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2003年7月29日

●人との出会いに思うこと

毎週毎週、本当に何人の方とお話しているんだろうな?って思います。
面談や電話、メールのカウンセリングで、また、カウンセラーの仲間と、それから、すっかりご無沙汰してしまった学生、サラリーマン時代の友人と。
幸いスケジュール帳はかなり真っ黒です。
有難いことです。

僕はとっても寂しがり屋なので、人との出会いというのを、とてもありがたいし、大切にしたいと思っています。
なかなか信じてもらえないことも多いんですけど(笑)、僕は恥ずかしがり屋で、やり方もへたくそなので、そうは思っていてもなかなか口に出したり、行動に移すことが出来ないところがあるんです。
だから、大切にしたい繋がりがふと切れてしまうこともあって、地団駄踏むことも少なく無いですね。
僕の今の課題の一つです。
だから、人との出会いってすごく多いですし、そこから学べることもやっぱりたくさんあります。
なかなか無いですよね、出会いがいつもあるってこと。
有難いことです。

今日はそんな人との出会いに関する二つの話をさせていただきたいな、と思います。

東京出張中に渋谷で数年ぶりに学生時代からの親友と再会しました。
色々と話をしながら、彼なりに僕の知らない空白な数年間を一生懸命考え、頑張ってやってきたことが伺えます。
そうした、時代の流れを聞いていると、それが俗に言う愚痴だったとしても、不思議に引き込まれるものがあります。
そして、自分のその時代時代を振り返って照らし合わせてと、面白い符号が見つかったりします。

「へえ、俺が会社辞めたときって、お前も彼女と別れようか、考えて決心してたんや。そう思ったらお互い、同じような時期に冒険したんやなあ」
「そういや、俺が女の問題でばたばたしてた時、お前せせら笑ってたよなあ、ふらふらしとるって。でも、そういってたお前が、同じ悩みにはまるとはなあ」

そうお互い酒を飲み交わしつつ笑いながらも、まだお互いの心の中に野望というか、夢を失っていないことを確認して、心底、嬉しくなったりもします。
「俺、会社行くたびに、ここら辺(胸の辺り)がうずうず動いて『これは俺の居場所やない』って言う声を毎日聞いてるんや。なんちゅうか、ホンマ、そこ(今の会社)は俺を俺じゃなくする場やって思うねん。でも、今のままではケジメ付かんから、あと1、2年踏ん張って、何とかしてやろうって思ってんねん」

こう活字にすると熱いけれど、実際は渋谷のお洒落なビアバーで、淡々と語られたメッセージでした。
彼のこの言葉はとても嬉しかったです。
彼の本質を知って尊敬しているから、とてもぞくぞくしましたね。
何やってくれるんだろう?ってわくわくします。
だから、全面的に彼を応援したいし、お互い張り合って生きていきたいって思えるんやな、と帰りのタクシーの中でしみじみ思ったんです。

面談に来られるお客様。
どきどきしながら、電話をかけてこられるお客様。
当たり前ですけど、みんな必死ですよね。
だから、自然と僕もその勢いを受け止める姿勢になっています。
構えてしまうとお互い緊張してしまうから、できるだけ僕がリラックスしていることも大切ですけどね。

キレイなお顔を引きつらせて必死に涙を我慢していらっしゃる方がいます。
男くさい顔をくしゃくしゃにしながら、奥さまへの思いを口にされる方がいます。
本当はすごくしんどいくせに、笑顔で、笑いながら状況を説明してくださる方がいます。
淡々と、でも、熱いハートを心の内に秘めて自分の夢を語ってくれる方がいます。
もうどこにも行き場がなくて、必死にすがるような目で僕を見てくれる方がいます。
「怖い、怖い」と震えながら、一生懸命チャレンジしてくださる方がいます。
怒りに満ちた目で、でも、忘れられない人への思いを方って下さる方がいます。
心をひどく傷つけながらも、大好きな彼を助けたいと訴える方がいます。

みんな、生きているんだなあ、と思います。
自分なりに必死に、一生懸命に。

誰も悩みたくて悩んだり、問題抱えてるわけじゃないって、そんな方々と向き合いながら確信してきました。
必死に生きて、でも、そこに何か見落としたもの、気付かないもの、忘れてしまったこと、何かがあるんだ、と。
自分にとっては当たり前のことが問題を作ってるんじゃないか?って最近思いはじめたりもします。
僕の仕事というのは、その当たり前の何かを見つけて、伝え、補い、援助させて頂くものなんだろうと思います。
だから、生半可な気持ちではできないですよね。
何とかできないか?そんな思いが駆け巡ります。

