幸せのある場所〜本当の「赤い糸」〜

 最近私がお受けするご相談内容の中で、同じパートナーシップでも私の年
齢(45歳)やキャリア(子育て経験あり・共稼ぎ経験あり・離婚経験あり・
・・)のせいもあるのか、三十代後半から五十代以上の方の様々な形のパー
トナーシップについてのものが増えました。多くは、長年生活を共にして来
られたご夫婦の子供の成長後の距離感についてであるとか、ハードワーカー
の夫との間に知らない間にできた夫婦の溝が埋められない、とか、私の同世
代や少し下の世代の独身女性から多いのは、キャリア志向などから来るシン
グルライフへの不安感であったり、同世代のパートナーとの今後の人生につ
いて・・・と言うものがこのところ増えてきている感があります。 


 一概にこう、と言ってしまうのはとても危険なのですが、①20年以上のご
夫婦で多いのは「一番忙しい時代」を通り抜け気付くと二人になっていた、
またはそういう日が遠くない、というケースで、今まで当たり前に過ごして
きたことが実はどちらか一方・・・私が聞いた限りでは奥様の方が多いよう
ですが・・・が「自分はずっと我慢してきた。でも解ってもらえることがな
かった。もう嫌だ!」と言うもの。②30〜40代の「中堅層」では、「元々結
婚自体が間違っていたかもしれない」と感じておられるケース。③結婚年数
の浅い場合には多くは赤ちゃんの誕生をきっかけに二人の距離の取り方が変
わったり、ご実家との関わりが増えたことから来るトラブル。こう言ったケ
ースが増えている傾向を感じています。もちろん個々の状況や事情があり、
またご夫婦それぞれの持っておられる個性の組み合わせにもよりますが、ど
こかにご夫婦の相互間に類似性を感じることが少なくありません。「赤い
糸」ってやっぱりあるのかもなあ、なんて思うことも。
 そんな風に感じていた矢先、「赤い糸」それは生物学的にどうだ、という
ことをあるテレビ番組で見たんです。「赤い糸」とは何ぞや、と。それは性
フェロモンである、という結論だったのですが、要は哺乳類の一種族である
『ヒト』である私達の「種の保存」的本能から来るものであり、異なる免疫
タイプを持つパートナーに引きつけられる組み合わせだ、ということ。こう
言ってしまえば、まあ、身もふたもない気もしますが、それなら何となく納
得、という向きもあると思います。しかし、それで説明し難い想いや状況を
作ってしまう、ということだってありえます。これが、上に挙げたような場
合であったり、シングルを続けていたり、「婚外恋愛」であったり、刹那的
な恋愛を繰り返すパターンを持ったり、とパートナーシップに関わる一筋縄
では行かない部分が浮き上がってきます。『ヒト』という生物としての「種
の保存」本能による結びつきだけではいかないのが、社会で生き、高度な感
情や知性を持つ私達『人間』の永遠の悩みになっているのではないでしょう
か。「生物学的赤い糸」の相手が今のパートナーであるとは限らない、とい
う考え方だってなくはないし、夫や妻とはそんな「相性の良さ」を感じたこ
とはない、ということも聞いたことがあります。
 
