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2002年7月30日

●今を生きる

夏休みをとって海外旅行に行ってきました。
行き先は、前にコラムでもかいた友人がいるタイにいってきました。
初めての海外旅行ということもあり、気分はドキドキワクワクです。
旅行の1ヶ月くらい前になると観光名所の本を買ってきてどこにいけば何が見ることができるか、何で遊べるかを調べたり、タイ語の本を買っては言葉を覚えようとしたり、どんな料理が食べられるのかを調べたり、タイ式マッサージはどこが有名なのか等いっぱい調べました。
本を見て「どんなところなのかな〜」とワクワクしていました。
好きなもの、興味を持ったものにはとことんこだわる性格がでたようで、しまいにはタイのスコータイ王朝からバンコク王朝の歴史まで言えるくらいまで調べあげていました。
家にいながら魂だけは、約5300キロメートル離れたタイに行っていまいした。

旅行の3日くらい前になると、
『旅行先にもっていく物は、パスポートと、飛行機のチケットと・・・』
『向こうで友達と写真とるからデジカメを持って・・・』
『あっそうそう、デジカメを充電しとかなくっちゃ』
もう、楽しみで、楽しみで、何回も旅行にもっていくものをチェックしている自分がいました。
そう、まるで遠足前の少年の心理です。
皆さんも、小学校くらいの頃一度は、経験があったと思います。
遠足の前の日に、なんどもリュックサックの中身を取りだしては、しまいなおすような楽しみで楽しみでしかたない気持ちです。
3日後、関西空港に行きタイへ旅立つ飛行機に乗りました。
海外旅行が初めての僕ですが、実はジェット機も初めてでした。
初めてのジェット機に乗っている間は、
「動いた!飛んだ!」と感激している僕がいました。
そして、タイに到着しておもいっきり休暇を楽しみました。

しかし、旅行日程終了2日前になった時
「ああ、明後日には、帰らなくっちゃいけないな〜」
「楽しかったな、タイ」
まだ、残り2日の旅行日程があるのにも関わらず、気分は旅行終了後の気分になってきました。
「楽しかったなタイ」と過去形で考えているマインドがでてきてるでは、
ありませんか。

旅行終了1日前には、
「帰ったら心理学講座の原稿を書いて、ホームページの新しい企画を考えて、
 え〜とそれから・・・」
「旅行の間にお仕事溜まっているな〜」
帰ってまっているスケジュールの山に気が重くなっていました。
旅行の最中なのに魂は日本に帰って働いました。

「いかん、いかん」と旅行を楽しんでいない自分に気づいた僕は、旅行を楽しむ気持ちに切り替える為に、『今を楽しむ』ことに決めました。
気持ちの切り替えに成功した僕は、残りの旅行時間をおもいっきりきり楽しむことができました。

人はよく明日のことを、将来のことをよく考えます。
未来のことを考えることは、良いことなのですが、あまりに心が未来にいきすぎると今を楽しめなくなることもあります。
特にネガティブな感情に捕らえられすぎると、捕らえられた瞬間からネガティブな気分が続きます。
「明日は、遅くまで残業になるな、嫌だな」
「老後安心してくらす為に貯金をいっぱいしとかなくっちゃ、お金がなくなったら最悪だな。」
「結婚しても上手くいかなかったらどうしよう。」等、
未来に起こることに関して、不安や、恐れでいっぱいになってしまいます。 
未来に起こるかも、起こらないかもしれないことに捕らえられて
今から最悪な気分になってしまうとわけですね。
逆に、旅行の予定を立てたり、明日のデートを楽しみにしたりと、未来に起こるドキドキワクワクを今から楽しむこともできます。
こちらの場合は、楽しくていいですね。

同じように過去の経験、感情に捕らえられて身動きできなくなってしまうこともあると思います。
大きな失敗をした経験がある人は、失敗感に捕らえられてしまって
「どうせまた失敗する」という気持ちでいっぱいになり、なにもチャレンジできなくなったり、失恋で傷ついた人は「もう傷つきたくない」と思って恋愛することをやめてしまったりします。
体は現在にあるのですが、心は傷ついた過去にしばりついてしまっている訳です。
この場合は、心身ともに今を生きる為に過去を生きている心を解放してあげないといけませんね。

