紲(きずな) ~~途絶えることのないつながり~~

 この間まで、煌々と照りつけていた太陽がなりを潜め始めた。暦の上では
とうに秋なのだが、例年であれば、まだまだ残暑厳しい頃だと思う。
 何だか、一足飛びに秋に出会っているような想いがする。
 私にとって、夏は誕生の季節である。私自身の誕生日が6月末、梅雨から
夏へと移っていく季節であり、二男も同じ時期の生まれである。
 そして長男は、8月半ば・・・京都の大文字の送り火の日に生まれた。暑
い時期だったと思うが、暑さよりも不安、不安よりも義務感、そして義務感
よりも生まれてくる子供に会える楽しみが、何より一番だったと思う。
 生まれたての、ついさっきまで自分のお腹にいた小さな温もりと、その重
さ以上の重みを抱いて、私は母親にならせてもらった。
 そのまま今に至るまで、物理的には抱き続けてはいないけれど、一人の人
の成長を見続けさせてもらえていることに、改めて深い感謝を感じている。


 時が経ち、息子たちは既に、二十歳を越えた。立派ではないにしろ、成人
になった。
 さて私は、とりたてて過保護でも放任でもない、と、自分では思っている
のだが、いざ世間様から見ると、どう写っているのか。
 塾にも行かせず、持っている知力だけで勝負(まあ、自分がそうしてきた
から、と言うのもあるが)。当然、成績はムラもあり、言ってみれば、目も
当てられないような点も取っていた。これも、私の高校時代と同じ・・・。
 人は、与えられたものは、与えることができる、鉄則どおりである。
 しかし時代から見ると、息子たちはマイノリティである。塾に通った経験
が皆無だ、と言う時点でまず、そうである。
 
 彼らと話していると、自分の原点に立つ想いがする。それは、若さゆえの
青臭さも伴い、思慮深いとはとても言えない時もあるのだが、案外正論を吐
いている時も多いのだ。
 時に、胸が痛む。
 それは・・・、私が育てていなかったらもっと生き易い人生ちゃうかった
んかな、と思うとき。
 もっと要領のいい生き方があるんじゃないんかな、と思うとき。
 しかし逆に、どこに行っても守られる。ありがたいことに、周りの方々に
とっても大切にされる二人なのである。
 そんな姿を見ると、決して間違ってはいなかったのだろうな、とも思う。
 まあ、母が気持ちの中で、時々勝手にあっち行きこっち行きしているわけ
なのだが、当の本人たちは、どこかすっぽ抜けているようだ。
 不器用な両親に似た私。そんな私に似た息子たち。元のだんな様も、決し
て要領はよくはない。こりゃ、DNAの仕業か、はたまた先祖の因縁か。
 でも、彼らは私よりはうまく生きているように思う。するりするりと、す
り抜けるように生きている、とは思わないが、どこかいい具合に力が抜けて
いるのである。
 特に二男はそうだ。
 二十歳になった今も、近所の子猫を手なずけて連れて帰ろうと、試みてい
るようだ。生き物が大好きで、小さい子供も好きである。おそらく、ひと全
体、生き物全体を好きなのだろうな。
 彼の飼っているクワガタは、4年間生存しているものもいて、これはもはや
特殊技能ではないか、と思うのだが(親ばかゆえに)、仕事にはしたくない
のだ、と言う。
 つまり、手塩にかけたクワガタを、商品とは思えない、と言うのだ。
 ああ、息子よ。キミの気持ちは痛いほど解るよ、お母さんには。
 こういう奴は、好きなこと以外に仕事を見つける方が良いのかも・・・、
とも時に思う。よく言う、「天職」と「適職」の違いである。
 しかし一方で、天職はCallingである。必ず、呼ばれている場所が
ある、とまだ思い続けているのが、こやつの親なのである。しかも、未だ改
めるつもりが無い。
・・・困ったもんだ、我ながら。
 社会がそう簡単に変わる、とは思わない。こんな人種が生き易い時代が、
そう簡単にやってくるとは思ってはいない。
 でも人間、諦めたらそれで終わりやなあ。
 長男は、仕事を始めて2年を越えた。職場での信頼を、随分得ているよう
である。
 私から見れば、もっと向いている仕事があるだろうな、と思う。彼自身も
この仕事をいつまで続けるかわからない、と言う。でも、仕事をしながら、
学んでいることがとっても多い、同世代の人には絶対に負けないくらいのこ
とをしているし、考えていることも多いと思う、とも言う。
 いつの間に、こんなにしっかりしたのだろう。
 あの、柔らかな肌の赤ちゃんが、こんなことを言っている。
 母親とは、いつまで経っても母親の目で、自分の子供を見ると言うが、そ
れはただ、親子の情以外ではないのだ、と思っていたし、情に溺れすぎない
でいよう、とも思っていた(妊婦の頃からだ・・・)。
 
 まぁ、情に溺れないようにしよう、と考えた時点で、溺れがちな自分を自
覚していた、と言うことでもあるが・・・。
 この10年、離婚して以後になるが、心理学を学ぶためもあって、家をあ
けがちだった(野に放たれた、と言おうか・・・。)寂しい想いを随分、さ
せていたと思うが、彼らが寂しいという表現をするようになったのは、つい
最近、大人になってからだ。
 「休みの日が合ったら、映画に行こう」
 「買い物について行ったるで」
 「俺も結構寂しいからさ~」
 
  う~む・・・。
 母が、成長していく息子の背中を見て感心しているのを知っているかのよ
うである。まあ、労わられてるってことなんかも知れない。
 そんな訳で、最近は家族三人、ばらばらに過ごすことも多い。でも、あん
まり心配していない。
 まあ、息子たちは私を心配しているかもしれないが・・・。
 彼らの行く所には、必ず光が射す、とも思っている。今はまだ、暗闇の中
にいると感じているかもしれないが。
 私の通ってきた道は、当時は茨だらけの真っ暗闇で、出口の無いトンネル
だと感じていたが、気がつくといつの間にか、『自分の道』を通っていた。
 私の背中からも、両親が、今の私と同じ想いで見てくれていたのだろう。
 言葉で言うと、とっても陳腐だが、「愛」と「信頼」を送り続けてくれて
いた。大人になった今は、そんな風に感じられる。
 時代の趨勢とは言え、自分たちには、与えられていなかったであろう、愛
し方を、与えてくれたのだ、と思える。
 こうして、親から私へ、私から息子達へ、地道なバトンが渡されている。
 それは、どこの家庭でも同じような営みを繰り返し、掛替えのない命の
ように育み続けられるのだろう、脈々と。
 
 生まれくること、去りゆくことを殊更に思う、今年のこの季節なのであ
る。
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