まあ、その分、オフタイムはすっかり別人のようになって無口になったり、無愛想だったり、ぼーっとしてることも少なく無いんですけどね。

もちろん、僕はどちらかというと闘志を内に秘めるタイプなので面談中に露骨に熱くなることはあんまり無いんですよね。
それに、主役はあくまでお客様ですから。
僕はその人生の一幕を担当させていただく黒子みたいなものかもしれません。
まあ、良く良く言ってしまえば“演出家”かもしれませんね。
どうしたら、その人がその人生っていう舞台で輝けるのか、その人の良さが滲み出て、いいストーリーが作れるか?を演出する人。
もちろんお客様が主役です。

因みに僕は映画やCDの製作に関わった人の名前を必ずチェックする人なんです。
俳優やアーティストよりも注目することもあるくらい、黒子な人達に共感する性質なんですよね。

だから、その方の笑顔を見た時、すごくホッとするんです。
とっても。
辛い時の顔を知っているからこそ嬉しいですよね。
奇跡もたくさん見せていただきました。
正直「解決には時間かかるだろうし、相当困難なプロセスだろうなあ」と思っていた方が、あれよあれよという間に問題を解決されていく姿を何度も見ました。
本当に頭の下がる思いがしますし、自分の先見の無さを恥じたりします。

人間って捨てたもんじゃないんですよね。
それくらい人の力ってものすごいものだなあ、と思うんです。
どんな風にも変われるし、どんな人生でも自分次第で創って行けるものなんだ、と実感したりもします。

だから、そんな一面に関われるってのは有難いことですよね、本当に。

明日も朝からお客様とお会いします。
どんな出会いになるのか、とても楽しみです。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:25

2003年7月22日

●私の家族ってちょっと変!?

今回は、私の実家の家族について書いてみたいと思います。

私には母と8歳下の妹がいます。
夫に言わせると、うちの家族は変わっていると言います。
私はそこで当たり前のように育ったので、何が変なのかわからなかったのですが、最近少しわかってきたように思います。

例えば、母は誰とでもすぐ仲良くなってしまうという特徴があります。
先日驚いたのが、うちの近所の薬屋さんに一緒に行った時に、そこの店員さんがうちの母を知っている様子です。そして二人で親しげに話をしているんです。
店を出てから「何でうちの近所の薬屋さんと知り合いなん?」って聞くと、「この前一度ここで買い物したからね。」と答えます。
私は内心(私はいつもこの薬屋さんで買い物しているけど、そこまで親しくないよ・・。)と驚きました。
それ以来、その母の娘ということで、その店員さんとお話するようになりました。
いつもこんな感じなんですね。あちこちに知り合いがいて「いつの間に知り合いになったん!?」と驚かされることがしばしばあります。

私の友人とも仲が良くなって私は実家にいないのに、よく友人がうちの実家に遊びに来たりもしているようです・・。
でも本人は人見知りだと信じていますから、人って不思議ですね。(笑)

あと母の趣味は草花を育てることなんですが、その育てた草花を押し花にして額にレイアウトして、ニスをかけてコーティングを施すという事を始めたんですね。(母の思いつきで)始めは自分の趣味で友達にあげたりしていたのですが、今では花屋さんで売るまでになっていつの間にか商売になってきました。

その他には、私と母と妹三人は姉妹のように仲が良いです。これはよく不思議がられます。何でそんなに仲がいいの?と。
今では私達にとっては当たり前のように仲が良いですが、思い返してみると反抗期もありましたし、大人になってからより仲良くなっていた感じがします。
私にとってはそれが当たり前なので今まで気が付かなかったのですが、以前夫と母と妹と祖母でご飯を食べた時に、私自身ちょっと恥ずかしく感じたことがありました。
妹はあっけらかーんとした性格で、何でも母に話しをしたり相談したりするのですが、その時も彼氏の話を色々母にしていたんです。
私達も食べながら何となくその話を聞いていたのですが、あまりに事細かくデートの話なんかをしたりしているので「普通そういう話、親にしいひんのちゃう(標準語→しないんじゃない)!?友達やったらわかるけど。」と思わずつっこんでしまいました。
ちょっとうちの家族変かも、と自覚した一瞬でした・・。