皆さんの心は、今を楽しんでいますか?今を生きていますか?
楽しくないな、充実感がないなという時は、心は未来に行っていないかな?
過去を生きていないかな?と注意深くチェックしてみてください。
そうすることで、"今、生きている"という実感をめいっぱい味わうことができると思います。
お試しください。


原 裕輝

投稿者 csadmin : 10:50

2002年7月23日

●数字

小さな個人商店での、帳簿。
会社などでのそれとは違って、それはそれは単純なものです。
入ってくるお金と、出ていくお金。そして、出ていく先の分類。
それでも、数字は苦手で、あまり考える事もありませんでした。
だって、”嫌いなものは、嫌い”だから。(笑)
今でもパソコンを使わずに、電卓でやっているお店の経理、主人の大事なお店のことだとわかっていても眠気が襲います。

でも、ふと、どうして嫌いなのか?に気付いたんです。

私たちの心には、たくさんの感情が眠っています。
なぜにこんなにたくさんのものが、一体どこからやってくるのか・・・
もしかしたら、心って、四次元の世界とでもつながっていて、その未知の世界からとめどなく流れて来ているんじゃないか?と思うほどです。少し大げさかもしれませんが、見つめれば見つめるほど、そう感じます。

まるで、自分の中に大きな川が流れていて、
「あ〜、なんだかしんどいなぁ」と感じれば、間もなくダムの放水時の警報のようなサイレンが鳴り出して、
ドォ〜〜と水が流れてくる。
情けなくて、寂しくて、悲しくて、それはそれはいろんな種類の感情が、涙とともに溢れてきます。
でも、違う場所に行けば、とてもおだやかで、キラキラする川面にくつろげたり、その水音をいつまでも聞いていたいと思う。

いつだってダム建設反対運動と、「いやいや、経済を安定させるには・・・」とか「治水のためには・・・」と押し切っての工事が、同時に進行していているような感じもします。
(長野県知事のニュースは、考えさせられました。)

その川も、海にたどり着けば、大きな終わりのない揺れの中で世界をめぐりつづけて、
雲になり、雨になり、違う土地でまた川になる。
そんなこと、わかっているわ・・・と頭では言っても、川の流れは止まる事はありません。

最近、奈良に主人と遊びに行ったとき、ふと「奈良の都は大きな川が流れていなかったから、疫病を防ぐ力が弱くて、京都に移ったんだよ。」と、歴史好きなところ得意そうに聞かされて、歴史に関心の薄い私は、ふ〜んと思った程度だったんですが、なるほど文明の発達や都市の成長には、川が大きく関わっている事をあらためて思い出したんです。

心の中に流れる川。
私たちは、その川の扱いや特性を知ることなく、そして有効に生活に取り入れる知恵も、知識も持たず、ただその時その時の川の状態に振り回されているのかもしれない・・・と、思うんですね。
だからこそ、その川を理解しようと心理学というツールを学んだわけですが、肝心なことを見落としていたような気がしたんです。

たとえ、そこにたくさんの種類の感情を孕んでいても、川は川、感情は感情です。
水はいろんなものを取り込みますが、基本はH2Oか、プラスアルファかのどちらかです。
感情も実は水と同じで、基本は愛か恐れなんですね。
私たちにとって喜びにつながるものは、ミネラルをたくさん含んでいる水だし、ネガティブな気持ちは自然ではないものが含まれているのかもしれません。

この”シンプルさ”が、実は数字につながっていました。
数ある文字や記号の中で、最もその種類が少ないのは0〜9の”数字”なんですよね。
単純だから、ただの羅列に見えていたものが、あらゆる分野でもそうなように、突き詰めればそうやってシンプルになっていくのかもしれません。

