義務感が強すぎて困っています

相談者名
プルシェンコ
はじめまして。ふわふわ生きてるプルシェンコと申します!
私は思いつきを行動にうつせないのが悩みです。この問題をご一緒に考えてくださったら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

何かにつけてやろうとすること全てが義務感とセットになっているみたいです。
(そのくせ、やらなきゃいけない状況というのにはめっぽう弱いです。)
(いやだけどとりあえず動くという大人な行動も超苦手です。)

他人のためにも『 ○○をしてあげたい⇒苦痛 』
自分のためにも『 ○○をしたい=○○をしなければならない⇒苦痛 』

こうしてあげたらあの人が喜ぶかな、とかあれがやりたいな、とか鮮明なイメージは頻繁に思いつくのにどうしてもヤル気になれません。
(頑張れば自分にもできる範囲のことで、空を飛ぶとか非現実的な試みではないと思います。)

また、与えるということが非常に苦手で、嫌なんです。
先日は旦那さんが仕事で疲れ果てていて「マッサージをしてほしい」と頼まれ「うわっ面倒くさいな~~」と思ったのが顔に出てしまい、「悪いな、ごめんな」と謝られてしまいました。
(でも、がんばってマッサージしました。謝りたいのはこっちです。)人のために何かをしてあげるサービス精神は無い人、と周囲から認められていて、私に頼み事をする人は皆ものすごい遠慮がちですまなそうにしています。

唯一私が自分にも他人にも与えられるとすれば、誰からも言われずふと思い立ち、誰のためでもなく無心でやり、それが(例えば物であれば)後にたまたま利用する機会があって役に立った、たまたま人がそれを見て感動した、というようなケースだけです。それ以外の方法で成功したためしがありません。

何でもやろうと思いついたことを、やりたいだけ楽しめたり、何でも思いつくとおりに行動して人を喜ばせてあげられたら素敵なのに、すぐ面倒くささにつながる。思うように与えられない。私はすごく対人関係に恵まれていて、応援してくれる人、好きと言ってくれる人、私を見て楽しそうに笑ってくれる人が、いっぱいいて、そんな人達に私も全力でこたえたいのに…。

そのためにもこの義務感との付き合い方、何とかならないかなあと思います。

カウンセラー
中村季代乃
プルシェンコさん、こんにちは。
今回担当させていただきます中村季代乃です。
どうぞよろしくお願いします。

プルシェンコさんは、とってもご自身が持っていらっしゃる義務感について
少々困ったな、と感じていらっしゃるのですね。
義務感を持って行動をする事はとても素敵ですばらしい事だと思います。
しかし、義務感が義務感を呼び、その義務感が行動をしようとする自分自身
に覆いかぶさる状態になるととっても息苦しくてしんどくなってしまいます
よね。
そして、善かれと思って取ろうとする行動自体もなんだかしんどくなったり、
面倒くさくなったりしてしまいますよね。

しかし、義務感が元々強い方はそのしんどくなってしまったり、面倒くさく
なってしまう事自体に「申し訳ないな」と感じたり「私ってとっても悪い事
してしまってるかも・・・」と感じてしまい自分自身を責めてしまう事もあ
ります。
そして、自分自身を責めて責めて責めまくって本当に悲しい気持ちになって
しまうんですよね。
でも、それって本当に辛い事なんですよね。

プルシェンコさんより頂戴いたしましたご相談内容を拝読し、プルシェンコ
さんはとっても責任感や義務感の強い方なんだな、と感じました。
そして何事に関しても100%完璧にやり通したいという完璧主義者的な所
も少々お持ちなのかもしれません。
何事も完璧にやり通す事はとても素敵ですばらしい事だと思います。
しかし、何事にも完璧を求めるその裏の気持ちの持ちようで、その行動一つ
一つにモチベーションを持って行なう事ができたり、全く持ってモチベーシ
ョンが出てこなくてやる気が出てこないという事が私たちの生活の中で色々
出て来たりします。
そして、そのモチベーションが出てこない時に私たちは心のどこかでできて
いない自分に対して責めてしまう気持ちが芽生えてくるんですよね。

しかし、モチベーションが出てこない理由というのも実は原因があるんです。
今回はその原因の一つについてお話をしたいと思います。

私たちが完璧に物事を遂行しようと頑張る時に、大きく分けて2通りの意識
が芽生える事があります。
1つは自分がやりたいからやるという意識。
もう1つはその行動を完璧にやった後になにかご褒美が来るかもしれないと
いう見返りを期待してしまう意識があります。

初めにご紹介した意識というのは自分がやりたい若しくは無心でそのミッシ
ョンを黙々とこなします。
しかしもう1つの意識はなにかそのミッションを遂行した暁に何かが手に入
るという意識を持って行動を起こしてしまいます。
その意識を持って行動を起こす事自体は全く持って問題はないのですが、そ
の意識をあまりにも強く持ちすぎたり、見返りを意識しすぎるとある気持ち
が芽生える事があるんですよね。
それは「もしその見返りが手に入らなかったらどうしよう・・・」という気
持ちだったりするのです。
そして、その見返りが手に入らない可能性が出てくるんだったらその行動自
体をやめてしまおうという意識が出てきます。
何故なら見返りが手に入らない可能性があるんだったら元から手に入らない
状況を完璧に作ってしまおうという方向に意識が向いてしまうからなんです。
そこが完璧主義者さんがはまってしまう罠の一つなんですよね。

そこで、プルシェンコさんに提案です。
「~を完璧にせねばならない」
「~を完璧にやらなければ」
という義務感に駆られた時に、「完璧にそれをやり遂げた後に何か求めてい
るモノってある?」とご自身に質問を投げかけてみてください。
そして、もし何か見返り的なモノがあるとしたらそのモノへの意識を少し横
に置いてみてください。
もし良かったら、「誰かの為に」とか「自分の為に」という意識ではなく
「自分がやりたいから」や「それをやってるとワクワクするから」という方
に意識を向けて目の前にある物事に取り組んでみてください。

そしてやってみたいという意識や、その行動自体にワクワク感を持って物事
に取り組む時とそうでない時の感覚を比較してみてください。

そうする事によって、プルシェンコさんの中に一つのヒラメキ出てくるかも
しれません。

そして、そのヒラメキを良かったら私たちカウンセラーにお伝えいただけま
せんか?
プルシェンコさんが感じたヒラメキの中から今お持ちである義務感と仲良く
つきあうオリジナルのヒントを一緒に探してみませんか?

プルシェンコさんにとって今持っていらっしゃる義務感と仲良くつきあう事
により楽に日々を過ごされる切っ掛けになれば幸いです。

ご相談いただきましてありがとうございました。

中村季代乃

この記事を書いたカウンセラー

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