明けない夜は無い〜娘の不登校から教えてもらったこと〜

うちには、今度の12月に18歳になる娘がいます。
現在、通信制の高校の3年生です。
彼女が、高校1年生のとき。10月を過ぎたころから
だんだんと、学校へ行かなくなりました。
私は、仕事を持っていますので、昼間は家に居ない状況です。
そんな中、いつもは「出しなさい!」って言っても
なかなか、ださなかったお弁当が、
きちんと洗いもののバケツの中に入ってる。
たまたまかしら?と想っていましたが、
そうではなく、それは、毎日続いていました。


朝には、私のほうが先にでますので、娘の部屋を覗くと
毎朝、せっせと学校へ行く準備をしています。
安心をして仕事へ向かうのですが
帰ってくると、お弁当箱が出してある。そんな状態でした。
なんだか、不安な気持ちを抱えて、数日が過ぎたころ
学校の先生から連絡がありました。
「お嬢さんが、2週間ほど、学校へこられてないのですが」
驚きました。
なんだか、とっても情けない気持ちになって
すぐに娘の部屋に、バン!と入り込み
「学校、いってないのかっ!」
って怒鳴ってしまったのを覚えています。
萎縮をする娘。
なんでいかないんだ?
を頭ごなしに、叩きつけるように、彼女に詰問をしたと想います。
黙り込み、何も返答をしない娘。
彼女は、当時、声優さんになりたいと話していて
そうして、高校を卒業すると、そんな学校へ行きたいと
話していましたので
高校を卒業しなければ、好きな学校へは行かせない!と
脅しまがいの事をたくさん言って、娘を傷つけたと想います。
今にして想えば、あんな言い方をしてしまった自分自身の不安感を
たくさん感じることが出来ますし、
娘のほうが不安で仕方なかったであろうに
更に母親から、脅され、ダメだしをされてしまうのですから
心の行き場をなくしてしまうのも、当然だっただろうなぁ・・・
と、振り返ることがあります。
親は、子どもの将来を心配します。とんでもないことに
なってしまったらどうしよう?
でも、今だからわかることですが、娘の将来を心配するのと同じくらい
自分が子育てに失敗してしまったのではないか?
娘をこんなにしてしまったのは自分自身では無いか?
と、罪悪感と言われる感情をいっぱい感じてました。
私の育て方が悪かったから、こうなってしまったのではないか?
こんなに一生懸命育ててきたにも関わらず、失敗してしまった自分
(彼女の将来は、まだ決まっていないにも関わらず、
 もうすでに失敗と言うレッテルを彼女に貼り付けた
 感覚を持ってしまっていました)
なんでこうなってしまったの?と、言う言葉がグルグル回って
自分を責めきることに限界を感じた私は、娘を攻撃したのでしょうね。
さて、それからは、「いきなさいっ!」と怒って「わかった」と言う娘
しかし、数日経つと、先生から電話がかかってきます。
そのたびに、娘を、これでもか!ってほどに痛めつけていました。
今から振り返ると、冷や汗が出る想いがするのですが
彼女を徹底的に「悪者」にしてしまっていました。
彼女は。某ハンバーガーショップでアルバイトをしていたのですが
学校へは行きませんが、アルバイトへは行きます。
そのころ、アルバイトへ行けば、深夜まで帰ってこない。
家に帰るのがイヤなんだろうと想うと、悲しくて腹立たしくて
と、言う気分を持っていました。
お昼のお弁当は作り続けていたのですが、お弁当の中身や
お昼ごはんで用意をしたものは、そのままごみ箱へ捨てられていたり。
ダメだダメだと想いつつ。頭では逆効果であることはわかっているのに
ついつい、娘を責めてしまう私。
ある日、娘の部屋のパソコンを覗くと、
友達と共有している掲示板と言われる
書き込みを共有するものに「おかん、めっちゃうざい!!!」と
吐き捨てられるように書かれていました。
脅しても、すかしても、何をやっても、
その頃には学校へ行っていませんでした。
高校の2年生には、なんとか上がることが出来たのですが
でも、ほとんど、登校しない毎日を続けました。
学校の先生が尋ねてきて下さっては、玄関先で3人で話をし続け。
「行く」といいながら、行かない娘にヤキモキしてました。
そのころには、もう、カウンセリングサービスの母体である
神戸メンタルサービスのワークなどには参加していましたので
色んな方に、お話をさせていただき、
今までと違うやり方をしていく時期だなぁ・・・
と、ぽつりぽつりとやりだした私がいました。
「彼女の味方になってやろう!」
まず、そう決めたのです。
小さかったころ、泣き虫で、甘えたで、やさしくて。
かわいらしい娘でした。
離婚をしたとき、小学校の4年生であった娘に
「お父さんと離婚するの」って話をしたとき
「お母さんと一緒に行きたい」って言ってくれた娘でした。
彼女の存在は、私をたくさん支えてくれました。
私は、娘を愛してる。
では、どんな状態の彼女であっても、愛しぬく。
甘やかすのではなく。
愛しぬくと決めたのです。
まずは、出来るだけ。何も言わないようにしようとしました。
学校へ行かなくても、バイトから帰ってくるのが遅くても
顔を合わせたときには、「おかえり〜」と声をかけました。
学校の先生から、電話がかかって来たときには。
そのことだけを伝えました。
話をする機会には、彼女のいいところを伝える努力をしました。
(娘は、恥ずかしさも手伝って、ムスっとして無視されることも
 多かったのですが(笑)それでもめげずにやり続けます)
最初のころ、酷く怒ってしまったことを、正直に
「痛かったね。ごめんね。」と、伝えていきました。
自分の身の回りの世話を自分でするように伝えました。
「これからは、あなたと私は、1人1人の人間同士だから。
 お母さんは、あなたの人生に口だししない。だから、自分で決めなさい。
 そうして、洗濯も、ごはんを何とかすることも、全て自分でしなさい。」
と、宣言して、何も娘のことをしないようにしました。
それはそれは勇気が要りました。
毎日、コンビニのごはんを食べて、体を悪くしないか?とか・・
グレてしまうんではないか?とか、本当に、毎日が不安でしたが
そんな毎日の中で、私は、私の道を歩くことを懸命に頑張ろうと想いました。
丁度、ボランティアのカウンセラーとしてデビューをしたこともあり
毎日の、カウンセリング、そうして月に1回のワークに参加して
自分の中の、癒すべき問題を1つ1つクリアしていきました。
春が過ぎ、夏が過ぎるころ。
夏休みが始まる前に、最後の電話を先生からいただきました
「もう、3年生にあがるのは、難しいと想います」
1つ決断をしてもらわないといけないな。と、感じました。
丁度、娘の彼氏が遊びに来ている時でした。
部屋をノックして、2人に話があるんだけど・・・・
と、伝えて、部屋に上がりました。
2人の前で正座をして、こう伝えました。
「これからの人生をどうするか?そろそろ聞かせてくれないかな?