そうは言っても、やっぱり分析に数字を用いることが好きになれるわけではありませんが、
また違った目で見えることだけは確かです。

世界の川の水が飲めるようになったら、単純にうれしいですね。

源河 はるみ

投稿者 csadmin : 10:49

2002年7月19日

◇いつのまに・・・

気がつけば、夏です。
いやいや暑くなりだしたのには気がついていましたが、
それでも、いつのまにか夏なんです。
いつだって、いつのまにか夏休みは終わっていたし、
いつのまにか大人になっていたし、
いつのまにか時間は経っています。

私は子供の頃から通算、10回引越しをしたことに、今気づきました。
そして、いつのまにか”移住グセ”がついていることにも、
はたと気付いたんです。
でも、それは自分が望まない場所から、自分が望む場所へと、
これまた、いつのまにか変化していました。

私たちはいつだって、いつのまにか不幸になっているし、
そこから幸せになるためには、物凄く努力しなくちゃいけないように、
感じてしまいます。
でも、最近、いつのまにか幸せになっていてもいいんじゃないか?
と思うようになりました。

人生には、自力で猛攻をかけなければいけない時期もあります。
それを怠けていたツケととるか、充足感を得るため、ととるかは、
捉え方の問題ですが、
私たちが提案している、心を見つめていく方法は、
「あら、新しい葉っぱが生えたのね」的な、
自然な力を促進させようとするアプローチの仕方なんです。

裏庭の雑草が、大雨のおかげで勢いよく伸び始めました・・・
昔は母親に「草抜きせなアカンで!」と渋々させられていましたが、
土のある家に望んで引っ越した今は、
主人と「抜いとく?」「今日はいや〜」と笑いながら、
言い合っているんです。
でも、いつのまにか熊手やスコップは増えていて、
草抜きさえも、楽しめる自分になっている。
今思えば、私たちの親たちは、猛攻を勝手にかけてくれていて、
いつのまにか幸せになれるように、頑張ってきてくれたのかもしれませんね。

by 源河はるみ

投稿者 csadmin : 10:48

2002年7月16日

●今できること、今できないこと

僕がいつも考えていることです。
カウンセリングのときも、日常生活の中でも。
特に何かしんどい状況にあって自分を失いそうになるときには、意識的にこのことを考えます。そうすると地に足が付くような感じで心が落ち着いたりします。

カウンセリングを受けに来られる方の中には本当に深刻で、一刻の猶予を争うようなケースもありますし、息を長くじっくり、慎重に進めて行きたいケースも、色々あります。
でも、カウンセラーになった当初は何がなんてもこの限られた時間に何とかせなあかん、と気合いばかりが先走ってた時期もありました。
そう思ってるときって、こちらも焦ってしまうばかりで結果的に何も出来なくて、後から「なんでやろー・・・」って悩んでしまうこともありました。

あるとき、このタイトルの気付きに至りました。
「今できることしかできひんねや・・・」と。
あまりに当たり前のことですが、得てして気付きってそんなものではありませんか?
他にも「自信って自分を信じるってことなんや」って気付いたときもそうでした。
「案外、物事ってシンプルに出来ているんだなあ」「先人の知恵って素晴らしいなあ」と、シンプルゆえに思わず感動してしまうものです。

この「今できること」っていうのは、クライアントさんにとって「今できることってなんだろう?」って考えることでもありますし、僕がクライアントさんに「今してあげられることってなんだろう?」ということでもあります。

例えば「主人が浮気をしていて・・・」というご相談。
これには本当に色んなケースがありますが、多くの場合、奥様がより魅力的な「女性」になることが求められています。そして、その魅力でもう一度ご主人を惚れさせることが目標になることが一番多いんですね。

でも「魅力的になろう」といったところで、すぐに魅力的になれるものでもありません。
でも、魅力的にならなきゃ旦那は戻ってこない、と思えば自然と焦ります。
そして、焦って頑張ろうとすると最初の1週間はいいんだけど、1ヶ月も経てば大抵は疲れてしまいます。で、ついついその疲れた顔をご主人に見られてしまい「お前、何も変わってないやんけ」と一蹴されて、再び絶望の淵に追い詰められてしまうわけです。

