私達も自然の一部-生かされていることに気づく時

お孫ちゃんが歩き始めてから、散歩が彼との日課になりました。
毎日とはいかないのですが、時間がある時は目一杯たっぷり使って、
彼が納得がいくまで、何時間でも2人でブラブラしています^^
この夏は日中の暑い時間を避けて、夕方公園に行っていました。
その公園は、何本もの大きな木々に囲まれていて、どんなに暑くても、
いつも心地よく通る風と、日差しを遮る日陰があって。
お孫ちゃんは、あちこち走り回って楽しそうにしているし、私もそこに
行くと、土の香りと木に囲まれているだけで、ホッとして体が緩みます。
リラックッスして^^のんびりした気持ちになれるんですね^^


もう1箇所、地元の氏神様である稲荷神社も、お気に入りの場所^^、
かなり由緒のある古い神社らしく、ここも大きな木立に囲まれていて、
鳥居をくぐると、空気が変わる気がするくらい、静かでいい所です。
今年10月には2才になるお孫ちゃんは、「まんまんちゃん、あん!」
(関西の方には分かるでしょうか?、私達が子供の頃って、神様や仏様を
拝む時こう言ったんですよ^^;)が、好きで「あん!行く」って(笑)
自主的に彼の方から、神社へ行きたがるんです。決して嫌がる幼児を、
私個人の趣味のために、無理矢理連れて行ったりはしておりません(笑)
彼も、大きな木が好きで、「血は争えないなぁ」(血かどうか疑問ですが)
って、私は喜んで彼と「あん!」しに行っている訳です^^
今のお孫ちゃんの年の頃から?、かどうかまでは定かではないのですが、
小さい頃から(半世紀位前^^;)今でもずっと木が、大好きなんです^^
(特に!古木がいいんです^^大きいければ大きい程いいんです^^)
そのせいかどうか、学生時代は、山岳部に入って年中山に篭ってましたし、
木と言うより、森や林と言った沢山の木に囲まれているのが、好きなんです。
好きと言うより、他人(?)とは思えない親近感を感じます(苦笑)。
「前世は、木だったのかも知れない」と思う位です(笑)
どうしてそんなに木が好きになったのか?自分でもよく分からないのですが、
お孫ちゃんと一緒に、『となりのトトロ』(彼のお気に入りです^^)を
見ていて、鎮守の森や大きなご神木のくすのきが立っている風景が出てくると
、いつもなぜかホッとした懐かしい気持になるんですね^^
『となりのトトロ』に出てくる風景って、私達の心の中にある『原風景』
のような、ものなかも知れないなぁって思います。
(但し対象年齢は、40代後半以上かも知れませんが^^;)
そんな私の『原風景』の中に、おじいちゃんとおばあちゃんに連れられて、
あちこちの神社やお寺にお参りしていた記憶が、これでもか!と言う程
残っているんですね。私自身がしっかり憶えているのは、幼稚園の頃から
ですが、母の話ではそれよりもずっと前(オムツか取れるか取れないかの頃)
から、毎月必ずお参りする所、季節毎にお参りする所、何か決まった行事が
あった時に行く所、などなど・・・どんな目的で、そんなにあちこちの神社や
お寺に行っていたのか?おじいちゃんやおばあちゃんに、詳しく聞いたことが
なかったので(普通聞きますよねぇ(苦笑))未だに不明のままですが、
小学校に上がる頃には、関西を中心に、たまに行く所は九州から北陸や中部
まで、かなり広範囲で名のある神社やお寺は、ほんど見事に行き尽くしていた
そうです^^;(断片的な記憶しかなくて、本人はほとんど覚えていません)
ただ大人になって自分で旅行をするようになって、「ここ来たことあるわ~」
って思った所が、驚くほど沢山あって自分でもビックリしていました。
海のそばの所もあったのに、どうしても山や森が浮かぶのは、神社やお寺は
どこでも、神域を守る鎮守の森が必ずありますよね^^、どうもそのイメージ
のような気がするんですね。だから『となりのトトロ』を見ても、
「懐かしい~」って気がするのかなぁって、何となく納得したりしています。
こう言うのが、『三つ子の魂百まで』って言うんでしょうか^^;
都会で暮らして、便利な暮らしに慣れてしまった今、山の中に移住したら
多分、「暮らしていけないだろうなぁ」って、自分でも思うのですが・・・
やっぱり土や木に触れられる場所がないと、息苦しいような気がするんです。
土と木のある場所に、定期的に行っていないと落ち着かないんですね(苦笑)
我が家の庭も、猫の額程の狭い場所ではあっても、私には貴重な空間で、
窓から緑が見えない所では、多分暮らせないだろうなって、最近は身にしみて
感じます。だからこんなことを、言っていいのかどうか分かりませんが^^;
今1番羨ましいお住まいは、日本有数のヒーリングスポットとしても名高い、
天皇陛下のおうち(皇居)ですね。
東京のど真ん中に森があるんですから!!!皇居の周辺でさえ、空気が
違うんですよ、中で暮らしたら「どんなに気持いいんだろうなぁ」って、
何とも畏れ多いことを考えていたりします(苦笑)
そんな森林フリークの私には、森林療法は願ってもないものでした^^
ワークショップで、『森の中で、自分が1番心惹かれた木の傍に行って、
15分間ただひたすらその木と繋がる』、『木と語り合う』ワークを
やったことがあるのですが、ただじっと寄り添っていてもいいし、ハグして
いても、心の中で語りかけても、やり方はそれぞれの人に任せられていて、
私は見渡せる限りの範囲で、1番大きな木(杉の木だったと思います)の、
