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2002年10月29日

●見落としていた愛

 まだ、僕がプロカウンセラーではなく、カウンセラーを目指していた頃のお話です。

当時僕は神戸メンタルサービスのカウンセラー養成講座でカウンセラーになる為に勉強していました。カウンセラー養成講座の初級コース、中級コース、上級コースを進むにつれ夢であったカウンセラーになるということが現実化する感触がしていきました。
夢が手に入ると思うにつれ、プロカウンセラーになる為に取り組むべき悩みもでてきました。
僕の夢はプロカウンセラーになること、その夢を実現していく祭に立ちはだかる悩みは、当時勤めていた会社との関係をどうするかということが悩みの一つでした。
会社に勤めながら空いている時間を利用してカウンセラーをするのか、
会社を辞めてカウンセラーのみで身を立てていくのか、
はたまた、カウンセリングをしやすい環境の会社に転職して、会社勤めをしながらカウンセラーとして生きていくのか。

僕の決断は、会社を辞めてカウンセラーのみで身を立てていくことでした。
そこで、また悩みがでてきました。
僕の次の悩みは母親にこのことを説明しなければならないことでした。

僕は父親を幼い頃に亡くしています。
そのことで母親は、子供に不憫な思いをさせていないかという想いがあるので、幸せになって欲しい、安定した幸せを手に入れて欲しいという思いがあります。
特に母親自身が、夫の病気、入院、死別、仕事の問題、お金の問題、etc・・・
波乱万丈な人生だった為、『安定』ということに関して強い思いがあります。
母親にとって会社勤めしているということは、お給料を毎月もらえて、退職金もあって、厚生年金や、社会保険などしっかりしたものもある、ボーナスもあって、まじめに勤めていたら、それなりに給料もあがり、いずれ家を買うこともできる、まさに安定の象徴だったわけですね。
僕が会社に勤めているということは、子供が安定を手に入れて幸せな人生を送れるはずだという安心がありました。
その母親にとって僕が「会社を辞めてカウンセラーになる」ということは、安心していた心が揺れ動かされ、とっても不安になるだろうと僕は思っていました。
僕は母に苦労して女手一筋で僕を育ててくれたと感じているので、これ以上母親に迷惑かけたくない、母親がこれ以上心労が増えると倒れてしまうのではないかという想いがあり、母親を心配さすのが一番嫌でした。
逆を言うと僕は母親から心配されるのがなによりも嫌でした。

でも、勤めている会社を辞めてカウンセラーになることはきっちり説明して筋は通しておかなければという思いもあり、とっても気が重くなっていました。

そしていよいよ母親に説明する機会がおとずれました。
カウンセラーになりたいという夢、職業としての可能性、将来の展望をしどろもどろになりながら説明していきました。
その説明を聞いた、母親の意見は

「そんなんで食べていけるの?老後になってやっぱり会社につとめといたほうが良かったって思っても遅いんやで、子供ができて大きくなったらお金もかかるし、この不景気の中・・・・」

『ああ、やっぱり』と思う予想通りの回答でした。

母親が納得できる形で会社を辞めないと、不安にさしてしまうだろうと考えていた僕は解ってもらおうと何度も説明しました。
そして説明が説得という形になっていき、最後の方には、なんで解ってくれないんだという怒りになっていました。
結局最後は、母親を安心さすことができないまま、「僕はカウンラーになる」という自分の意見を押し通す形で話し合いが終わりました。

話し合いが終わりしばらくして
『やっぱりこういう形になったか、これからもずっと解ってもらえないままだろうなと』
と思っている僕に母親が語りかけてきました。

「私はあんたの母親だから、子供の幸せを願っている。
 いくらあんたが心配せんでも大丈夫って言っても私は心配する。
それは幸せになってほしいから、ああでもない、こうでもない思うから心配してしまう。反対もするだろう。
 でも、あんたの人生はあんたのものやからあんたが望むように好きにしたらいい。
でも、私はあんたの母親やから一生心配しつづけると思う、それは解っといてな。」