その妹もとってもユニークなおもしろい子です。
”子”なんて書くとまるで小さい子供のようですが、もう立派な大人です。
でも年が8歳離れているせいか、私にとっては何時まで経っても小さい子のように感じてしまい、よく妹に怒られます。
ずっと前につけた「こども」というあだ名で今でも呼んでしまい「いつ迄そんな呼び方してるんよー!」と怒られます。

この妹のおもしろさを物語っているような出来事の話を、先日本人から聞きました。

ある日、彼氏とデート中に彼がお金を下ろしに小さなキャッシュコーナーに行ったので、妹も一緒に中に入っていたそうです。
そして彼が背を向けてお金を下ろしている時に、営業時間終了を知らせる「蛍の光」の曲が流れてきたそうです。
すると妹は何故か「あ、もう終わってしまう!早く出ないと自動的に鍵がかかって、ここに閉じ込められたりして・・。」と考え、まだ開いているか試しにドアを押してみたそうです。
するとドアが開かないので、ますます一人で焦ってドアを開けようとし、しまいには体当たりで<ドンッ!ドンッ!!>とドアにぶつかっていたそうです。
するとお金を下ろし終わった彼が冷静に「何してるん?」と聞いたので、妹は「ドア開かへん!!閉まってしまったんちゃう!?」と必死に彼に言ったそうです。
すると彼は、またもや冷静に「そんなはずないやろ。」と、スッとドアを”引いて”開けたそうです!!

この話を聞いて、私は思いっきり笑いのツボにはまってしまい、涙が出てもまだ笑いが止まりませんでした。
妹は妹でかなり真剣に、彼氏にバカな子やと思われたんじゃないかと落ち込んでいました。
妹の名誉の為に書いておきます。普段はきちんとした子なんですが、たまに(!?)こういう変な事をして私達を楽しませてくれるんです。

今日コラムを書いていて、書いているとやっぱりうちの家族変かも・・。という確信が強くなってきました。(汗)
まともなのは私だけ・・!?(夫からの即否定が聞こえてきそうです。)

でも私にとっては本当にかけがえのない家族です。
もしかしたら父が亡くなったこともあって、女三人で結束してここまで楽しい関係を築いてきたのかもしれません。
私にとってはもう一つの心のオアシスです。
本当に有難いなと結婚して実家を離れてから、より強く感じるようになりました。
とても愛おしさと感謝を感じます。

これからもこの楽しい関係をずっと続けていけたらなと願っています。

根本理加

投稿者 csadmin : 10:25

2003年7月18日

◇悩み癖

僕には「悩み癖」があります。

僕は、何か疑問が出たとき、自分の中で納得するまでずっと考えつづけます。

それは、ちょっと人とは違ったことで悩んでいたり、誰でも悩むことで悩ん
でいたり。。。

これを読んでくださっているあなたは、どんなことで悩むでしょうか?

僕は、普通に生きていれば「どうでもいいじゃん」というようなことで激しく
悩むことがよくあります。
きわめつけだったのが、「背広に白の靴下がなぜいけないのか?」です。
一週間眠れませんでしたね。ちなみに今も、それは答えが出ていません。
だれか、理由をご存知の方は教えてください。

あと、それとか、
「分数の掛け算は、どうして分母と分子をひっくり返すのか?
割り算はなぜひっくり返さないのか?」
僕の算数はその疑問が解けないと同時に終わっていきました。。。

また、そういう疑問であればあるほど、人に相談すると、
「そういう風になっているんだよ」とか、
「そんなつまんないことで悩んでつかれない?」とか、
「そんなこと気にしてどうする?」とか。。。

こういわれるのが、僕にとってすごくショックでしたね。
他人から見れば、本当にどうでもいいことなのかもしれないけれど、僕に
とっては寝てもさめてもそればっかり気になってしまう、とおっても重大な
問題なんですよね。

心理学に興味をもって、自分の心と向き合うようになってからは、もう、
わからないことだらけでした。
なんだか、簡単そうに見えて、実は難しかったりするじゃないですか。
心理学用語って。
本当にさっぱりわかりませんでした。
カウンセリングサービスの心理学講座って、本当にためになりますね。

いいのものは、用語としてもはっきりしてますし、呼んで字のごとくって
言うのが多いです。
自由、豊かさ、成功、平和、信頼。。。

しかし、難しい用語ほど、ろくなものはないですよね。
執着、癒着、復讐、期待、犠牲その他もろもろ。。。
一見すると鼻をつまみたくなるようなものが目白押しです。

これがまた、重なれば重なるほど、わけがわからなくなります。

執着を手放す?
犠牲を手放す?

