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2002年12月24日

●未知なる体験

一年程前、グァムに旅行に行った時にスカイダイビングを体験しました。
小さい頃からテレビでスカイダイビングの映像を見る度に、一度機会があったらやってみたい!と思っていたんです。
でも本当に自分がする機会がやってくるなんて思っても見ませんでした。

友人に「グァムに行くならスカイダイビングしておいで!人生観変わるような体験できるよ。」と言われて、ちょっと怖かったけど、チャレンジしてみよう!と決心しました。

ラッキーなことに三日間の滞在の内、私がスカイダイビングをする日だけ快晴のお天気でした。
送迎のバスに乗り込み、飛行場に到着。
空を見上げると、パラシュートで降りてくる人たちが小さく見えます。
それを見ていると、緊張感が湧き上がります。
「いよいよだ・・。」

そして親切な係りのお姉さんの説明を受けて、手続きを済ませていきます。
スカイダイビングをする際は、必ず生命保険に入らないといけません。
その書類を書いたり、免責事項を読んでサインをする時は、さすがに少し怖くなってしまいました。
そして一緒にスカイダイビングをする人達と、どの位の高度まで飛行機を飛ばしてもらうか相談して決めたり、飛ぶ際のビデオを見て説明を受けると、緊張感はピークに達していました。

いざ服を着替えて、インストラクターの人達とご対面。
インストラクター達は、皆、体の大きい白人の人たちでした。
私達の緊張を満面の笑みで打ち消してくれました。

私を担当してくれるのは、一番背の高い、ニュージーランド人で「「Big Foot」というあだ名の人でした。その名の通り、とっても大きな足の持ち主です。
私と挨拶をするなり、「僕はもう何百回と空を飛んでいるから、安心して僕に任せて。」と言ってくれました。
NZに何度か訪れたことがあったのも手伝って、私はすぐにBig Footとうちとけて、「この人に任せていればいいんだ。」と安心しました。

そして器具をつけ、飛ぶ際の体勢などを習って、いざ出陣!
スカイダイビングのユニフォームは映画「トップ○ン」にでてくる衣装そのまんま。
飛行機に移動している時は、なんだかパイロットにでもなるようで誇らしい気分でした。
ドアのない小型飛行機に乗り込むとすぐ、飛行機はどんどん高度を上げていきます。
みるみるうちに、町や木が小さく点のよういになっていって、今度は雲が下に見えてきました。

今回スカイダイビングをする仲間は全部で6人。
その中で、私はBig Footと一番に飛び降りることになりました!
「えぇ〜!一番目!!」と内心叫びながらも、もう既に飛行機の出口付近に移動していました。(体験者はインストラクターのおなか側に器具でしっかり固定されています。)

「いい?1・2・3で飛び降りるよ。」と、Big Foot。
「OK」と言いながら内心、(ちょ、ちょっと待って〜)と思っていました。

その(ちょ、ちょっと待っ・・・!!!)と心の中で言い終わらないうちに、体が宙に浮いていました。
(あっ!体が真っ逆さまーーー!)と思って数秒後、ちゃんと体勢が水平に立て直されました。
そしてインストラクターの指示と同時に、パッと手足を広げます。
今から約15秒〜30秒間のフリーフォールです。

想像と全然違って、実際下に物凄いスピードで落ちているにも関わらず、全然落ちている感覚はしません。
感覚としては、下から物凄い勢いの突風が吹き上げている、その吹き上げている風に押し上げられて飛んでいるような感じです。
その風は私のほっぺをブルブル振動させるくらい激しく叩き、息もできないくらいの勢いです。

そして激しいフリーフォールの後、パラシュートを開いて一気に速度を落とします。
ビヨーンと体が一旦上に持ち上げられ、ここからがスカイダイビングの醍醐味、約3分間の空中遊泳です。

英語で「Air Walk」というのですが、その名の通り体は真っ直ぐ立っている状態で本当に空中を歩いているようです。
この時も下に落ちている感覚が全くなく、静止しているように感じます。
この時の素晴らしさといったら!!!
「生きている!!」ってひしひしと感じました。

眼下には真っ青な青い海が広がっていて、雲もまだ見えます。
海の端は丸くなっていて、地球が球であることを思い起こしました。
よく夢で空を飛んでいる夢というのがありますが、まさに夢の中の出来事のようです。
ゆっくり景色の説明を聞きながら、360度景色を見ながら旋回を繰り返して地上に辿りつきます。
地面に到着する時は一気に地面が目の前に迫ってきます。