人は自分が良かれと思ったものを選択して年輪を積み重ねていますから、その流れを変えようと思えばそれ相応の覚悟と根気が必要です。

僕が「これではあかん、変えなきゃ!」と思って意識的に自分を変えたことが大きなもので3回ほどあるのですが、最短でも3,4ヶ月かかりました(僕が知ってる方の中にはもっと早くやってしまう方もたくさんいらっしゃいますが・・・)。そして、そんな自分が定着して自然になるには1年くらいの年月が結果的には必要でした(「自然」になる、というのは、昔の自分を振り返ってみて、懐かしく思うときです)。これは執着を手放したり、欲しいものを手に入れるまでの期間も思い返せば同じくらいかかりました。

でも、これを読んでる皆さん。「そ、、、そんなにかかるのか・・・」と絶望しないでくださいね。執着を手放すことも含めて、自分を変えようと頑張ってるときは日々いろんな変化があります。上がったり、下がったりしながら、徐々に良くなっていきます。例えば1週間経った後でも1週間前の自分とはちょっと違うなあ、なんて気付けたりしますし、ほんの一日で前よりもよくなったなあ、楽になったなあ、と感じることもできます。

体系化することの好きな僕は、これを4つの段階に分けています。
第一段階は「勢いのステージ」。「変わろう!」と思って、自分を変えることに一生懸命取り組む時期です。このときの勢いや思いは後々とても影響しますが、この時期にはやる気がみなぎっているので少々の苦労も厭いませんし、気合によってはめちゃくちゃ頑張る事が出来ます。

第二段階は「見せ掛けの変化期」。第一段階で頑張った成果が少しずつ出てきます。例えば、先の浮気問題では、旦那がこちらを振り向いてくれたり、頑張っている姿を認めてくれたりします。執着なら「あ、手放せたかな?」って感じることでもあります。また、しばらく会わなかったちょっと存在の遠い友人に「変わったね」って言われたりもします。
ここでは主に表面的な部分(態度、言動、考え方)が変わっただけで、内面的にはまだまだ古い自分が残っているところでもありますが、ついついいい気になってしまうこともしばし(僕はたいていここで騙されていい気になって、後でひどい目に会いました)。
今度はこの状態をうまく自分の中に取り込んでいくことが大切で、安心したりするとすぐに前の自分に戻ってしまいますから用心が必要なところです。

第三段階は「忍耐期」。ここが一番辛いところ。表面的・外面的には変化したものの、内面の変化がまだついてきていないために現実と感覚のギャップに悩まされたり、昔の自分と変化した新しい自分が葛藤をもたらしたりします。

例えば、自分ではもう手放せたと思っていた過去の恋人のことが急に懐かしくなったり、一度はこちらを振り向いてくれた旦那が再び浮気相手の元に走ったり、あるいは旦那は戻ってきたけど、今度はこちらが浮気したくなってしまったり、中には激しいハートブレークを伴うこともあります。

ここで、諦めてしまうと無気力になってしまい「もうええわ・・・」と変化そのものを投げ捨てたくもなりますし、カウンセラーに対して「お前、ええ加減なことを言いよったなー」と言いたくなる時期でもあります・・・。(これは僕も僕の先生に言いたかったし、逆にクライアントさんから言われたりもしました(苦笑))

僕たちは変化することってすごく恐いことなので、この状態は自分の心が最後の抵抗、断末魔の雄叫びを上げているようなものと思ってもいいでしょう。ここはじっくりと忍耐強く、変化することを選択し続けることが求められます。
逆に言えば「本気で変わりたいのか?」という問いが次から次へと投げかけられるような時期でもあります。

第四段階が「定着期」。忍耐を抜けると徐々に今までの頑張りが報われる時期が来ます。例えば、身近な人に「お前変わったなあ」と言われたり、旦那が本当に戻ってきたり、執着が手放せて新しい素敵な人と巡り合えたり、そんな時期です。
問題によっては「奇跡だ!」と感じる場合だってあるでしょう。
これはここまで頑張ってきて、変化することを選択し続けた結果、内面的にも外面的にも変化が定着し始めた事を示しています。