僕はこの母の言葉を聴いてあることに気づきました。
僕は今まで、母が心配しているということは、母に迷惑をかけていると思っていたんですね、でも、この時の母の言葉で母が心配してくれているということは、愛してくれているんだということに気づけました。
僕は今まで母の愛情を受け取れていなかったということにも気づきました。
幼い頃病気になった時病院につれていってもらったこと、仕事が忙しい中ご飯を作ってくれたこと、心配をしてくれていること、僕に与えてくれること、時間をさいてくれること、僕は迷惑をかけていると思っていたんですね。
でも母親はただ僕を愛してくれていたのだということに気づきました。
そして何十年間も見落としてきた母の愛情をようやく受け取ることができました。母が言ってくれた言葉はとても胸に響きとても嬉しく感じるものでした。
僕の幸せをこんなにも真剣に思ってくれてるんだなとも感じました。
今でも、この言葉を思い出すと胸に感動がよみがえります。
そして、こんなにも愛してくれていた母に感謝の想いでいっぱいになります。

感謝の想いでいっぱいになった僕はただ、
「ありがとう」
という伝えたんですね。
母に僕が愛情を受け取ったこと伝わったんでしょうね、そう伝えたときの母は照れくさそうに笑っていました。

僕たちは、自立していくと誰にもたよらない、一人でがんばるということを学んでいきます、そうすると誰かの世話になることや、誰かの力を借りることが
迷惑をかけているように思えてくるんですね。
でも、それは迷惑ではなくて、ただ愛してくれていただけのことかもしれません。
そうやって愛してくれることを見落としていたこと、愛を受け取っていなかったことって、いっぱいあるのではないかなと思います。
せっかく相手が与えてくれている愛を、愛ではないといっているようなものですから、それは見方によると傲慢さかもしれません。
これからは、まわりにある愛情をこれから見落とさずに受け取って行きたいなと思います。

原 裕輝

投稿者 csadmin : 11:39

2002年10月25日

◇ちょっとした遊び心

私はカウンセラーの仕事の傍ら、主婦業もしています。

結婚前は母親に甘えていて、あまり実家では家事をしてこなかった私がきちんと
主婦業をこなすことが出来るのか?結婚当初はとても不安でした。
主婦業って、やってみて初めてわかりましたが、毎日同じ事の繰り返しなので結構
大変です。そして手を抜くことも出来るし、一生懸命取り組めば取り組む程、
出来ることは果てしが無いので、本当に自分次第なんですよね。

元々、かつて会社に勤めていた頃からルーティンワークが苦手だった私は、
主婦業にも気を抜くとマンネリを感じてしまい、嫌になることがあります。

でもそういう時っていうのは、ちょっとした遊び心やチャレンジ精神が欠けている
時なんですね。
適当にやっていても成り立ってしまう所が主婦業の恐い(?!)ところです。

そんな時私は、インテリア雑誌を見たり、オシャレな雑貨屋さんや、カフェに
出掛けて自分に刺激を与えることにしています。
すると、ムクムクと遊び心が刺激されて、自分の家の改良プランが頭に浮かんで
くるんです。
先日も「そう言えば、最近お花を飾ることを忘れていたなー」と思い、お気に入りの
花屋さんに出掛けたんですね。
そこの花屋さんはステキな雑貨類も置いてあるんですが、花を選んで何気なく店内を
見ていた私は、とっても素朴でかわいい、フレームがボックス型になっている鏡に
釘付けになりました。(木製の収納ボックスの底面に鏡が張ってあるような感じです)
リビングに鏡が欲しいなと思っていた私は、値段も安かったので早速買ってしまい
ました!そして、リビングの壁に鏡を取り付けて、フレームの所に小さなガラス瓶に
お花を飾って、その出来栄えに大満足でした。

鏡をちょっと取り付けただけで、部屋の雰囲気ってガラッと変わるんですね。
すると、気分も一新して家事をするのも楽しくなっちゃうんです。

この遊び心っていうのは、とっても大切だなって思います。
私達の生活はともすれば、毎日毎日同じ事の繰り返しのように感じてしまう時が
ありますよね?そういう時はきっと心が疲れていたり、ストレスが溜まっていたり、
たいくつな時ではないでしょうか?

