自分らしく生きるための自己愛レッスン(4)〜罪悪感を手放すことにOKを出す〜

罪悪感を手放すことにOKを出す

自分をいいものだと思えない気持ちの奥に、大切な人を愛せなかったという罪悪感があります。これに気づけないと、人から攻撃されるという恐れと自己攻撃を繰り返しますが、認めて、心からの「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えると自分らしく生きることにもOKが出ます。

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罪悪感が自己愛を蝕む

なぜ、私たちは、ついつい自分をないがしろにしてしまうのでしょう?

自分を「いいもの」だと思えない感情のことを「罪悪感」と言います。「自分らしく生きたい」と思う側から、エゴは、「自分はそんなにイイものではないのに」と足を引っ張るのです。

罪悪感には2種類あります。「お母さんの大切なお皿を割ってしまった」など、「やらかしてしまってごめんなさい」という罪悪感と、「落ち込んでいたのを知っていたのに声をかけなかった」、「親切で声をかけてくれたのを知っていたのに、ありがとうが言えなかった」という、「やらなくてごめんなさい」罪悪感があります。

私の経験上、自己愛を蝕む罪悪感は、後者のことが多いように思います。例えば、次のような罪悪感は、普段、あまり意識しませんが、カウンセリングで問題に直面すると、心の奥底から上がってくることの多いものです。

「役に立たなくてごめんなさい」。

「(親のどちらかもしくは両方を)助けられなくてごめんなさい」。

「生まれてこなければよかった/生まれてきてごめんなさい」。

「女の子で(男の子で)ごめんなさい」。

「恵まれていてごめんなさい」。

なかでも、言葉にはなりにくいのですが、とても多いのが、「愛せなくてごめんなさい」という罪悪感です。

 

 

本当は、みんな「愛したい」と思っている

自分が「愛せなかった」、あるいは「愛さなかった」という罪悪感は、とても認めにくい感情です。「愛せない」というのは、自分の心の限界を認めるようで辛いです。

「大切な人を愛せなかった自分がいいものであるはずがない」というリクツで、エゴは、自己愛を攻撃します。それが辛すぎて、合間に大切な人の欠点や失敗にも怒りの矛先を向けて、

「でも、それにしても、あの仕打ちはないんじゃない?」、

「でも、それにしても、あの言い方はなくない?」、

と思います。一瞬は、「そうだ!」と自分の力が戻ってくるように感じるのですが、すぐにまた、誰かに攻撃され、取り残されてしまうような怖さに捕まります。

「私が仕事をしていないから」、

「私が女性だから」、

「私が子供を産まなかったから」、

などなど、自分が誰かの期待に応えられなかったことをあげつらねて、「こんな自分だからダメなのだ」と自己攻撃したくなります。この「恐れ」と「自己攻撃」のループの犯人が、「愛せなかった」罪悪感です。

誰ですか?また、「私は愛せなかったダメな人だから」と自己攻撃したくなったのは?

ここで大事なのは、それだけ「愛せなかった」ことの罪悪感が大きいということは、あなたがそれだけ「愛したかった」人だ、ということです。

「愛したかった」のに、「愛せなかった」から、こんなに苦しいのです。なので、もう一度、「愛したかった」というご自分の願いを思い出しませんか。そこにあなたの本質があります。

あなたは、本当は、とても「愛したい」人なのです。

 

 

心をこめて「ごめんなさい」と「ありがとう」を言う

自分を許すのは、自分を傷つけた相手を許すより難しいと言います。本当は、誰しも魂のレベルでは無実なのですが、自分の失敗(「愛せなかった」を含)が大切な人を傷つけたと思うと、自分のその影響力が怖くなり、そんな自分を閉じ込めてしまいたくなります。

罪悪感による恐れと自己攻撃の無限ループに囚われると、人生は滞ったまま、一向に前に進みません。私たちが人生で一番やるべき大切なことが、ずっと後回しになるのです。

この人生で一番大切なことは、「楽しむ」こと。「幸せ」であること、なのです。本当に不思議なのですが、私たちは、ただシンプルに楽しみ、幸せでいることがとても恐いみたいなのです。

人間は誰しも、ミスも失敗もあります。そのことを受け容れるのは容易ではありませんが、自分を許すこと、つまり「許される」ことの「はじめの一歩」は、「自分が悪かった」「失敗しちゃった」「愛せなかった」と認めることなのです。

私たちは、自分が「許される」と思わないと、なかなか謝れません。自分が傷ついたときに許すのがとても難しいので、きっと相手も「許せないよね」と思います。だから、「許されるわけがない」と思うのです。

「許されるわけがない」と思っているうちは、「だって相手だって、こんな酷いところがあるじゃない?」と怒りを相手に向けることもできます。

でも、相手に許されてしまうと、今度は、自分が「愛せなかった」ことがクローズアップされるので、ますます罪悪感を感じます。そんな時こそ、心をこめて「ごめんなさい」と言えるといいですね。

「ごめんなさい」が自分の失敗を認める贖いの言葉だとすると、「ありがとう」は、相手を許し、相手に許され、同時に自分を許すことのできる、「与え」、「受け取る」、パワフルな愛の言葉です。

「許される」というのは「愛される」ことと同じです。

自分が愛せなかったのに「愛される」なんて、ちょっと悔しいし、シャクかもしれません。恥ずかしすぎて、「ごめんなさい」や「ありがとう」を言わずにごまかしていることはありませんか?

私たちは、一番大切な人に、一番言わなければいけないことを、恥ずかしすぎて、言わずにすませてしまいます。

でも、だからこそ、それを誤魔化さずに、心を込めて伝えることが、あなたの自己愛を大きく育てます。相手を相手のまま受け容れる驚くほど、そこからあなたの世界は変わり始めますから、その悪い魔法の溶けっぷりに、びっくりしてくださいね。

(完)

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