誰もがバトンや襷を渡している~自己評価の難しさ&コーチの存在~

こんにちは、カウンセリングサービスの山田耕治です。

□今日のテーマ

新年明けてからしばらく立ちますね。みなさん、どんな調子でしょうか?

今年の抱負を胸に刻み、飛ばしているよという人もいると思います。
中には、停滞しているという人もいるかもしれません。

今日は、今、どのようなみなさんがいようと、
すべてのみなさんに、コーチの存在について、考えてもらえたらと思います。

みなさんには、今、コーチはいますか?

私はコーチの存在はとても大きいものだと思います。
もちろん、コーチがいなくても私たちは成長します。
でも、コーチがいると成長のプロセスが加速することができると思うのです。

なぜそのように思うのか、それが今日のテーマです。

□コーチを必要とする理由

私の思う結論を一言で、お伝えしたいと思います。

自分のことは自分ではわかららないのだと思うからです。

自分の評価はとてもいい加減なものだと思うからです。

誰かにしっかり見てもらうことで、やっと自分のことが見えてくる。
誰かにしっかり話すことで、やっと自分が本当に何を考えているかを確認できる。

そんなふうに思うのです。

だからこそ、誰もがコーチを必要としているように思うのです。

しっかり見る、しっかり聞くと言う役割を担うのがコーチだと思うのです。

今の自分の状態やプロセスが見えてくる。
自分の考えが確認できる。

ゆえに、今の自分に何が必要か、何をしていけば良いのか、
優先順位が定まり、より良い選択が出来るように思うのです。

そのために、しっかり見る、しっかり聞くという役割を担うのがコーチです。
コーチがいることで、私たちの成長のプロセスが加速されると思いませんか?

□再確認した出来事

コーチの存在を思うとき、そのことを再確認する1つの出来事があります。

それは一昨年の子供の運動会でのお話です。

私の長男が6年間で初めて、クラスのリレー選手に選ばれました。
家族としては大喜びなのですが、本人は、いたってクールな感じです。

運動会当日、高学年リレーは最終種目。
彼は最終走者、アンカーの一つ手前の担当でした。

3番でバトンを受けとった彼は、狭い校庭のコースを懸命に上位の2人を追いかけます。
つかず離れず、最終、アンカーに無事にバトンを渡すことができました。

そこからがまた新たなドラマなのですが、
彼のバトンを渡したアンカーが見たこともない俊足で、みるみる2人を抜き去り、
堂々とトップでゴールした訳なのです。

会場は盛り上がりは最高潮。あちこちで、アンカーの子供の名前が口ずさまれています。
「○○ちゃん、すごいね、本当にすごい。」
興奮さめやらぬ中で運動会は終了しました。

私は長男はとても素晴らしくいい仕事をしたと思いました。
リレーでは勢い余って転倒する人やバトンのタイミングを外してしまう人などがいます。
そんな中でしっかりと自分の仕事ができたと思うのです。

「いい仕事をしたな。立派だった。」

私はそのことを伝えました。
でも長男、本人の評価はそれほどでもないのです。

「あれは、あいつが走ったから、、、、。」

「えええ、そんな、、、、、。」

長男がそんなふうに思うのも無理もないかもしれません。

子供たちの評価はとてもわかりやすく、一元的です。

確かに、ぶっちぎりで、無理だと思えるような逆転劇を起こしたアンカーが、
目の前で、みんなの賞賛をえているわけです。

4年生の次男でさえも、長男のことは全くの評価の蚊帳の外。
確かに、そのアンカーにバトンを渡した長男のことを覚えている人はいないかもしれません。
それでも、親のひいき目を除いても、客観的にいい仕事をしたと私は思うのです。

□自分の評価は難しい

確かに目立つ仕事をする人もいます。

でも、その人が活躍できる場をつくる仕事やその人にバトンや襷を渡すような仕事も
大変立派な仕事だと思います。

私たちは見えやすいところだけにフォーカスしてしまいがちです。

しかも、そのことで、長男のように、自分が自分の評価を低めることをやってしまうことがたくさんあるように思います。

そして、その自分の評価を低める癖が思考や心のパターンになってしまっているようなのです。

なので、自分の評価は難しい。

私は「自分の評価はとてもいい加減なものだ」と声を大にしていいたいのです。

だから、他人の評価のみならず、自分の評価も気にすることはないのです。

でも、自分の評価を自分自身はどうしても大きく捉えすぎてしまうものだと思います。

だからそれをカバーできるコーチの存在が大切だと思うのです。

□誰もがバトンや襷を渡している

私は長男に輝いて生きてほしいという名前をつけました。

でも気づいたんです。生きていることが輝いていることなんだと思います。

彼はリレーでバトンを渡すことで相手を輝かせることができたと思います。
自分が輝いていると思えなくても、彼のコーチとして、私は伝えたい。

「誰かを輝かせることで、君は輝いている存在だ。」と。

「自分を低く評価することは全く間違っている!」、そうきっぱりと伝えたい。

みなさんも、きっと誰かにバトンや襷を渡しています。
みなさんがそう思っていなくても、バトンや襷が渡っていくのです。

どんな仕事だろうと、どんな存在であろうとも、
必ず誰かへのバトンや襷を渡しているのだと思います。

生きることはそういうことだと思います。

だから、あなたも必ず輝いている存在です。

□今年はコーチをつける

今年はみなさんの新しい取り組みとして、コーチをつけてみませんか?
今年こそと思う気持ちがあればなおさらおススメしたいと思います。

今年はみなさんのコーチを私が自信を持って買って出たいと思います。

みなさんをしっかりと見て、みなさんの話をしっかり聞かせていただきます。
そしてもう一つ大事なこととして、結構これが肝だと思っているのですが、
あなたの心のトレーニングをサポートします。

みなさん一人一人がバトンや襷をもって輝いて進んでいることを証明し、
今年の心地よい歩みや走りへの貢献、成長プロセスを加速させるサポートをしたいと思っています。

2019年、今年もどうかよろしくお願いします。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

1967年広島県呉市生まれ。早稲田大学法学部卒。家族は妻と小学生の息子3人。 恋愛、婚活、夫婦、家族、職場等、対人関係全般が得意。 臨月で子を亡くした喪失体験が人生に大きく影響し、18年勤めた会社を退職、心理学を学び直し2010年プロカウンセラーに。現在はサラリーマンとのWワークを推進中。