私は昔それを解消してくれるのは自分ではなく、周りの人だったり、何か非日常な
出来事が起こった時だと思っていました。
でも、それは違いました。
自分で楽しい事を探す、作る、ということが出来るんですね。

子供達っていうのは、いつもちょっとした事で感激したり、喜んだり、退屈な毎日
なんてあり得ない感じですね。

私もちょっとした遊び心っていうのを忘れないようにしたいです。

by 根本理加

投稿者 csadmin : 11:38

2002年10月22日

●真剣と深刻

ある友人と久しぶりに会い、とことんしゃべりたおした後、
「結局人間、バカになるしかないんじゃないか?」という結論に至り、なぜか私は妙に納得感を感じながら、
その友人を玄関から見送っていました。
なぜ、バカになるしかないのかというと、”真面目に生きたって所詮世の中こんなもん”なのではなく、
あらゆることを思い悩み、考え、試行錯誤し、葛藤して、たとえ何年心理学を学んでいたとしても、
その理論も、方法論も、考え方でさえも、結局は自分を追い詰めるものにしかならずに、ただただその場にじぃ〜っと居続けるはめに陥ってしまう・・・”どんなに賢くなったって所詮苦より楽なのよ”だからです。
真面目に、そしてひたむきに、自らの悩みに立ち向かう事は、ある意味”真剣”勝負。
それが人様のものであるなら尚のこと、です。

でも、”深刻”であってはなかなか前に進めないのです。

「こんなこと、人から見れば大したことじゃないのかもしれませんが・・・」
いえいえ、他人から見てどうなのか?は、悩みや痛みには関係がありません。
肝心なのは、自分がどう感じているのか?だからです。
でも、
「私にとっては、とっても重大なことなんです!!私はひどく傷ついているんです!!」
いえいえ、それを他人にわからせようとはしなくてもいいんです。
自分自身の傷が”深刻”な状態である事を、”真剣”に訴えたとしても、それはその深刻さにとっては、なんの得にも助けにもなりません。

私たちはよく、この深刻さと、真剣さを取り違えてしまいます。

「お金が無い・・・」
深刻な問題です。切実な問題です。
そこで、「お金が全然無い・・・一体どうすりゃいいんだ?」と、いくら深刻になっても、一向にその問題が解決される事はあり得ないし、それどころかどんどん気分が沈んでいくだけで、重〜く暗〜くなってしまうだけです。
でも、「お金が無いぞ・・・一体どうすりゃお金が入ってくるんだ?」と、真剣にこの問題に取り組んでみると、なにかしらの答やひらめきや感覚がやってくるもの。
単純に言うと、深刻なときには必ず自分以外の誰かのせいにしているし、真剣なときには他の誰をも気にしていなかったりします。

それが深刻なのかどうかは、自分自身が決めること、そして深刻なままでいるのか、真剣になるのかもまた、自分自身が決めていいことです。

どうして「バカ」って、「馬鹿」って書くのかしら?と思い、そこに勝手に私なりの理由をつけてみました。
それは、”馬なのか鹿なのかも見分けられないくらい、なにかに夢中熱中している状態”。
そう、バカになるしかないという諦めにも似た私たちの結論は、今以上に真剣に生きる、ということでもありました。
それも、”楽しく”です。
というより、みなさんこんな経験はありませんか?
真剣になればなるほど、そしてそれが情熱的であればあるほど、笑いがこみ上げてくる。
とことん、そこに自分の全てを注げば、フッと水面から空中に出た時のような開放感がやってきます。
深刻は苦しいけれど、真剣は楽しいものです。

源河 はるみ

投稿者 csadmin : 11:37

2002年10月15日

●心の持つ力

私は父や身近な親戚を病気で亡くしたり、私自身体が弱いことがあって以前から心と体の関係について興味がありました。

ある本を読んでいた時にこんな実験のことが書いてありました。
2つのガラス瓶を用意します。
同じ分量の水を入れて、そして生のお米を同じ分量入れます。この2つのガラス瓶の条件は同じにしておきます。
そして、一方には「大嫌い」と毎日言い続けて、もう一方には「大好き」と言い続けます。すると、何日かが経った時に、「大嫌い」と言い続けた方はまっ黒く腐ってしまうのに対して、「大好き」と言い続けた方は黄色く発酵してくるそうです。
そしてこの実験は何度やってみても同じ結果になったそうです。

