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2002年5月28日

●問題はありませんか?

私たちは、ひとりひとりの方とお話をしていきますが、グループで行われるセラピーもあります。
ちょうど、その日もそのワークショップでアシスタントをさせてもらって、
ほどよく疲れて、同じ方向の友達を送り、さてお家に帰ろ、といつもの帰路に車を走らせていました。
大きなカーブに直進する細い道が交差した、三叉路で赤信号につかまり、
「今日は、なんだか楽しかったな〜」と送った友達と話していたことを思い返していると、
カーブの向こうから、ものすごいスピードで突っ込んでくる四駆が一台。
「おいおい、そんなに出しちゃぁ、あぶ・・・」
と、ツッコミを入れる間もなく、鳴り響くスリップ音と共に急ブレーキをかけすぎたのか、
私のすぐ真横にある、中央分離帯にひっくり返りながら、『ガッシャ〜ンッッッ!!』
つっこんでしまいました。

間もなく信号が変わり、何が起こったのか一部始終見ていながらも思考回路がストップしてしまった私は、
とりあえず車をどこかに寄せようと、すぐ脇にあった路地に入りました。
携帯を持って駆け寄ると、白い煙が噴出すひっくり返った四駆の運転席から若い男の子が這い出てきます。
続いて、その男の子に急かされながら、引っぱり出されるもう一人の男の子。
幸い歩けるようで、二人して歩道に非難しましたが頭からは流血。
後から引っぱり出された男の子は、ひどく嘔吐していました。

何を思ったのか、私は「救急車呼ぶよ〜!」と声をかけましたが、運転者だった男の子は、
「いや、警察を!!」
どっちでも一緒か・・・と思いながら、110番しますが、なかなかつながらないんですね・・・携帯だと。
そうしている間にも、わらわらと人だかりができ、チャキチャキおばちゃんが私にけたたましく、
「電話してんの?!つながったん?!」
今、してるっちゅうねん、と思いながらも、やっとつながったので状況を説明します。

そうこうしていると、電話を切るまでに救急車がやってきました。
真っ先にひっくり返った四駆に人が取り残されていないか確認する救急隊員に状況を説明、
「男の子がふたり、頭から流血、嘔吐しているんです、ほらあそこにいま・・・」

いません。
?????

「どこ行った?」と目を泳がせていると、先ほどのおばちゃんが、
「あんなとこに車止めてたら、あかんで!!」と、なるほど一方通行の路地に頭だけ突っ込んで車を止めていた私は、
その場をプロに任せて、野次馬を横目に帰ることにしました。

事故発生からおよそ30分。
ひとりになって冷静になってくると、ストップしていた思考回路が慌しく回り始めます。
「なんだったんだ???」
 交通事故です。
「あの二人、大丈夫やったんかな〜?」
 ・・・・・・・・・・・。
心と頭が事の次第を消化していくなかで、あの現場で消えた二人の男の子と、
めちゃめちゃになってしまった車にその視線が集中される人だかりが、やたらとひっかかりました。

私たちは、なにか問題が起きると、その”問題”に意識が集中してしまいます。
私は、その”問題”の下に『隠れているもの』を見つけ出す作業を普段やっているカウンセラーなわけですが、
二人の男の子を見失ったことが、ひどく心残りとなってしまいました。
たくさんの人がその場に居合わせながらも、皆、事故車に釘付けになっていたからです。
その中で、あのおばちゃんはその場の状況を見渡し、クールに対処していたようにさえ思えました。

「きっと、調子に乗っていたんだろう」
「飲んでたのかな?」
「ありゃ、廃車やな・・・」
「きっと、救急隊員が見つけてくれてるよ」
「あんなに怪我してたんだから、そう遠くへは行けないはず・・・」
頭は、起こった出来事や問題を消化しようと一生懸命になりますが、
それで、どうなるわけでもありません。
そこで、自分にとっての『隠れているもの』を見つけ出すことにしました。

二人の行方や、その後を知り由はありません。
でも、私にとってあの子達は、『助けを必要としているのに、逃げ惑ってしまう』、
私たちの誰もが心の中に持つ、マインドのひとつのような気がしました。
”わかってほしいのに、素直になれない”
”こうすればいいと、わかっていても、なかなか踏み切れない”
皆さんにも、こんな経験があるんじゃないでしょうか。

あの子達の首根っこをつかみながら、電話をすればよかったんだ、と学んだ私は、
”問題”を分かち合ってくれる方の心の中に隠れている、自分も大怪我をしながらも、
友達を介抱し続けていたあの男の子のような”やさしさ”を見続ける決意をあらためてしたのでした。

問題はありませんか?
その下に隠れている”やさしさ”、見失ってはいませんか?

