上のエネルギーを必要としますから、ある意味、抑圧しているものが
ある度合いだけ気力も失われるというのもうなずけてしまいます。

僕が両親をなんで許せてしまったのか?

今振り返ってみれば、実はそんなに難しいことではありませんでした。

僕の場合は、両親を、「神様」みたいに扱っていたから、なかなか許せ
なかったみたいです。

「神様」とは、決して失敗しない、完璧さの象徴のような人です。
「神様」は失敗しませんし、決して僕たちを裏切りません。

ということは、両親を「神様」扱いしている度合いだけ、僕の期待を裏切り
つづける両親に対し、うらみつらみねたみそねみが出てくる、ということでした。

両親は人間ですし、僕は神様に、助けてもらった覚えはいっぱいありますが、
育ててもらった覚えはありません。

もし、両親が人間だったら・・・と思いながら両親の生き様を振り返り、
両親の今の姿を見ると、
「なんだ、あたりまえじゃないか」と言う感じがいっぱいして、いままで
「愛してくれなかった」とか、「だめな親」と思っていた部分が、
とっても人間くさい、まるで「男はつらいよ」とかの
人情映画に出てくるような、せつな〜い部分に思えてしまったのです。

むかつく〜っていっていた自分が、なんだかばかばかしくなって、
大笑いしたのを覚えています。

実は、僕が抑圧していた感情は、この両親に対する、「せつないよなぁ〜」
っていう感情でした。
なんだか、それが、両親の幸せでなかった人生や、僕の中にある失敗感を、
認めてしまうようで、嫌だったんです。
でも、本当は逆で、幸せはいっぱいあったはずなのに、忘れてしまっていた
だけだったみたいです。


自分の中にある感情を、あっちいけしていると、それはそれで傷ついたり、
つらい思いはしなくてすむかもしれませんが、なんだか忘れていってしまう
いいものが、その裏側であるみたいです。

許しは最大の癒しだといいます。

あなたの中には、どんな抑圧があるでしょう?
それが痛みであったとしても、その感情は、外に出たがっているかもしれません。

外にあることを許してあげると、そのとき、はじめて、癒された〜って感じが
いっぱいするのかもしれませんね。

by 田村厚志

投稿者 csadmin : 10:53

2003年12月 1日

●たのしい子育て

某通販会社のシーズンカタログに、こんなタイトルのついた雑誌があって、まんまと私はハマッてしまいました。
いろんなかわいいものが、そりゃぁたくさんあるのなんのって。すぐに使わなくなる運命だとわかっていても、ついつい欲しいと思ってしまう。恐るべし。

ホフク前進も激しさを増し、距離も日々更新しつづけている娘は生後7ヶ月、バカ親のそんな欲望をよそに、目が合うと満面の笑顔で突進してきます。
手を持ってやると、めいっぱい強い握力でつかまり、フラフラしながらも立とうとします。
そしてうれしそうに、誇らしそうな顔をして恐竜のようなオタケビをあげたかと思うと、すぐに目についたものめがけて身体ごとダイブ。
このぐらいの赤ちゃんにとって保育者は、黒子のような存在なのかも?と思う今日この頃です。

意識したつもりはないんですが、そんな黒子生活に一息いれる機会に先月はたくさん恵まれました。
そのひとつが、ライブ。
妊娠中、胎教にと思って予定していたサンタナのコンサートが、SARSの影響で延期になっていたんですね。
とても楽しみにしていたので、その時は「産んだら行けないかも。。。」とかなり落ち込んでしまいました。
いざ産んでみて、あちこち出かけているので「連れていけるかも?」と少し希望が持てたんですが、泣けば会場を出るしかない。当たり前ですけど。。。
それでも行けないよりはマシだわ、と思っていました。

でも、これも先月だったんですが、ニール・ヤングのライブのチケットには“就学前のお子様の入場不可”の文字が。。。
同じ興行主だったので、やっぱりダメかも。。。と落胆。

子どもが小さいのに、ましてまだ赤ちゃんなのに、ライブなんて!
そもそも人ごみの中は赤ちゃんにとっては危険!
やっぱりダメなのよ、育児に専念してなくちゃ!