これを読んで私は驚いたのと同時に、こんな事を思い出しました。

私がまだ子供の頃、ある時母が同じくらいの大きさの生のひょうたんを2つ、かわいいからと言って買って帰ってきたんです。
そして、私と妹で1つには笑顔を、もう1つには泣き顔を書いて飾っておいたんです。
すると、しばらくして笑顔の方のひょうたんはそのまま干からびて、もう1つの泣き顔の方は黒く腐ってしまったんです。
その時は不思議としか思っていませんでしたが、このことを思い出した私はただの偶然だけではなかったんだなぁ・・・。と思いました。

そして最近読んだガンに関する本は、末期ガンにかかった患者さんで、症状が似ていて生き残る確率がほぼ同じ位の人で、生き残った方とそうでない方は一体何が違うのか?という研究をしたレポートが載っていました。
すると、その本によると生き残った方々に共通するのは、まず「絶対生きてみせる!病気に負けない!」という強い信念があったそうです。
そして何かその人がガン克服に役立つと信じるもの、それは個々人で違うのですが、ある人は信仰、ある人は絶対効く!と信じた健康食品、ある人は食事療法、ある人は化学療法、ある人はカウンセリングやセラピーetc...を信じて続けたことが大きいようでした。
そして、心理カウンセラーをしている私は「なるほどな。」と思ったんですが、誰か、家族や友人やお医者さん達、「人」との繋がりがあるというのもその方々に共通していたようです。
私が経験したり色んな人を見てきて思うのは、心の病にしても体の病にしても、人との繋がりが感じられない時にひどくなる傾向にあるように思うんです。

そんな色んな本を読んで自分自身を振り返った時、ずっと体調が悪かった私には自己攻撃が強かったことに気付きました。
自分の体に対して、「何て弱いんだろう。情けない」という思いや、体調を崩した時に「まただ!いい加減にしてよ」と自分の体を責めてしまったり・・。
自分で自分の体やしんどいという状況を受け入れられないでいました。
そして心も体もしんどくなってしまっていることがありました。

そんな心も体も疲れてしまって、物事を悪い方にしかどうしても考えられない時に、ちょうどお休みがあって旅行に行くことになったんですね。
でも体調が、特に胃腸が思わしくなかったので「大丈夫かなぁ?せっかくのおいしい料理も食べれるかなぁ?」と行く時は、不安な気持ちで出発しました。

ところがおいしい空気を吸いながら、自然の美しい景色を見て散歩をしたり、キレイな水、新鮮な野菜と魚と地鶏を使ったお料理(これまた量がたくさんあったんですが、おいしくてペロリと食べてしまいました。)を頂いているうちに、まるで重たいおもりを降ろしたように心も体もすごく軽やかで活力が湧いてきたんです。
あのまま家に居たら、到底食べることのできなかった量と料理の内容だったのに本当にペロリと食べれて、そしてかえって胃腸が元気になったんですね。
これには本当に驚きました。

もちろん自然に触れることで、そしておいしい水・空気・食べ物で癒された部分も大きいと思うんですが、何より環境を変えた結果、私の自分の体に対する気持ちや考え方が変わったことが大きかったんです。
自然の中にいることで、ゆったりとした気分になった私は自分の体に対して、すごく優しい気持ちになれたんですね。
自然と「いつもありがとう。弱いながらもがんばってくれてありがとう。」と思えたんです。

このことに気付いた私はこれだ!!と思ってそれ以来、自分自身に対して優しい気持ちで接することを始めました。
すると、前は旅行から帰って日常に戻った時に、また元の悪い体調をぶり返していたんですが、それからは以前と比べられない位状態がいいんですね。
今までは自分の心の力を負のエネルギーに使っていたんですが、それからはプラスの方へ使うことができるようになりました。

私達が思っている以上に心の持つ力は偉大です。
その力をどう使うか?それは私達次第なんですね。

根本理加

投稿者 csadmin : 11:11

2002年10月11日

◇飼ってみたいペットはなに?

