母への愛おしさ

何度もこのコラムには母のことを書いています。
この1,2年、母への愛おしさを感じることが多くなり、私自身もちょっと驚いています。

3年ほど前から、関西で一人暮らしをしている母のもとへ行くことが増えていました。
母はずっと丈夫で元気だったのですが、大腿骨骨折や腰の手術での入院から一人で暮らすことが難しくなり、認知症の進行もあって昨年4月からはグループホームで生活をしています。

最後に母に会ったのは昨年の2月で、その後コロナがニュースとなり3月にはもう病院へ面会に行くことが出来なくなってしまいました。
グループホームに移る時には緊急事態宣言中でしたから、もちろん東京から関西へ行くわけにもいかず、今に至っています。
コロナ禍が少し落ちついた昨年11月の母の誕生日に会いに行こうと考えたのですが、妹に「東京から来るのはやめて」と怒られてしまい、断念しました。

先月母に会いにいった妹によると、母とは普通に話はできるようですが、どこまでわかっているのかはわからないそうです。
ホームの方が「娘さんが来られたよ」と言ってくださるから話は合わせてくれてるけど、自分(妹)が娘と本当に認識しているのかもわからないとのことでした。
会うといってもこのコロナ禍で感染防止のため、ホームの庭にベンチを置いてもらってソーシャルディスタンスをとって話しているということでしたから、時間も限られているようです。
でも、母は元気そうにしているとのことだったので、少し安堵しました。

母と会えなくなり、母がグループホーム入って1年以上が経つのですが、私はこの1年ずっと「もう会えなくなったらどうしよう。このままもしも突然・・・」という不安や怖さと格闘してきました。
夜、寝る時に不安に襲われ「どうしよう、どうしよう・・」みたいな感じになり、その不安や怖れを払拭するために、母のためにブツブツと祈りを唱えていました。
「ママが元気でありますように。長生きしてくれますように。」と。 
いい大人が、しかもアラカンにもなるような年齢でも、本当に一人になるのが怖いんだなあ、と感じます。
そして、母という存在の大きさを改めて実感します。

と言っても、私と母がずっと良好な親子関係を続けてきたわけではありません。
ほんの数年前までは二度と実家になんか帰るもんかと私は強く決めていました。
それは、元夫との離婚話が出た時に、母は私の気持ちをわかってくれることもなく、私の味方をしてくれるわけでもなく、私が至らないからのように扱ったからだったんですね。

母は、人はこうあるべき、常識はこう、という考えが割と強くて(時代的には仕方ないと今は思えますが)、私が子どもの頃、弱音を吐くようなことがあれば、気持ちを受けとめてもらったり、慰めてもらった記憶というよりは、「そんなことくらいでクヨクヨしない。もっと強くなりなさい」と言われた印象のほうが強く残っています。
気持ちをわかってもらいたくて、優しく慰めてもらいたくても、厳しい言葉がとんでくるたびに何とも言えない気持ちになっていました。

また、別の部屋にいる父が「お〜い、たばこ持ってきて」と呼ばれて、言われた通りにそれを持っていってもどると、母からは「たばこと言われたら、マッチと灰皿もでしょ。それくらい気づけなくてどうするの。もっと気を回しなさい。」と褒められるどころか怒られる、なんてこともよくありました。

なので、いつの頃からか私は母を少し敬遠するようになっていきました。
(でも、何かあったらやっぱ頼っちゃうんですよ。で、またわかってもらえなくて傷つく・・・ってことをやってました。)

そして、私は母のことを社交的でなく、何でも話せるお友達もほとんどいなくて、人に嫌われないように無理をしている、偽善者っぽいように思ってきました。
仕事(パート)をずっと続けていて、家族より仕事を優先している母、誰かや何かのために一生懸命に働く母を見て苛立ち、「そんなに無理をしなくてもいいのに、いい加減にそんなことやめたら」と思っていたんです。

でもね、母が倒れて入院し、見舞い訪ねて来てくれる方が多かったのを見て私が思ったことは、(仕事上の付き合いだったとしても)どれだけ相手のことを考えて一生懸命にやってたんだなあ、ということでした。
母の年齢より若い方ではあってもそれなりにお年を召した方が、わざわざ来てくださるんですから、母がどれだけ想いをこめて接していたのだろうと思うようになりました。

今のグループホームでは、2回ほど職員の方が母の様子を写真や動画で送ってくださったのですが、一人でいた時よりも母の顔はイキイキしていました。
最初はグループホームに入所して間もなく、別の入居者さんたちとテーブルでタケノコを手にして調理の準備をしているところでした。
楽しそうな表情で、手伝いが出来るのがうれしいといった感じでした。

一人で暮らしていた頃は、特に大腿骨を骨折してからはあまり動くこともなくなり、テレビを見ることもなく一人でリビングの椅子に座っている、そんな様でした。
けれども、グループホームではやれることはみんなで手伝いながら生活をするということなので、やはりやれることがある、誰かの役に立てるのは嬉しいようです。
秋には、誕生日を祝ってもらっている動画があり、やはり元気そうな顔をしていました。

私も誕生日の日には、初めてホームへドキドキしながら電話をかけて母を呼んでもらったのですが、思った以上に今までと変わらない声を聞き、ホッとしました。
実のところ、母の状態がどのようであるかはわからないのですが、「よかった、まだ元気でいてくれる」と思えたのです。
でも、母がどこまで理解しているのか(私が娘だとわかっているのか)わからないので、私も何を話してよいのか戸惑ってしまい、ほんの数分で切ってしまったのですが・・・

ただ、電話を取り次いでくださった職員の方の話では、「周りの人のことを気遣ってくださるし、みんなをうまくまとめてくださって・・・」ということを聞き、私は母のことを無理をして人に気を遣っていると思ってきたけれど、偽善者だと思ってきたけれど、根っから人を思いやる人だったんだとわかりました。

認知症になると、人によっては今までと全く変わってしまう方もおられるそうですが、母は温厚らしく、今でも人のことを考え、気を配っているようです。
そんな母を見ると(聞くと)、「あなたは凄いね。本当に誰かのために動くのが好きなんだね」と思います。

グループホームにも適応してくれているようですが、それももしかしたら私たち子どものためにここに馴染まないといけないと思っているのかもしれないという発想がこれを書きながら浮かんできました。 
(無理してなければいいんだけど・・・) 

ほんの5,6年前までは、80歳を過ぎるまでは自由に動き回って一人で頑張っていてくれた母。
年齢を考えると本当に母の凄さや強さを感じます。 
だって、あなたがアラカンの頃は今の私よりもっと元気だったよね。
(それとも、心配させないようにムリして頑張ってくれてたのかな。)

そして、コロナ前の2年ほど、毎月何度か帰る度に母のご飯を作り、散歩に出かけたこと、そんな日々が本当に大切に思えてきます。
いつも帰ると「遠いところを大変だったでしょ」と迎えてくれて、「美味しいね」とご飯を食べてくれた母が、その日々がとても愛おしくなります。
そんな気持ちにさせてもらった母に感謝です。

次に会える時まで、どうか元気でいてくださいね。 
早くコロナが収束して、あなたに会えることが今の私の願いです。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

松尾 たか

自己否定、自己嫌悪、疎外感、自己肯定を得意とする。「その方の心に寄り添い、一番の味方でいること(安心感)」をモットーに、わかりやすい言葉で恋愛問題や対人・自己との関係を紐解き、改善・生き易さへと導いている。  東南アジア2カ国での生活経験もあり、国や文化の違いについても造詣が深い。