無事到着した後は、インストラクターと喜びを分かち合って、その後、「ちゃんと勇気を持って飛び降りました」という認定書がもらえます。
一人ずつ名前を呼ばれて、認定書を拍手と共にもらえた時の喜びも格別でした。

友人に、「スカイダインビングをしたら人生観変わるかもよ。」と言われたことはある意味本当でした。
この体験から色んな気付きや学びを得たんです。

案ずるより生むが易しということ。
高い、大きな視点から物をみれば、悩みなんて本当にちっぽけだということ。
新しい体験をする時、恐れからジタバタ抵抗しないで、信頼して身を任せてしまうことetc・・・。
そして私にとって大きかったことは、勇気を持ってチャレンジすれば、何でもできるっていう自信を得たことです。
それまでの私は、何か折角の機会が訪れた時に、「怖いから。今までしたことないから。」という理由で逃していたこともあったんです。
でも何でも体験してみることだなって、本当に思いました。

未知なる体験をしようと決めて体験した時、私達の視野や心は本当に大きく広がるんですね。

根本理加

投稿者 csadmin : 11:49

2002年12月20日

◇仲間

気が付いてみれば、私が心理学を始めて随分と時が経ちました。
そして自分が心理学を学び始めた時のこと、そしてたくさんの仲間との出会いを
思い出しました。

カウンセリングサービスの源河と初めて出会った時のことは、今でもはっきり覚えて
います。私の方が少し先に心理学を学んでいて、しばらくたったある時の心理学の
講座のクラスで、2人組みのペアに別れて話し合いをすることがあったんです。
その時の相手が、初めて講座に参加した源河だったんです。
確か、初めて参加した源河が私に、色んな質問をしてたことを覚えています。

原と初めて会ったのは、月一度行われているセミナーに原が参加してきた時でした。
セミナーが終わって、皆でご飯を食べている店で初めて会いました。
年齢の割に若く見える原を見て、「なんだか、かわいらしい雰囲気の人だな〜」
(失礼♪)と思ったことを覚えています。

その他の仲間達との出会いもよく覚えています。

まさかその源河や原や他の仲間と一緒に、カウンセラーとして活動することになろうとは
思ってもみませんでした。

そして、夫に初めて出会った時のこともよく覚えています。
パートナーに出会った時、ビビッとだとか、ピンと来た!なんてことをよく聞きますが、
私達の場合は全然でした(笑)
第一印象は「メガネをかけた無口そうな人」でした・・・。(それだけ?!)
実際話してみると、よくしゃべる人だったんですが。

今こうして色んなことを思い起こしてみると、それぞれの仲間との様々な出来事が
甦ってきます。

よく面談や電話カウンセリングで「こういう人の話を聞くお仕事って、
自分がしんどくなったりしませんか?」って聞かれることがあります。
確かに、ものすごくしんどい状況の方の話を聞いているうちに、そのしんどさが
ひしひしと伝わってきて、こちらまでしんどくなってしまいそうな時もあります。

そういう時、確かに一人きりでカウンセリングという仕事をしていたとしたら、
自分がつぶれてしまいそうになる事もあるだろうなって思います。
実際、一人でカウンセラーという仕事を開業して続けていくことはしんどい、
と聞きます。カウンセラーも人間ですから、自分自身をケアする必要があるんです。

その点、仲間と活動を続けられる私はとっても幸せだなぁって感じます。
少々凹んでも仲間と話をすることで、私自身が癒されたり、元気づけてもらうことが
できるんですね。いつも一杯エネルギーをもらっています。
仲間がいるからこそ、こうして元気に仕事を続けることが出来ているんだなって、
改めて思いました。

私は昔、忙しさにかまけて仲間をおろそかにしてしまうことがありました。
例えば、手紙をもらっても返事がものすごく遅くなってしまったり、
出そう出そうと思いつつ忘れてしまったり、出したつもりが出し忘れていたりと、
随分ひどい状態でした。