Q1.あなたが飼ってみたいペットはなんですか?犬が飼っていたいでもOK、
   ドラエモンを飼ってみたいなどの空想上のものでもOKです。

Q2.そのペットが好きな理由はなぜですか?


A. ペットとは愛すべき象徴です。ペットが好きな理由というのは、あなたが
   他人からこう思われたいということをあらわしています。
   例えば、大きな犬がを飼いたい、その理由は人なつこくて可愛いからと答
   えたとします。大きい犬の愛すべき理由が人なつこくて可愛いということ
   は、私も愛すべき人になる為には、人なつこくって可愛いと人から見られ
   い、人から思われたいということになります。
   ということは、
   「私は人なつこくって可愛いと思われたい」
   という思いがあるということになります。

   [−心のエクササイズ−]   
   「私は○○と思われたいです。」と口に出してみましょう。
   口に出してみてどんな感じがするか感じて見ましょう。
   それが、隠された思いであればあるほど、
   「あっ、私こんなこと心の中で思ってたんだ」と頭で考えることと、心で
    感じていたことが一致し新たなる気づきがあるかも知れません。

by 原裕輝

投稿者 csadmin : 11:09

2002年10月 8日

●男と女の違い

恋愛や夫婦関係などのパートナーシップ・カウンセリングをしているときに必ず出てくる問題というのが、今回のタイトルになっている男と女の違いについてです。
女性によってはよく「彼の気持ちが全然わからない」「男ってほんと鈍感・・・」と悩んだり、呆れたりすることもあり、一方、男性にとっては「女心とナントカっていうし、分からんもんやで」とハナから諦めてる雰囲気もあります。

特に同性の兄弟や姉妹しかいない場合には結構その傾向は顕著だったりします。
ある友人A(弟と二人兄弟)と友人B(姉と妹の3人兄弟)との会話。

A:「女の子って苦手なんよね。なんか、こうきれいなイメージばかりあってな。ついつい彼女が出来ても大事にしすぎるっていうか、どう扱っていいのか分からへんねん。」
B:「それはなあ、女の子をきれいに見過ぎやで。うちの姉貴の部屋一度見したろか?愕然とすんで」
A:「え?どういうこと?」
B:「足の踏み場なんてほんまないねんで。お前の部屋よか汚いかも知れへん」
A:「・・・・・・・うそっ・・・まじ?・・・・ほんま?・・・信じられへん」

もちろん、女の子の部屋は一般的に男性よりははるかに片付いていることが多いんだろうだけれど、中にはそんな女の子もいる、ということがなかなか男性には受け入れられない事実だったりします。
そういえば、僕のある友人はとてもかわいくて男性にもてる方なんだけど「引越しするときは家を燃やしたい」(それくらい散らかっている)と言っていました。

一方、妹1人のうちの奥さんは初めて付き合った彼に対して「彼ってきっと変態なんや・・・」と堅く信じていたそうです。それが僕と付き合い始めてから一気に「男ってみんなそういうもんなんや・・・。っていうか前の彼の方がまだ普通だったかもしれん・・・」と信念を変えられたそうです。
何をもって彼女が変態と感じていたのかは・・・・・。

僕がまだ付き合って真も無い頃、奥さんの家に初めて遊びに行ったとき、既にお父さんは亡くなっていらしたので、おばあちゃん、おかあさん、奥さん、妹の女ばかり4人の家族だったんです。
家の中はどこを見ても女らしい家でした。
僕以前の彼は家にあまり寄り付かなかったようで、その気持ちも分かる気がします。
男にとってはきれい過ぎるのか落ち着かずにそわそわしてしまいそうでした。
ちなみに僕の家は父が仕事で家を空けがちで、かつ離婚してからは母と妹二人の女だらけの家で育ったので、案外女性らしい部屋というのには抵抗がなかったのか、すぐに慣れて落ち着けたんですけどね。

