特別意識からの脱出~自分の存在意義を認めよう~

自己肯定感を培うには、自分を責めないこと

特別意識があると、人とのつながりが作りにくかったり、敗北感から取り組んでいることをやめてしまったり、取り組んでいることが楽しくなかったりします。
特別意識は自分の存在意義を他の人に認めてもらいたい欲求です。
特別意識の下にあるのは競争意識です。競争意識の下にあるのは自己肯定感の欠如です。
特別意識を無くすには、競争を止めること、そしてそのためには自己肯定感を培うことです。
自己肯定感を培うには、自分を責めないことです。

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◎リクエストを頂きました◎
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「特別扱い」についての心理を教えてください。
色々と自分を洞察していると、どうやら「特別でないと意味がない」という思いを理由に色々なことを制限しているのかもしれないと感じました。
例えば芸能人で初めて素敵だと思う人を見つけたのですが、他のファンが熱いメッセージを送っているのを見ると冷めてしまいます。
私はここまでできないとか、他の人と同じなら意味がないとか…一緒に応援すればいいのに不思議です。
仕事も友人も、誰かや何かにとって特別な私でなければ、対象を好きになれません。
「チャンピオンの孤独」という心理でしょうか?
私たちは皆…という繋がりを持つにはどうすればいいでしょうか?
誰しもがオリジナルで特別な存在なのはわかりますが、私の質問はそれではなく、「特別でないなら意味がない」という思いの変え方です。
よろしくお願いします。
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私は特別な存在だと思いたいのが特別意識です.。
特別意識は、そこに競争する意識があることを示しています。
特別意識は、人との違いを強調したいわけですから、人との比較をしていることになりますね。

では、どうして競争をしなければならないのでしょのでしょうか。
競争をすることで一体何が得られるのでしょうか。

競争は、自分の力や価値、そしてそれらに裏付けられた自身の存在意義を証明するために行います。
私は存在していていいのだ、ということを証明したいわけです。
そのことを逆に考えると、自分自身で自分の存在を認めていないということになります。

自分自身で自分の存在を認められないのですから、認めてもらう相手は他の人になります。
他の人が認めてくれて初めて、自分にも自分の存在価値を認める許可が下りるというわけですね。

他の人に自分の存在価値を認めてもらおうとすると、とても厄介な問題に出くわします。
それは、人により価値観が異なるからです。

例えば、Aさんは自分をさておいても人を大切にしなければいけないと思っているとします。それがAさんの価値観です。
しかしBさんは、自分を大切にし、人の犠牲になることは必ずしも良くないと思っていたとします。それがBさんの価値観です。

ある日、あなたと友人の二人で山に登り、もうすぐ山頂に到着するというところまでたどり着いたとします。
しかしそこで、友人が「もう足がパンパンになってこれ以上歩けない」と言い出したとします。
さて、あなたはそこでどのような行動をとるでしょうか。
考えられるケースは三つあります。
①友人のことを気遣って、そこから一緒に山を降りる。
②友人に肩を貸したり、あるいは友人を背負って一緒に山頂を目指す。
③友人にそこで待っていてもらい、自分一人で山頂に行く。

①や②を選んだ場合、Aさんの評価は「あなた偉いね、ちゃんと友達のことを考えて行動したんだね」になるかもしれませんね。
しかし、②を選んだ場合には「あなたってひどい人ね、友達を置いてきぼりにするなんて」という評価になるかもしれません。
一方Bさんは、①を選んだ場合「目の前に山頂があるのにどうして自分だけでも行かなかったの?」という評価になるかもしれません。また②を選んだ場合には「友達もしんどかったし、あなたに随分気を遣ったんじゃないの?」という評価になるかもしれません。しかし、③を選んだ場合には「行きたかった山頂にあなただけでも行けてよかったわね」という肯定的な評価になるかもしれません。

このように、同じ行動をとったとしても、人によりその評価は様々です。
私たちは、世の中に普遍的な価値観があると思いがちですが、価値観はその人個人のものであり、決して普遍的ではありません。

従って、人に自分の存在価値を認めてもらおうとしても、その人の価値観に振り回されてしまうだけなのです。
人の価値観に自分の存在価値を委ねると、いつまでたっても自分の存在価値を認めることができません。
自分自身で自分の存在価値を認めることこそが必要なのです。

さて、私たちは、私たちの生育過程で様々な価値観を身につけます。
特に養育者である親の価値観は大きく影響します。
子供の頃は、親に依存して生きるしかなく、親は絶対的な存在になります。
何かをして怒られると、決して親が悪いと思わず、自分が悪いのだという意識を持ちます。
そして、親の価値観に合わせ愛されようとようとします。
子供の頃に一番欲しいのは親の愛情なのです。
親から愛されている、親から認められている、親が自分の存在を認めてくれている、それが子供の頃の生きる喜びなのです。
そして、その喜びが自己肯定感へと繋がっていきます。
ところが、親にも親の都合があって、絶対的な存在になりうる人などほとんどいません。
そんな日常生活の中で、親の振る舞いの端々に反応し、「自分は愛されていないのではないか」「自分の存在価値は無いのではないか」などと考え、自己肯定感を失っていく場合もあります。

子供の頃に自己肯定感が十分に得られないと、自分の存在意義を探さなければいけないことになります。それが、競争やそれに基づく特別意識に繋がっていくのです。

ここで注意が必要なことは、自己肯定感が低いことが必ずしも親のせいばかりではないということです。子供の頃の私たちは、自分なりの状況解釈をしたり、思い返しの中で記憶を作り出してしまったりすることがあります。
そのような中で、自己肯定感が低くなることもよく起こることです。

さて、特別意識をなくす、すなわち自分で自分の存在意義を認めるためには一体どうすればいいでしょうか。

一番大切なことは、競争を止めようとすることです。
競争をすると、必ず勝つとは限りません。
えてして私たちは、人のできている部分と、自分ができていない部分を比較して競争をします。これでは勝ち目がありませんね。
私たちには様々な側面があるわけですから、人には人の良いところがあり、自分には自分の良いところがある、という考え方をすると必ずしも競争をしなくてもよくなります。

次に、自己肯定感を培うために、自分を責めることをやめることです。
私たちは、意識的にも無意識的にもよく自分を責めます。
自分を責めることが習慣になっているので、それに気づかないこともよくあります。
カウンセリングでお話をしていると「自分を責めるのをやめましょう」と言った直後に、「自分を責めるなんて自分はバカですね」というようなことを言われますが、これも自分を責めているひとつなのです。
自分を責めることは、自己を否定していることですから、自己肯定感は育ちません。
自分を責めていたには、責めなければいけない理由があってそうしていたんだ、と自分を責めていたことを素直に受け入れる、責めていた自分ですら肯定することが必要だと思います。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。