いまだ過干渉の母親が鬱陶しい 〜過干渉されない私になる方法〜

大人になっても過干渉な母親にはどう対処すればいいのでしょうか

自分と人を区別する境界線を心理学ではバウンダリーと言いますが、過干渉の母親は子との境界線が不明確なことが多く、親と子が別々の人格であることが尊重されないことがあります。過干渉な言動をされて腹立たしく鬱陶しいと感じるときに、相手を拒絶することなく自分の領域を守るためにできることは何でしょうか。

子どもの頃ならいざ知らず、いまだに母親の過干渉がひどくて鬱陶しいという話を伺うことがあります。なぜ母親の過干渉がなくならないかというと、お母さんにとって過干渉は、良いか悪いかを別にすれば、お母さんなりの愛情表現のひとつだからと言えるかもしれません。

人の愛し方というのは、自分が良かれと思うことは相手も喜ぶだろうという思い(心理学ではこれを投影といいます)であることが多いので、本人は愛しているつもりでも、相手には喜ばれないということがあります。

さらに「やめて」と言ったところで、お母さんにとって長年親しんできた愛し方の何が悪いのか分かりづらいことも多く、そう簡単にやめられないかもしれません。

私たちは相手の言動が気にいらないと、現状を良くするために相手に変わってもらわなければと思うことがありますが、自分以外の人間を変えるのは難しいことですよね。そのためお母さんに過干渉をやめさせるというよりも、「過干渉をさせない私になる」ことで、次第にお母さんの過干渉が減っていくことを目指してはいかがでしょうか?

◇いまだ過干渉の母親は、なぜ鬱陶しいのか?

たとえば、あなたが出かけようとしたら大雨が降ってきたとします。するとお母さんが「今日は長靴を履いていきなさい。」と言いました。

今日は食事会で、あなたはおしゃれな服で出かけようとしていたので、長靴はその服に合わないと思いました。
なので「長靴なんていらない。雨に濡れてもいいパンプスで行くから。」と言いました。

するとお母さんはあなたの言葉が聞こえていないかのように、「この長靴がいいわよ。これを履いていきなさい。」と言って、長靴を玄関に並べていたとします。
あなたはイラっとして、「うるさいな、私の靴にまで口出ししないでよ!」と言いたくなるかもしれません。

あなたが今日どんな靴を履いていくかなど、我々大人は「自分のことは自分が決めるし、自分が決めたい」と思うものではないでしょうか。

でも、あなたの意思を無視するかのように、お母さんが長靴を準備しているとしたら、「私のことなのに、お母さんが決めようとしている」つまり大人であれば誰もが大切にされるべき「自分のことを決める権利」の境界線を、お母さんが乗り越えてきたと感じるかもしれません。過干渉の母親が鬱陶しく感じる理由は、あなたがひとりの大人として大切に扱ってもらえていないという思いでもあるのかもしれません。

◇過干渉の母親に感じる鬱陶しさを手放す方法

あなた自身が決めればいいことに対するお母さんの口出しに、「私のことは放っておいてよ!」と突っぱねると気分が悪くないですか?「この境界線から入らないで!」とお母さんを心の中で足げりにしているような罪悪感のせいかもしれません。

逆に自分の意思を曲げて「いやだけど仕方ない。」と我慢してお母さんの言う通りにしても、犠牲をしているようで気分が悪いかもしれません。

過干渉の母親に感じる鬱陶しさを手放すために大切なことは、良かれと思って心の境界線を乗り越えるお母さんに、やさしく丁寧に、しかも毅然とした態度であなたの正当な権利を主張し、境界線の外にお引き取り願うことと言えるのではないでしょうか。

いそいそと長靴を玄関に並べているお母さんであれば、
「心配してくれてありがとう。でも今日は、私はパンプスを履いていくね。」
のように、
「ありがとう。でも私は〇〇します。」のような形で対応するという方法があります。

◇過干渉の親にありがとうと言う理由

過干渉の親に礼など言いたくないと思うかもしれませんが、ありがとうは「やってもらって当然」と思う間柄の相手には言えません。つまり親との関係が「大人と子ども」あるいは「上と下」ではなく「大人と大人」という対等な関係でこそ、ありがとうと言えるのではないでしょうか。

親の過干渉は、「子どもにやってあげよう」という「上と下」の関係がもとになっているかもしれません。そのため過干渉の解消には「親子であったとしても、もう上下関係ではなく対等な大人どうしである」とお互いに納得する必要があると言えるかもしれません。

ただし直接「もう大人なんだから過干渉はやめて」と言ってしまうと、お母さんは「あなたのために言ってるのに」と怒ったり拗ねたりするかもしれません。
「対等だ」ということを言葉では言わないけどお母さんに理解してもらいたいときに使えるのが「ありがとう」かもしれません。

また「でも私は〇〇します。」というのは、親との間にあなたが自分の意思で境界線を明確に引き直し、過干渉をさせない私であることを主張することと言えるでしょう。

「ありがとう。でも私は〇〇します。」をあきらめずに続けているうちに、お母さんの過干渉が減ってくることもあるでしょうし「最近しっかりしてきたみたいね。」などのように、あなたが立派な大人であることにようやく気づいてくれるかもしれません。

(了)

この記事を書いたカウンセラー

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職場の人間関係、夫婦・家族の問題を主に扱う。 「解決したい問題がある時に、悪いところを探して正そうとするのではなく、自分の魅力や才能を受け取れば物事を全く別の見方で捉えることができ、自分の枠から自由になり、のびのびと楽に毎日を送れるようになる」というスタンスでカウンセリングを行っている。