○○依存・○○中毒~感じられない心

恋愛、セックス、仕事、アルコールなどなど僕達の周りには色んな依存症・中毒と呼ばれるものがあります。

僕達の周りにはワーカホリックやアルコールに限らず、セックスやドラッグ、そして、チョコレートやコーヒーなどの嗜好品に至るまで、様々な中毒的、依存的な状態があります。
また、インターネットもそんな呼ばれ方をすることがありますし、言われてみれば、僕もかなりの中毒的にはまってしまったことがありました。

そして、強い恋愛依存的な自分を感じる方も最近は増えてきているようです。
(相談コーナーのバックナンバーを見ても、そんなご相談も少なくありませんよね)
最近では日常生活の中で強い刺激を持つものが少なくないですから、それゆえ、そんな中毒的な、依存的な状態になってしまいやすい社会環境にあるようです。

さて、その心理的な背景ですが、僕達は退屈するのが何よりも嫌いですから、今感じられるものよりももっと強い刺激を求めるのが常です。
例えば男性の皆さんは経験があることだと思いますが、僕達が中学生の頃は雑誌の水着のグラビア写真で十分コトが足りました。(笑)

それが大人になった今はどうでしょう?
静止画じゃなくて動いてなきゃ物足りない、とか、画面や誌面じゃなくて現物じゃないと、とか、モザイクはもういらない、とかになってしまうわけです。

そんな風に僕達の心は常に同じ刺激を与えられても飽きてしまうので、必然的により強い刺激を求めるようになっています。
ただ、好奇心があったり、気分の移り変わりによってその刺激を求める対象も移り変わって行くのが普通ですね。

でも、これが一つのものに固執してしまうとこの中毒的な依存状態を作り出すようになります。
アルコールも最初は2,3杯飲んで十分満足していたのに、3杯が4杯になり、ボトルの1/3になり、やがては1本空けてしまうくらいになります。
2,3杯では満足感が感じられなくなってしまうんですね。
アルコールの刺激によって感覚が麻痺してしまった、と見ることができるんです。

セックスにおいても、回数を重ねると変化が無くなってマンネリを感じてしまいます。
そうするとより刺激の強いセックスが欲しくなるので、色んなシチュエーションや道具やプレイを求めるようになったり、奥さんにはそれは求められないと思えば、他の場所でそれを求めようとするようになるんです。
(この奥さんには求められない、と思うことがセックスレスや浮気性の要因の一つにもなるようです)

そして、その一方では、その対象にしか依存できない自分がいるという、強い自立性があり、その自立性が強ければ強いほど、依存状態は強くなります。
つまりはアルコールにしか頼れない自分がいる、セックスでしか感情を感じられない自分がいる、恋愛でしか生きていることを感じられない自分がいる、というのは恋愛依存症とも言える一方で、恋愛以外のものには頼れない“自立症”として見ることができるわけです。

そうするとそれ(アルコール、セックス、恋愛等)に頼ってしまう自分がいるということは、見方を変えれば、その対象を使って逃避したい何か、あるいは達成したい目的があるものです。
その目的の多くは、普段溜まっているストレスの解放だったり、気分の良さを求めることだったりして、実はとても“感情的”なものが多いんです。

アルコールを飲めば気分が良くなる、すっきりする。
セックスは気持ちいいもの。
恋愛していると生き生きする。
仕事は自尊心と達成感を感じられる。
どうも、そんな感情的な要素が欲しいみたいです。

また、中毒的な状態が強く出るものには必ず罪悪感が付きまといます。
その行為そのものに罪悪感を感じることもありますが、それを通じた副次的な部分で感じる罪悪感が多いようですね。

例えば、お酒をたくさん飲んで暴れてしまえば家族や周りに迷惑をかけてしまった、という罪悪感が生じます。これはアルコールを飲むことから直接的に生じたものではないので、いわば副次的なものといえるでしょう。

