おうちに帰ろう

久しぶりに帰ってきました。
いわゆる「地元」。
とはいっても、実際に生まれ育った住居があったのは3年ほど前まででしょうか。
2月16日に開港した神戸空港を見に友人といつものごとく夜中のドライブに。
神戸空港のある人工島まで神戸の中心地である三宮から神戸大橋を渡ること10分もかからずに空港が見え始めました。
船の汽笛も聞こえる中、空へも飛びたてるんだなぁと神戸の便利さを思いつつ‘空港’という独特の雰囲気に触発され、思い出したのは学生時代にアルバイトをしていた大阪空港。


更に友人との会話から、ここのところ気になっていた20数年暮らしていた地元をふと覗いてみたくなりました。
私の地元は神戸からは地道で1時間半、兵庫県といっても大阪との県境にあり、北方向へむかえばトンネルをいくつか越えると京都府というところにあります。
生まれ育った土地を好きか嫌いかと問われると、躊躇するなぁなどと思いつつ車を走らせてもらい、そこここであぁ、ここで車中で夜中まで話をしたなぁ、まだこのお店あるんだなぁなどと一つ一つ思い出していきます。
生まれ育ったところを受け入れている度合いと自分自身を受け入れている度合いってやっぱり似通っているのかしら、、、などと検討しつつ、地元の市内へ。
途中、今まで全く気づかなかった繁華街の真っ只中のえべっさんの発見などに、友人と盛り上がっていましたが、ああ、ここから市内だなぁという交差点に差し掛かったときには自分でも大げさだなと感じながら気分は神妙に。
小さいころから不思議に感じていたことのひとつなんですけど、県境や市区郡の境などを越えると周囲の空気が微妙に変わったように感じます。
なぜなんでしょうね。
母が地元の病院に長期に入院していた数年前、実家の生活を手伝うために週に何度は帰っていたので‘見慣れる’という感覚からそれほど年月は経っていないはずですが以前と同じように建っているボーリング場や郊外型の本屋さん、四方を囲む山々を背景とするには少しだけ違和感のある現代的な百貨店が変わらずにあること自体に自分自身少し驚きを感じ・・・。
私自身は職業の都合、という理由をふんだんに使い実家を離れいくつかの街に移り住んでいてその感覚が自分の中の「当たり前」になっています。
ただ、地元に住まう同級生たちの多くは都である大阪、神戸、京都のベッドタウンとして発達したこの町に学業を終え就業し、居を構えて生活している話を聞き自分たちが通った幼稚園や学校に自分の子供たちが育てられていく話を聞くのと同じような微妙な違和感でしょうか。
まだそのこと自体の意味が分からなくて理解しようともしていなかった無邪気な(そういう時期もあったんです!)時代に、交通事情の悪さや行政の問題なども新聞に取りざたされていた頃のまま、いつも工事している道も相変わらず工事中のままで。
自分のことも自分の生まれ育ったところのこともあまり人にお話しするのは得意ではないのですが、友人と語りながら一つ一つの地名が古い土地というのもあり、なんらかの昔話を物語るような情緒あるものであったことも少しずつ思い出し。
住んでいた当初には父が時折話す、郷土の民話や言い伝え、発祥の企業などに全く興味が持てなかったのですが自宅に戻り市の広報をネットで検索してみると友人のだんな様が地方において親善大使のようなことをされていたり・・・。
そんな風に郷土を思えるのもいいなぁと、この年になって思ってみたりしています。
この地で感じたいろんなことや、いろんな場面が去来する中市中へ入り更に車で走ること数分。
元実家のあった近くまで。
農家の長男であるうちの父が山を手放し、田畑を手放し、実家を手放すまで紆余曲折を経ての十数年。
田畑のど真ん中、歩いているとそこここの田畑を手入れしているおばあさんやおじさんから「石橋のところのお嬢ちゃん(自宅前に細い農業用の水路がありそこに石つくりの橋があったためらしい)」と声をかけられていた幼少を思い出しつつ、その頃にはなかったやはり不自然に突然建っている小さめのマンションやハイツの方たちの背景を勝手に想像してみたり。
対照的に何代も前からお世話になっているお寺の入り口にある古びた石の道標や小さいときから怖くて一人で通れなかったこんもり木の覆い茂った神社。
道の挟んで左右の新旧のアンバランスさにまるで異空間がいくつか存在しているような錯覚に陥ります。
元の藁葺きの屋根に家紋が大きくついたトタンの屋根をすっぽりとかぶせた家、土間や土間にあったかまど近くをなんとか母が一生懸命手入れをして家事をしていた台所、冬場エアコンなんかは全く意味を持たない木のつくりの戸、何十年もそこに立ち多分歴代子供たちに恐れられていた蔵はすっかりと姿を消し、2階建ての黒と白のツートンの配色が綺麗なおうちが向き合うように2軒建っていました。
どんな風に感じるのか私の心にちょっとどきどきしながら問いかけてみましたが、でてきたのはなんだかとてもほっとした感覚でした。
ああ、綺麗に住んでくれてらっしゃるんだな。
幸せだといいな。
満足して暮らしてはったらいいな。
‘村’的な意識のある土地だけど周囲の人たちとうまくやっていけてらっしゃったらいいな。
ああ、土地を生かしてくれはったんだな。。。
帰路、ここのおばさんにはお世話になったな、○○ちゃんちお嫁にいったからご両親だけだけど寂しくないのかな、複雑な思いは少しずつ感謝に変わっていきました。
このちっさな里帰り。
きっといまだに農家の長男の父は、‘ご先祖様に怒られる’などと自分を責めているかもしれませんので、父よりかなりドライな娘ができるささやかな親孝行だったのかもしれません。
3年前まではくそ親父と呼んではばからなかったくそ娘も歳を重ねると少しは変化するものです。
「株式会社神戸市」と日本中から経営の側面を讃えられ、多分その産物である神戸空港。そこから地元への道筋に、街を作るとはどういうことなんだろうな、という新たな興味というお土産ももらった気がします。
今日もまた同じ空の下、違う街で住まう皆様のことを想いつつ、少し新しい感覚で生きれたらいいなぁと思っています・・・。
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