そんな各プロセスのその時々で「できること」もあれば、「できないこと」もあります。
魅力的になろうとするのも、自分の今の価値を受け入れることは「今できること」。
でも、新しい魅力を身に付けるのは「今はまだできないこと」になります。
でも、「今すぐに」手に入らないだけですから、『それを手に入れよう!』と目標にしてみることは「今できること」になります。
でも、「できない・・・。じゃあ、ダメだ」と思ってしまったとしたら、そこで終わってしまいます。自分にも周りにも何も変化は起こりませんし、問題もまだ存在しつづけます。

「できないこと」を受け入れること、認めることってけっこう大変ですよね。
自分の限界を感じて惨めになったり、情けなくなったり。
あるいはプライドが邪魔して強がってしまって無理しつづけてみたり。

でも、何もできないと思っても、案外探してみれば今できることはたくさんあるものです。

助けたい人がいる。でも、自分にはそんな力はない・・・。
じゃあ、その人を見捨ててしまうしか仕方ないのでしょうか?

いいえ。

その人のために祈ってあげることはできるんじゃないでしょうか。
その力のある誰かに助けを求めることもできるでしょう。

そして、そのできることにベストを尽くしていたとしたら、やがてはそれが自信となり、成長となっていくものです。

今できることにベストを尽くし、今できないことは目標にする。
そうすれば、自分を責める必要もなくなります。
責めるよりももっと大切なことがそこに見つかるから。

これはとってもシンプルな方法で、楽に、簡単に自分を成長させてくれるものだと思っています。
なかなかすぐには上手く出来ないかもしれませんが、それも当たり前。

地に足を付けた毎日がやってきますよ。
ぜひ、お試しあれ。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:46

2002年7月 9日

●夫婦

よくお客さんに「ずっと旦那さんと一緒に仕事していてしんどくないですか?」
「ケンカとかします?夫婦って色々大変じゃないですか??」
って聞かれます。
私は「ケンカもすることはもちろんありますよ。大変なことも時にはあったりします。でも夫婦っていいもんですよ。」って答えます。

私自身、結婚する前は既婚者の方に同じような質問をしていました。
子供の頃、私の周りにはあまり幸せそう!と思えるカップルはいなかったし、ずっと結婚って、夫婦っていいもんなんだろうか?という疑問はありました。
でも実際今自分が結婚してみて言えることは、「思っていたよりずっといいもんだ」ということです。

「でもそれは二人がカウンセラーだからじゃないですか?」「相手が良かったからじゃないですか?」「心理学を知っているカウンセラー夫婦ならケンカもしないでしょう?」とも言われます。でもカウンセラーも人間です。(^^) 
もちろん、私にぴったりのパートナーだった、心理学を知っているので知らないよりは上手にコミュニケーションできる、ということはあると思います。でも、いくら心理学を知っていても人間対人間ですから色々あります。カッーとなった時は理論なんてどっかへ行ってしまいます・・。
他人同士が一つ屋根の下で暮らすのですから、価値観の違い・習慣の違いから不満がでてきたりもします。

でも、夫婦っていいよなぁって最近よく思います。
誰か愛情を注ぐ相手がいることって、とても幸せだなぁと思います。
相手の為にご飯を作ったり、部屋をきれいにしようと思ったり、外出先で似合いそうな服を見つけた時、幸せな気分になります。
感動する映画や本を見つけた時、今日あったおもしろい話をする時、おいしいものを食べる時、分かちあえる誰かがいるっていいなって思うんです。

とは言うものの、私達もここまでくるのに色んなこともありました。夫婦って何なんだろう?と考えたこともありました。
今はまだまだ夫婦をしている途中なので、答えがはっきり出た訳ではないです。
きっともっと、おじいちゃんおばあちゃんになった時に「夫婦というもんはねぇ・・。」と語れる時がやってくると思いますが、今言える事は血が繋がっていないけれど、血が繋がった家族以上に密接な関係の家族ということです。
時には私の親友でもあり、お父さんでもあり、お兄さんでもあり、息子のようでもあり・・。
こんなに血の繋がっていない他人と理解しあえる、支えあえるということがあるんだなって驚かされます。