私の腕よりも太い根っこに挟まれた窪みに、スッポリ体をはめ込んで、
背中に木の感触を感じながら、目を閉じてじぃ~~~っと木を感じました。
その時感じた感覚は、赤ちゃんに戻ってお母さんの腕に抱かれているような、
不思議な位温かくて落ち着けるもので、体の無駄な力が、すぅ~と抜けていく
のが自分でも分かって、本当に心の底からホッと出来たんです^^
上着が必要な時期だったのに、暖かい木漏れ日と、木に守られているような
安心感で、ウトウトしていたのか、15分はあっという間に過ぎて、「もっと
ずっとこうしていたいなぁ」って、離れるのが淋しかったのを覚えています。
もう1つ『ブラインド・ウォーク』と言うワークも、私の大好きなワークで、
バディを組んで、1人は目をつぶったまま腕を取られて、もう1人に進む先を
一切委ねて、自分は目を閉じたまま、ただ感じたことだけを言葉にしていくの
ですが、視覚を遮ることで、他の感覚が研ぎ澄まされて、靴を通して感じる、
地面の柔らかさや石の感触、頬に触れる日差しも風も、普段感じている以上に、
多彩なことに最初はとても驚きました。
バディへの信頼感が大きくなっていくと、安心して感覚に身を委ねることが
出来るようになるからか、更にホンのわずかな風や日差しの変化、土や草の
におい、鳥の声が聞こえる方角など、周りの状況を聴覚・嗅覚・触覚が、
フルに拾ってくれるような感覚になるんですね。
だんだん自分と周囲との境界が、溶けてなくなっていく様に感じました。
体はもちろんそのままなんですけど^^;、自分も木になってしまったような、
『ただそこある』感覚とでも言えばいいのかな、上手く表現出来ないのですが、
周りの全てのものと、繋がっている感覚「自分も自然の一部なんだ!」って、
周りと、私の心の奥深くにある何かとが『繋がった』、そんな風に感じられた
、とても幸せを感じる体験をしました。
実際に木が酸素を作ってくれているから、私達は生きていける訳ですよね。
どんなに便利な暮らしをしていても、「私達だけで、生きている訳じゃない
んだなぁ」って、「私達を生かしてくれている」「私達は生かされている」、
、森と一体感を感じることが出来た、その時のワークでそう強く感じました。
この感覚も、おじいちゃんやおばあちゃんに連れられて、お参りに行った時に
感じていた、ホッとするような守られているような、何とも言えない穏やかな
感覚と、どこか繋がっているような感じがしたんですね^^
「もっともっと自然に、感謝しなくちゃいけない」って、心から思いました。
その体験をしてから、更に更に!!!木が好きになりました^^
遠くの山や森に行くのは、それはもう文句なしに嬉しいのですが、身近な所に
あるささやかな自然を、「大事にしたいなぁ」って思っています。
実際に何かしているか?って言われると、何も出来てはいないのですが^^;
木だけじゃなくて、軒先にある鉢植えの花1つでも、心が和みますよね。
周りをコンクリートに囲まれて、小さな鉢の中で一生懸命咲いているの見ると、
ちょっと申し訳ないような気持ちと、健気だなぁって気がして、「綺麗だね」
「ありがとう」って思いますね^^
街の中でも、緑がない訳じゃないのですが・・・
木が元気がないように見えるのは私だけでしょうか^^;
先日皇居の近くに行くことがあって、お堀が見えるカフェでお茶を飲んだ時、
「やっぱり周りの空気が違うなぁ」って感じました。
とってもくつろげるんですね^^木が元気な所は、『気』も穏やかで
落ち着くんだと思います。慌しい生活をしているからこそ!!!!!!、
『穏やかに落ち着ける場所』って、とっても大切なんじゃないかなって
思うんですね。木も人も元気にいられるといいなって^^
私がそんなことを考えながら、公園や神社に行っているなんて、もちろん
お孫ちゃんは知るはずもなく(苦笑)その時彼が何を感じているのか?それは
彼にしか分からないし、ただ「遊べて楽しい」とか、「単純に面白いから」
って思っているだけでも、今はそれで十分なんですよね^^
そこにある『何か』は、無意識の内にきっと受け取っていると思うんです。
まだ小さくて分からないかも知れないけど、これからの時代を生きていく、
お孫ちゃん達にも、『自分達は自然の一部で、自然に生かされているんだ』って、
いつか・・・感じてもらえるようになったら、いいなぁと思っているんです。
私が彼に残してあげられることって、知識や形のある何かじゃなくて、こんなこと
かも知れないなって、そんな風に思いながら、彼との散歩の日々を楽しんでいます。
彼がもっと大きくなったら行動半径を広げて、昔登ったアルプスや、山だけじゃ
なくて海にも一緒に行きたいし^^、そして彼自身大人になったら、海外にも
ドンドン行って、出来るだけ沢山の自然に触れて欲しいなぁって思います。
その時、「私も一緒に行けたら、もっと嬉しいかな^^」(私の夢です^^)
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

家族関係・対人関係・パートナーシップ・自己肯定自己実現を得意分野とし、がん看護・認知症介護の経験から医療・福祉関係にも精通している。 深層心理への唯一のアプローチである【感覚・感情】を解放する、癒しのスペシャリスト。 「体感で楽になった」「腑に落ちる」「納得がいった」と好評をえている。

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