天災がおしえてくれたもの~人生の意味と本当の『愛』~

最近、ミャンマーで起きたサイクロン、中国・四川地方で起きた大震災と、
大きな天災がアジアで続いて起きています。
被災されている方々、関係者の方々には、心よりお見舞い申し上げます。
13年前になりますが、私も阪神・淡路大震災を被災しました。。
月日は流れても、まだまだ昨日の事のように感じてしまいます。
あのような大きな天災による心の痛みを癒すには、どうすればいいのだろう?
と自問自答しながら、その時体験した恐怖や孤独感、大きな喪失感を癒す
テーマに取り組んできました。


当時の私が被災した場所は、神戸の中心街、三宮に程近い所。
20代後半、一人暮らしの頃でした。
目の前の建物はほとんど倒壊し、テレビに一番映し出されていた長田町も、
私の住むマンションの9階からは、すぐ向こうに見えてました。
ドーンという下から突き上げられる揺れが何度かあった後、左右の揺れが始
まり、寝ていた私の上に、家具がどんどん落ちてきました。
幸い頭だけは打たずにすみ、自力で家具の中から抜け出す事ができたものの、
近眼の私は、食器の破片で足の裏を血まみれにしながら、外に飛び出しました。
不思議と全身の打撲も切り傷も痛みを感じませんでした。
あの日、どうやって時間が過ぎたのか、今でもあまり覚えていません。
道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話などのライフラインは寸断されました。
多くの犠牲者と共に、失ったものは数限りないほど。
日本の戦争を知らない私ですが、戦後の生活を想像するような心境でした。
電気だけが、当日中に開通したのには驚いたけれど、
水道も、ガスも、数ヶ月はきませんでした。
当時、看護師だった私の勤めていた病院では、水道が通らず、その機能を失い、
看護師は交代で避難所の健康管理に回り、その生活を目にし、声をかける度に、
無力感を感じていました。
通勤手段も失ったので、自転車をなんとか購入したものの、瓦礫やガラスの破
片、亀裂の入ったデコボコばかりの道では、毎日のようにパンクばかり。
やっと通勤になれた頃には、自転車盗難にあって、信じられない現実を、
受け止めれば受け止めるほど、自分が生き残った意味を考え込んでしまう日も
少なくありませんでした。
さらに、ご近所で起きる、報道規制をするような恐ろしい事件も耳に入ってき
ます。
私は、一人暮らしでいる恐怖を感じ、早くパートナーシップを築こうと強く心
に決めたのも、実は、この時だったのです。
そんな中、時間と共に、ある時期を過ぎると、『復興』が叫ばれ、
町はみるみる新しく生まれ変わっていきました。
その再生の速さは目覚しく、新しいもの、美しいものが大好きな私ですが、
そこにある変化を喜べず、心の中にモヤモヤとした感じの受け止めきれない現
実に戸惑いました。
さらに当時の日本では、まだあまり馴染みのなかったボランティアに義援金。
家屋の倒壊の程度によって指し示される助成金制度。
その助けを、どう受け止めればいいのか、あの時代の大きなテーマにもなりま
した。
職場でも、震災に関する会話は、その後も話題に上がる事もなく、
あの大きな町を失った、同じ市民を亡くした「喪失感」は、
言葉に出来るものではありませんでした。
目を閉じると、私の心の目に、あの日・あの頃の画像と、
時間を共有した人々が今も映ります。
「何故、どうして、こんな事が起こったのだろう?」
「どうして、それでも私は生きているのだろう?」
私にとって、震災後の経験は、時間と共に、繰り返しこう思う日々でした。
起きた事を受容できない痛み、助けられなかった無力感と喪失感、
また震災が起きるのではないかという恐怖が連続する日々、
未来に対する不安感も入り混じり、今にも心が張り裂けそうな感じ。
もうこのままでは、生きていけないという地点まで辿り着いた私は、
カウンセリングに出会い心の学びと癒しの道に出逢いました。
13年以上が経過した今だからこそ言えると思うのは、
人生には、時々、大きな試練を受け止める時が来るようです。
その試練を、どんなふうに受け止め、癒し、未来に向かって生きていくのか。
それを考え直す時が、人生の流れを変えるチャンスでもあるという事。
私は、天災を被災する事で、自分の中にある痛みに気づき、
カウンセリングを通して、本当に求め続けていたものに気づきました。
それは、人生の意味と自分の存在目的を明確にしたい想いと、
本当の『愛』を探し求めていたんだという事でした。
そして、心の傷を修復する時、求めているモノが訪れるんだと知りました。
なんとなく過ぎていく時間に疑問を持ち続け、自分の存在や人生に無意味感さ
え感じて生きていた心に、温かい愛が感じられた時、本当に生き返ったような
体験が出来ました。
震災の体験によって、本当に『生きること』に対して目が覚めたと言えるのか
もしれません。
大きな痛みを伴うような天災では、受容していく時間も必要だと思います。
それでも、『生きること』の意味が、お一人お一人に必ずあります。
みなさまが、その地点に辿り着かれるまで、
今度は、私からの『愛』を、被災された方々に贈りたいと思います。
どうか、一日も早く、安心した生活を取り戻せ、
平和と愛を感じて未来に向かって歩いていけますように!!
深澤三津子のプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。

コメントを書く


※スパム対策の為コメントは承認制とさせて頂いております。書き込み直後には画面に反映されません。
また、確認のためのプレビューは行えませんのでご了承ください。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください