困った時は、自分を見るな!感謝と賞賛が道を拓く 〜喪主からの学び〜

カウンセリングーサービスの山田耕治です。
いつもビジネス心理学を読んでいただきありがとうございます。

今日は、感謝と賞賛が、道を拓く、自らを前に進める、という、少々大仰なテーマとしました。

さらりと言うなら、困った時は、感謝と賞賛!、です。

私たちは、困った時、苦しい時、悲しい時、悔しい時、自分や誰かを責めたい気持ちがまず出てくるように思います。

やるべきことができない!
相手がこんなことをやってきたから!

そこから、自らの行動の修正にもっていけたら、良いのですが、それがなかなか進められないのです。

私たちは、自分を見続けているのだと思います。

ダメな自分、かわいそうな自分をどうしても見続けてしまうように思います。

書きながら、私もそんな自分ばかりで思い出したくないこといっぱいです。

でも、そんな状況の切り返しのキーワードが、今日のテーマ、感謝と賞賛です。

今日はその実践の報告です。

今のみなさんがどのような状況だとしても、感謝と賞賛は、必ず、みなさんを前に進めてくれます。

いや、そうですね、疲れすぎている場合は違います。
しっかり休むことがとにもかくにも先決です。
休んだ後の取り組みとして、読んでくださいませ。

実は、年明け、父が92才の誕生日を前に亡くなりました。

人生100年時代を実践してくれるかもと思っていたので、入院してからの1か月、私にとっては、あっという間の最後になりました。

母に言われ、私は喪主をすることになりました。

セレモニーホールの担当さんから丁寧なサポートがありましたが、段取りを決めや、通夜の前日ではありましたが弔問客もあり、なかなか忙しいものでした。

担当さんから、喪主は通夜と葬儀で、ご挨拶がありますと、例文の書いた書面をいただきました。

ふ〜ん、そうなのね。
その時はバタバタで、さらっとその例文を確認した次第です。

弔問客も帰られ、母や妹も明日の通夜のために自宅に戻り、残ることにした私は急にお腹が空きました。

一時的に蝋燭の火を消して、近くのコンビニに行こうと思ったのですが、途中にある人気の回転寿司がまだ営業しており、入ることにしました。

アサリの味噌汁が目の前に置かれ、家族で、貝掘りや海水浴に行ったことを思い出し、急に涙が出てきました。

家では不機嫌で寡黙な父でした。
もっと話がしたかったなあ。

自分を見るのは、いったんこの時間で終わりとしました。

部屋に戻り、蝋燭に火をつけ、ご挨拶だなあと、ギアチェンジです。

困った時は、自分をみない。
感謝と賞賛が道を拓く、です。

父を眺めながら、父の人生を、父と母、家族、そして、今の状態までをゆっくりと、ゆっくりと思いました。

まあ、なんとかなるかなあ。

通夜と葬儀では、家からCDを持ってきて、父の好きだった、ラヴェルのボレロをかけてもらいました。

館内に響く、ボレロの曲、粋だったと思います。

ご挨拶で話した、感謝と賞賛はいくつか挙げると、以下のようなものです。

父のセンスの良さについて

・今流れている、ボレロという、何度も繰り返す旋律でありながら、クライマックスに向かっていく、この曲のオリジナリティが40年も教職を続けた父と繋がり、その曲が好きだという父のセンスの良さを感じること。

・山田耕治という、山の田んぼを耕して、治めるという、名前が、めちゃダサいでしょう。
昔は嫌いだったが、今となっては、心の深い部分を耕すことが平和につながると思えるようになって、この父のセンスに驚愕していること。

父の粘り強さについて

・単車で、1時間近くかけて、雨の日も雪の日も長い間通い続けた実績に加え、偉くはなれなかったが子供たちに育ててもらったという、話ができるほどで、ボレロの旋律が重なりあうように、クライマックスを子供たちとともに作り上げてきた父のがんばりと粘り強さがすごいということ。

母の献身的サポートについて

・5年ほど認知が進む中で、母の献身的なサポートは誰も真似ができないものだったと思うこと。母は看護師でありましが、私はナイチンゲールさんには会ったことはないが、ここにいたらきっと賞賛してくれたはずであること。
この賞賛がきっと父が一番したかったことだと思ったので、思いついた限りの賞賛を考えました。

親戚や地域の方々に対して

・今は、父の不機嫌さの理由がわかるような気がするが、私が父の世界から逃げるように東京に行った後、日々の父と母をいろいろな形で長年サポートしていただいた、親戚や地域のみなさんに、甘えさせていただいたこと、おかげで自分のことに力を注げたことの感謝を伝え、これからはもう少し母の力になることを誓い、頭を下げました。

セレモニーホールの担当に向けて

・母のことを美恵子さん、私のことを耕治さんと呼んでいただき、弔問者に昔からの友達なの?と勘違いされるほど、親しみをもって、段取りと進行を美声とともにサポートしてくれた担当者さんにも、葬儀のご挨拶のなかで、賞賛と感謝を伝えさせていただきました。

ちょっとは笑ってもらおうと、浮かび上がってきたことをお話しましたが、残念ながら笑いも起こることもなく、葬儀は終わりました。

それでも、私自身はやるだけのことはやったととても清々しい気持ちがありました。

これが今回のテーマ、感謝と賞賛による、自分に対しての贈り物だと思います。

この清々しさにより、自然に、自らの行動の修正の流れが動き出していくように感じています。

しかも、みなさんがいい葬儀だったと言って帰っていかれました。

感謝と賞賛を受け取ってもらえたんだなあと安堵の気持ちで葬儀を終えることができました。

感謝と賞賛によって、自分の清々しさだけでなく、もれなく、また新たな関係性が深まり、動き出します。

そして、これからも、その人たちと、一緒に前に進むことができるように思えます。

その相互の応援、相互の依存関係が、自らの修正のチャレンジの帰る港になるのだと思います。

カウンセリングサービスの母体、神戸メンタルサービス、カウンセリングサービスの仲間からの献花も私に対しての応援団でありました。
おかげで枠を越えられました。

ちなみにですが、母は、耳が遠くなり、私の話をちゃんと聴けてなかったようで、その後急いで、補聴器を購入した次第です。
どこまで受け取れない人なんだろう。
なかなかの強者です。
私の母ですからね。笑笑

さて、みなさんには、『困った時は、感謝と賞賛!』、それだけ、心に刻み、思い出していただければと思います。

自分を見ることの次に、感謝と賞賛への気付きがきっとあなたを前に進めてくれます。
ともにチャレンジしていきましょう。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうごさいました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

1967年広島県呉市生まれ。早稲田大学法学部卒。家族は妻と小学生の息子3人。 恋愛、婚活、夫婦、家族、職場等、対人関係全般が得意。 臨月で子を亡くした喪失体験が人生に大きく影響し、18年勤めた会社を退職、心理学を学び直し2010年プロカウンセラーに。現在はサラリーマンとのWワークを推進中。