仲間の有難さをひしひしと感じる最近は、家族や仕事と同様、仲間を大切にするよう
常に心がけるようになりました。

そして自分が仲間を大切にする気持ちが高まる程、仲間からの応援や愛情をたくさん
感じられるようになって、また仲間への想いが高まります。

本当はずっと前から、仲間からの大きな愛情はいつも目の前にあったんですね。
それをこれ程身に染みて感じられるようになったのは、私自身が仲間に対する感謝を
ひしひしと感じるようになったり、心を開いて「ありがとう」と受け取れるように
なったからなんですね。
この気持ち、大切にしていきたいと思います。

もし皆さんがなんとなく一人ぼっちに感じる時、それはもしかしたらあなたが
仲間からの想いを受け取れていない時なのかもしれません。
心を開いて感じてみると、じわじわと誰かからの愛情が伝わってくるのかもしれません。


by 根本理加

投稿者 csadmin : 11:48

2002年12月17日

●感情と記憶

 久しぶりにゆっくりした日の夕方、自宅のバルコニーから町を眺めていました。
私の住む町は山も海も身近に感じられるところで、遠くに見える海が少しずつ茜色に染まりながら揺れていました。
手前の方に視線を落とすと、見慣れた街が少しずつ色を変えていきます。
空を見上げると、西側の山の縁から赤く染まりだし、雲の隙間からすばらしく青い空が顔を出していました。
何だかとても懐かしく、しばし安心感に浸っていました。いつまでも立っていたい思いでしたが、現実に変える時間(夕食の準備!)が来たので名残を惜しみながら台所に入りました。

 食事の準備をしながら、昔は夕焼けの頃になると名残惜しい思いで友達と別れて帰宅をしていたことを思い出していました。
すると、小学校の低学年時代にお隣の一つ年上のお友達と随分遠くまで出かけてしまい(…と言っても子供だから大したことはないんですけどね)ちょうど今の季節だったので「釣瓶落とし」とたとえられるくらいの速さで、そう、あたかも舞台の暗転のように日が暮れ半泣きになって走りながら帰ってきて、家の明かりが見えてほっとしたことを思い出していました。
そのときの母の、安心したような、でもとっても普通に「お帰り」と言ってくれたことも浮かんできました。
叱られる、と思っていたのに叱られなくって拍子抜けしたと同時に、今思うと、安心する場所が有ったんやな、ということを一緒に感じていました。

 私たちの心の仕組みは複雑ですが、とっても単純なこともあります。
こんな風に、心で感じたこと(感情)が忘れていた出来事を、それもしばしばとっても具体的なことを思い出させてくれます。
その思い出が、心を癒す手助けになることが、とっても多いんです。
たいてい、子供の頃の出来事は「忘却の彼方」か、ひどく傷ついたか、とっても嬉しかった思い出か…のような極端な形になっていると思うんです。
その極端な思い出の前後に大事なことが隠れていることがあります。

たとえば、お母さんに手を叩かれた記憶があったとしましょうね。
その時の痛みとかお母さんの形相、自分の泣き声…なんかは覚えているんです。
でも、なぜお母さんが自分を叩いたか、というシチュエーションは覚えていないことの方が多いんです。
例えば、ストーブに触ろうとしていた、とかいった具体的な原因についてとか、叩かれた後で「危ないでしょっ」と抱きしめられたこととかは、忘れてしまっているわけです。

 カウンセリングをしているとき、わけのわからない感情にぶつかるときがあります。
すごく悲しくて見捨てられた感じ、とか、お母さんがとっても怖かった、とか。
それが原因になって人間関係に影響があることが少なくありません。
そうした積み重ねが例えば親子関係のゆがみになっていたり、成長した後の人間関係に影を落とすことになっていることがよくあります。
でも、それは一番衝撃的なシーンだけを覚えていたためであることも少なくありません。
自分がストーブに触ろうとしたため、とか、その後お母さんが抱きしめてくれたことなどは、覚えていないことの方がきっと多いでしょうね。
そして、かくして「お母さんに叩かれた悲しい思い出」が出来上がってしまいます。

 映画やドラマを観たり、本を読んだり、音楽を聴いたり絵を見たり、あるいはもっと日常的なことの中でも、感情が動くことがあります。
でもあまりにも日常的なので、見過ごしてしまっていることが多いのではないでしょうか。
何かのときに懐かしい感情に触れることがありません。
それは、ちょっとしたチャンスです。
でも一人ではなかなかうまくいかないことの方が多いんです。
誰かに話してみるとか、書いてみるというのは、とても有効な手段です。
でも、時には自分の都合の良いようにお話を持っていってしまうことも無きにしも非ず、です。
カウンセリングはこういったときにとても役立ちます。
自分でも思いもかけないことで引っかかっていたり、いつも誰かに見守られていることに「気づいてしまった」り、とね。