源河 はるみ

投稿者 csadmin : 10:36

2002年5月24日

◇心を整頓する!!

 今、あなたの部屋はどんな様子でしょうか?
 ご自宅でこれを読まれてる方、ちょっと周りを見回してください。
 外出中の方は家の様子を思い出してみてください。
 その部屋の様子があなたの心の状態だと言われたら・・・、
 どんな気分がしますか?
 
 すいません。もし気分を害された方がいらっしゃいましたら、
 しばし、現実を忘れて読み進んでください・・・。

 心理学では自分の部屋の状態を、自分の心の状態、それも意識レベル
 というよりは潜在意識・無意識を見せてくれるという見方をします。

 雑然としながらも綺麗に片付いているとすれば、色んな感情はあるけど
 整理されて心は落ち着いているのかもしれません。
 逆に非常に散らかっている方・・・心も乱れてたりしませんか???

 そして、その部屋での過ごし方なども、あなたの心との付き合い方を
 象徴していたります。

 僕も経験がありますが、何かに追われて落ち着きが無かったり、
 不安や心配事があるときにはあまり部屋の状態にまで気が回りません。
 だから、雑誌や服をその辺に置きっ放しにしてみたり、飲みかけの
 ジュースがそのまま放っておかれたりしていました。
 「片付けな、あかんなあ」と思いつつも、その気が起きないわけです。

 もともと僕は普段から部屋を綺麗に保つタイプではないんですよね。
 (それでいつも妻に注意されるのも昔と変わってないかも)
 そして、ある程度散らかってきたら一気に片付けをするタイプです。
 散らかってるのも気分がよくなくて、本当はいつもきちんとしてる方が
 好みなんですが、なかなか普段はできません。
 
 実は僕の心の問題への取り組み方もこれと同じ短期集中型。
 問題が出てきたときに一気に解決したいとやる気が出るタイプです。
 普段は細かい問題は放っておくのかもしれませんね。

 それで今回皆さんに提案するのは、それを逆手にとった方法です。
 部屋の乱れが心の乱れを表すのであれば、心の乱れを整頓するには
 部屋をきれいにすればいいじゃないか!という発想です。
 (安直・・・とか言わないで下さいね(^^)一応、効果もばっちり
  ありますから・・・)

 実は以前、僕がちょっと精神的に参ってる時期があって、案の定、
 部屋もたいへん散らかっていたときがあったんです。
 そのときの問題もすぐに片付く見通しなどなく、途方にくれつつも
 なんかいい手はないかと思案していたのですが、あるとき思い立って
 部屋を徹底的に綺麗にしてみたんです。丸一日使ってね。

 そしたら、不思議。心がいつしかすっきりしだしたんです。
 部屋を片付け始めたときはめっちゃ嫌な気持ちでいっぱいでした。
 でも、その気持ちもどんどん楽しいものに変わっていきました。
 そして、心を整理するつもりで服や雑誌を片付け終わったとき、
 心は本当に久しぶりに晴れやかになっていました。
 
 もちろん、それだけで問題が解決するわけじゃないのですが、
 そこに取り組む姿勢は改められましたね。
 前日までよりも、ずっと問題と向き合えるようになりました。
 何よりも余裕を持って、気楽に取り組むことができたんです。
 そして、思ったよりもずっと早く問題を乗り越えることができました。

 いつも、こんな劇的な効果があるわけではありませんが、部屋を
 きれいにするたびに心がリフレッシュするのを感じられます。
 
 今は(妻の)理加がいつもきちんとしてくれるので、そんなに部屋が
 荒れることはありません。(それくらい心の安定を理加に提供して
 もらってるってことですね)
 