同じように考えれば、最近よく耳にするDV(ドメスティック・バイオレンス)についても同じような見方が出来るのではないでしょうか。

セックスに依存する心理

セックスというのは親密感のシンボルですから、肌を触れ合いお互いを愛し合うときには安心感や繋がりを強く感じることができます。
このセックスを通じた安心感は男性よりも感性が豊かな女性の方が強く感じられますから、セックス依存の傾向は意外にも女性に多いんですね。

繋がりや安心感が欲しい、ということは、その裏には強い寂しさや不安な気持ちが隠れているということです。
そうすると寂しさを感じたくない分だけ、誰でもいいから自分を抱いてもらいたい心理を生み出しますんですね。

本当は大好きな彼と、と思う気持ちがあるわけですから、誰でもいいと思う自分に対して嫌悪感や罪悪感を抱きます。

でも、セックスをしているときの安心感や繋がりは何物にも変えがたい欲求となり、その罪悪感を麻痺させるべく、結果的に色んな男性とその場限りの関係を持ってしまうことになるんですね。
そして、やがては自分に対してものすごくはしたない女であるという自己嫌悪が強烈になり、普通の恋愛に対して引け目を感じるようになってしまうんです。

恋愛に依存してしまう心理

彼氏がいてこその私、そして、彼には尽くしてしまう依存的な恋愛をしてしまう。
苦しいんだけど、彼がいない自分は考えられないし、そんなのは寂しすぎて辛すぎる。

先のセックス依存と似たパターンがあり、恋愛依存でセックス依存の状態にある方もカウンセリングなどを通じてみるとたくさんいらっしゃるようです。

恋愛で依存的な立場になると、常に不安や恐れという“刺激”が伴います。
この強い感情が自分に「生きている」という感覚を強くもたらしてくれるんですね。

だから、“彼に嫌われるんじゃないか”と思えば思うほど、不安を掻き立てられて彼の言いなりになったり、都合のいい女になってしまったりします。

逆にいえば、それくらい仕事や友人・家族関係に希望が無かったり、退屈してしまっているのかもしれません。
ところが、この強い不安の一方では、そんな自分への自己嫌悪があり、彼への不満もどしどし溜まって行くものですから、やがては火山の爆発のように暴れて彼を困らせてしまいます。

そうすると感情がコントロールできなくなってしまって、暴れては彼に謝り、いい女になるからと尽くして不満を溜めてまた爆発し、という悪循環を生み出してしまうようになりますね。

アルコールに依存してしまう心理

そういうわけで、アルコールにしか頼ることができないからアルコールに依存してしまうと考えることができます。
例えば、家族には自分の気持ちを理解してもらえると思えないために、アルコールを飲んで仕事の疲れや憂さを晴らそうとします。

また、寂しさや将来への不安からもアルコールに頼ってしまう原因になります。
そして、酔い心地になって心のタカが外れ、日常で溜め込んでいた感情が解放されてすっきりしたりします。
その解放される感情というのは日頃の不満だったり、怒りだったり、または将来や現在の自分への不安だったりするものです。

そうするとすっきりした経験がある分だけ「アルコールを飲めばすっきりする」ということを学びます。
でも、最初はコップいっぱいで十分だったアルコールが、どんどん量を必要とするようになります。
そして、色々な感情がそのアルコールを通じて解放されていきますから、普段はまじめできちんとした方が、アルコールによって豹変し、暴力的な人に変わってしまったりします。

こうなると悪循環で、アルコールを飲んで暴れ、周りに迷惑をかけることによって生じる罪悪感が新たなストレスになりますから、ますます持って辞められなくなってしまうのです。

仕事人間の心理

最近のビジネスパーソンではワーカホリックが当たり前。夜中まで仕事をしてナンボ、という風潮すらありますね。
これは本来仕事というのは、充実感や満足感、達成感を得られるもののはずですから、より充実感を求めるのであれば、きちんと休息を取り、万全な体調と精神状態で仕事に望むことを重視するはずです。(話をしながら僕自身も耳の痛い思いがしますけど・・・)

