「謝る」と「じゃれる(馴れ合い)」の葛藤

相談者名
まーこ
こんにちわ。
「謝る」という気持ちと「じゃれる」という気持ちについてお伺いしたいのです。話が少し長くなりますが・・・
私は2年前、友達のNとの関係が切れました。
社会人になってから、いろんなすれ違いがあって、
ぎくしゃくしてはいましたが、
引き金になったのは、私の失恋。
当時の彼に振られて、ひどく落ち込んでいた私が、
よほど惨めにうつったのでしょう。
いろんな男性を薦めてくれました。
「女は惚れるより、惚れられたほうがシアワセやで!」と
お説教じみたこともしばしばでした。

私は クラスに嫌われたという過去の思い出がつよく残っており、
そこへ、初めての恋愛だったけども、たった1ヶ月で失恋。
もう、男はたくさんダ!という状態でした。
そのことはNには何度も伝えましたが、
「いつまでも、うじうじしてないで!
男ができたら、そんなこと忘れるから!次の恋愛しようよ!」と。

そして、Nは婚約者がいるにもかかわらず、
既婚・未婚、老いも若きも関係なく男性ならば誰でも
カラダの関係をもってしまう。彼女のそういう態度を、当時は理解できず、
強引に男性を与えてくるNに、
「もうほっといてよ!そんなに(薦めてくれる男性を)いい人とおもうなら、
Nがつきあえば? 遊び相手にもうひとりいかが?」と言い放ってしまいました。
その日以来、Nとは連絡がとだえました。

Nとは中学校時代のクラブ仲間で、
あとMとRの4人で、よく食事にいったり旅行へいったりしてました。
が、MもNと連絡が途絶えたのと同時に、関係が切れました。

私は彼女らを失ったことよりも、まず失恋の傷みが激しく、
こちらではないのですが、あるカウンセラーのもとを通うようになって
すこしづつ傷みも癒えて、自分の不安定な心理状態や精神年齢の未熟さを
理解しはじめると、Nらに謝ってみようかと思いはじめました。

Nに借りたCDが手元にのこったままなので、
それを返すついでに、メッセージをそえようかと。
「Nは私を仲間だとおもって、助けてくれようとしたんだよね。
その気持ちを受け取れなくて、ごめん。
私はずっとNのこと、彼氏がいて、長続きするNのこと憧れてたわ。
素直に憧れているといえたらよかったんだけど、
「どーせ私は・・・」とひがんでた。ねたんでた。
だから、Nの気持ち、ありがたく受け入れることはできなかった。
そのほかのこともそう。どの件も私を理解してほしい!という
気持ちばっかりで、Nの気持ちを理解する余裕がなかった。
いまさらだけど、ひとこと謝りたい。」
こんな感じのメッセージです。

いまだ連絡をくれるRにそのことを相談しようかと思いましたが、
(RとはNらとのこと、暗黙の了解という感じで、ふれることはありません。
RとNらはいまでも、つきあいがあるとのことです。)
ココロのどこかに「仲直りしたところで、彼女たちと笑いあえることはないなぁ」と
いう気持ちもあり、今にいたってます。

彼女たちは30近くになるけども、じゃれるのです。
小学生のように。
それは中学校時代からずーっとのことで、
そして私は当時からずーっとそのじゃれることについてゆけませんでした。
いつも1歩さがったところでみている。
「私にはできない。」

こんな気持ちならば、謝る意味なんてないのでしょうか?
私はまだ、Nらに まず私を理解して!と言ってるだけにすぎないのでしょうか?
それとも、じゃれることを受け入れられるまで、
謝ることを待ったほうがいいのでしょうか?