改めて考えて見るとすごいなと思うんです。毎日朝晩ずっと同じ食べ物を一緒に食べて、一緒に寝起きして、自分の笑い顔も泣き顔も、怒った顔も悲しい顔も、恥ずかしい事も自分の嫌な部分も全部知っていてくれている人。そしてそれを受け止めてくれている人。苦しいときも楽しいときも傍に居てくれる人。それってすごいことだよなぁって思います。

電話カウンセリングや面談でも、夫婦のご相談をよく受けます。皆さんそれぞれ色んな難しい問題があったりして、大変です。でも皆さん結婚を続けていこうという意志が強いですし、日々恋人達は一緒に暮らすことを目指してがんばったりしています。
色んな事があるんだけれど、結婚を続けよう、結婚しようと多くの人が思う裏には、人それぞれ結婚や夫婦というものに何かを見出しているからなんでしょうね。

私は昔、結婚して夫婦になったという時点でゴールのような気がしていました。
でも実際はそこからがスタートだったんです。
私という人間と彼という人間が持っている色を混ぜ合わせると、思いもかけない色ができあがります。そしてその色はどんどん変化していきます。二人の関係が微妙に変化していくにつれ、色合いも微妙に変わっていくんです。二人の人間が一緒になる時、1+1=2にはならないんですね。可能性は限りなく広がっていく気が私にはします。
日々、微妙に変わっていく二人の関係とその色合いに私はワクワクします。
その色がこれからどんな風に変わっていくのか、二人がおじいちゃんおばあちゃんになった時どんな色合いになっているのか、これからも楽しみです。


根本理加

投稿者 csadmin : 10:45

2002年7月 5日

◇愛を送る

何となく元気がなかったり、楽しいことがあまりないな・・。という時
皆さんはどうしていますか?
もしかしたらそういう時、誰かを「愛する」ということを少し忘れてしまって
いる時かもしれません。

私達はいつも「愛し、愛されたい」という気持ちが心の中にあると思います。
でもうっかりしていると、この「愛し」という部分が抜け落ちて「愛されたい」
だけになっていることがあると思うんです。
例えば、恋愛している時、夫婦間において、友人との関係で・・。
そういう時に自分の望むように相手から満たしてもらえないと、私達は寂しくて
辛くてだんだん元気がなくなっていくように思います。
私達の「Needs」<欲求>というのは、どこまでいっても満たされることは
残念ながらありません。
一時満たされても、またすぐに出てきます。

では、どうするのか?
それは自分から誰かに愛を送ることだと思います。
それが、「私から愛するからあなたも愛を頂戴ね」という時は純粋な愛では
ありません。
例えば母親が子供に接する時の愛や、かわいいペットに抱く愛のように
見返りを求めずに愛する時、私達はとても気分がよくなります。
今身近に愛を注ぐ相手がいない!!という時は、ペットでも植物でも、好きな
アーティストでも何でもいいと思います。
何もしないよりは断然元気が湧いてくると思うんです。
私達が誰かや何かを愛する時、心の奥底からパワーが湧いてくるような気がして
やみません。

そして自分から純粋に送った愛というのは、人の心にすーっと入って伝わるし
必ずまた自分の所へ返ってくると思うんです。

自分から、始めてみませんか?

by 根本理加

投稿者 csadmin : 10:44

2002年7月 2日

●心のブレーカ

仕事を終え家に帰ると、留守番電話のランプが点滅していました。
留守電には、祖母が病気で亡くなったことが入っていました。
涙も、悲しみもでず、「あぁ、帰らなくちゃ」留守電を聞いて頭の中に出てきたことは、この一言だけでした。