 でも、たまに部屋が汚れてるときは・・・、「うーん、理加の機嫌が
 悪そうだ・・・。穏便に振舞おう」と活用したりしています。
 
 皆さんも「心を整頓する」という目的で一度、部屋を綺麗にして
 見られると新たな発見や発展があるかもしれません。

 ぜひ、一度お試しください。

by 根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:35

●ハードワーカー達の孤独

気が付けば今月、ちゃんとした休みが1日もない。
よくよく思えば一日15時間以上働いてる。

ワーカホリック志望だった僕としては本望かもしれないけれど、なかなかこれでしんどいようです。もう若くも無いし(笑)
問題なのが好きな仕事だからってこと。
次から次へ『やりたい事』が出てくるというのは、嬉しいんです。
やってて楽しいからもっとしたい。
でも、なぜか限度が分からなくなってしまうようです。
感覚が麻痺してしまうんでしょう。
「適度」なものが見えなくなってしまうのかもしれません。

僕の友人や知り合いにもそんなワーカホリックたちがワンサカいます。
土日も出勤して、平日も深夜まで働いて、遊びの予定もまともに立てられない奴らが。

僕はそんなこんなで体や心の調子を崩したことも何度かありますから、意識的に休みをキープして、その日は思いっきり遊ぶようにしています。
妻や友人達とあちこち出かけたり、朝までカラオケしたり、お酒飲んだり。
度が過ぎて、トイレに篭城する事もあったけど、それはそれでリフレッシュできるし、笑いも取れるから良しとしましょう。

思えば『退屈』というのは僕が最も嫌いなことなので、常に動いてしまいます。
のんびり出来ない、ぼーっとできるのは10分まで、止まると死ぬみたい、そんな感覚があったりもします。

なぜそんなにハードワーキングするのかというと、それをしてる事が自分自身の存在意義のようになってしまうからかもしれません。
だから、本当に好きなことをしてるはずなのに疲れが溜まったり、しんどくなったり、投げ出したくなったりします。

まるで本末転倒。

ビジネスパーソンも24時間戦わなきゃいけないわけで、多くのオフィスビルが常夜灯のように深夜まで煌煌と輝いています。
その中には多くの存在意義を求めたビジネスパーソン達が蠢いています。
逆にその状況に「No」と言ってしまえば、仕事にありつけなくなってしまうのかもしれません。だとすると、恐れや不安が彼らを仕事に駆り立てている部分もあるでしょう。
恐れがベースになっているものはなかなかうまくいきません。長続きもしません。
お母さんに怒られるのが恐くてお手伝いをしたり、勉強したりしていても本当の実力がつかないようにね。

その状況を社会や会社のせいにするのは簡単なことだけど、彼らの心の中にはもう一つ『無価値感』という感情がたくさんあるようです。
無価値感というのは「愛されるためには何かしなければならない」という想い。
成績を上げなければ、貢献しなければ、役に立たなければ、そんな気持ちが少しでもあれば、それは無価値感で、その無価値感は必ず自分に『犠牲』させます。無理させるわけです。
だから、仕事をして、成果を上げてる事で自分の居場所が作られるような感じがあるから、止まることもできません。走りつづけるしか、犠牲しつづけるしか選択がなくなってしまいます。
成果が上がって嬉しい気持ちと同時に、ほっと安心するのはそんなプレッシャーに常に晒されているからでしょう。

そして、その犠牲はやがて体や心を蝕んでいきます。
必要以上に飲み食いすれば標準体重をオーバーしてしまうように、心の負荷が増大してしまうわけです。

意識のレベルでは、会社や仕事に必要とされている自分が誇らしいし、それゆえの充実感や達成感、責任を果たす喜び等々たくさんのポジティブな感情もあるでしょう。
それゆえ、見え難い感情かもしれません。
だから、ある日突然会社に行けなくなったり、気力が無くなったりしてしまいます。
その現実に戸惑い、信じられず、途方に暮れたりします。
義務感や喜びの陰ですくすくと育った負担に心がついていけなくなったのかもしれません。