だから、仕事をたくさんしていても充実した表情をしている方というのは、案外きちんと休みを取り、プライベートも大切にするものです。
ワーカホリックになってしまうのは「仕事をしていることでのみ自分は認められる」という強い思いがあるケースだったりします。

これは言わば無価値感ですね。
でも、本当は仕事をたくさんすればするほど、気も使うし、頭も使うしで疲れが出てくるはずなのですが、この無価値感が強くある分だけこの疲れを麻痺させてしまいます。

仕事をたくさんすれば家族サービスも疎かになり、交友範囲も自然と限られてきます。
そうすると人間関係が疎遠になった分だけ、自分には仕事しかないような感覚に襲われます。

つまりは仕事を通じてのみでしか、自分の存在価値を感じられなくなってしまうわけです。
そして、それゆえにますます仕事に没頭するようになり、休日は会社に出なければ家で寝てるだけになってしまいますね。

そして、疲れを感じ、きちんと休むことができなくなった結果、僕達の心が強制的に自分を休ませようとするようになります。
鬱的な状態や、何らかの身体的な病気を使って。

その他の依存的な心理

ここまで4つの状態を紹介してきてお分かりの方も多いかと思うのですが、何か「やめなきゃいけないのにやめられない」もののすべてにこの依存的な状態があり、何らかの感情の麻痺が関係し、そこから生じる罪悪感(自己嫌悪)が悪循環化させていると言えると思います。

例えば、若年層で多いリストカットもその一つ。
心の痛みをうまく表現できなかったり、また、誰にも分かってもらえないと思うと手首を切ることで自分の心の痛みを誰かに分かってもらおうとします。

これは心のメッセージなんですよね。
また、同時に毎日に充実感や生き生きとした感覚が得られないと僕達は生きているって感覚が得られませんから、手首を切り、痛みを感じ、流れる血を見ることで生きている実感を得ることができるんですね。

そして、「本当はしてはいけないこと」という思いがあれば罪悪感が芽生え、その行為をますます止められないものに変えてしまいます。

あと日本ではあまりメジャーではありませんが、ドラッグなどの中毒状態なども同じですね。
また、ここで紹介してきたものほど深刻には捉えられていませんが、チョコレートを食べなきゃ、コーヒーを一日何倍も飲んでしまう、といった嗜好性からくる中毒状態も背景には何らかの心因的な依存要因があるようです。

解決の方向性

これらの問題の解決には、時間をかけてじっくりと向き合って行く必要がありますが、カウンセリングを通じて分かって来たことは、恋愛にせよ、仕事にせよ、表に見えている部分が問題の本質ではない、ということです。

どうして恋愛に依存してしまうんだろう?何を求めているんだろう?
どうしてワーカホリックになってしまうんだろう?何が欲しいんだろう?
そうした観点が不可欠のようです。

しかも、感情的な理由・・・寂しい、とか、居場所がない、とかが本質です。
だから、表面的なサポートよりも、心理的に何が隠れているのかをきちんと見出して処理してあげるのが一番の早道のように思えるんですね。

実例を紹介しながら、その方向性やアプローチを感じていただければ、と思います。

ある24歳の女性がカウンセリングに来られました。
自分は恋愛依存症で、かつ、セックス依存症に違いないと。
お話を伺うと先ほどお話したような傾向が強くあり、常に不安と寂しさを抱えていらっしゃるとのこと。

自分では、この寂しさや不安を感じることが行けないからと自立をしようと仕事を頑張ったり、実家を離れて一人で暮らし始めたりってことをして、自分なりに頑張っていらっしゃいました。

セックス依存から抜け出すために女の子の友達を作ろうとしたり、安全な関係を求めたりしていたのですが、何か間が差したようにコンビニで知り合った男性の家に行ってしまったり、レンタルビデオを借りに行ったのに気がつけば男性とベッドインしていたりと自分でも訳がわからない状態になってしまっていたんです。
そんな彼女と寂しさや不安、男性との関係についてお話をしていきました。