一方で男の部屋ってのは女性からみるとまあ色気が無いものらしく、彼女と付き合うようになると色々なものが搬入されて、華やかになったものでした。

部屋ひとつだけでこれくらい感覚が違うんですから、日常の一つ一つの出来事でお互いが行き違いを生じるのは当たり前のことかもしれません。

例えば、カウンセリングルームへの道案内をするときも男性向けと女性向けでは違います。
男性向けには、江坂駅を下りて7番出口を出てそのまま東に直進し、1つめの信号を右に曲がってください。そこから50mくらいの左手に・・・云々という伝え方をします。
でも、女性には江坂駅の改札を出て左に進むと歩道橋があるのでそれを渡ってください。そうすると右側に薬局やホテルがあって、信号があるのでそこを右に曲がって下さい。そうすると半地下の居酒屋とカフェが並んでいるビルがありますので・・・という伝え方をしています。

これは男性が一般的に理論的に、女性が感性的に物事を捉えることに由来します。
(もちろん、そうではない方もとても多いですよ)
だから、どっちがいいとかどっちがあかんとかいうことはありません。

特にカウンセリングで僕がお伝えしてるのは、男性は平面的に、女性は直線的に物事を考える、ということですね。

昔からある男女のケンカに
女「あなたは私と仕事とどっちが大切なのよ!」
男「どっちも大切に決まってるだろ!」
女「そんなの嘘よ!じゃあ、なんで最近連絡くれないのよ!私のこと嫌いになったんだわ」
男「今は仕事が忙しい時期だからだろ!なんでそんなことも理解できないんだよ!」
女「ほら!私より仕事の方がいいんだわ。ふん」
というものがありますが、これが典型的な例ですね。

大切なものが「仕事」「恋人」「趣味」「友達」だとしたら、男性というのはその4つのバランスを取ろうとします。
だから仕事が忙しいときには仕事に集中して、恋人を放っておいてしまうようになります。
男性は一般的にひとつのことに集中し始めるとなかなか他のものに気が回らないところがありますので、仕事が忙しければ忙しいほど他のものに目が向かなくなります。だから、食事や睡眠などもおろそかにしがちなんですね。
そして、特にどれも忙しくないときも趣味や友達も大切にしますから、
「先週は彼女とデートしたから、今週は奴らと遊びに行きたいなあ」と思います。

ところがそれは女性にとっては、万死に値する行動になるわけですね。
それは女性にとっては、自分なりの優先順位というのがはっきり決まっているからです。
多くの女性にとって圧倒的に優先されるのが「恋愛」ですね。
恋愛し始めると他のことはどうでもよくなり、全エネルギーを恋愛に注ぎ込みます。
だから、失恋した後は当然仕事なんてできませんし、自分の人生は終わってしまったような気持ちになることも多くあります。
また、彼氏とラブラブなときは友達と遊んだりすることはかなり後回しになりますね。
(彼氏が仕事のとき、会ってくれないとき限定になったりします)

でも、エネルギーを集中する分、失恋したときは「失恋しましたぁ〜」ってモードに入り、「もう私の人生は終わったわ・・・」と日がな友達に電話し、カウンセラーに泣きつきます。ところが結果的に失恋モードに集中するためにその痛みがどんどん解放されて癒されてしまい、しばらく後にはすっきりした顔になってます。
一方男性はバランスを重視するために、失恋したショックを他のものに影響させないようにするためになかなか痛みを解放できずに、結果的に長い期間失恋を引きずってしまうことになります。

また、男性は結果を、女性はプロセスを大切にするのが一般的。
これは僕も過去に犯して痛い目に会ったことがあるんですが・・・、彼女が行きたい!っていっていたレストランで楽しい時間を過ごしたとします。
そうすると男性の頭には「このレストランは彼女を喜ばせる」とインプットされます。
一方女性の頭には「彼と素敵な時間を過ごしたレストラン」とインプットされます。
そうすると男性は、会社の女の子達と食事に行くときに彼女たちを喜ばせようとそのレストランに予約を入れたりします。

それもやっぱり打ち首獄門級の裏切り行為になりますね。
「私の大切な思い出をふみにじったわね・・・」という怒りが爆発するわけです。
でも、男性からすれば「二人で行くことに意味があるんちゃうの?」という気持ちですから、なぜ彼女が怒るのかが分かりません。
そこに彼の悪気はあんまりなかったりしますので、その彼女の怒りに理不尽さを感じて逆ギレすることになります。

