記念日〜〜〜あれから8年〜〜〜 

12月16日は、私にとって人生でおそらく忘れる事がない日付です。8年前のこの
日、それは元夫と私の離婚調停の結審があった日で、戸籍上の婚姻が破綻、つま
り調停による離婚が決まった日です。その日の本当の天候は覚えていないのです
が、重たい色の空だったような気がします。建て変わったばかりの家庭裁判所は、
新しくて綺麗な分だけ、妙に浮き上がっているように見えました。
何度も何度も思い直し、あの手この手を自分なりに考え元夫に提案し、それで
も話し合いにならなかった日々。なかなか向き合ってもらえなくて、ただ「お前
がおらなあかん」としか言わない元夫、その事に何も言えず苦しくて・・・情け
ない自分を責めたり落ち込んだり、それでもまだ顔色を見ながら生活する私、そ
んな親を見て一見何も解っていないようにみえた息子たち。


 この日が積み重ねた日々をリセットするのにふさわしい日だったのかどうかは
わからないけれど・・・、調停書にサインをして、
「お世話になりました、ありがとう。」
と言った私に、
「こちらも、ありがとう。」
と消えそうな声で、元夫。心なしか判事さんや書記官の方が一瞬手を止めたよう
な気がしました。玄関で互いに反対を向いて歩き出した時、ほっとしたようで信
じられないようで・・・。冬が始まりだしていた街は案外優しい色合いで、私を
受け止めてくれました。
 あれから8年。一緒に住まなくなってからもう10年近い日が過ぎ、私の身の上に
もいろんな変化があったように、元夫の身辺にも、何度かの転勤や義父の他界な
ど、いくつかの転機が訪れたと聞きます。息子たちが頻繁に会っているし、必要
なときには電話で話すことがありますが、今になると、あのときには到底感じら
れなかった善いところもたくさん感じられていると思います。それでも、もう今
は違うところにいるんだな、と改めて思ったりします。
 昨日12月16日はワークショップやミーティングがあり、その後の打ち上げがあ
りました。わいわいとご飯を食べながらばかな話をしては大笑いをしていたので
すが、ふと、この日が私にとっての『記念日』だったことを思い出して、
「8年前の今日、離婚が決まった日なの!」
とみんなに言ってみたんです。そうしたらら、思いがけず同席の仲間たちの
「おめでと〜!!」
と言う大歓声を浴びました。その日が無かったら自分たちにも逢えなかったでし
ょ、と言ってくれた人も。あの頃はこんな日が来るとはもちろん夢にも思いませ
んでした。ただ苦しくて、自分の人生を取り戻したくて・・・でも、その場から
逃げ出したくはなかった。最後まで何ができるのかやってみたかった。他のこと
はとても考えられる状況ではなかったのですが、そのことにしか光がないような
気がしていました。
 あれから8年。息子たちもずいぶん成長し、自分なりの「哲学」をそれぞれに持
つようになりました。そして、大人としての客観的な視点から私たち親を見て、
「つきあってくれている」んです。時には手厳しく批判されたりもしますが、これ
も成長の証です。ただ、少し前と大きく違うのは、やみくもに反抗的なのではなく、
彼らなりの理解があった上での話をします。もちろん、すごく一面的にしか捉えら
れていないこともありますが、親としてはそれも成長の過程だと受け止める事がで
きます。
 私も子供も気分的に追い詰められて、元夫との生活を終えました。子供たちは4
人の生活をあきらめられないでいた時期もあったと思います。私自身、あんなに寂
しがりの人を1人置き去りにしてしまった罪悪感が出てきて、時折とても苦しみま
した。子供たちにも悪い、とずっと思ってもいました。そのために、私自身も余計
ながんばりをしてきたこともあります。やっぱり、心の中にはそんな思いも消え残
っていると感じることがあるんですが、先日のこと。18歳の次男と話していたので
すが・・・。
 