そのプロセスにおいては、優しい家族の笑顔も友人達の想いも感じられなくなってしまっています。つながりが切れて、自分ひとりが頑張っているようにも感じてしまうようです。それで内心、周りの人間に怒りを感じてしまいます。
でも、無価値感がある分、それをまた一人で抱え込んでしまうでしょう。

だから、愛する人ですら近づけられなくなっていきます。
そして、その分だけ、ハードワーカ−達は心に強く孤独を抱えます。
でも、その孤独を感じないように時間を仕事で埋めていくのかもしれません。

じゃあ、そんなハードワーカー達が本当に求めているのはなんでしょう?
それはただその孤独や無価値感が癒される場所なんだろうと思います。
何もしなくてもいいよ、という場所であり、好きにしてもいいよって場所。
自分ではそれが許せない分、大切な人に許されたいのかもしれません。
わがままを言ったり、甘えたり、酔いつぶれたら「アホやなあ」と笑ってくれる人たちがいる場所。

実は先日、ミーティングの後の飲み会で勢い余って酔いつぶれ、バーのトイレを占拠してる僕がいました。
しんどかったけど、その苦しさの中にもどこかここまで自由になれる場所があることを嬉しく思ったものです。
そんな仲間には感謝の気持ちでいっぱいです。そして、多くのハードワーカ達ーにもそんな場所がもっとあればいいのにな・・・と祈らずにはいられませんでした。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:34

2002年5月14日

●運命の出会い

私が心理学に出会ったきっかけは、一冊の雑誌でした。
それは、仕事帰りに何気なく立ち寄った本屋さんで、何気なく手に取った「仕事と資格」という本でした。
大袈裟に言えばあの時が、私の人生を180度変える瞬間だったのでした。
その当時の私はそんな事とはつゆ知らず、一冊の雑誌を買って帰りました。

その頃の私はOLを経て、接客がしたいと思いアクセサリーの販売員をしていました。
アメリカに住む彼と5年に渡る遠距離恋愛をしている時で、そんなに遠くない将来その彼と結婚してアメリカに住む予定でした。
でもそんな彼との未来に正直、不安を覚えて悩んでいた時期でもありました。
彼は男気のある人で仕事もバリバリするタイプで、そういう彼が好きだったのですが、一方で、二人でたくさん話をしたり、趣味が合うという感じではありませんでした。この人とずっと一緒に楽しんで生活をしていけるのだろうか?という不安がありました。
私の理想の結婚生活というのは、何でも話ができて何でも一緒に楽しめる、いわば仲の良い親友のような関係でした。
結婚後も彼はきっと仕事をバリバリするんだろうな。
で、私は?私のしたい事って何?という疑問がだいぶん前から、ずっーと頭の中にありました。
何か自分がイキイキできることをしたい。一生これをやりたい!というものを見つけたい。そんな思いから、その雑誌を手にしていたのでした。

雑誌を読みながら、ふと気付いた事がありました。
一体私は何がしたいのだろう?自分の好きなことって何?と思いながらページを繰っていたのですが、気が付けば私がめくっているページは「人」に関するページばかりなのです。「そっかー。私は人ともっと関わりたいのかな?」などと思いながら目に留まったのが神戸メンタルサービスの記事だったのです。

始めは、自分の恋愛の不安や自分が持っている悩みを解決する為に講座などに通いだしたのですが、どんどん興味が湧いてきて、心理学に引き寄せられる自分がいました。
以前は飽き性だったこの私が、講座やグループセラピーに楽しくて楽しくて通いつめていました。

その後、私が大好きな心理学に興味や理解を示してくれなかった彼との恋愛がうまくいかなくなり、現在の夫と出会ったのです。

夫は元々カウンセラー志望だったので、一緒に学んでいくうちに「カウンセラーになれたらなぁ」から「カウンセラーになりたい」という思いに変わっていきました。
結婚後は、新たに夫婦でカウンセラー/セラピストをやっていきたい!という気持ちが、一層強まりました。

