イジメでできた心の傷を癒したい

相談者名
ライ
私は生まれつき「繊細な感性」を持っているアラフォー女性です。
約30年前の中学生の時と、社会人デビューしたての時にうけた「いじめ」被害でできた心の傷を癒したいです。
自分をもっと愛したいし、過去の自分から逃げてきたので、ちゃんと向き合いたい。
でも、今でもいじめっ子達がしてきたことを許せません。
いじめられたことが原因で、精神疾患を発症し治療中です。
また、現在も集団や男性が怖いです。
自分で心の扉を閉ざしてしまっているのかもしれないけれど、開け方が分からないです。
カウンセリングやワークショップ?などで心の傷を癒し、たくさんの愛に気づきたい、愛を受け取りたい。
心理カウンセラーにもチャレンジしてみたいです。
どうしたらいいでしょうか?
カウンセラー
帆南尚美
ライさん、はじめまして。
カウンセリングサービスで心理カウンセラーをしております帆南尚美と申します。
今回ライさんのご相談を担当させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

ライさん、ずいぶん長い間たいへんなご苦労をされていらっしゃいましたね。
中学生の時と社会人デビューしたてのときに「いじめ」を経験されて、それ以来ずっと、その時に受けた心の傷に苦しんでこられたとのことですから、今までの人生のほとんどが暗くて辛い時間だったのかもしれません。

「自分をもっと愛したいし、過去の自分から逃げてきたので、ちゃんと向き合いたい。」とおっしゃっていることから、ライさんがご自身でも認識されている「繊細な感性」を使いながら、ご自分の心の状態に真摯に耳を傾けようとされていらっしゃることがうかがえます。

今回この無料相談にご連絡くださることも簡単なことではなかったと想像しております。
「「いじめ」被害でできた心の傷を癒したいです。」とおっしゃるライさんが、どれだけの勇気を出して下さったのかと思うと、本当に素晴らしいと思います。

いじめられたことが原因で、精神疾患を発症し治療中とのことですが、いじめというのはその場限りのことではなく、その後も長きにわたり苦しまれる方が多いようです。

ライさんが「今でもいじめっ子達がしてきたことを許せません。」とおっしゃるのは、きっとその通りなのだろうと思うのです。
過去の「いじめ」が許せないとき、いじめた相手を許せないだけでなく、実は心の奥のほうでは、いじめられた自分が嫌いだったり、もっと違う自分であったならいじめられなかったかもしれないなどと思い、自分のことを許せないこともあるようです。

そのため、「いじめ」でできた心の傷を癒すためには、ライさんがおっしゃっているように、自分をもっと愛すること、自分を許すことがとても大切なことであると考えることができます。

では、自分を愛するというのは、どうやったらいいのでしょうか。

私たちは、人との間で「傷つけられる」という体験をしますが、人によって負った傷は、人によって癒される必要があると言われています。
つまり、人との間で「自分を愛する」ということを学ぶことが大切と言えるのかもしれません。

ライさんは、「自分で心の扉を閉ざしてしまっているのかもしれないけれど、開け方が分からないです。」とおっしゃっていますね。
傷ついた経験があると、人と関わることは怖いことでもあり、億劫でもあるかもしれません。
それは当然のことだと私は思います。

そんなライさんが「自分を愛する」ことができるようになるために、一つ私から提案があります。

それは、挨拶です。

挨拶というのは、多くの場合人と人が出会いがしらに行うものですが、その目的は「私はあなたの敵ではありませんよ。味方ですよ。」という、愛情表現のようなものと考えることができます。

相手より先に、自分から人に挨拶をするということは、まだ愛されてもいない人に、こちらから愛情表現をすることでもあります。

人は愛したい生き物であると言われているため、私たちは自分から愛情表現をすることができるようになると、そんな自分を誇りに思えるようです。

また私たちの心には、自分が心の中でやっていることが、さも他人からもやられているように感じるしくみがあるので(これを心理学では「投影」といいます。)自分から愛情を表現すると、他人からも愛を送られている、つまり愛されているとか、良い存在として認められていると感じられるようになると考えられるのです。

私たちは、自分のことを愛そうと思っても難しいと思うことがありますけれど、他人から愛されていると感じられることで、自分も捨てたもんじゃない、なかなか価値がある存在だ、などと感じることができたりします。
それはつまり、少し遠回りと感じられるかもしれませんが、「自分を愛する」ことになるのではないでしょうか。
もしよろしければ、挨拶しやすい人から、お試しくださいね。

さて、「繊細な感性」をお持ちのライさんが、この何十年も苦しみながら生きてこられたことの意味を考えたことはありますでしょうか。

多くの方は、辛く悲しい時間が長いと、時間の無駄をしたような気がしたり、自分の人生には何の価値もないと感じてしまうことがあります。

しかし、私たちの人生には無駄なことはひとつもないと言われることがあるように、私にはライさんの今までの半生は、これからの輝かしい半生のための準備期間のように思います。

「繊細な感性」というのは、刃物のカッターのようなもので、使いようによっては自分を傷つけることもできるし、切り絵のような世にも美しい芸術的なものを作り出すこともできると思うのです。

ライさんが「いじめ」によって傷つき悩み、何年も考え続けていらした「繊細な感性」による経験のすべては、ライさんの人生を苦しめることもできるし、もしかしたら同じような経験をされて苦しんでいらっしゃる方を心の底から理解し、温かく包み込むために使うこともできると思うのです。

「繊細な感性」は、ライさんの才能でもあり、強みでもあるのではないでしょうか。
そして、強みとして使えるようになるためには、もしかしたらこれまでとは違う大きな変化の一歩を踏み出す必要があるかもしれません。

その一歩を踏み出すためのヒントを、最後に提案させてください。
それは、ライさんが書いてくださった「やりたい」という望みを、「やるんだ」という意志に変えていくことです。

たとえば、

「自分をもっと愛したい」を、「自分をもっと愛するんだ!」に。
「過去の自分とちゃんと向き合いたい。」を、「向き合うんだ!」に。
「たくさんの愛に気づきたい」を、「気づくんだ!」に。
「心理カウンセラーにもチャレンジしてみたい」を「チャレンジするんだ!」に。

言い換えてみると、怖くて尻込みしたくなったり、ワクワクしたりするかもしれません。
それはライさんがこの瞬間に、お持ちの才能を使ってやりたいことに真っ直ぐに向き合ったからだろうと私は考えております。

何かのご参考になりましたら嬉しく思います。
ライさんの幸せを心から応援しております。
最後までお読み下さりありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

職場の人間関係、夫婦・家族の問題を主に扱う。 「解決したい問題がある時に、悪いところを探して正そうとするのではなく、自分の魅力や才能を受け取れば物事を全く別の見方で捉えることができ、自分の枠から自由になり、のびのびと楽に毎日を送れるようになる」というスタンスでカウンセリングを行っている。