そう、手放すという用語が一番厄介ですね。

そこのあなた!
手放すのお嫌いでしょう?
僕も嫌いです。

それらの意味を、これを読んでくださる皆さんに、どうわかりやすく、面白
おかしく伝えていくか?
実は最近の僕の、一番興味を引く悩みです。
きっと僕だけではなくて、多分、カウンセリングサービスの仲間全員の
テーマかもしれませんね。

そういった、もっと具体的な気持ちの持ち様、わかりやすい意味なんぞを、
みなさんにエッセイなどを通してお伝えしようかなぁと自分の中で勝手に
企画中です。

悩む僕が、自分の中で納得できるまで考えた結果を、皆さんにお見せできる
ように、少しづつですがなってきてます。

面白おかしなやつがなんかはじめる気なのか程度に、楽しみにしててください。

by 田村厚志

投稿者 csadmin : 10:24

2003年7月15日

●心にスペースをあけてあげませんか?

 夏期休暇をとって、バリ島に旅行にいってきました。
僕はもともとで出不精ということもあり、旅行にはあまり行ったことがありません。
(ここ10年間で今回の旅行を含めても2、3回くらいですね。)
旅行っていうと何となく、大仕事のイメージがして腰が重くなってしまいます。
大仕事のイメージもあるんだけど、旅行にでかけると普段の生活と違う
開放的な気持ちを味わえることも知っています。

お仕事や、その他もろもろのことで、少し疲れ気味だったので
自分のストレスケアーも必要だなと思ったので、おもいっきって
旅行に行こうかなと考えたんですが、自分のストレスケアーという目的だけでは
出不精の僕の重い腰は、あがりきりませんでした。

僕の思い腰をあげた決め手は、
彼女への日ごろの感謝をこめて旅行をプレゼンとしようとインスピレーションが
降りてきたことでした。
ちょうど、その月は彼女の誕生日だし良いプレゼントになるなーと思ったんですね。
海外旅行につれていってあげるって言ったら、死ぬほど喜ぶだろうなーと思ったら
腰は軽くなっていました。
人が喜んでくれると思ったらやる気がでてくるもんですね。

その日から、どこにつれていってあげると喜ぶかな?なにがおいしいのかな?
どこに泊まるといいかな?ってインターネットや、雑誌を調べまくりました。
なぜなら、彼女に喜んでもらいたいから。


 それから1ヶ月ほどたってからバリ島へ旅行にいきました。
南の島のバリ島は暖かくて、開放的で、とってもいいところでした。
食べ物もおいしく、観光地であるだけにサービスもなかなかのもの。
観光スポットもたくさんあり、楽しむにも、のんびりするにも最高のところでした。
もう最高!
彼女も大いに喜んでくれているようで笑顔でした。
その笑顔をみて僕も大満足。

 そんな楽しい旅行の3日目の夜、なれない食べ物があたったのか、
暴飲暴食がたったのか僕は腹痛になってしまいました。
「痛たたた・・・」
一晩ぐっすり眠むったら痛みも治まるかなと思い、その日は眠ることにしました。

あくる日
一晩眠って痛みもすっかり引き・・・・を
期待していたのですが、次の日もお腹は痛いまま、(トホホ・・・)
彼女も心配そうな顔をして僕の顔を見ていました。

その日は外に出かけても、食事をしてもお腹が痛くて楽しめず。
一緒に行動している彼女も始終心配してくれています。
僕は彼女の心配そうな顔をみて、罪悪感でいっぱいになりました。
楽しんでもらおうと思って連れてきたのに、
僕のせいで彼女は僕を心配してどこにも行けないし、旅行を楽しめてないと思うと
罪悪感でいっぱいです。

彼女は僕を心配して、
「ホテルで今日はゆっくりしとこう」
「大丈夫?」
って本当にやさしそうな顔で気づかってくれるんですね。
でも、その度に僕は『ごめんね』って気持ちになっていました。