あと上と似たような例ですが、男性は目に見えるもの、耳に聞こえるものを、女性は感性に訴えるものを大切にしますね。
女性は彼に向かって色んなサインを出します。
寂しいよ、かまってよ、浮気するわよ、最近浮気してるんじゃない?とそれとなく探りを入れたり、仕草で示したりします。
でも、仮に女性が10個そんなサインを出したとき、男性はそのうちいくつを受け取れるでしょう?
1個でも受け取れる男性はなかなか優れもの。
女心がわかるといわれる男性でも3,4個がせいぜい。

女性にとってはそんなサインもコミュニケーションのひとつですから、十分訴えてるつもりなんですが、男性は「言いたいことがあるならはっきり言えよ」スタイルを貫いていますから、気付けないんですね。
だから、彼にどれだけ訴えても分かってもらえない、とか、彼が何を考えてるのか分からない、なんて気持ちが女性の側には発生します。
一方、受け取れない男性は突然の彼女の心変わりを見て「秋の空と女心」とはよく言ったものだ・・・という目に会うわけですね。

あと良くある話ですが男女の決定的な違いをひとつ。

ある朝の根本家の会話。
僕「理加ぁー、バターどこ?」
妻「あるでしょ?3段目の右の方に。」
僕「え?ないでー」
(つかつかとスリッパの音)
妻「ほら、あるでしょここに!なんで見つけられないのよ」
(目の前にバターを突き出されて)
僕「あ、ほんまや・・・」
(ビールとかお菓子とか好物はすぐに目に付くのに)

あるデートでの会話。
妻「駅を降りてまっすぐ行くと看板が出てるからすぐ分かるって」
僕「あ、あったあった。あそこやわ」(と100mくらい先を指す)
妻「え?どこどこ?あの銀行の辺?」
僕「ちゃうちゃう。そのもうちょっと向こうのファミレスの向かい」
妻「えー?ないよー。うそつき」(体を乗り出す)
僕「もうちょっと行けば分かるって」
(50mほど進んで)
妻「あったあった、ほんまや。ファミレスの向かいやね」

男性は一般的に広い面を見て空間的に物事を捉えようとするのに対して、女性は身近な範囲を繊細に見てますから、この違いが生まれます。(近視、遠視、老眼等は関係無く)

じゃあ、そんな違いのある男女は永久に分かり合えないのか?というとそうではなく、まずは違いがあることを知っておくことがとても大切なことでしょう。
それは男と女だけでなく、彼と私の間でも、同性の間でもやっぱり個人差がありますから、自分と同じ、きっと同じことを感じている、と思うのはとても危険な発想です。

そして、違いがあることが分かれば、次はそれを理解しあうことができます。
それはコミュニケーションが一番で、言葉にして伝えることがとてもとても大切です。
「へえ、そういう風に考えるんや・・・」とか「そういう風に感じてるんやなあ・・・」とひとつの物事に対して感じ方を交換していくんですね。

好きな人に自分との違いがあったり、知らない世界がそこにあったとしたら、恋愛感情も手伝って自分の世界をどんどん広げることができます。
僕はもともと好奇心が強いタイプなので、そのおかげもあって、彼女ができるたびに色んな世界を知ることができ、趣味・興味の範囲を広げることができました。
もちろん、僕が女心がさっぱりだったとしたらこの仕事を長く続けられなかったことも確かでしょうし、今も妻や友達を通じて色んな世界を学ばせてもらっています。

ただ、最後にお断りを。
ここで紹介させてもらったのはほんの一般論ですので「あたしはちゃうがな」というご意見もあろうかと思いますがご了承下さい。

そして、男女間の違いっていうのは多岐に渡っていますし、個人個人違うものでもあります。
ここに紹介させてもらったのはその中のほんの一例ですので、興味のある方はメールなり電話なりを頂けたら、また色んなお話を楽しめることができると思います。

皆さんが素敵な男女関係を築いていけますように・・・。

根本裕幸

投稿者 csadmin : 11:08

2002年10月 1日

●ペイフォワード

最近、映画を見に行っていないなと思いました。
見たい映画はいっぱいあるのだけど、なかなか映画を見に行く時間が取れなかったり、
(それだけカウンセリングを使ってくれる人が増えたということですね。嬉しい限りです。)一緒に見に行く人との時間の都合がつかなかったりで4ヶ月前に映画館に見に行った『スパイダーマン』以来映画はいっておらず。
昔は、映画が好きで月に2本は必ずみていたのですが、最近はご無沙汰していました。
そこで映画館の迫力にはおとりますが、レンタルビデオでなにか借りて見ることにしました。