 心の探検、もう試されましたか?私たちをガイドに、探検に出かけてみてはいかがでしょうか。

中村ともみ

投稿者 csadmin : 11:47

2002年12月10日

●反応することの大事さ

 友人達とユニバーサルスタジオジャパンに遊びに出かけた時のことです。
丸一日休みを取ってどこかに出かけるというのは、久々だったので僕はこの日を楽しみにしていました。
最初は「楽しんでこよう」というくらいの気持ちで家をでて電車に乗り込んだのですが、ユニバーサルスタジオに近づくにつれて、せっかくだからハメをはずすくらいの気持ちで遊ぼうかなという気持ちが芽生え始めてきました。
そしてユニバーサルスタジオの入り口までくると、すっかりハメをはずしていました。

ハメをはずすといってもたいした物ではありません(笑)
僕なりの今回のハメのはずすという感じはですね、
よくテレビで本場アメリカのユニバーサルスタジオやディズニーランドはこんなところだというのを放送していますよね。
その放送にでてくる外国の人達が「ワァー」とか「キャー」とか驚きや感動を口にだして、おもいっきり楽しんでいるシーンがありますよね。
この「ワァー」とか「キャー」とか驚きや感動を口にだしておもいっきり楽しもうというのが僕のハメをはずすというものでした。

友人達6人と彼女と僕合わせて8人で遊びに行ったのですが、
皆さん僕以上に「ワァー」とか「キャー」と騒がれていたようでした。
そんな8人の集団で、『ジョーズ』というアトラクションに行きました。
『ジョーズ』というアトラクションはユニバーサルスタジオのスタッフがボートの船頭役となってクルージングしている内に映画『ジョーズ』のように鮫がボートを襲ってくるという設定のアトラクションです。

8人の集団はボートに乗り込み、ユニバーサルスタジオのスタッフ○○さんの
案内によりクルージングを楽しんでいました。
そして予定どおり、ジョーズがボートを襲ってきました。
「皆さんジョーズが襲ってきました。」という○○さんの声に
8人は「ワァー」とか「キャー」とか驚きや感動の声を・・・
それ以外にユニバーサルスタジオのスタッフ○○さんに向かって
「キャァ〜○○さん助けて」
「○○さん、鮫が、鮫が襲ってきたー」
という呼びかけをしていました。
するとユニバーサルスタジオのスタッフ○○さんは、
「大丈夫です、退治します。」
と反応してくれます。
この反応してくれたことは僕達にとってとても嬉しいことでした。
そしてますますアトラクションが盛り上がりました。僕達は続けて
「○○さん、がんばってー」
等、ユニバーサルスタジオのスタッフ○○さんに応援の呼びかけをすると、
「後ろに座っているテンションの高い8名様、ありがとう、がんばります」
という声が返ってきました。
この声で更に8名は大盛り上がりになりました。
そしてアトラクションが終わり、ボートを降りるときに、ユニバーサルスタジオのスタッフ○○さんは
「8名の皆さん終わりまでこのテンションで楽しんでくださ〜い」
とボートに付いているマイクを使って声をかけてくれました。
どうやら、○○さんも自分が船頭役として
「皆さんジョーズが襲ってきました。」
という声に対して
「キャァ〜○○さん助けて」
「○○さん、鮫が、鮫が襲ってきたー」
と反応した僕達は楽しいお客だったようです。


人は自分の話す言葉や、態度に対して反応してくれると嬉しくなります。
逆に、反応がないとき寂しい気持ちになったりする時があります。

例えば「おはよう」という呼びかけにたして、なんにも反応が返ってこないことは、あまり良い気分じゃないですよね。
パートナーに「愛しているよ」と言って、何の言葉も返ってこなかったり、無表情だったりすると悲しい気持ちになったり、嫌な感じがしたりします。
逆に「おはよう」という呼びかけに対して「おはよう」という言葉が返ってくると良い気分になります。
「愛してるよ」という言葉に笑顔が返ってきたり、「私も愛している」という言葉が返ってくると嬉しくなります。
反応することは対人関係においてすごく大事なポイントだと思います。