ものすごく長くなりましたが、
なにかアドバイスをいただけるとうれしいです。

カウンセラー
源河はるみ
まーこさん、ご相談ありがとうございます。
はじめまして、源河といいます。まーこさんの葛藤している気持ち、ふたつの気持ちの間で揺れ動いている、
そんな今の心境がとても伝わってくる内容ですね。
お力になれれば幸いです。

恋愛に限らず、友達を含めた対人関係では、すれ違いは付きもの。
でも、この一件は、まーこさんのこれからの人生にとても大きな一歩を踏み出す、
きっかけになるんじゃないでしょうか。

私たちがとても難しいと感じる事のひとつに「コミュニケーション」をすることが、よく挙げられます。
その中でも”これを言えたら・・・”スムーズにいく言葉というのがあります。

「ごめんなさい」
「ありがとう」
「愛してる(好き)」

私たちは、ケンカをした後で仲直りをしようと思うとき、
まずは、謝ろうと思いますよね。
まーこさんも、そのように思ってらっしゃってのご相談だと思うのです。
でも、そこに引っかかってくる「じゃれる」ということ・・・

仲の良い関係、とても親密な関係では、それがたとえ友人であっても、
まるで子供のように無邪気に触れ合うことは、不思議ではありません。

まーこさんが、なにか引っかかるように感じている、この「じゃれる」というのは、
言い換えれば”親密さ”を感じる事に抵抗感があるときに出てくるんですね。
これは、まーこさんも言ってくださっているように、
昔から感じているものではないでしょうか?

> 当時の彼に振られて、ひどく落ち込んでいた私が、
> よほど惨めにうつったのでしょう。
> いろんな男性を薦めてくれました。
> 「女は惚れるより、惚れられたほうがシアワセやで!」と
> お説教じみたこともしばしばでした。

Nさんは、無意識にもこの”親密感”を持って、まーこさんをなんとか楽にしてやりたい、
と躍起になったんだと思います。
というのも、彼女は、この”親密感”が「ない」ことが、
どれぐらい辛いものなのかが解かっていたからです。

> そして、Nは婚約者がいるにもかかわらず、
> 既婚・未婚、老いも若きも関係なく男性ならば誰でも
> カラダの関係をもってしまう。

今のまーこさんなら、お分かりになると思いますが、
こういった行動に出てしまう裏には、たとえ恋愛をしていても、
心のどこかに「さみしさ」を抱えているからなんですね。
その「さみしさ」をまるで埋め合わせるように、身体を重ねてしまう・・・
一般的に、SEXに走ってしまう女性の心の中には、
まるで命がそこに懸かっているように”親密感”を求める無言の叫びがあります。

だからこそ、まーこさんの失恋を、まるで自分のことのように、
「痛い」と感じていたのだと思うのです。

> 私は彼女らを失ったことよりも、まず失恋の傷みが激しく、
> こちらではないのですが、あるカウンセラーのもとを通うようになって
> すこしづつ傷みも癒えて、自分の不安定な心理状態や精神年齢の未熟さを
> 理解しはじめると、Nらに謝ってみようかと思いはじめました。

私たちは、自分が心に痛手を負っているとき、
なかなか他人のことを思いやる事が出来ません。
それでも、その傷を乗り越えて、Nさんにもう一度関わろうとしているまーこさんは、
とても素敵だと思います。

でも「じゃれる」ことに対する抵抗感を見つめること、
そしてそれをも乗り越えること、これは、まーこさんにとっては失恋の傷を癒す、最後の締めくくりにも匹敵します。

> そして私は当時からずーっとそのじゃれることについてゆけませんでした。
> いつも1歩さがったところでみている。
> 「私にはできない。」

いきなり、じゃれろ、というのは無理がありますよね。
じゃれる必要は、かならずしもあるとは言えません。
ただ、親しい友人関係の中ででも”親密感”を持つことが出来るのか、というのは、
これからの恋愛でうまくやっていけるのか、がとても関係してくるんです。

恋愛関係は、ケンカと仲直りの繰り返し、といっても過言ではありません。
そうやってお互いを理解しあっていきますよね。
そして”親密”な関係を築いていくわけです。

”親密感”を持つのに、大切なこと、
それは先に挙げたコミュニケーションで必要な「ごめんなさい」以外のふたつの言葉、
「ありがとう」と「愛してる(好き)」
という気持ちを自らが持つことなんです。

> こんな気持ちならば、謝る意味なんてないのでしょうか?
> 私はまだ、Nらに まず私を理解して!と言ってるだけにすぎないのでしょうか?
> それとも、じゃれることを受け入れられるまで、
> 謝ることを待ったほうがいいのでしょうか?

