怒りっぽい、不機嫌になりやすい

相談者名
ポニー
自分の怒りっぽさを治したいんです。

声を荒げたり激怒する感じではないんですが、
些細なことにイライラするんです。

例えば駅のホームで電車を並んで待っていて、
並んでた自分の順番を追い抜いて電車に乗る人がいた時
夜遅くて列にもなっていなくて来た電車の席もガラガラで
十分座れるのになんかやけにイライラしたり、

仕事でぼーっとしてる人や無愛想な人にイライラしたり、
マナーが悪い人にイライラしたり。

言葉には出さないけど態度には出てるかもしれません。
特に家族には遠慮がない分あからさまに不機嫌になってしまったり。

仲のいい友達でもその時は不機嫌にならなくても
一人でいる時にその時の友達の発言を考えてイライラしたりします。

他人が怒りを露にするのを見たらみっともないと思うし
大人げないとも思うので、自分ももっと穏やかな人になりたいのですが、
イライラしなくなるには自分にも相手にも許可をすることがいいんでしょうか?

でもマナーの悪さなんかに許可を出すのは何か違う気がするし
そもそも許可の出し方がいまいち解らないです。

怒り自体を感じなくなるのも、他の感情に影響が出たりするんでしょうか?
湧き出てきた怒りが顔や態度に出る前にすーっと消えていくような方法が
知りたいです。

そしていつも安心感がある様な穏やかな人になりたいです。
よろしくお願いします。

カウンセラー
中原謙一
ポニーさん、初めまして
私は中原謙一と申します。
よろしくお願いいたします。

他人の些細なことが気になってイライラしてしまう。
このようなことは、ポニーさんに限らず誰にでもあるものです。
もちろん私にもあります。

これは私だけの考えなのかもしれませんが、ほとんどの人が持っているものは、何ら
かの意味を持っていると、私は思っています。
怒りという感情も、ほとんどの人が持ち合わせているわけですから、怒りの感情自体
は持っていることそのものは問題ではないのだと思われます。

しかし、怒りの感情をどのように扱うのか。
これには様々な問題が出てくる可能性がありますよね。

おっしゃるように、ただ怒りの感情を他人にぶちまけている行為などは、人として非
常にみっともない態度だと私も思います。
ただ、これも怒りの感情の表現に問題があるのであって、怒りの感情そのものに問題
があるわけではないんですよね。

あるアニメの主人公の台詞にこのようなものがありました。
「火が危ないからといって、火そのものを否定することはできない。」
使う人の心が大切なんだと私は感じるわけです。

私が文章から感じる限り、ポニーさんは怒りという感情をポニーさんなりにとらえて
いるように感じます。
そして、それほど使い方が間違っているようにも感じません。

なぜなら、もしその些細なことでその場で怒りを相手にぶつけていたら、間違いなく
様々なところでトラブルになるからです。
イライラはするけれども、そこでトラブルまでは起こさないように怒りが調節されて
いる。
このように感じるわけです。

そうすると、些細なことでイライラすること自体に、何か意味があるのではないか、
と感じるわけです。

ここからが私の推測なのですが、イライラすることにプラス、マイナス関係なくメリッ
トがあるとしたら、どのようなことがあるのでしょう?

一つには、その行動や言動に怒りを持っている限り、自分はその行動をしないと自分
を戒めることができます。
また、怒りはモチベーションにもなり得ますので、そのイライラを感じている限り、
自分の正しさを信じ続けることができるでしょう。

さらに、小さなイライラがたくさん存在するということは、一つの大きな問題を隠す
効果もあります。
たとえば、どうしても感じたくない感情があったとします。
感じたくない感情ですから、ポジティブなものではないことはわかりますが、そのポ
ジティブではない感情を隠すためには、同じポジティブではない感情をたくさん持つ
ことによって、感情をごまかすことができるわけです。
昔のことわざの「木を隠すなら森に隠せ」ということですね。

もしかしたら、ポニーさんの心の中に、何か感じたくない感情、たとえば恐れである
とか、焦りであるとか、そのような感情がどこかにあって、その感情から意識をそら
すためにたくさんの小さなイライラを作り出している可能性があるのかな、というの
が私の推測になります。

ポニーさんは怒りの感情がないと穏やかになれると思っておられるようですが、それ
は間違いではありません。
しかし、それは同時に生きる気力を失っている状態ともいえるかもしれません。
なぜなら、怒りと生命力にも密接な関係があるからです。
そのことについては長くなりますので、ここでは触れないでおきます。

ここで、一つ質問です。
宝くじで一等3億円があたったと思ってください。
その直後に電車で足を踏まれたら、やはりイライラするでしょうか?

これはいろんな人に聞いてみたのですが、ほとんどの人がイライラしない、相手を許
してあげるといっていました。

なぜなんでしょう?

私なりの答えは、心にゆとりと余裕があるからではないか、と感じます。

つまり、怒りの感情をなくすことではなく、怒りの感情すべてを受け入れてもなお、
心にゆとりや余裕がある状態が、穏やかな状態とか、大人と呼ばれる状態ではないで
しょうか?

このような人間になるには、ひたすら怒りの感情があることを受け入れ、ただ怒りが
あることを理解していくだけでかまわないでしょう。

「ああ、私は今、怒っている」

実は怒っている状態で、人は自分が怒っていることに気づいていないんですよね。
ほとんどが怒った後で気がついているんですよ。

気づくことができたとき、人は初めて選ぶことができます。

怒り自体を感じなくすることは、すべての感情を感じなくすることと同じです。
人間、そこまで起用ではないんですよね。
ごくまれにそのような人がいるかもしれませんが、ほとんどの人は、一つの感情をピ
ンポイントで消そうとすると、必ずほかの感情や感覚に影響を及ぼします。
なぜなら、怒りの感情が何か重大な問題を「隠す」ために存在していた場合、怒りの
感情がなくなったとたんに、隠していた問題があらわになりますから、今度は別の感
情でその問題を隠すか、その問題に向き合わなければならなくなるわけです。

つまり、怒りがあること自体も必要なんですよ。
問題は表現方法だけなんですよ。

怒りを消すことではなく、怒りをどのように表現するのか。

そして、いかに懐の深い、心の広い自分になりたいと願うか。

これがポニーさんの怒りの扱い方に対する私なりの答えになります。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

怒りの話はこの程度で終わるほど簡単なものではありませんが、「一病息災」という
言葉があるように、なくすことよりうまくつきあっていく方法を考えていきましょう
ね。

ありがとうございました。

中原謙一

この記事を書いたカウンセラー

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