リーダーシップの立場になると特に反応することが大事になってきます。
親子関係だったら、子供に反応してあげることがとても大事になってきますし、
会社だと部下の言葉に注目したり、答えてあげるなど反応することがとても大事になってきます。
例えば親子関係で小さい男の子が「お母さん」と呼びかけて何の反応も返ってこなければどんな感じがすると思いますか?
もしかするとすごいショックを受けるかもしれないし、
「僕はお母さんに嫌われちゃったんだ」と思い込むかもしれませんし、
「なにか悪いことをしたのかな?」と思い込むかもしれませんね。
なぜならお母さんの立場や、影響力はそれほど大きいものだからです。
これは会社に置ける上司と部下の関係にも当てはまります。
部下が「社長」と呼びかけてなんの反応も返ってこなければ部下は、
「仕事でミスがあったのだろうか?」
「もしかして、リストラ?」
と勝手に思い込むかもしれません。
それほど上司という立場は大きいし、影響力も大きいからですよね。

逆に「お母さん」という呼びかけに対し、「なあに?」と反応してくれると嬉しいですし、「社長」という呼びかけに「君かぁー、最近がんばっているね」と反応してくれたりすると嬉しいですね。
リーダーシップの立場になると反応することはとても大事になってくると思います。

今回のユニバーサルスタジオのスタッフ○○さんがしてくれた、
「大丈夫です、退治します。」とか、
「後ろに座っているテンションの高い8名様、ありがとう」という
反応は僕達を喜ばしてくれる見事なものでした。
今回、あらためて"反応すること"の大事さを学ばせてもらいました。
ユニバーサルスタジオのスタッフ○○さんありがとうございました。

原 裕輝

投稿者 csadmin : 11:47

2002年12月 6日

◇意外な才能

男性にしては少し高音で、丸みのおびた僕の声は、人が聞くとやさしい声に聞こえたり、
ほっとする声に聞こえるそうです。
今でこそ、人から原さんの声を聞くとほっとすると言われるとすごく嬉しいのですが
昔は自分の声が大嫌いでした。

その訳は、高めの声は僕にとってまるで男らしくないように感じていたからです。
僕は幼い頃は色の白い可愛らしい子供でした。
色が白くて、声が高くて、かっこいいというより可愛らしい顔立ちをしている子供で、
黒いランドセルを背負っているのに女の子によく間違われていました。

「お譲ちゃん、駅に行くにはどっちに歩いていくといいか知ってる?」
「お譲ちゃん可愛いね」

小学校の登下校中、道端であう見知らぬおじいさん、おばあさんによく声をかけられた
ものでした。

僕にとっては「可愛い」と褒められたと感じず、男らしくないと言われているように
感じていました。そしてそれはコンプレックスになっていきました。
今思えば、剣道や柔道などの武道を学んでいたのも男らしいというのを証明したかった
のかもしれません。
高めのこの声が「お譲ちゃん可愛いね」と思わせるんだと声が男らしくないという
ことにコンプレックスになっていきました。
そして自分の声が大嫌いになっていました。

その大嫌いだった声が、カウンセラーになった今クライアントさんに優しい印象を
もってもらったり、ほっとしてもらえたり、安心感をあたえる才能になっています。
今はこの声に生んでもらってよかったなと思えます。
皆さんも今持っているコンプレックスが意外な才能に変わる日がくるかもしれませんね。

by 原裕輝

投稿者 csadmin : 11:46

2002年12月 3日

●役立たず

先輩ママたちはこぞって、妊娠中どれぐらい自分を大事にしなきゃいけないのかをよ〜く言って聞かせてくれます。
大事にしなきゃ、あんな怖いことや、こんな辛いことがたっくさ〜んあるんだと、
決してそうなっちゃいけないんだと、自分自身の経験を通じてアドバイスをしてくれます。
みな、まるで自分のことのように気遣ってくれ、たくさんの暖かい気持ちを送ってくれる。
初産の私にとっては心強い味方がたくさんいます。

にも関わらず、私は妊娠してこれで2度目の風邪をひいています。
気をつけているつもりではいるものの、間が抜けているのか、体力がないのか・・・
なんだか情けない気持ちでいっぱいになってしまう。