 「4人で暮らしたいと思った事、あるんじゃない?」
と聞く私に、彼はこう言いました。
 「いや、それはないな。少なくとも今はないな。だって俺ら全員今楽やもん。そ
れぞれがしたい事ができてるし、お母さんだって今の仕事をできなかったかもしれ
へんやろ?お父さんかってのびのびしてるわ。あれは間違ってないわ。あれはあれ
で良かったと思ってるで。」
 私は一瞬、言葉を失いました。甘えっ子で駄々っ子の次男は、数年前まで私に、
何で俺らを連れてきたんや、と私を責める事が1年に1回くらいはあったからです。
その度にとても切ない思いをしていたのですが、この日は違う意味で涙が出てしま
いました。黙って片付け物をする私の近くに、ただ座っている次男。大人になった
な、と心から思いました。
 長男も次男も、いつの間にか「人生に無駄も、意味のない事も、何一つない。必
要のない事は起こらない」ということを肌で学んでいたようです。親である私たち
が真剣に(とは言え、能天気な母親ではありますが)生きている、と思ってくれて
いるんだ、とこの日は感じました。そしてこれからのどんな出来事にもまた大切な
意味があり、それがどんな自分たちにとっても良いことでもしんどいことでも、良
かったと思える日が来るのではないか、と心底思うのです。
 そんなことを思っている今の私から・・・これから結婚や再婚に向かうあなたへ。
 
 結婚を考えたとき、多くの人は離婚なんて考えたりはしないと思うんです(もし
かしたら例外はあるかも、とは思いますけれど)。でも、もし心の片隅にそんな想
いがあったとしたら、「自分の人生にとってこの人とは」「この人と一緒にいる自
分の人生とは」ってじっくり考えてみてほしいと思います。結婚と言うものは個人
的なことのようでそうではない、と言う時代もこの国では長かったし、もちろん今
でもそう感じておられる方も少なくないとも思います。でも、結局残るのは二人、
なのです。社会的なこと・・・いわゆる世間体とか、仕事柄とか、家族の手前とか、
経済的なこととか・・・そんなことももちろん大切ですが、最後は二人。そう考え
てみてくださいね。
 そして・・・離婚、と言う言葉が脳裏を掠めているあなたへ。
 どうしてこの人と一緒にいよう、と思ったんでしょうね。彼(彼女)といること
で今までに手に入らなかったものがどれだけ手に入ったでしょう。あなたが幸せを
感じた瞬間の彼(彼女)の表情を覚えていますか。子供がいるから、経済的な問題
があるから、世間体があるから・・・だけが今一緒にいる理由でしょうか。年老い
たとき、二人は一緒にいると思いますか。一緒にいたいですか、いたくないですか。
もし離れるとしたら・・・後悔はないですか。してあげたいこと、伝えたかったこ
と、想いはもう残りませんか。そして、あなた自身は彼(彼女)からの愛情を、本
当に充分に受け取っていたでしょうか。
 もし、何か足りないと思っている事があったとしたら、ちょっと向き合ってみよ
うという意欲を持ってみてはどうでしょうか。
 結婚生活、特に離婚を視野に置いたカウンセリングでは、私は、こうしろ、ああ
しろ、と言う事はお話をしません。なぜなら経験上、(心理的に)無理なこと事も
あるし、第一そういったことを思いついたり実行できるのなら苦しんだりはしない
からです。かと言って、今すぐに決着を・・・とも思いません。やり残したり、思
い残したことがあるのなら、できるだけ向き合っていく事をお勧めしています。こ
れは結婚に向かう不安な思いの方へも、恋愛においてでも、同じように考えていま
す。
 
 「今できる事は、やれる範囲で向き合ってみること」
 
 結果のいかんに関わらず(結果があなたの望む方向であるかどうか、と言う意味
で)、人生の方向性が変わります、必ず。
 
 元夫が「離婚はプロセスやったな」と数年前に私に言いました。その時もそうで
したが、こうして反芻している今もこの言葉は私にとっては苦く、あまり耳障りが
良くないのはどうしてでしょう。どこかで、まだ私の中に「私が被害者」と言う気
持ちがあるのかもしれません。私の中に、「あなたにはまだまだ仕事があったはず
よ」と責める気持ちがあるのかもしれません。でも、元夫の言った意味とはもしか
したら多少なりとは違うかもしれませんが(少なくとも私の中では)、私や息子た
ち、そして元夫にとっても大切なプロセスであった事には間違いがないと思うので
す。
 要は、起こってしまった事をどう活かしていくか、ということなのでしょう。
 
 私にとって今一番大切な事は、「今・ここ」にいること。ゴールは永遠にないの
かもしれませんが、通ってきたことのすべてが今の私を支えてくれていて、「今」
を重ねて未来を創っているんだ、と思うのです。
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