妊娠のこと

相談者名
えみり
こんにちは。結婚3年目、39歳の専業主婦です。
健康状態は夫婦とも良好なのですが、なかなか子供ができません。
婦人科に不妊治療に通っていますが、それでもできず、毎月生理が来るたびにがっかりします。
夫婦二人の時間や自分の時間を有意義に過ごしたい、と思いつつ、頭の中は赤ちゃんのことでいっぱいです。生活を楽しめない自分がいやです。
年齢的に悠長なことを言っていられないので、それもプレッシャーになっています。
主人は協力的で、主人の優しさが救いです。実家・主人の両親ともゆっくり見守ってくれます。
子供をあきらめたら楽になると思いつつ、諦めきれないし、つらいです。
カウンセラー
山下ちなみ
えみりさん、ご相談ありがとうございます。
不妊治療、体力的にも精神的にもさまざまな労力が必要になりますよね。
その努力も、子供が欲しいという気持ちがあればこそ、ですから生理のたびに、どこか自分の思いやがんばりが報われなかった虚しさみたいなものも感じられるのかもしれませんね。

二人の時間や自分の時間を有意義に過ごしたいとは思うものの、頭の中は赤ちゃんでいっぱいだったり、プレッシャーを感じたり、諦めたらラクだと思いながらも諦められなかったりするのですね。
つらいですね。
えみりさんが子供のことを考えたときに、同時に、こうしたつらい気持ちや悲しい気持ちも一緒に出てきているのでしょうか。
今のえみりさんにとって、子供は、何か悲しみのシンボルのようになっているのかもしれませんね。

ここで質問ですが、えみりさんにとって、子供をもてない自分というと、どんなイメージが出てくるでしょうか。
例えばですが、子供を埋めないと女性として価値がないとか、失敗感や不完全さを感じる女性もいらっしゃいます。
すると、子供や、子供を持てないことが自分にとって失敗や不完全さのシンボルのように感じてしまうんです。

失敗感や不完全さというのは例なので、えみりさんにとってしっくりこなければ、しっくりくる内容に置き換えてみてくださいね。
それがえみりさんにとっての答えです。

もし、すぐに答えが出てこなくてもかまいません。
少し時間をかけて、ご自分に問いかけてみて欲しいんですね。
問いかけておくと、あるときふっ、と浮かびます。
この先のお話も、分かりやすくするために例をあげて伝えますが、例にとらわれずに、ご自分の場合にあてはめて読んでいただければと思います。

そして、えみりさんが手放すのは、子供が欲しいという願望よりも、むしろこうした自分に対するマイナーイメージなんですね。
こうしたマイナーイメージが強いと、私たちのマインドは、それを否定するための材料としての出産、というふうに考えてしまうのです。
例えば、子供を産めないことは女性として失敗だ、と思っていたら、子供を産むことは、自分が女性として失敗していないことを証明するためのものになってしまいます。
すると、達成しなくてはならないもののように感じたり、純粋に子供を持つことの喜び以上のプレッシャーで重くなってしまうのですね。
今は、こうした状態がつらいのではないでしょうか。

自分の中の、子供を持てないことで感じられるマイナーイメージを、まずは見つけてあげてください。
例えば、自分のことを女性として失敗している、と感じていたんだなあ、と気づいてあげるだけでも、少し気持ちが落ち着いてきますよ。
そして、そんな自分に優しくしてあげて欲しいんです。
子供、って天からの授かり物ですよね。
それなのに、それだけで自分の価値を決めてしまうなんて、こんなにも欲しいと願い、努力している自分に対して、それはあまりにもかわいそうではありませんか。
それでは、悲しみやプレッシャーでますます追い詰められても不思議ではありませんよね。