まーこさんが躊躇されるのは、「ごめんなさい」はあるんだけれど、
「ありがとう」や「好き」という気持ちをもう一度持つことに、
戸惑われているからだと思うんです。

そこには嫉妬や、悲しみやみじめさ、自己嫌悪などたくさんの感情があるでしょう。
自信のなさも関係してくるかもしれません。
でも、もしもNさんを「理解してあげよう」という気持ちを持ったなら、
まーこさんはそんな感情から自由になることができます。

本当は、とてもシンプルなことなんです。
シンプルだからこそ、難しく感じるんですけどね。

でも、やってみて損はないことです。
なにより、まーこさんにとってはひとつのチャンスですから。

もしよかったらお返事お待ちしています。

相談者名
まーこ
源河さん、こんにちわ。「親密感」といわれるとピンとこないのですが、
>「理解してあげよう」という気持ち
といわれたら、なんとなくわかりました。

源河さんのお返事は 私の気持ちを理解してくれようとしてくださってる。
単純な私は 源河さんに親しみをおぼえました。
むりから、源河さんの提案に添ってココロを操作したわけではなくて、
ほんと、自然とそんな気分になりました。

>恋愛関係は、ケンカと仲直りの繰り返し、といっても過言ではありません。
>そうやってお互いを理解しあっていきますよね。
>そして”親密”な関係を築いていくわけです。
そうですね。
私、仲直りというものをしらずにきたようにおもいます。
ケンカしたら、それっきり。金輪際、無縁。という状態。
前につきあった男性とも仲直りできずじまい。
それゆえ、おつきあいをはじめて2年近くになる今の彼と
ケンカしては仲直りすることが 不思議で仕方なかったのですが、
仲直りするたびに、距離が近づいているような気がします。
あまり、好きな方法ではないのですが(笑)

昨日一日、源河さんのお返事を読み返していて、気がついたこと。
私は「相談事」を通して、人付き合いを深めてきたということ。
ぶっちゃけた話、「相談事」がないと、うまくつきあえない。

それゆえ、今おつきあいしている彼と
つきあいはじめた頃は困った覚えがあります。
どうやって仲良くなればいいのかしら???という感じでした。
(で、相談以外に、一緒にテニスだの旅行だのお料理だのなにかすることを
覚えて、それがすごく楽しくて、ほかの友達ともこういうことができたらなぁ
と思いはじめました。Nらのようにじゃれてみたい気もする。でもどうやって???)

話がそれてしまいましたが、
源河さんの提案は、
彼女らと連絡をとる際には、「ゴメン」だけではなくて、
「ありがとう」「すき」という気持ちも持つこと。
そのためには、
彼女たちを理解しようとすること。
でしょうか?
そしてその理解は過去の彼女達のことでよいのでしょうか?

カウンセリングを受けて以来、
彼女たちとのことも、振り返り、そのたびに、悲しくなります。
自分のとってきた行動に対して、悲しくなるのです。
そして、いまさら、許してもらえるわけないよなぁと 仲直りに対して、
二の足を踏む自分もいます。

なんだか、ぐるぐる状態のレスになってしまいました。
ごめんなさい。

カウンセラー
源河はるみ
こんばんは、まーこさん。
お返事ありがとうございます。> むりから、源河さんの提案に添ってココロを操作したわけではなくて、
> ほんと、自然とそんな気分になりました。

正直なご感想を頂いて、とってもうれしいです。
そう感じていただけると、カウンセラーみょうり(?)につきます。笑

> それゆえ、おつきあいをはじめて2年近くになる今の彼と
> ケンカしては仲直りすることが 不思議で仕方なかったのですが、
> 仲直りするたびに、距離が近づいているような気がします。
> あまり、好きな方法ではないのですが(笑)

そうなんですよね。できれば私たちは、ケンカはしたくない。
でも、しないと上達しないのもケンカなんです。
「ケンカするほど仲がいい」というのは、たとえ自分の嫌な部分を見せても、
”相手が自分を嫌いにはならない”と思えるほど、
相手を信頼できている、という意味ですよね。

