「子育ては苦手」から来る自己嫌悪の目的

子どもは可愛いけど子育ては苦手。
自分の時間が無くなる。
ママ友同士のお付き合いもしたくない。

私は母親に向いていない…。

そんな風に感じているお母さんは案外多いのかもしれません。

子育てのどんなことが苦手なんだろう

子どもは可愛い。
けど、子育ては苦手、育児は嫌い、というお母さんは意外と多いのだなと感じます。
私も、子どもは大事だけれど子育ては苦手だと感じていました。

じゃぁ、子育てのなにを苦手だと感じていたのかというとまずは、母親としての責任。
私には息子と娘がいますが子育てはもう終わっていて、今では2人とも立派な社会人。
子育てが苦手ながらも、自分も、そして息子も娘もよくがんばったなぁと思います。

では、当時の私はなにをそんなに背負っていたのかと考えてみたら

・ちゃんとした大人に育てなければ
・優しい子に育てなければ
・人からの信頼を得られる子に育てなければ
・しっかりした子に育てなければ
・強くたくましい子に…

たくさんの「~でなければ」という観念といわれるものに縛られていました。
この「~でなければ」「~すべき」という観念は、前提に「〇〇ではないから」という否定があります。
「〇〇ではないから、~すべき」という隠れた否定の思惑が働いているので、知らず知らずとても自分を追い詰めてしまうのです。
長いこと「ママ友同士のお付き合いはしたくない」とも思っていました。
「私は母親に向いていない」と感じていたので、「このお母さん、全然お母さんらしくないわね」なんて思われるかも、とダメ母であることがバレるのを恐れていたのです。
なので「母親っぽくないことがバレないように距離をとらねば」とママ友たちを敬遠していました。

また、子どもの宿題や習い事、遊びに時間を取られて自分の時間が無くなるのも苦痛でした。
私が仕事をしたい時間帯に仕事に打ち込めない。
家事に集中出来ない。
私が行きたいときに友達と遊びに行けない。
仕事や家事や遊びに私が専念しているときに、手を止められるのにも辟易としていたのです。

 

そう感じる自分を嫌わない

当時はそんなことを感じる自分って「なんて冷たい母親だろう」「私って人でなしなのだろうか」「やっぱり自分ってダメ母だな」と自分を否定しては嫌っていました。
心理学を学んでわかったことですが、私はまんまとこの自己嫌悪の罠にハマって悪循環を繰り返していたようなんです。

「母親たるもの育児が苦手だとかイヤだとか思ってはいけない」
「子どもがしっかり育つようにがんばらなくては」
「いつでも強く明るく優しいお母さんであらねば」

そうやって自分の感情を否定して、がんばればがんばるほど苦しくなります。
苦しいとき、私たちは余裕をなくします。
すると、ちょっとしたことで怒りが発動して子どもを怒ってしまったり、特に肉体を使ったわけでもないのに身体が重く感じて動けなくなったり。

そうやってどんどん自分を追い詰めては「私は冷たいダメな母親」という思いを強化し、自己嫌悪の悪循環に嵌っていることにさえ気づかずにいたのです。

けれど感情は自然と湧き上がってくるものなので、良い悪いのレッテルを貼る必要もなければ、そう感じる自分を嫌う必要もないのです。

 

自分自身をわかってあげる

ポジティブな感情もネガティブな感情も自然と湧き上がってくるもの。
なのでどんな感情も否定する必要はないのです。
ただ、ネガティブな感情を感じ続けるのはしんどいです。

そんなときはちゃんと自分の心の声に耳を傾けてみる。

子育てのどんなところが苦手?
なんでイヤ?
どんなことでストレスを感じる?
そのストレスはどんな感情?

自分自身が感じるネガティブな感情を放置せずにちゃんと観てあげる。
「こんなの小さなことだし」
「みんなこれくらい我慢してるし」
「もっと大変な人もいるだろうし」
などと自分の感情をちっぽけに扱ったり人と比べたりしないで、どんな小さなことでも
「そうか、私はこういうことが苦手なんだ」
「やれば出来るけど、私はこういう細かい作業がメンドクサくて嫌なんだ」
と自分をわかってあげる必要があるのです。

自然と湧き上がってくるものを抑えつけたり無いことにしたり悪もの扱いすると、いつまでも自己嫌悪と自己否定が繰り返されてそこから抜け出せなくなってしまいます。

 

「子育ては苦手」からわかるもの

私たちが感じる感情には目的があります。
「目的?”子育てが苦手”にまつわるあのイヤな感情にどんな目的があるの?」と思われるかもしれませんね。

”ネガティブな感情は誰かを理解するため” といわれます。

私の実家は商売をしていて、両親は1年中ほぼ休みなく働いていました。
私が子どもの頃の母親の記憶は、毎日忙しく父とよくケンカをし不機嫌な母、というもの。
母はいつもイライラしていて、私はよく怒られていました。
「また八つ当たりされた」と感じることもよくあって一時期、母をとても嫌った時期があります。

けれど小学生の頃だったかと思うのですが、一度だけ母に謝られたことがあります。
父と母がいつもより激しい大喧嘩をしていて、恐くて悲しかった私は必死にその喧嘩を止めようとしました。
けれど父に「2階にあがっとけ‼」と怒鳴られて2階で不安を感じていると、父との喧嘩がひと段落した母が「さっきはごめんな」と泣き笑いの表情でお皿いっぱいの苺を持って来たのです。

普段から仕事も忙しく父との関係も上手くいかず(仲の良いときもあったのですが)私たち3人の子供にも上手く愛情を注げず、母は自分を責めてそんな自分を嫌っていたのではないかと思うのです。
そして私が子育て中に感じていたことは母が感じたのと同じ感情で、私が実際にその感情を体感することで母を理解しようとしていたのかもしれません。

よく怒られたけれど母から愛されていた感覚は私の中にしっかり根付いていて、でも一方でとても母を嫌ったあの感情は、私があの頃の母を身を持って理解しようとしていたのだと気づくことで昇華されたように思います。

そうなると、母もやっぱり自分を責めることも嫌う必要もなくて「あんたたちは大事だけど子育ては苦手だったと認めるわ~」と天国で笑っているような気さえするのです。

「子育てが苦手だー」「育児しんどいー」そう思ったっていいのです。
だって実際、思ってしまうものは思ってしまうから。

あなたがもし今、子育てに苦しんでいるとしたら、その感情はあなたのお母さんを理解したかったからなのかもしれません。
だとしたら、あなたはとてもお母さん想いの良い娘さんです。

来週は、朝陽みきカウンセラーがお送りいたします。
どうぞ、お楽しみに♪

 

[子育て応援]赤ちゃんの頃から、思春期の子、そしてそんな子どもたちに関わる親とのお話を6名の個性豊かな女性カウンセラーが、毎週金曜日にお届けしています。
この記事を書いたカウンセラー

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恋愛や夫婦、浮気、離婚などのパートナーシップから対人関係、子育て、また、死や自己受容のテーマなど幅広いジャンルを得意とする。 女性的で包容力があり、安心して頼れる姉貴的な存在。クライアントからは「話しをすると元気になる」「いつも安心させてくれる」などの絶大なる支持を得ている。