こんな風に考えてみてください。
もし、えみりさんの子供が女の子で、将来、子供を持てなくて悩んでいたら、何と言ってあげたいですか。
きっと、優しい言葉をかけてあげたいし、時には一緒に泣いたり、悔しいと言ったりしてあげたいと思うんです。
そして、子供がもてなくても、あなたは私にとって大切な子供に違いないわよ、そんな風にいってあげられると思うんですね。
もしかしたら、そっとしておいてあげたいと思うかもしれませんね。
でも、心の中では、こんな風に感じていると思いませんか。
どうか、ご自分に、そんな風に接してあげて欲しいのです。

そして、これはえみりさんのお母さんも、きっと同じ気持ちなのでしょうね。
遠くで見守りながらも、そんな気持ちでいてくれるのだと思います。
親とは、ありがたいものですね。
母親に感謝することは、マインドレベルで母親を許す、つまり自分が母親になることを許すことにもつながります。

そして、少し落ち着いて自分を取り戻せてきたら、次はそのマイナーイメージを払拭するように心がけるといいでしょう。

マイナーイメージは完璧にはなくならないかもしれませんが、薄れた度合いだけ、えみりさんの中での、子供を持つことの意味が変わります。
先ほど述べたような、何かの証明という感覚がなくなってきますから、子供が授かるかどうかそのものは解決しませんが、そのことがプレッシャーがかった問題ではなく、真剣に取り組んで行くことである、というように、冷静さとゆとりを持ったものに変わるのです。

例えば、女性としての失敗感があるのであれば、「子供がいない今」の状態で、すでに女性として成功していることを考えてみてください。
優しい旦那様を持っている、実家もご主人の両親も優しく見守ってくれている=愛されている、健康状態が良好で生理がきている・・・。
どんなことでもいいんですよね。
ひとつずつ、数えてあげませんか。
小さなことだったとしても、ないものを見続けるよりは、あるものを見たほうがずっといいんですよね。
これも、自分の子供にするようにしてあげられると、いいかもしれません。
首が据わったといっては感動し、お座りするようになったといっては喜び、立っただけで自慢してあげられるお母さんのように。
上手にできなくてもいいんです、最初から完璧なお母さんなどいないのと同じように。

今回は、失敗感を例にあげましたが、実際にはえみりさんが感じる内容で考えてみてくださいね。
もし、ひとりでやりにくいのであれば、カウンセリングを使って、自分を内観していくのもいいでしょう。
自分のマイナー感情を認めたり、払拭するのは、なかなかすぐにできない場合もありますから。

自分の気持ちに取り組めるようになってきたら、ご主人にもこうした気持ちをシェアしてもいいかもしれません。
私ね、子供が持てないと女性として失敗のように感じていたの、でも、優しい旦那さんもいるし、女性として成功しているわ、って気づいたの、など。
シェアをするときには、相互理解を目的にしてください。
子供は二人で持つものですから、お互いを理解し合えれば、より前に進みやすくなると思うんですね。

もし、雲の上から天使ちゃんがどの家庭に行こうかな、って顔をのぞかせたとしたら。
きっと見えると思うんです。
えみりさんが、失敗感(マイナーイメージ)を持っている自分をいたわったり、励ましているところが。
そして、天使ちゃんは思うんです。
きっと、この女性がママだったら、私に悪いところがあっても愛してくれると思うな。
うまくできなくても一緒に泣いたり励ましてくれる、共に成長を味わってくれる、そんなママになるに違いないね。
そんな風に思ってもらえたら、嬉しいと思いませんか。
ここよー、おいでー、ってご主人と二人で手をふってあげられると思いませんか。

子供を持ちたいというえみりさんの思いを、痛みとして嘆き、消したいものとして扱うこともできます。
もちろん、子供が欲しいのに持てない悲しみは深く、そうなってしまうこともあると思うんです。
でも、その一方で、子供を持ちたいと思えたから、まるで母親が、できない子供を見守るように自分に優しくすることを覚えた、愛することを学べた、女性として成長できた、そんな風に思うこともできるんですね。
そのことを、どうか忘れないでくださいね。

子供を持ちたいという気持ちが、えみりさんにとって、愛のシンボルになりますように。
ご相談、ありがとうございました。
山下ちなみ

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。