> 昨日一日、源河さんのお返事を読み返していて、気がついたこと。
> 私は「相談事」を通して、人付き合いを深めてきたということ。
> ぶっちゃけた話、「相談事」がないと、うまくつきあえない。

このことに気づくには、とても成熟さがいったでしょう。
私たちは、なにか自分が相手よりも「弱い」と思うことで、「頼っていきやすく」なりますよね。
もしくは、その逆もしかりです。
自分が相手よりも「強い」と感じているときには、「頼られたい」と思うものです。

ここで、Nさんのことを思い出してみましょう。
過去、まーこさんに強気に励ましの言葉を送っていたNさん・・・
どこか、まーこさんに「頼られたい」と思っていたと思いませんか?

まーこさんは、とても傷ついているとき、その痛みを抱えてまわりを見ることが出来ませんでした。
人は、心底弱っている時には、意外と頼れないものです。
これ以上傷つく事が怖いからです。
そして、そんな自分を今も責めていますね。

Nさんはというと、そんなまーこさんが、その傷を乗り越えて、
もう一度自分のほうを今までのように見ることが出来るほどの、
まーこさんの中にある本当の”強さ”を見ることが当時はできなかったんです。

ふたりともが、相手をではなく、
”弱さ”や”痛み”を見ていたんですね。

Nさんは、もしかするとご自分を”強い”と思うことで、
「頼られやすい」自分になろうとすることで、人付き合いを深めてきた人なのかもしれません。

態度や表現の仕方は違っていても、感じていたことは一緒だと思いませんか?
ケンカのいいところは、それまでは意識しなかった、
お互いの間にある壁が、壊れることです。
でも、よく私たちは勘違いをしてしまいます。
「関係が壊れた」んだと・・・

> (で、相談以外に、一緒にテニスだの旅行だのお料理だのなにかすることを
> 覚えて、それがすごく楽しくて、ほかの友達ともこういうことができたらなぁ
> と思いはじめました。Nらのようにじゃれてみたい気もする。でもどうやって???)

今のまーこさんは、当時からはとても成長されましたよね。
この部分が、まーこさんの一番素直な気持ちだと思いますよ。
「楽しいから、友達とも楽しみたい」

> そしてその理解は過去の彼女達のことでよいのでしょうか?

お返事を読ませていただく限りでは、まーこさんは彼女たちを理解されていますよ。
少なくとも今の彼との間で、「じゃれる」ことが、たとえやり方は違っても、
”楽しい”んだと知っているんですから。

> カウンセリングを受けて以来、
> 彼女たちとのことも、振り返り、そのたびに、悲しくなります。
> 自分のとってきた行動に対して、悲しくなるのです。
> そして、いまさら、許してもらえるわけないよなぁと 仲直りに対して、
> 二の足を踏む自分もいます。

私たちは、よく過去にやってしまったことを後悔します。
でも、もしもその当時、自分の痛みをではなく、彼女の言うがままにしていたとしたら、
自分は”弱い”と思うままのまーこさんだったとしたら、
今の彼との関係もなかったと思いますよ。
あの時、ちゃんと自分の傷に向き合ったからこそ”今のまーこさん”がいますよね。

過去の自分のとった行動を悲しく感じる事ができるのも、
なにより、まーこさんが成長されたからです。
まずは、そんな自分を「よく頑張ったね」といって許してあげてください。
精一杯やってきたでしょう?
それでいいんですよ。

そして当時、自分の”強さ”を信じてくれなかった、Nさんを許してあげてください。
彼女も精一杯、まーこさんを想ってくれてたんですよね。
どうして、あんなに強引とも思えるぐらいに頑張ったと思いますか?
それは、今のまーこさんと同じ、
「一緒に楽しみたかった」からです。

音信不通だったこの時間は、もしかしたらお互いがお互いを理解しあうためにあったのかもしれませんね。
また、よかったら「その後」なんかのお話も聞かせてください。
いつでも、ご相談くださいね。
ありがとうございました。

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