自分の人間性

相談者名
もちりす
私は超保守的な人間です
真面目で満足のハードルが低く(常識的な到達点をカバーできていればいい)、控えめで、争うよりは現状で楽しむのが幸せといったタイプです。
情熱やハードルの高い欲望、サプライズ精神はありません。 また、心や論理などの抽象的な話は苦手です。
夢追いにも興味がなく、挑戦(といっても自分からの欲求はそもそもなく、仕方なくやることになった経験があるくらい)を達成した時の喜びよりも、新しいことを始めるストレスや、少しでも失敗した時のダメージの感受性の方が大きいです。ゆえに満足のハードルが低いのかもしれませんが。
すっぱい葡萄みたいなものじゃなく、もともとマイナス(これをやらないといけない、このまままだと悪くなるからこうしよう、など)の動機でしか動けません。基本的にはできれば動きたくない。

この人間性を批判されることがあります。
「単純で深みがない」
「保守的で意外性も独創性もなくてつまらない」
「人間的に薄い」
と言われます。
これは正しいのですが、自分は変わった方がいいのかこのままでいた方がいいのかわかりません。
全ての人が批判してくるわけではなく、仲のいい人や褒めてくれる人もいますが、正直、批判をしてくるタイプの人達の方が確かに人間的にはなんだか魅力的だと私も感じます。またはそんな気がするだけでしょうか。
葛藤は、
自分は今の状態が居心地がいい。
だけど言われることも正しい。
でもつまらないのはいけないことなんだろうか?
つまらないとしたら、もっと攻めの姿勢になるべきか。
しかし自分は攻めるのがとても苦手だ。
目的もなく積極的になれないし、目的を無理矢理つくるのは自分にとっては苦しい。
このモヤモヤのせいでやっぱり居心地も悪い。
といった感じです。

一番の望みはもっと精神的にのびのびと過ごせることだと思います。

どんな思考をすればもっと楽になれると思いますか?

カウンセラー
大塚亘
もちりすさん、はじめまして。

今回担当させていただきます、大塚亘と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

「夢を追い、挑戦し、達成する人」

確かに、魅力的な人かもしれません。物事になんでも前向きに取り組む人を、私、
大塚は否定しませんし、もちりすさんも、

>正直、批判をしてくるタイプの人達の方が確かに人間的にはなんだか魅力的だと
>私も感じます。

と書いて下さっていますので、夢を追いかけ、挑戦するタイプの人間を否定して
いらっしゃるわけではないと思います。

しかし、物事にはなんでも二面性があります。それでは、「夢を追い、挑戦し、
達成する人」の裏の側面はなんでしょうか。それは、なんと、

「自己否定」

です。

もし、現状の自分自身に満足しているなら、何も変える必要がないわけです。
今が自分らしい状態であり、今のまま、何も変えることなく人生を楽しんで
いけばいいだけです。

しかし、現状に満足していないので、「夢を追いかけ、挑戦し、達成を目指す」
わけです。現状に満足していないということは、その時点で「自分はまだまだダメだ
!もっと前向きに頑張らなければ」と、「自己否定」していることになります。

もちろん、「夢を追いかける人」は、「自分の中にある自己否定」に気づいていない
ことがほとんどだと思いますが、カウンセラーである私から見ると、潜在意識にある
「自己否定」に気づくことがあります。

>またはそんな気がするだけでしょうか。

ここは、私の想像になりますが、「夢を追いかける人」に対して、もちりすさんは、
なにか違和感を感じているのかもしれません。それが、「夢を追いかける人」の
潜在意識にある「自己否定」なのかどうかはよく分かりませんが、しっくりは
来ないわけですよね。

さて、上記の構図をひっくり返して、もちりすさんに当てはめてみましょう。
もちりすさんは、

保守的、現状で楽しむのが幸せ、仲のいい人や褒めてくれる人もいる、自分は
今の状態が居心地がいい

という方です。これは「自己否定」の逆の、「自己承認」が出来ている状態だと
思いませんか?