「寂しさはずっと昔からあって、お父さんはあまり家に居なかったし、お母さんは厳しくてヒステリックであんまり構ってもらえなくて、いつも一人遊びをしていたの。いつも寂しくて、お母さんがヒステリックになる度にいつも不安でびくびくしていたわ。お父さんのことは好きだったけど、私を守ってくれる存在ではなかったの」

「高校のときに3つ上の彼氏が出来たの。とても優しい人でいつも甘えてばかりいたの。でも、お母さんが厳しいからあまり会うことができずにいて、いつもイライラしたり、そこでも寂しかったわ。そんなときに彼が浮気したの。彼の部屋にいくと口紅のついた吸殻がゴミ箱に捨ててあって。そのときに半狂乱になって彼を責めてしまって、結局振られてしまったの」

「でも、そのときの自分がまるでお母さんのように暴れてるみたいで気持ち悪くて仕方なくて。それにすごく悲しかったし、怒っていたし、彼の友達に電話をかけて話を聴いてもらってたの。そしたら、その彼とそういう関係になってしまって。でも、そのときにすごく安心してしまったの。それから、彼氏がいても、いつも他の男の人を保険にしなきゃ不安でしょうがなかった。でも、そんな自分も嫌で嫌でたまらなくて」

彼女は寂しさや不安を紛らわすために、男性を必要としていました。
でも、その一方では、実は男性への強い不信感がありますね。
・ヒステリックなお母さんから自分を守ってくれないお父さん。
・あまり会えないからと浮気をした高校時代の彼氏。
・加えて彼女曰く「私が悪いんだけど、好きでもないのに私を抱いた男の人」。

これが彼女の自立の部分に当たるんです(なかなかこれは本人でも気付けないものです)。
「男なんて誰も信用できない。だから、心を許しても期待しても裏切られるだけ」という。
そして、もう一層下の感情として「男だけじゃなくて、誰も本当の私を見てくれない」という強い不信感がありました。

肉体的にはオープンな彼女だけれど、心理的には思いきりクローズなんです。
男性にはもちろん、実は女性に対しても。
中身はまじめで、一生懸命な彼女なので、そんな自分に強く嫌悪していました。
本当に心許せる男性を探している一方で、心を開けるのは怖い。でも、寂しい。
そんな葛藤が本当に強くて、感覚を麻痺させてしまっていたんです。

彼女と向き合って話をしていると、彼女の中にものすごく堅いガードを感じるんです。
「心の中、誰も入るべからず」という匂いがぷんぷんするんですね。

だから、僕らは3人でその寂しさや不安を作り出した家庭環境と向き合い、男性への不信感を取り除く作業にまずは取り掛かりました。
僕もカウンセラーだけど男性なので、そこでは面白いくらいに彼女と衝突しました。
彼女にとってはいいレッスンになったけど、僕が心理的に近づいては拒絶されることもしばし。
彼女も、ちょっとでも心を許すと甘えたい気持ちがあふれ出てまた葛藤したり。
理加は理加で、彼女の男性不信の感情をキャッチして「ほんとに男ったらだらしないんだから」と攻撃的になってみたり。

そして、彼女が一番深い傷になっていた「誰も“私”を見てくれない」という部分まで辿りついたとき、彼女は大きく解放されて、生まれ変わったような無邪気な顔をしていました。

次の恋をするまでは本当に癒されたのかは分からないけれど、少なくとも本当の自分を見て、理解してくれる存在がいる、ということは大きな力になっているようです。
事実、その後彼女が無駄に体を明渡すことはすっかり無くなったようですし、出会う男性の質も以前よりもぐっとアップしたとおっしゃっていました。

こんな風に、セックスや仕事などの状況を変えたり、改めさせようとするよりも、それを作り出している心の中を見ていくのが僕たちのアプローチで、方向性になるんです。

でも、彼女の場合には自分で問題に気付けたけれど、多くの依存症はなかなか自覚しにくいもの。
自覚して初めて心の中に入れるわけですから、やはり自分の心を大切にし、心の状態について常に気を配っておくことが大切ではないでしょうか。

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