 学校へ行かなくてもいいよ。このままお仕事してもいい。
 どこかの学校へ編入をしてもいい。彼と結婚をするならしてもいい。
 でも、どうするか?決めようか?
 でもね。これは、お母さんの提案として聞いてね。
 このまま、お仕事をするにも、結婚をするにもあまりオススメしないの。
 なぜかと言うとね。学校へ行って、好きなことをして、社会人になって
 今しか出来ない、色んな経験をしてほしいな!と、想うことと
 将来、もしも、自分でなりたい職業ができた!と想ったときに
 高校を卒業することと、しないことでは、選択の幅が違ってくるの
 それでも、本当になりたいことは、そこからでも出来るけど
 でもね。せっかくチャンスがあるんだから、通信制の学校へ
 編入してみたらどうかな?でも・・・決めるのは、歩(娘)だからね
 彼と、よく相談して決めてね」と話しました。
彼にも隣で聞いててもらって、
「お願いするね。一緒に彼女の人生大事にしてあげて。
 2人で乗り越えて行きたい!って決めてね。
 支えてあげてね。よろしくお願いするね!」と話し部屋を後にしました。
後は、娘が返事をくれるのを待つだけでしたが、1週間もしないうちに
「お母さん。通信制の学校へ行きたい。わたしも、友達から聞いて
 ここがいいなぁ〜って想ってたの」と言ってきてくれました。
「よし!わかった!!!お金の事は、心配しなくていいよ!お父さんが
 なんとかしてくれるから(笑)」と笑って話しました。
離婚をした夫にも、いつも話を聞いてもらってましたし
「学費のことなら、なんとかするから、最善の道を選んでほしいね」と
話してくれていました。
その後は、お世話になった高校へ退学手続きをし、通信制の高校へ
編入の手続きをし、2人で面接に行き。
無事に編入をすることが出来ました。
「まぁ〜!お休みした期間が長かったからさ!のんびり卒業してもいいよ!」
と、話していたのですが、編入してからは、
とっても合っていたのでしょうね。
「自由で、すごい好き!」と、自分で単位の取れるように
スケジュールを組んで、スクーリングの日も頑張っていってくれました。
今年の、4月に進路指導の懇談に行ったときの事
「このまま行けば、普通に高校へ行ってる
 同じ年の子と一緒に卒業できますよ!」
と話してもらって、2人でよかったねぇ〜〜!がんばったなぁ〜〜!!
と、喜び合いました。
高校を卒業したら、サービスの専門学校へ行きたいのだそうです。
出来るかどうかわかりませんが、特待生になってお金がすこしでも
かからないようにしたいと想ってると、先生に話すわが子。
自分で、資料を請求して。自分でオープンキャンパスへ行って来る!
と、先生に堂々と話すわが子。
横で、感動して涙をこらえるのに必死でした。
今日も、専門学校の資料が届いていました。
第2次成長期。いわゆる思春期のころ。
この時期は、親離れ。そうして子離れの時期です。
ちゃんと反抗してくれることは、発達と言う意味で言えば
とても嬉しいことだと・・・・頭ではわかってました。
保育士時代のおばあちゃん保育士の先生からも
「思春期はね。ネコ飼ってるようなもんだと想って育てなきゃだめよ〜」
って話してくださってました。
真正面から向き合うのでなくて、知らん顔をしておく。
でも、目の端では、必ず、どんな顔をしてるのか?を見ておいてあげて
出来るだけ干渉せず、見守ることの大事さを教わってました。
そうして、近づいてきた時には、よしよしってしてやればいいいよ。
と、言われていましたし、心理学の学びの中でも、イヤってほど
子離れの時期は、理解していた「つもり」だったんですけどね(笑)
大人へのステップ。
これを通じて、一度離れて、子どもと親は1人1人の人間同士としての
関係を取りもどしていく。
この娘との葛藤の日々の中で教えられたことは
この葛藤を超える難しさは、自分の心を癒すことで乗り越えていけることと
そうして、心配するより。信頼することの大切さを教わりました。
そうして、どんなあなたでも、お母さんはあなたが大好きを
恥ずかしいけど、伝え続けること。生活の自立をさせていくこと。
手とクチを出さないことの苦しさも味わい続けましたが
やり続けた分だけ、喜びも大きく実りました。
「苦しみをこえたら、必ず、幸せがまっています」と
更に胸をはって、いえる私を受け取ることができました。
2人で苦しみを乗り越えた分だけ・・・
いまは、娘の笑顔が輝いていることが、何よりも嬉しいのです。
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