今からあの頃を振り返れば、何か不思議な縁のようなものを感じます。
私は何がしたいんだろう?という問いかけを常に自分にしていたからこそ、アンテナのようなものが私の中に出来ていて、あの一冊の雑誌を手にすることができたと思えるのです。
こういう経験をいくつかしてきたので、私は常に自分の望んでいることにアンテナを立てるようにしています。そうすれば不思議なことにチャンスや情報が、思いもかけない所からやってくるのです。
今いる地点からはとうてい不可能に思えるようなことも、諦めなければ必ず到達できると信じています。
現在の私は運命や出会いも全て自分が引き寄せているように感じるのです。

これからも自分の中のアンテナを磨いて、数々の運命の出会いをしていきたいと思います。

 

根本理加

投稿者 csadmin : 10:33

2002年5月10日

◇ナマケモノ

昔、こんな話を聞いたことがあります。
「人間はね、動物と人の”間”にいるから、人間、っていうんだよ」

屁理屈じみたこの話に、妙に納得してしまった私でしたが、
心を扱うことをしていると、ひしひしと痛感する今日この頃です。

私たちは動物でもあるので、「本能」もまた、あります。
基本的には「睡眠欲」・「性欲」・「食欲」がそうですが、
このうちのどれかふたつが満たされていれば、
なんとか人間らしくはいられるのだそうです。

貧しい国では、「食欲」を満たす事ができなくて、
その分「性欲」でバランスをとり、
ハードワーカーの人は、「睡眠欲」を抑えて頑張り続けます。

では、この三つともが満たされたら、私たちはどうなるんでしょう?
先ほどの考え方をもとに単純に考えれば、
”最も人間らしい人間になる”んでしょうね。
でも、私はどう考えても”動物らしくなる”ように思えて仕方がないんです。

こんなことを思い巡らせていて、真っ先に浮かんだのが、
”ナマケモノ”の生態でした。
彼らは、消費するエネルギーを最低限に抑える事で、
(ゆっくり移動したり、動かなかったり、低体温で保ったり・・・)
最も、省資源でエコロジーな生き物なんです。
初めて、ナマケモノの生態を知ったとき、とてつもなく親近感を覚えた(笑)
私でしたが、
「ちょっと待て」
と、何かが囁いたは、どう転んでも人間だからなのでしょう。

心は、私たちの欲求をエネルギーに変換して、
より良い未来を創る、いわば”マイナスイオン機能付きエアコン”
みたいなものなのかもしれません。

もしも、欲求が満たされて行く先が、ナマケモノではなく”人”なのだとしたら、
フィルターのメンテナンスは、心がけたいものですね。
だって、心の中で起こる様々な問題はすべて、
欲求を変換して未来を創るときの「目詰まり」だからです。

by 源河はるみ

投稿者 csadmin : 10:33

2002年5月 7日

●夢の持つ力

「今日はつかれたねぇ、飲みにいこうか」という感じで仲のいい友人と居酒屋に行ってきました。
ドン、ドンとテーブルの上には、大きなジョッキが二つ「ぷっは〜、美味い!!!」と一杯飲んで、一息ついて、気持ちも一ほぐれついた頃、友人が、
「あのね、ちょっと聞いてくれる」と言う形で友人は自分の夢について語ってくれました。      

差別が無い世の中を作りたい、争いの無い世の中を作りたいというのが彼の夢でした。    彼は在日韓国人の3世で、差別というのを自分の身をもって知ってきたからこその夢でした。友人は語り始めてくれました・・・・
                                         
「俺な、日本の学校で勉強して、日本語しゃべって、韓国って行ったこともないし、韓国語もしゃべられへん、でも国籍は韓国人ということで、差別の経験や、悩んだことってもあったんや・・・」

そして、差別についての現状をいろいろ教えてくれました。
今は、「そんなのぜんぜん気にならない」って人の方が多くなってたり、理解してくれる人が多くなっているんだけど中には、昔、戦争があった影響もあって血が汚いとか言う人もいるそうです、そんな人がいると思うと自分のことを言おうと思うとすごく勇気がいるし、自分をさらけ出すのって怖くなるよねという話をしていました。すると友人は・・