こんな私でもセラピーを学び始めた頃は、親が子供に及ぼす影響や、出生時のトラウマがどれぐらいその後の人生に影響するのかに多大な興味を持っていて、「自分が子供を生むときは・・・」とか、「こんなときには子供にこう言う」とか、ありとあらゆる”いい”と思えることにこだわりをもって挑もうと心に決めていたものでした。

「妥協は許すまい。」
そう。思うのは簡単です。いとも簡単に私はそう思っていました。
でもカウンセラーとしての経験が重なれば重なるほど、そうは思えなくなってきたんです。
なんだか、どんどん墜落していくような、どんどんダメな人間になっていくような気さえします。
「私が母親?は!笑わせんじゃないわよ」ぐらいのことは言いたくなるぐらい、どこからどう見ても、どうしようもないヤツにしか感じられない。

二十歳で私を産んだ母は、いろんな顔を持っていましたが、一貫して見えていたのは”母親らしくない”ということでした。
だったら”母親らしい”とはどういうことを言うんだ?となれば人それぞれなんですが、私が母に感じていたのは「完璧主義」と「ボロボロの弱さ」でした。
そして、その逆を生きようとしてきたものです。
楽観的でおおらかで、強くたくましく・・・

「完璧主義」は、とうの昔に音を立てて崩れ去りました。
私は、歩く”どうにかなるさ”です。
でも問題はもうひとつの「ボロボロの弱さ」。
これには終りがないように感じてしまいます。
見つめても、つきつめても、向き合っても、この弱さは度を増していく。

自分の母を”母親らしくない”と感じたのは、
母親っていうのは、強くてたくましい、”そうあってほしい”という私の欲求でした。
それが、母も人間、発展途上で当たり前さと思える頃には、その欲求は自分自身に向かいます。
そして”強くなりたい”一心で、ここまでやってきました。
が、感じるのは弱さばかり。
まさに母親らしくない母親になっていくことにブレーキがきかなくて、
だからよけいに、自分では気付かないところで無理をしてしまっているのかもしれません。

でも、「絶対あんな風にはなりたくない」と思えば思うほどなってしまうことは、百も承知。
そこで”一番なりたくないって思った母親”を引っぱり出してみる事にしました。

精神科にかかるようになってから、母は頻繁に自殺未遂を起していました。
それが対処できる範囲でならまだなんとか「しゃーないなぁ」と言いながら、病院まで運び込んだものです。
でも、ある日、ここから遠く離れた東京で起してくれたんです。
カウンセリングのカの字も知らない頃ですから、電話口でどうすればいいのかわからず、窮地に立たされたことがありました。
忘れもしません。泣きながらなんとか思いとどまらせようと説得している自分が、なんだか”イケない”ことをしているような感覚に襲われたんです。
もしかしたら、このまま静かに死なせてやるほうが、母にとっては楽なのかも・・・と、自分の無力さに立ちはだかられて、暗闇に飲み込まれそうに、というかすでに飲み込まれていました。
わけもわからず、かかりつけの精神科医に連絡を取り、なんとかしてくれ!と頼みますが時間が時間で取り合ってくれません。仕方がないので指示を仰ぎ、今は義父となったひとの仕事先に帰ってくれと電話を入れ、また電話で繋ぎとめる、まるで無意味にも思えた時間でしたが、今思えば精一杯のことをただやっていました。

でも、どれぐらいの年月が流れようと、死にたくなるような気持ちになる人のそばにいることはできても、その死にたくなるような気持ちそのものの前では、ただただ役立たずな自分がいます。
これが私にとって、最大の恐れでした。
もしあの時失敗をしていて、母を亡くしていたとしたら、この恐れは怒りに変わっていたかもしれません。
カウンセラーなんかにはなっていなかったかもしれない。
よ〜く考えてみると、あの頃となんら変わっていないのかもしれないし、私は未だに役立たずのような気がしています。

ただ、ひとつだけ、こうして弱くなりつづける私にとって強みになったのは、
役立たずでもいいから、死にたくない、と思えるようになったことです。
もし暗闇の中に足を踏み入れても尚、その先に暗闇が続いていても、ゴキブリのようにしぶとくその中で生きてやる。
間違っているのかもしれませんが、こうして少しずつ、母親らしくなっていけたら、と思います。

源河はるみ

投稿者 csadmin : 11:45