あまりにお腹が痛いんでホテルに帰って休むことにしたんですね。
お腹が痛むのでお腹をかばっていると、体中が緊張してきてしまい
今度は背中まで痛くなってきました。

すると彼女はその背中をゆっくりなでてくれたんです。
彼女の暖かい手で背中をなでられていると、海外で病気(腹痛)になって
不安だった僕の心がほぐれてきて落ち着いた気持ちになりました。
穏やかな気持ちになれました。

心に穏やかさがうまれて、少し余裕ができた時ひとつ気づいたことがありました。
彼女が僕を気づかってくれているのに、僕はごめんね、ごめんねって
自分の罪悪感ばかりにとらわれて、彼女の優しさや暖かさを受け取っていないことに
気づきました。
「ごめんね」じゃなくて「ありがとう」って言わなくちゃいけなかったな
ってことに気づきました。
たぶん心に少し余裕が生まれたんで、気づけたんだと思います。

そしてようやく彼女に「ありがとう」って言えました。
たぶん、僕が申し訳なさそうな顔をしている時の何倍も
「ありがとう」って言われた時のほうが彼女は嬉しかったと思います。

 しんどかったり、つかれていたりする時って心に余裕がないですから、
人のやさしさ、ありがたさって見逃してしまいがちになります。
罪悪感や、無価値感にはまっている時は、人の好意や、愛を受け取れなくなって
しまいます。
大切な人をむげに扱ったりもすると思います。
今回のことで改めて心に余裕を作っておくって大切だなと思いました。

 心に余裕を持つというのを、別の表現で言い換えれば、
心にスペースを空けてあげると言ってもいいかもしれませんね。

僕たちは今ある愛を見逃さない為にも、今ある幸せを見逃さないためにも、
人のやさしさや、ぬくもり、愛が入ってくるスペースを心に作ってあげることが
必要なのかもしれませんね。

原 裕輝

投稿者 csadmin : 10:23

2003年7月 8日

●Hero Lives Forever

最近、身内の話をよくするようになりました。この欄でも身内ねたが増えたなーと思うんですが、年のせいなのかな(笑)?ということで、今回も身内がらみです。

身内、といっても彼とは血のつながりはありません(血液型は一緒だけど)。彼は妹の夫です。一見とても硬派なやつで、でもこう言ったタイプのご多分に漏れず?デリケートな優しさがぎっしりつまった彼の仕事は、救急救命士です。

最近、彼は数人の仕事仲間に永遠の別れを告げました。神戸の火災現場で殉職したのは、まさに彼の同僚。一緒に仕事をしていた仲間です。その現場では住民の方が亡くなり、救助作業中の消防士が死傷するという惨事になりました。いろんな気持ちが入り混じり、言葉では言い表し難いのですが、人の命のたくましさと儚さを思っていました。
職場の性格上、いつまでもただ悲しんでいるわけにはいかず、現場は動きます。聞いたわけではありませんが人的な補充があったことでしょうし、これはどんな仕事にしても同じでしょうが、誰かがいない、欠けていることを感じざるを得ないのだけれども立ち止まっているわけにはいかない。私には知る由もありませんが、周囲の胸の痛みは計り知れないものだろうと思われます。
 
ありふれた日常生活を送りながら…そこには楽しいことも、家族との和やかな時間や時には喧嘩だってあったことでしょう。そういったごくありふれた時間や空間と、「仕事」との共存。人は誰でもそうだと思うのですが、ごくごく個人的な場面とオフィシャルの使い分けをしています。これは子供時代からそうですね。友達や恋人といるときの自分、学校での自分、職業人としての自分、家庭での自分、一人でいるときの自分。どれも自分自身です。おそらくとても無意識的に使い分けをしているのでしょうが、たとえば緊迫感の強い職業に就いていたりすると、(感情的に)いつもフラットでいるか逆に極端な自己表現になるか、ということを感じます。たとえば義弟のように、日々人の生き死にに関わったり緊迫する場面に多く接していると、多くの人が触れることの少ないそう言った場面が日常になります。麻痺、というのとはまた違うと思うんです、慣れることもまた大切な適性になってくることでしょう。言ってみれば非日常的なことが日常的に起こるわけですから、そんな場面にはじめて出くわす人のように毎回毎回感情を感じていたら持たないでしょうし。