「そうやねん、だから自分をだせない、受け入れられない感じって無意識的にどっかに付いてまわるねん。俺のところには娘がいるんやけど、娘にはそんな思いはさせたくない。
 だから、差別のない世の中を作るのが夢やねん、もっともっと、人と人がわかりあえる世の中にしていくのが夢やねん。
でも、この夢を実現するのに、俺が悩んでいるような思いを他の人にさせたくなかったから一人で何とかできないかって思ってきた。
一人でどうやったらいいんだろう、俺一人の力でなにができるんだって、いろいろ考え   た。でも、わかったねん一人でなんとかしようと思っても無理だって。」

そう語り、ふぅーっと肩の力が抜けていくような息を吐き、そして静かに吸い込みました。
その息を吸い込むと同時に友人の顔つきが変わって行きました。
なにかを言おうとして勇気をだそうとしているような、凛とした顔つきでした。

「俺、この夢をかなえるのに、誰かに協力してもらうというお願いがどうしてもできなかったんだ、でも、夢を実現さそうと思ったら誰かと協力したり、同じ夢をみてくれる賛同者がいることに気づいたんだ、なにをしたらいいのか、これからどうしていったらいいかは、解らないけど、よければ協力してくれないかな。」

誰にも言ったことが無い一言、それは本当に勇気がいったと思います。
一人で何とかしようと頑張ってきて、でも何ともならなくて、友人の夢は死にそうになっていました。彼の夢はデットゾーンに入って終わろうとしていたのです。
でも、この夢を生き返らせるには、今までやりたくなかったことに、やったことが無いことをする必要がありました。
そして、友人は夢を生き返らせるために、今までやりたくなかったこと、やったことが無いことをやったわけです。それが『誰かにお願いする』ということでした。
自分のこだわりや、プライド、自分なりのやり方、痛み、よりもなによりも友人は夢を大切にしたからこそ言えた一言だったと思います。
その心のこもった夢と勇気に感銘をうけた僕は、この夢に賛同したいと思いました。

「もちろん、できることがあれば協力させてもらうよ」

僕の、この言葉を聞いた友人の顔は、嬉しさと安堵が混じったような笑顔で「ありがとう」と言った後、再びジョッキに手を伸ばしてビールを飲み、ジョッキをテーブルに戻すと同時に「ふぅ〜」一仕事終えた男のため息を吐き出しました。

人は夢を食べて生きていく動物だという話を聞いたことがあります。
「僕こんなことがしたい」「私、こんな風になりたい」「俺、この女と一緒に生きていきたい」といった夢に向かって行く時、人は本当に活き活きします。
「私、この夢の為なら24時間働いてもしんどくないわ。」という人がいるくらい、どんな壁も、どんな苦境も、夢の為ならと思うと頑張れたり、苦境が苦境でなくなったりします。
もしかすると夢に生かされているような感じがするかもしれません。
それほど、夢の持つ力は、すごいと思います。

夢が本当に実現するのかどうかわからない、叶えられるかどうか解らない、なにか空を手でつかむような感じだ、と思った時、恐れや不安がでてきます。
それでも、本当にこの夢を叶えたいと願えたり、きっとできるって信じることができたり、本当に夢を大切にできた時、恐れや不安は、"力"に変わっていくような気がします。そして夢の持つ力は、さまざまな奇跡を起したり、人生の背中を押してくれるような気が僕はします。
友人が夢を語って時、僕の心が動かされたように人に対しての影響力もあります。

僕も昔、カウンセラーになりたいという夢を持ったとき、
「ホンマにカウンセラーになれるんだろうか?」という疑いがいっぱいでてきて
何度も、何度も、あきらめそうになりました。
それでも、夢を大切に思った時、夢の力に背中を押されて、もう一頑張り、もう一踏ん張りしようって思うことができました。すると僕の夢に力を貸してくれた人のおかげもあり、いつの間にか夢の芽が出て、花が咲いて、実がなって夢は実現していきました。

今回の友人のお話で、改めて夢の持つ力ってすごいなと気づけました。
これから、もっともっと、夢を大切にしていきたいと思えた出来事でした


原 裕輝

投稿者 csadmin : 10:32