今のままの状態で満足されているわけですから、「夢を追いかける人」が持っている
「自己否定」が少なく、ご自身を承認できている状態です。もしかしたら、もちりす
さんは、言ってみれば、もう既に夢を達成されているのかもしれません。

しかし、もちりすさんにも「自己否定」はあるようです。念のために書きますが、
もちりすさんが「悪い」という意味ではありません。我々人間は、私大塚も含め、
多かれ少なかれ「自己否定」をみな持っています。

もしそうだとしたら、もちりすさんの中にもある「自己否定」の「誤解」を解いて
いくことが、

>一番の望みはもっと精神的にのびのびと過ごせることだと思います。

このもちりすさんの一番の望みにつながっていくと思いますよ。

もう一度書きますが、もちりすさんに「悪い」という要素は全くなく、今のままで
良いのです。既に素晴らしい人間であるということであり、何も変化させる必要が
ないのです。そして、それは、もちりすさんが一番望んでいることでもありますよね。

しかし、ここも長所ですが、もちりすさんは、優しくて、人の意見に耳を傾けることも
できるので、

>この人間性を批判されることがあります。
>「単純で深みがない」
>「保守的で意外性も独創性もなくてつまらない」
>「人間的に薄い」

というような意見を聞いて、本当はなんにも変えなくてもいいのに、もちりすさんの
中にある「自己否定」の部分が、心の中で、

>自分は変わった方がいいのかこのままでいた方がいいのかわかりません。

という葛藤を作ってしまうのです。もし私が言うとおり、何も変えなくていいとしたら、
葛藤する時間がもったいないと思いませんか。なぜなら、何も変えなくていいのです
から、そもそも悩む必要すらないのです。

さて、ここで、もちりすさんを批判する人の言葉から、その

「批判する人自身の自己否定」

を読み解いてみましょう。

>この人間性を批判されることがあります。
>「単純で深みがない」
>「保守的で意外性も独創性もなくてつまらない」
>「人間的に薄い」

客観的に考えくださいね。このようなセリフを言う人の中には、次のような「ルール」が
存在します。

・人間は、単純ではダメだ!さまざまなことにチャレンジして、深みを持たなければ
ならない
・保守的な人間はダメだ!常に自己変革を続けて、意外性を持ち、独創的でなければ
ならない
・人間は、薄い人間にならないように、様々な経験を積んでいかなければならない

どうでしょうか。前向きさも感じますが、少し「窮屈」な感じがしませんか。

もちりすさんを批判した人は、その人自身の中に、「前向きでなければならない」
というルールを作って、なんと、自分自身を縛っているのです。そして、我々人間には
完璧な人はいませんから、「批判した人」の心の中にも、必ず「達成できていない自分」
がいて、そこが、「自己否定」になってしまうのです。

実際に起こったことは、もちりすさんに、「単純で深みがない」とか、「保守的で
意外性も独創性もなくてつまらない」とか、「人間的に薄い」と言ったわけですが、
これらは全て、

「批判した人」がその人自身に投げかけている「自己否定」の言葉

なんですよ。もちりすさんに言っていたわけではなく、「批判した人」の中の
自己否定が、もちりすさんに対する批判の言葉になって、表面に出てきただけ
なのです。

さて、それでは実際にどのように考え、どのように行動したらいいでしょうか。
先ほど述べた通り、もちりすさんは、何も変える必要がないのです。そうすると、
例えば、次のような行動が考えられます。

「批判する人と距離を取り、仲のいい人や褒めてくれる人とだけ付き合う」

人間には個性があり、必ずウマの合わない人がいます。もちろん、私大塚にもウマの
合わないタイプがあります。

私大塚は、以前は、上記の批判した人と全く同じで、自分の中にたくさんの「ルール」
をもち、とてつもなく自己否定していました(自分では気づいていませんでした)。

そのルールの中に、「人間はみんなと仲良くしなければならない」という壮大な
(というか今から考えると、とんでもない)ルールがあり、でも必ずウマの合わない
人がいますから、そのウマの合わない人とぶつかって、とても生きづらかったのです。

しかし、私自身がカウンセリングを受けて、「今のままの自分自身でいいんだ」と
思えるようになったら、周りの人間関係が変わっていったのです。

そして、周りには私を承認してくれる人が残り、私は、楽になったのです。そして、
このプロセスを、ぜひ、もちりすさんにも体験していただきたいと思っています。

「前から、何も変える必要はなかったのです」

読んでくださり、ありがとうございました。

大塚亘

この記事を書いたカウンセラー