ゴミの分別から思うこと

生活していれば何かしら毎日出てくるゴミ。
汚れたもの、壊れたもの、使わなくなって不要になったもの、役割を終えたもの、ほこりやクズなど、「ゴミ」と言われるものはさまざまありますが、身の回りのものはいつかゴミとなる日がやってきます。
 
私はゴミ出しカレンダーを見ながら毎朝出すゴミを確認するのですが、ゴミの収集所には明らかに今日出すゴミじゃなかったり、ゴミの中身が混在していたり、昨日以前に出されたゴミで「ルール違反」と張り出されて収集されなかったものを目にすることがあります。
そんなゴミを横目に、「なぜ私はゴミの分別を面倒くさいと思わずにするんだろう?」なんてことを考えてみました。
 
私が住んでいる地域は、燃やせるゴミと燃えないゴミ、資源ゴミとして衣類、古紙、缶、びん、ペットボトル、プラスチック容器類、電球、乾電池、金属類などの品目があります。
結構種類が多いので、ゴミ箱がいくつも必要だし、分別も大変なのですが、私は私の出来る範囲で分別するようにしています。
この「出来る範囲で」というのが、「ゴミの分別、面倒!」と思わない一つのポイントなのかもしれません。
 
「こう分けなきゃダメ!」という思いで取り組むと、ルールに縛られ「やらされてる感」を感じてしまいます。
やらされてる感があると、それは「面倒だな」って思いますよね。
「私の出来る範囲でやろう」と思って取り組むと、「やる」「やらない」を自分で選択している感覚があるので、「やらされてる感」がない分、面倒と思わないのかもしれません。
 
それから、私が面倒くさがらずにゴミを分別できているのは、「私に出来る社会貢献」と思っているのも理由の一つにあると思います。
 
ゴミの問題は、処分場の不足、地球温暖化、資源の枯渇に関わっています。
燃えるごみが増えればCO2が増え、オゾン層の破壊につながり、地球温暖化を促進します。
燃やせないゴミが増え続ければ、土地の狭い日本は埋め立て処分場だらけになるでしょう。
また地球上の資源(石油、石炭、天然ガスといったエネルギー資源や鉄や銅などの鉱物資源等)には限りがあるので、使い続けるといつかはなくなってしまいます。
 
分別することでゴミが資源となり、処分場の不足、地球温暖化、資源の枯渇のスピードを多少なりとも遅らせることができると思うのです。
私一人がゴミの分別をしたところで、そんな大きな問題の解決になるとは思いませんが、全ての人がゴミを分別しなかったら、確実に問題は悪化します。
一人一人の貢献度は小さくても、その積み重ねが大きなうねりや力になる、と私は思っています。
 
ゴミを分別しなくても、私が生きている間は、直接生活に支障のないことなのかもしれません。
それでも先人が今の日本、今の地球を残してくれたように、私も未来の人に少しでも暮らしやすい環境を残したい…そんな思いもあります。
 
つまり、分別されたゴミの先に、未来への希望を託しているのです。
そんな希望があるから、私の中でゴミの分別が「面倒なこと」とならないのではないかと思うのです。
 
心理学では、問題を解決する手法の一つに「ビジョン(未来像)を描く」という手法があります。
ビジョン(将来像)を描いたうえで、将来像と現在のギャップを埋めるには「今、何をすればよいか。これからどう取り組んでいくか。」に焦点を当てる考え方です。
 
その考え方からいくと「社会的ゴミ問題の緩和と、未来の人に暮らしやすい環境を残す」というビジョンを叶えるために、今、私に出来る「ゴミを分別する」という取り組みを行っていることになります。
その取り組みが「社会貢献にもつながる」と思っているので、私の中では「ゴミの分別は面倒だな」という気持ちになりにくいのだと思います。
「人のお役にたっている」と思うと、人間、気分が良いですから。
 
一言に「ゴミ」と言っても、まだ利用価値があるものや、自分には不要になったけど、誰かにとっては必要なものもあるわけで、なかなか物を捨てられない私としては「誰かが喜んで使ってくれる」「この先もこれが活かされる」と思えると、手放しやすいこともあり、資源ごみとなるように分別している部分もあると思います。
 
ゴミ出しに限らず「面倒だな」と感じることは、「何のためにそれをするのか」「これをすることでどうなるか」ということが明確になると、「面倒くささ」がやわらぐかもしれませんね。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

すのせ さちこ

大学卒業後、地元企業に就職し、デザイン・経理・総務・秘書・営業事務等の業務を経験。不惑にしてカウンセラーを目指すために転職。離婚も含めた人生経験をベースに、楽になる物事の受け止め方を提案する。生き方やライフワーク、メンタルヘルス、パートナーシップ全般の問題を得意とする。