私が彼や彼のような人を見ていて感じるのは、「バランス」の大切さです。人間ですから、心は動きます。むしろ喜怒哀楽のどれもがもしかしたら誰よりもはっきりしているかもしれません。またそうでなければ、こう言った職業は選ばないでしょうね。大げさに聞こえるかもしれないですが、全ての人の幸せで平和な生活をきっと望んでいるのでしょうから、人間が大好きに違いない、と私は思うわけです。彼からは「自分がもっとがんばればいいんだ。」そんな風な気負いを感じることもあります。でもいつもいつもがんばっているとしたら、持ちませんね。

弦楽器やピアノの弦は張り詰めた状態で一定の高さの音を出し、美しい音色を醸し出しますがずっと張り詰めていると切れ易くなります。人の心も、同じだと思うんです。いつもいつも張り詰めているとしたら、心も身体もきっとくたくたになってしまうのでは、と言うのは想像に難くありません。

張り詰める、緩める。

こんなバランスがとっても大切だなと思うんです。心の弦を緩める場所が家庭であったり好きな人の前であったり、趣味に没頭することだったりすると思うんです。これは、私達カウンセラーにも言えることだと思うのですが、(人からどんなにお気楽に見えようと^^;)意外と気を遣っていたりするものです。時々、自分がこんなに気を遣っていたのかーーー、と思うことがあります。人と関わる仕事をしていたり、緊迫感と常に向き合っているとこれがまた「麻痺」したような感覚になるのかもしれません。

今回の事故では弟に限ったことではなく、また今回の事故に限ったことでなく、「あの時自分がいたら…」「助けてやれなかった」「せめて近くにいたかった」と感じている人は本当に大勢いることでしょうし、中には、運命、と言う言葉で解決しようとする人もいるかもしれません。でも、今生きている自分、今生かされている自分だからできることを見て行った時逢えなくなってしまった「仲間達」の声が聞こえてくるような気がします。立ち止まってしまったとき、見えなくなったときにこそ、彼らが仲間達を応援し続けていることを感じられるかもしれません。今は、逢えなくなった仲間達のことを自分にできなかったこととして受け止めているのかも知れないし、もう逢えないことにずっと捉われてしまうかもしれません。でもその人たち、その物事や出来事が教えてくれている何かを心から受け取って自分の原動力にしていくことができたら。

〜大切な人を忘れたくない。できれば一緒に生きていたかった。〜

こんな想いを抱きながら、自分の人生を生き続けることが、彼らを生かし続けることになるのではないでしょうか。そんなふうに生きていこうとしているとき、逢えなくなった仲間"HERO"達が、いつも一緒にいてくれると感じられるのではないでしょうか。

中村 ともみ

投稿者 csadmin : 10:22

2003年7月 4日

◇嬉しかったこと

最近、人て本当に逞しいよなぁと感じることがよくあります。

つい先日、久しぶりの友人と会い、
とっても幸せそうな顔になっているのに驚きました。
もちろん、嬉しい驚きです!
数年前に離婚して以来、本当に大変なことの連続だったのに
今は嘘のように平和で明るい表情をしていました。
「この際だから、自分の好きなことを思いきりやってみようと
思って。」苦しいながらも、いろんな怒りを感じながらも
そう言っていた彼女の言葉を思い出します。

この間会ったときは、「何がしたいのかわからない…。」
と道が見えなくなっていた方が、1ヶ月後
「実はこんな出会いがあって…。自分は人に恵まれているわ。」
て新しいワクワクを沢山話してくださいました。
自分を飾らずに出していく彼女の勇気が、きっと人を惹き寄せて
いるんだろうなぁと。話をきいていても、それが伝わってきました。

「自分の夢を実現するために、資格をとろうと思って。」
そういっていた友人から、アロマサロンのパンフレットが届きました。
つい先日のことのようなのに、もう実現したんですね…。

久しぶりに夫とひどい喧嘩をしてしまって、
どうにも上手く仲直りができず、ぎくしゃくしている時。
たまたま夫と話しをした友人が、上手くフォローをしてくれました。
夫もそれで元気を取り戻してくれたようです。
自分ができないことは誰かがやってくれる。
強がっていた時は、誰かに任せるってなかなかできなかったけれど、
今はそういう人がいてくれること、本当有難く感じます。
よくなれば方法なんてどうでもいいんですよね。

