死生観~映画「最高の人生の見つけ方」のレビューを見て~

この5月封切りの映画情報を見ていた(2008年5月)
人ごみが苦手な私は、見たい映画があっても、ついついレンタルを待ち
自宅で鑑賞をするのがならわしとなっており
最新の映画情報を見ることなど滅多とないのだが・・・
ふとテレビを見ていた際に、「最高の人生の見つけ方」と言う
映画の紹介があった。
気になり、インターネットでレビューを見ていた。
名優、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの共演も
心惹かれるのだが・・・
なんといってもストーリーの内容に、とても心惹かれてしまった。


この2人の主人公は、余命半年のガン患者と言う設定となっており
2人は、病院で同じ病室となる。
2人で死ぬまでにやっておきたい事リストを作成し、それを実行していく
と、言う内容のお話のようだ。
余命半年と言う宣告を受け、2人の主人公は、置かれている立場も状況も
人間関係もまったく違った生き方をしてきたのだが、2人の冒険旅行を通じ
本当に大切なものは何か?に気づく・・・と言うストーリーのようだ。
「死を考えながら生きる」
何かの本で読んだことがあるのだけど、こんな考え方がある。
死にたいと考え自暴自棄になることではなく。
自分が死のふちに立ったとき、
「悔いの無い人生だったか?遣り残したことは無いか?」
を思いながら生きることだと言う
それは何かを達成したか?お金持ちになったか?成功したか?形を成したか?
そんなことではおそらく無く、どれだけ「自分らしく生きたか?」
なのだと、私は思った。
今よりも、もっと若いころ、この言葉に触れたとき、
「何もやれていない」と自分自身を責めもした。
しかし、その責める自分と言うのは「何かをやりたい」と思っている
自分であることも発見した。
当時の私には「何かを始める原動力」にもなってくれた言葉だ
よりよく死を迎えるために、よりよく生きて行きたい。
そこには、難しいことや困難なことに立ち向かうというよりも
楽しいことをどれだけ自分に許していけるか?
また、こんな風になりたいなぁ~とどれだけ自分に許せるか・・・
なのかもしれないなと思う。
だって、人生40年。たくさんの事を頑張ってきたのだもの。
子どもも大きくなって、家庭も守って、色んな事を乗り越えて
頑張ってきたんだもの。
そんな自分を認めて許して、そうして悔いなく生きるには
今度は、楽しみ、自分らしさを自分に許してやりたいと私は思う。
また、一人で楽しむことも出来る大人になったからこそ
誰かと一緒に楽しむことの大切さも味わえるようになった。
もしも、余命半年と宣言されてしまったら、私はリストに何を書くだろう。
そうして、そのリストに書かれたものは、実行さえすれば何でも叶うのだと
したら、一体、私は何を書くだろう。
自分の人生が、いつ終わるかは誰にもわからない。
特に、40歳を越えたころから「老い」と言う現実は、身体を通して
「感じる」ものとなってしまった。
だからこそ、感じ考えれることもあるように思う。
だから今、私は余命宣告をされたわけでは無いけれど、
リストを作ってみたいと思った。
そうして、出来そうなことはチャレンジしてみようと思った。
「どうすれば出来るかな?」をワクワクと共に考えたいと思った。
悔いなく死を迎えれるように、悔いなく生を楽しみたい。
出来るならば・・・「こんなに楽しい人生は無かった!」と言いながら
死を迎えたいものだと思う。
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