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2001年5月24日

暗闇からの脱出!

こんにちわ、ナルイヒロミです。

『空間識失調』って言葉、聞いたことがあるでしょうか???
知らなくても、それで当然なのですが、これは心理学用語ではないんです。
私もついさっき知った言葉なのですが、(なのにそれをネタにコラムを書いても大丈夫なんでしょうか???「おいおい、間違っとるがな!?」ってな、ご指導・ご鞭撻、大歓迎です(~_~;))
特にこの言葉が使われるのはパイロットに対してなのだそうです。
ケネディ・ジュニア氏の自家用小型機の事故などで、報道されてたりもしました。
ま、事故を知っていても、そんな言葉(現象)があったとは~・・・ってな感じのナルイもいるわけですが。
この『空間識失調』を簡単に説明すると「飛行中に、気象条件とか、加速度の変化とかによって、上下左右の感覚に錯覚を起こして、機体の姿勢が分からなくなってしまう現象」なのだそうです。

さて、私がどうしてこの言葉に興味を持ったのかというと、あるドラマの中で、この言葉が出てきたんです。(またまた私がテレビっ子だと言うことがバレてしまいまいたね。)
ある青年が、自分の悩みをあるおじいさんに相談しているシーンなのですが、そのおじいさんは元パイロットという経験から、この『空間識失調』の話をしたんですね。
青年の相談はこうです。
「今、自分は真っ暗闇の中で、地に足がついていない感じがして、どうしたらいいのか分からない・・・」
おじいさんは、青年に「彼女に相談してみれば、道が見えるかもしれないよ。」っと言い、そして、まず自分に出来る話として『空間識失調』の話をします。

夜の、雲の中を1人で飛んでいると、君と同じように「真っ暗闇の中に1人取り残されて中に浮いているような感覚」になることがあるんだ。
どこまで飛んでも雲の中で、視界は真っ暗闇で目指す光は見えない。ふと、計器に目をやると、機体が少し傾いていることを示している。
でも、パイロットは自分の感覚では、一向に機体が傾いている感じはしない。
雲の中に入った時と同じように、順調に、まっすぐ水平に飛んでいる感じがするんだ。だから、そのまま飛び続ける。

しかし、計器はさらにどんどんと機体が傾いていることを示している。
それでも、パオロットは自分が飛んでいる感覚としては、先ほどと何も変わっていない、順調に飛んでいるように感じている。
しばらくすると、機体はさらに傾いて、180度回転してしまう。つまり、上下が反転してしまうんだ。
それでもパイロットは気がつかない。

でも、パイロットには葛藤があるんだ。
計器を信頼するのか?それとも自分の感覚を信頼するのか?
計器が間違っているなんてことは90%以上、ありえない。
でも、それでも計器が狂ってしまっているのかもしれない。
どうすればいいのか!!!???
どんなにベテランのパイロットにも、この葛藤はある。
そして、自分の感覚を信じることを選択するんだ。
「間違っているのは計器のほうだ!!!」っと。

暗闇の雲にも、いずれ終わりはやってくる。
一筋の光をみつけて、雲の外に飛び出る。
そこで、パイロットは自分の頭上に満点の星空が広がっているのを見るんだ。
そして、操縦桿を思いっきり引いて、機体を上昇させる。満点の星空にむかって。
・・・しかし、実際の機体は上下反転を起こしている。パイロットのの頭上にあるのは、空なんかじゃないんだ。
パイロットの目に、無数の星のように見えるのは、星空なんかではなく、海に浮かぶ多くの漁船の灯かりや、街の灯かり。
そして、墜落する。

このおじいさんが青年に言いたかったことは「彼女に相談しなさい」だった訳なんですが、ココロに関しても、確かに『空間識失調』ってあるんです。
私たちは、何か問題が出来たとき、1人で抱え込んでしまうことが多いですよね?それが自分にとって深刻な問題であれば尚更です。
でも、それはある意味、真っ暗闇の中を1人で飛行しているようなものです。
スキューバダイビングでは海に潜るとき、必ず「バディ」が存在します。海の中でも同じようにこの『空間識失調』が起こるからなんです
が、それ以外にも自分の視界以外を補いあったりだとか、何かあったときにサポートし合う為にいるんです。

ココロの暗闇を飛行するときには、自分の状態を表してくれる計器なんてありません。
だからこそ、尚更、「おいおい、間違ったほうに飛んでるよ!?」とか、「機体が傾いているよ」とか、サポートしてくれる人が必要な訳です。
それは自分にとって身近な信頼できる人であったりだとか、カウンセラーって言う、ある意味、多くの飛行機のサポートをした管制官的なものを使うのもいいでしょう。
危険なのは、自分の感覚だけを信じて、「計器のほうが間違っているんだ~!!!」っと突き進んでしまうことです。

それは何も、「自分を信じるな!」とか、「1人で物事を決めるな!」って訳ではありません。
ただ、自分が真っ暗闇の中を、あてもなく飛んでいるように感じる時は、誰かに相談をして、そしてその上で「どう飛行するのか?」を決めるほうが安全だ。ってことです。
少なくとも、上昇しているようで下降している。なんてことは食い止められます。

平さんがよく言う言葉があります。『ひきこもりたい時こそ、自分から誰かに会いに行くんだ』っと。
それは、「誰かに”SOS”を出すことの大切さ」を教えているのですが~、今回書いたような意味も、そこには含まれているのかも知れません。

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2001年5月13日

乙姫さまの愛情

みなさん、こんにちわ、ナルイヒロミです。
またまた更新が遅れつつあるこのコラムですが、気長によろしくお願いしますです。

私が好きなメルマガの1つに「女医マヤのセクシー心理学 」
http://www.ne.jp/asahi/heart/heart/maya1
(『4月29日発行 第71号「浦島の記憶」』から引用させて頂きました)
って言うのがあるんですが(結構、知名度は高いはず)私の長年の謎というか、誤解がとけたので、うれしくって今回はその話をしたいと思います。

『浦島太郎の話』って、みなさんもよく知ってますよね?
♪助けた亀に連れられて~ 龍宮城に行く話です。
で、豪華な接待(?)を受けて浦島太郎さんも大満足なのですか、地上のことも気になるので「悪いけど、そろそろ帰るわ~」っと言ったのかどうかは分かりませんが、別れ際に乙姫さまから「玉手箱」のプレゼントを受け取って地上に帰る。っと~。
乙姫さまは、心理学を知ってかしらずか、言うわけす。
「絶対あけないでね」
そんなこと言われたら、人はついつい開けてしまうもんです(~_~;)で、
浦島太郎さんは、よぼよぼのおじいちゃんになってしまう・・・。
とまぁ、子供にしてみればあまりハッピーエンドではない話ですよね?

ちびっこ心に私は思ってたわけです。
「なんで、そんな玉手箱なんか渡すねん!乙姫って実はやなヤツ~!!!」っと。
で、子供心に教訓を持つわけです。「人生楽ありゃ、苦もあるさ~・・・」っと。
「何かいいことがあったときには、その反動でとてつもなく良くないことが起こるんだ。だから無難に生きていこう・・・」と(^^)
よくありますよね?
例えば、宝くじがあたったら、それで一生分の運を使い果たしてしまうに違いない!とか、なんか、今、自分でもよく分からないけどモテモテな時期で~、でもこれを逃すともう後には男運(女運)が残らないだろう・・・。とか~、「ん?これはドッキリか!?」とかです。

実際、なぜ乙姫様は浦島太郎に玉手箱を持たせたのか?は、もちろん作者にしか分からないところでもあるのですが、1つの答えとしてメルマガに書かれていたのは『エビングハウスの忘却曲線』です。

もう100年以上も昔に、ドイツのエビングハウスさんと言う人が唱えた学説なんですが、それはその当時ではとてもとても画期的なことで、「人間の記憶と時間の関係をあらわした曲線」なのだそうです。
ま、どうやって実験したのか?は今回は関係ないので置いといて~、結論だけいうと、人の記憶と言うものはまる1日たつと、半分以上、100あれば、その実に70%程度は忘れてしまう。っというものなんです。
1日たつまでもなく、約1時間で50%近くのことを忘れてしまう、っというのが実験の結果わかっていることらしいのですが~、そりゃ~一夜漬けで本をパラパラめくって勉強しても、なかなか頭にはいっていない訳だ~。
興味のある人は検索で「エビングハウス」とするだけでも、結構見つかると思うので、是非是非探して読んで見てくださいね。

この学説がいったいどう『浦島太郎』と関係あるのか?っというと、龍宮城での素晴らしい記憶も日が経つにつれて次第に薄れて行き、帰ってきてから何年も経って、浦島太郎が実際におじいさんになったときにはそのほとんどの記憶が消えてしまっている。っと言うわけなんです。
「鮮やかな写真も、時間がたてばセピア色になる」とか~、そんな感じですね。
乙姫様は、玉手箱を使って浦島太郎をおじいさんにすることで、龍宮城での楽しい記憶を一瞬にして完全保存させた訳です。
これで、浦島太郎は鮮明な記憶を持ったまま死んでいけると言う訳ですね。

乙姫様には分かっていたはずです。
地上と、龍宮城での時間の流れ方が大きく違うということを。
(確か、浦島太郎が地上に戻った時には400年以上は時間が経っていたんでしたっけ?)
地上に戻った浦島太郎が時間の差のことを知ったら愕然とするだろう。
でも、そこで浦島太郎がその世界で生きていこうとするのなら問題はないけれど、彼が新しい世界に適応できなかったら???
彼がそこで龍宮城での出来事を思い出すのなら、彼は必ず『玉手箱』を開けるだろう。っと。
その瞬間、記憶は鮮やかなまま保存される。
『玉手箱』は乙姫様の最後の愛情だったわけです。

過去の思い出だけの中で生きていくのは、とても悲しいことです。
時間が経てば、その唯一の「過去の記憶」でさえも薄れて、消えていくのですから。
・・・かといって、私は乙姫がしたことが正しいとは思わないですけどね。
2人とも、未来の可能性を否定したわけです。
浦島は自分自身の、そして、乙姫は浦島の未来の可能性を。

KMSの師匠(?)のチャック・スペザーノ博士が繰り返し言う言葉があります。
それは『今、ここ(Here and Now)』です。
過去の栄光や、未来への恐れ、過去の観念、未来への過大な期待、色々なものに振り回されて、私たちは『今』を見失ってしまうことがしばしばあります。
でも、大事なのは『今』を選択すること。
『今』を選択し続けること。
『今』以外に、私たちが生きることは出来ないですからね。

童話って、やっぱりなかなか奥が深いものですね(~o~)

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)