自由になろう~感じる心~

子供の頃、私たちはほんのちょっとした事に興味を持ち、それを楽しんでいま
した。
例えば僕の場合、家族と鉄道で旅行した時など、鉄橋を通るとその下に流れる
川を見ながら「何が釣れる?」と父親に必ず聞いていた記憶があります。
その頃、僕の心は川を見るたびにワクワクドキドキで、そこで魚を釣っている
自分の姿や、釣り上げた時のビビビッと釣り竿から手に伝わってくる感触、水
面からキラキラと輝きながら躍り出てくる魚の姿などを想像して楽しんでいま
した。
川を見るだけでこれほど楽しめた時代があったのですね。


また、小学生のとき、遠足の前日に明日の天気を気にして「てるてる坊主」を
軒先に吊り下げ、早めに布団にもぐり込んだものの、目が冴えてしまってなか
なか寝つかれないといった事もありました。
遠足がそれほど心を踊らせる出来事だったのですね。
何年か前の事です。
子供時代のそんな気持ちや出来事を思い出しながら、しかし、何だか最近はち
ょっとした事でそんなにドキドキワクワクを感じなくなっているなぁと思いま
した。
あの子供時代に感じていた、もう、いてもたってもいられない心のトキメキを
いつの頃から失ってしまったのだろうかと思いました。
微かな記憶を辿っていくと、僕の場合、小学校を卒業した頃から徐々にトキ
めく気持ちが薄れていったように思いました。
小学生の頃、中学生のお兄さんやお姉さんはとても大人に見えていました。
男子は詰め襟の制服に坊主頭。女子はセーラー服。
ランドセルを背負い、半ズボンで学校に通っている小学生の僕たちとは一線を
画した、大人の世界の雰囲気を漂わせているのでした。
中学校に入る頃は思春期とも相まって、どこかで背伸びをして大人になりたい
と思う年頃でもあります。
いつまでも子供のような振る舞いをしていてはいけない、大人にならなければ
ならない、そんな事を感じた記憶があります。
また、中学校に入ってすぐの頃は、いじめではありませんでしたが、子供っぽ
い事をやっているとクラスメイトに馬鹿にされる様な風潮もどこかにありまし
た。
本当は、はしゃぎたいくらい楽しいことがあっても、心の中でそれを表に出さ
ないようにしなければという気持ちが働くようになったような気がします。
「大人とは、こんなもの」というイメージを勝手に作り上げ、その通りに振る
舞うことで、あたかも子供ではないことを自身に言い聞かせ、そしてそれが習
慣となって、子供の頃に感じていたワクワクドキドキを感じなくなってしまっ
たような気がしました。
自分の本当の気持ちを制限することで、自分が作り出したイメージである「大
人」を僕は手に入れることは出来たのでしょうが、手にした大人の世界は、今
から思えば、思っていたほど楽しい世界ではなかったような気がします。
なぜならば、自分が作り出したイメージに自分を沿わせるために、自分自身を
制限しなければならなかったからです。もっとも、それすら習慣化していた頃
にはそのことにすら気が付かずに「こんなもの」を普通と感じていたのですが
・・・。
心理学の勉強を始めてから、自分が「こんなもの」の大人になることと引き換
えにいかに様々な制限を設けてきたか、そしてその挙げ句の果てにワクワクド
キドキを感じる心を棄ててきたかを認識することが出来ました。
そして「こんなもの」の大人は、自分が作り上げた虚像だったこともわかりま
した。
今更ながら、何かもったいない時間だったような気もしますが、今の僕はその
過程があってこそいるのですから、これは僕にとっては必要なプロセスだった
のだろうと思います。
「こうでなければならない」
「こうしなければならない」
みなさんは、自分が作り出した虚像のために一杯がまんをされていませんか?
そして、それが当たり前と思っておられませんか?
それらを手放した時に、本当に自由な自分と再会することができるかもしれま
せん。
そして、あの、子供の頃に感じたワクワクドキドキ感じる心が甦ってくるのか
も知れませんね。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。

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