と、心の中では自分を非難する声が今さらのように聞こえてきました。

自分ではそんなつもりはなくても、主人からは怒っているように見えることしきりだそうで。
「まだまだこれからが大変なのに、こんなことぐらいで参ってたらきりがないわ」と、思うようにいかないことの連続の中で、大きく息を吐き、子どもに向き合うことに慣れてきたような気になっていました。
実際、ストレスらしいものをあまり感じていなかったんですが、しかーし!!です。
娘や家族を楽しんでいても、自分や夫婦を楽しんでいないことに、ふと気づいてしまったんですね。
表情は嘘をつけません。

当たり前やん、そんなの!
ダンナより子ども!自分よりも子ども!

ここでもまた心の中で非難の声が。

結局のところは、主人の実家に預けてのお出かけとなったんですが、普通に用事があったり、荷物の多くなる買い物なんかだと、なんの抵抗もなく「お願いしま〜す」と娘を任せていけるのに、いざ自分の楽しみがかかってくると、ものすごく悪い事をしているような気がしました。
帰りが夜遅くなるっていうのもあったんですけど。

でも、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、母は「ゆっくりしといで!風呂も入れといたるわ!」と、ここは“ばぁば”の出番!とばかりに、快く送り出してくれました。
うれしいような、初めて娘と長時間離れることが不安のような、久しぶりのお出かけが恥ずかしいような、そんな不思議な気持ちで主人と実家を後にしましたが、それはそれは最高のライブを楽しむことができました。

帰ると、両親と妹さん家族総出でてんやわんやの大騒ぎ。。。
それまでも何度も預けてはいましたが、いつになくみんな気合が入ったんでしょうか。娘も興奮気味で、「もう疲れた!!もう当分ええわ!」と母。
それでもちゃっかりニールのライブの時もお願いしましたが、孫はやっぱりかわいいんでしょうか、忘れたようにまた快く預かってくれました。

でも、どうしてなんでしょうね“申し訳ない”はどこにもなく、“ありがとう”でいっぱいになりました。

もしも、まだ自分が楽しむことに罪悪感を感じていたなら、そうしてライブに行っていたなら、あまり楽しめなかっただろうと思います。
そして不完全燃焼のまま帰宅していたら、きっとその時の私の顔は、どこかまだ少し怒っているようだったかも。。。と思うんですね。
そうしたら、これは憶測ですが、「なんや?せっかく預かったったのに、うれしないんかいな?」と思われても不思議ではなかったはず。

ちょっと気をゆるめれば、いつのまにかお日様が沈んでいる。。。
そんな毎日をくり返しているような気がするんです。
おむつもミルクも数が減ったとはいえ、合間合間にできることは限られていて、未だに自分がトイレに行くのを忘れることしきり。
そして気づかないあいだに、表情が変わっていってしまっているのかも。。。

そう思って振り返ってみると、誰もが思ったり感じたりするように、子どもが優先→夫婦のコミュニケーションができない→「ま、いっか」→ストレス、の悪循環は少なくとも自覚できる範囲でくり返していたな、と気づきます。

放っておいたら、さぁ大変。
自分でも手が付けられなくなってしまいますよね。

そこで思い切って、今度は友人宅(といっても根本家)で娘を任せたいと思っていた友達にも来てもらって、セミナーに参加してきてしまいました。(^^)
おかげさまで気分一新、本当にありがたいばかりです。

そろそろ育児休暇を終えて、お仕事に復帰(といってもメールカウンセリングのみですが)しようと考えているんですが、楽しむことの大切さを忘れないように心がけたいと思うのです。
自分を犠牲にするのではなく、まして娘に犠牲させないためにも、ほんの少し心を開いて勇気を持てば、私たちを支えてくれる人がいることに気づける。そしていつも手を貸してくれる差し伸べてくれる。とてつもなく幸せを感じます。
この感覚をいつも娘にあげられるように。。。たのしい子育ては、まだまだこれからです。

源河はるみ

投稿者 csadmin : 10:52