お母さんの子育て、間違ってなかったよ

はばたく春に、心配がよぎる

春、新しい高校生活が始まって、15歳の我が子はまるで羽ばたくように毎日を過ごしていました。新しい友達、はじめての委員会活動、慣れない通学路。世界がどんどん広がっていきます。

帰宅はいつも門限ギリギリ。
「バイトもしてみたいんだ」
と目を輝かせる姿に、私はうれしさと誇らしさを感じながら、同時に少し不安にもなりました。

スタートダッシュ、飛ばし過ぎていないかな。楽しいのはいいけれど、あとで息切れしないかな。

実はうちの子、過去に不登校を経験しています。
「ようやくここまで来た」
そんな思いがあるからこそ
「後半しんどくならないかな。またなにかあったらどうしよう」
という心配も湧いてきたのです。

そんな矢先、こどもが怪我をしました。靱帯損傷。歩けないほどの痛み。松葉杖での生活が始まりました。やりたいこと、楽しみにしていた行事も、参加はできるけれど、制限されてしまいます。

「痛い、もうやだ」
と、泣くこどもを見ながら、私は、「もしかしたら私が心配しすぎていたのかも」と、ふと感じたのです。

 

心配は現実になったほうが「安心」することがある

何で私は「心配しすぎたのかも」と、思ったのでしょうか。

心理学では、「不安は現実化しやすい」と言われています。これは、「悪い出来事が起こるかもしれない」とずっと不安のままでいると、心がその緊張状態に耐えられなくなり、「いっそ現実になったほうがましだ」と思ってしまうという意味です。

たとえば、風船がどんどん膨らんで行って「いつ割れるんだろう?」とビクビクしている状態は、辛いものです。それよりも「パン!」と割れてしまえば、「ああ終わった」と、かえって心がほっとすることもあります。

今回、こどもが怪我をしてしまったのは残念です。でも、私のなかにあった漠然とした心配が怪我という形で現実化したことで「ほら、やっぱり」と、妙な納得と安心を感じてしまったのも、正直なところでした。

そして私自身の原点「母との関係」を思い出していました。

 

私も心配されて育ったこども

実は私の母も「心配性」でした。
「女の子だって、手に職をつけて、自立していかないと生きづらい世の中なんだから」
そんな信念をもとに、母は私に教育の機会をたくさん私に与えてくれました。

正直、当時は重かったのです。でも、同時に
「私のことを本気で思ってくれているんだ」
という喜びでもありました。

母は私に目をかけてくれた。期待にこたえたい、私ならできる。自信にもなりました。

でも、大学に入ったとたん、「もうこれ以上期待には応えられない」と、ぷつんと糸が切れました。体がだるくて、心も重い。なにをするのも辛い。

生きるのがしんどくて、部屋にひきこもるようになりました。

あまりの辛さに、母に向かって
「なんで私を産んだの!?」
と、泣き叫んだこともありました。

今思えば、あんなにも母を傷つける言葉はないと思います。でも、その時の母は、怒りもしないで、暴れる私を強く抱き締めてくれました。

「一緒に生きたかったから」
母も泣きながら、伝えてくれたのです。

こんなに暴れて、一番母を傷つける言葉を投げつけているのに、なにがあっても受け止めると必死な母のぬくもりと愛情と、母の覚悟を、今でも覚えています。

あのとき私は
「お母さん、心配していたんじゃなかったんだ。私を、愛してくれていたんだ」
と、確かに知りました。

 

心配しなくても、大丈夫だった

そして今、私は母になりました。楽しくお仕事しながら、子育てをしています。振り返ると
「私も散々母に心配かけてなぁ」
と、思います。

思い通りにいかないことはたくさんありましたが、それでも
「なんだかんだあったけど、今の私って、ユニークでいいかんじ」
と、素直に思えるようになりました。

子どももきっと、同じです。

怪我をして、痛みもあるし、やりたいことができなくて悔しい思いもしているでしょう。でもその中で、周囲の人に愛され、助けてもらい、支えながら、前に進んでいます。

もしかしたら子供も
「お母さん、そんなに心配しなくてよかったのに。この怪我だって、後から見たら、笑い話になるかもよ?」
と、思ってくれているのかもしれません。

 

心配より、信頼を

子育てをしていると、
「この子は大丈夫だろうか」
「つまずかないかな」
「うまくやっていけるのだろうか」

つい、先回りして心配することもあるかもしれません。

なぜ、私たち親は心配するのでしょうか。心から「幸せになってほしい」と願っているからです。未来のリスクをさけるため、できるだけのことをしてあげたくなる。それはとても自然で、愛からくるものです。

でも、こどもに本当に届けたいのは「心配」ではなく「信頼」なのかもしれません。

「あなたは大丈夫。転んでも、ただでは起きない。立ち上がるときに大事なものをつかむ力がある」

信じる力を渡していくことが、親の役割なのかもしれません。

 

お母さん、ありがとう

私は母に
「お母さんの子育て間違ってなかったよ。だって私、今、こんなに幸せだもん。転んだときも、たくさんのものを掴んで、立ち上がれた。それはお母さん、育ててくれたから。ありがとう」
と、伝えたいのです。

あんなに生きる気力を失って、どうしようもなかった私を
「どんなあなたも愛している」
と、受け止めてくれた母。

「私は生きていいんだ」という「信じる力」を母から受け取りました。

もしかしたら、こどもも
「お母さんが心配してくれた以上に、私はちゃんと育っているよ。お母さんの、子育て、間違ってなかった」
と、思ってくれているのかもしれません。

きっと、みなさんのお子さんも、そう思っているのではないでしょうか。あなたの子育ては、愛となって伝わっていると私は思います。

みなさんの子育ての、なにかのお役に立てたら嬉しいです。

来週は、小川のりこカウンセラーです。
どうぞお楽しみに。

 

[子育て応援]赤ちゃんの頃から、思春期の子、そしてそんな子どもたちに関わる親とのお話を6名の個性豊かな女性カウンセラーが、毎週金曜日にお届けしています。
この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛・夫婦・子育て・人間関係など、生きづらさや悩みを抱えたかたに、穏やかに、寄り添うことを大切にしている。「話すことのすべてを大切に聴いてもらえる安心感」がある。あらゆる人のなかにある豊かな才能・魅力に光をあて、生きる力を一緒に育む。共感力の高いカウンセラーである。