よくないこと不安なことが起こると、ついつい心配ばかりしてしまう…。
これは私の悪い癖でもあります。
でも、それを越えていく人を多くみていると、本当に
人は問題を越えていけるだけの逞しさをもっているものだな、て
しみじみ感じます。
ただ信頼して待ってあげることが大切な時もあるんですよね、きっと。

そう言えば、昔「越えられない問題は来ないよ。そこを越えれるだけの
準備ができいるからきてるんだよ。」て、言われたことがあります。
私自身、6年前の自分からは、今の自分は絶対に信じられないと思います。
人前でまともに口をきくこともできなかった位ですから。
当時は必死でもがいてなんとか乗り切れた…て思っていたけれど、
でも、今いろんな人と関わるようになって、
改めて、それは単なる偶然ではなく、本当に人それぞれ
ちゃんと乗り越えられる強さをもっているんだなて思えるんです。

だからあきらめないで信じてみましょう。
きっときっと、あなたの中にもあるはずです。


by 塩田純子

投稿者 csadmin : 10:21

2003年7月 1日

●思い出

数々ある思い出の中で、皆さんにとって特に印象に残っている思い出は何ですか?
これから夏がやってきますが、「夏の思い出」と言えばどんなものがありますか?

先日実家に数日帰る機会があって、ふと子供の頃の思い出に思いを巡らせていたんです。そして思い出した夏の光景は、少し涼しい風がレースのカーテンをゆらしながら部屋に入ってきていて、窓辺につるした風鈴を静かに鳴らしていたこと。
そして、机の上の飲み残しのカルピスのグラスからは水滴がしたたっいて、私は母と並んでせみの声を少しうるさく思いながら、心地よくうとうとしている・・・そんな光景を思い出しました。何故かその光景をとてもはっきりと覚えているんです。

他には、夕暮れ時、夕飯の支度を終えた母と、すっかり涼しくなった外にブラブラと散歩がてら出掛けて、ボール遊びをしたこと。
その時の空はピンクやオレンジや紫に美しく彩られていて、こんな時間に遊びに行けるなんて思いもよらない出来事に、うれしくなっている自分。
そんな何気ないある日の1コマを、意外と鮮明に覚えていることに少しびっくりしました。
もちろん、毎年恒例だったた盆踊り大会のことや、家族で旅行に出掛けたこともしっかり覚えているんですが、ふと、懐かしいな・・・と思い出したのは、日常のささやかな光景でした。

この時のこと絶対忘れない!とか、胸に焼きつけておきたい!と思って意識的に光景を心に焼きつけたこともありましたが、案外そいう何気ない光景の方が、自分にとってすごく懐かしいものだったりすのかもしれませんね。

もう一つ気が付いたことは、ある程度大きくなってからのことよりも、自分が子供だった頃のことの方が、鮮明に覚えているということです。
何でなんだろう?と私なりに考えてみると、やっぱりそれだけ子供の頃の方が、一瞬一瞬必死に生きていたからかもしれないと思いました。

大人になると、時間を「今この瞬間」というよりも、もっと大きな長さで捉えている感じがします。でも、子供の時って違いますよね。「今」というものに集中していて、精一杯だった気がします。

心理的にみれば「感情と記憶はつながっている」と言われているので、それも納得できる気がします。
きっとあらゆる瞬間に敏感に何かを感じていたのでしょうね。

そういう風に考えてみると、今送っている日常生活の何気ないことも、習慣も、今から5年後・10年後には素敵な思い出として、心に残っているかもしれません。

私の父が亡くなった後に思ったことは「あぁ、もう二度と家族4人で暮らした日々は戻ってこないんだな」という事でした。
結婚したての頃思ったのは「実家で過ごした私の"娘"時代はもう終わったんだな」という事でした。
そして近い将来、自分の子供が生まれた時に、夫と二人で暮らした日々を少し懐かしく思うのかもしれません。

家族の状況、自分を取り巻く生活は、刻々と変わっていきます。
それは二度とその頃には戻れないという少しせつない想いと、でも懐かしい、美しい思い出が増えていくことでもあります。

その為にも「今」という瞬間、そして今感じていることを大切にしていきたいと、改めて思いました。


根本理加

投稿者 csadmin : 10:21