 私自身のことになると、10年余りの私の結婚生活を振り返ってみて思うの
は、子供にはすぐ恵まれたし、相性が悪いと感じることは余りなかったのだ
けれども、「人生を共に生きるパートナー」として元の夫との関係を振り返
ると、これには相当無理があった、と言うことです。普段の会話は絶える事
はなく、趣味も似ていて一緒に映画やビデオを楽しんだり、子供を預けて出
かけるなど、二人で行動することも少なくなかったのですが、根底にある価
値観や人生のビジョン、というものにずっと違和感が有ったのです。あるい
は、感性の大いなる相違。結婚までと別居・離婚後の出会いから考えてみる
と、元夫との間には「男と女の違い」では説明できないどうしようもない相
違があったことを思います。同性・異性を問わず、子供の頃から「説明が少
なくて済む友人」がいつもいた私は、元夫との感性のずれを、相当の努力で
合わせていたのですが、とうとう夫にはそのことが解らずじまいでした。も
ちろんコミュニケーションもずいぶん取りましたが、なんと言うか、どんな
に話し合っても「解釈」が違ってしまうんです。これは今までの人生に余り
なかったことなので、夫婦と言うものは相当努力が要る、という私の思い込
みを作ってしまいました。今思うと、私の「補償行為」で関係性が成り立っ
ていたので、これをやめ出したとき、つまり私ばかりが謝ることや譲ること
をやめた時に元夫は訳がわからなかったと思います。一方で彼は、一対一の
関係を結ぶことが苦手で、私としては直接向き合ってもらえないようにずっ
と感じていました。もちろんこれも私は努力をしたつもりでしたが、彼にと
っては「それがどうした」と言う程度であったようで、いつも彼の近くには
私以外の誰かがいて、愛情が分散しているような言いようのない孤独感をい
つも味わっていました。この孤独感が少なからず減ったと感じたのは、別居
後のこと。つまり、相手にとても期待をしていたんですね。別居となると相
手に期待もなくなるから、何もなくても特に寂しくはないのです。でも一緒
にいて解り合えるはずだと思っているから、期待が出てきて裏切られる感じ
になるんですね。そういったこともあり、少なくとも私には今もって「赤い
糸」的感覚を求めているところが有るかもしれません。
 さらに「赤い糸」に関して調べてみたら、もう一つこう言うものがありま
した。かつては(日本、そして洋の西東を問わずだと思いますが)結婚に両
性相互の感情より「お家の事情」「経済的な事情」「戦争にまつわる事情」
などが介在し、ほとんど会った事もない人とすぐに結婚、という形が少なか
らず有ったようです。戦国時代の結婚の形態が良い例だと思うのですが、い
わゆる「政略結婚」であったり、世襲性の有る結婚だったりと言うことにな
ると、この「縁」を「赤い糸」と言う形で納得できるようにしていたのでは
ないか、と。う〜ん・・・それは切ない。政略結婚で結ばれた相手との親密
感が有ったとしても、「同盟」の破綻で呼び戻され、また次の嫁ぎ先へ・・
・ということは少なくなかったようですし。生物的種の保存のための結びつ
きと言うことであれば、この結婚で生まれた子供はいったい・・・?ふと思
い出したのが数年前に博物館で見たマリー・アントワネットにまつわる展示
の中にあった、彼女の末子・ルイ17世の小さな衣装でした。王太子とされ、
ルイ16世の処刑と同時に17世に即位したのですが、彼の身柄はすぐに民衆の
手に渡ったということ。こうなると、これも「赤い糸」と言うことになるの
かな、と考え出してしまい・・・私はこうしていつもものごとを複雑にして
しまうのかもしれないのですが・・・、昨今の結婚事情を思うにつけ、どこ
か共通項が有るように思えて仕方がないのです。
 誰のための人生か。ずっと考え続けてきたのですが、その割に私の人生は
いつもどこかで自分は後回しでした。私は自分の為に生きたい。自分らしく
生きたい。誰よりもそう思ってきたはずなのに、振り返ってみるとそうでな
いことをたくさんしでかしている私。ここには私自身のたくさんの痛みがあ
り、私個人にまつわるものもあれば時代や社会、地域性、世代などなど複雑
に絡み合っているようにも感じます。これはもちろん私だけではなく、多く
の方にとってもそうだろうと思うのですが、例えば今のパートナーシップを
見たときに、「この人じゃない・・・」「どこか違うのでは・・・」と感じ
ることがあるとすれば、一度じっくり考えてみても良いと思うんです。上手
くいっているときにはもちろん、こんなことは考えないのですから。そうし
たら色んなことが見えてくるかもしれません。例えば始まりが「自分の選択
ではない」と感じているとしたら、この思いをずっと引きずることになるの
かもしれません。でも答えはそれでもなぜこの人と一緒にいるのだろう、と
考えたときに、例えば「やっぱり楽かな」かも知れないし、「年月と共に解
り合える事が増えた」ということかもしれません。或いは、「あの頃は運命
の人だと思ったのに今は思えない」としたら、「運命とは」と言う思い込み
があるかもしれません。
 それでも・・・。それでもどうしてもやっぱり違う気がする。私の人生を
生きたい。そう感じる事だって有るかもしれません。その時はきっと自分の
心に素直になり、自分自身の意志で人生やパートナーに向き合う時なのでは
ないでしょうか。結果の如何に関わらず、向き合おうとした時に人生は大き
く動き始めるはずです。それはあなたや私が何歳であっても。そうした時に
あなたにとっての「本当の赤い糸」が見つかるのかもしれません。
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