レンタルビデオに行くと新作ビデオがぎっしり棚に置かれていました。
「ああ、これ見逃したよな」と思い新作ビデオの棚から、見逃した映画をチェックしていきました。
「ああ、これも見に行きたかったけど、見に行けずだった・・」とチェックを入れた棚は、
準新作を通り越して、7泊8日レンタルOKの旧作の棚でした。
そしてその棚から選んだ映画は『ペイフォワード』というタイトルのDVD。
僕の中ではこの『ペイフォワード』という映画はまだ最新作でしたが世間ではもう旧作扱いでした。

『ペイフォワード』では中学生の男の子がある考えを思いつきます。
その考えは、自分が出発点になって誰か3人にいいことをしてあげよう、善意を送ってあげよう、善意を送ってもらった人は今度は自分が出発点になって誰か3人に善意を送ってあよう、そうすれば世の中がもっとよくなるだろうという発想を考えた少年が主人公として活躍する映画です。

『ペイフォワード』の主人公が考えた発想を行うと、心理的に自分にとってとても良いリターンがあります。
どんなリターンがあるかというと・・・
『私が誰かに善意の気持ちで接したように、人も私に善意の気持ちを持つだろう』という投影が起こります。 
(投影に関して詳しくはCounseling Service心理学講座『投影とその活用方法』 〜人は心の鏡〜をご参照ください)
心が人を見たときに敵対心を持っていると捉えず、善意を持っていると捉えるわけです。

人と接する時、敵対心をもっているのではないか、私をだまそうとしているのではないかと心が捕らえるとストレスが溜まりますし、人間関係に疑い、恐れ、不信感という壁ができてしまいます。
言うまでもありませんが、壁ができると人間関係は上手くいきませんね。
人間関係に疑い、恐れ、不信感の壁ができた時、本人が気づいていればまだ注意ができるのですが、やっかいなのが本人は人間関係の壁ができていると気づいていないのだが心は疑い、恐れ、不信感を感じているときです。
無意識的に顔がしかめっつらになったり、無意識的に言葉使いがトゲトゲしたり、もしくは言葉使いがオドオドしたりしてしまいます。

反対に心が人をみた時に『私が誰かに善意の気持ちで接したように、人も私に善意の気持ちを持つだろう』と心が捉えると余計なストレスを溜めずに楽ですよね。
真心を込めて人に善意を送れば送るほど
『私が誰かに善意の気持ちで接したように、人も私に善意の気持ちを持つだろう』と心は強く感じ取ります。
そうすると無意識的に顔もニコニコしますね。
映画『釣り場か日誌』の主人公ハマちゃんやなんかは、あのニコニコ笑顔ぶりからみるとそんなキャラクターの様な気がします


『ペイフォワード』を見る前に、僕は友人から
「これはね、とってもタメになるねずみ講のお話だよ」
と冗談ぽく聞いていました。
実際みてみると確かに考え方事態はそうなのだが、使い方によってはねずみ講の考え方で世界平和がおとずれるんだなと思いました。
学問ってすべてそうですよね。
核だって使い方によって世界平和の為に使うこともできるし、争いの為につかったりもできます。
医学も人を救うことに使うこともできるし、拷問の為に使うこともできます。
心理学だってそうです、癒しの為に使うこともできるし、逆に人を疑い腹の中をさぐる為に使うこともできます。
『ペイフォワード』を見てどんな学問も使う人の心しだいで世界をよくしていったり、居心地のいい場所を作ったりすることができるのだなと思いました。

僕もせっかく学んだ心理学を居心地のいい場所を作る為に使おうと思いました。
まずは今住んでいるところを居心地よくする為に、今コラムを書いている後ろで晩御飯を作ってくれているパートナーとの関係をもっと良くする為に心理学を使っていこうと思います。

原 裕輝

投稿者 csadmin : 11:07