あくる日朝6時の電車に乗り、大阪―隠岐ノ島間の帰路につきました。
電車の中でなんとなく祖母のことを思いだしてみようとしました。
でも、なぜかまったく祖母のことが思いだせません。
頭の中にでてくるのは、葬儀の知らせをしていないところはないだろうか、今回の葬儀では僕が喪主になるだろうから挨拶を考えておかなければ、大阪に帰る時は今回の件でお世話になった人たちにお土産を買って帰ろう等、頭の中もでてくることは祖母との思いではなく、祖母の葬儀に関しての事務的なことばかり。
思いでもでてこず、なにも感じない状態で電車の窓から流れていく景色を眺めていました。
長い電車の移動を終え、午後3時に境港からでるフェリーに乗りかえ亡き祖母にもう少しで会えるなと思いながら隠岐の島へ向かいました。
フェリーの上から見る海は、波もほとんどなく穏やかで、まるでなにも感じない僕の心を移しているようでした。

長い帰路を隠岐ノ島に着くと、亡き祖母が棺の中で眠りながら僕の帰りを迎えてくれました。
「ただいま」
心の中でそうつぶやき亡き祖母を見ていました。
しかし、亡き祖母を目の前にしても、一滴の涙も、悲しみも、祖母との思いでも、出てきませんでした。
周りの人たちが祖母とのお別れを悲しんでいるのを見ると、自分が冷たい人間に思えてもきました。

その後、葬儀を終えて、大阪に帰ってきました。
大阪に帰ってくると祖母とのお別れの悲しみで僕が落ち込んでいないか心配してくれる、心暖かい友人達が待っていました。
「大変だったね。」「ひと段落ついた。」など
友人たちは会うと声をかけてくれました。
悲しみをまったく感じなかった僕は、その友人達の暖かさに触れるたびに、
自分って冷たい人間かな?と益々思えてきました。

祖母とのお別れを終えて2週間ほどした頃、ふとした拍子に
「あぁ、生きているうちに、もっと会いにいってあげればよかったな」
「もっと、なにかしてあげればよかったな」
という後悔の念がでてきました。
後悔の念が出てきた後に祖母との思い出が心に浮かんできました。
幼い頃祖母に預かってもらって祖母と暮らしていたこと、遊んでもらったこと、やさしくしてもらったこと、大事にしてもらったこと、いろいろの思いでがでてきました。
思い出が出てくると同時に悲しい感情が出てきました。

祖母が死んで2週間してようやく悲しみを感じたわけです。
どうやら、強すぎる悲しみ、寂しさ、喪失感を感じて僕の心のブレーカが落ちてしまっていたようでした。
2週間かかって、やっとそれに気づけました。
僕はこれからしばらくの間、いっぱい落ちてしまった心のブレーカを1個ずつ元に戻していき、祖母の思い出と、祖母を失った喪失感と、祖母が残してくれた愛情を徐々に感じていくのだろうなと思います。

人は、あまりの悲しみや、あまりの喪失感など強い感情を感じた時、自分を守る為に心のブレーカを落として何も感じなくなる時があります。
僕も無意識的に心のブレーカを落としていたようです。
心のブレーカが落ちていると悲しみや、喪失感など、ネガティブな感情を感じなくて済むのですが、感情と記憶はくっついていますから思い出を思い出せなかったり、思い出の中にでてくる優しい気持ち、愛情、慈しみなどポジティブな感情も感じなくなってしまいます。

みなさんの心のブレーカは大丈夫ですか?
楽しい、嬉しい、悲しい、寂しい、愛されている、っていっぱい感じられていますか?
感度は鈍くなっていませんか?
チェックしてみてくださいね。
特に、楽しい、嬉しい、愛されているって感じたくない人はいないと思います。
一度きりの人生、いっぱいいろんなことを感じて生きていけるとより豊かな人生がまっているでしょう。
ブレーカの点検をしたい時、ブレーカを再びつなげようとする時、私たち点検、つなげなおしのプロに一度お声をかけてみてください。
お待ちしております。

原 裕輝

投稿者 csadmin : 10:43