どうすればいいかわかりません。

相談者名
うみ
今、25歳です。
仕事もしないで家にずっといます。
それで、おじおばから、花火大会に行かないかと誘われたんですが、一言で言うと何も話しかけないで欲しいです。
色々葛藤があって、返事ができません。
叔父、おばと歩いている、いい年の、男がとか思われてないか心配で、そのことで叔父とおばに当たりたい気持ちになるけど、なんか叔父とおばのせいじゃあないし、とか考えると、自分だけがと思ってしまい、誰にもどうもできないし、こう感じてしまう自分がいやで、しまいには、なんにもかんじないようにしてきました。
若い人とか見ると、あーあ何で俺はこんなことをしてるんだろうとその場に居たくなくなりカッコ悪いところを見られないかとついそっけないカッコをつけた感じになってしまいます。

何で俺はいつも親とか親戚とかについて歩いて回ってるんだろう、それで、そんないやな気持ちを感じたくなくて、小さい頃からやってきたけど、今こうして、それがあるから駄目なんだとか、解決しようと考えること自体が、じぶんをくるしめているようなかんじがします。
こういうことは、母や父に対しても当たり前の感情になっていて、素直に話すことも昔からできないです。
つい素っ気のない返事や、自分でできるからと見栄を張ってしまい、相手は、それを見て、それが私だと思っていて。
でもそうじゃないんだということを説明はできても、あからさまに感情を出せないで、いつも不機嫌で、嫉妬心というか、いらだちというか、それをいうと、さっきも書いたみたいに、叔父とおばのせいではないのに叔父とおばに当たっても自分の気持ちがどうこうなるわけではなくて、ただ疲れて自分を苦しませるだけなので、言わないですが、行ってもいやだし、行かなくても、悪い気持ちになり、どう返事していいか分からず、ひととあうと、そういうかんじょうで、いっぱいになり、それを隠して、いいよ、おれもいくよとか、軽い気持ちで、今までは生活してきましたが、何のために、生きているのか分からなくなってしまいました。
それからは、自分でこういうところがあるから俺はだめなんだとか、いくつも見つけては、それをださないようにしてきました。
こういうところが問題だなと自分で考えると、解決するわけでもないんですが、解決した気になり、少しそれで、納得が行くんです。
そこがだめなきがするんですけど、そう思うことをやめないとしょうがないみたいです。
カウンセラー
中原謙一
うみさん、初めまして
私は中原謙一と申します。
よろしくお願いいたします。

読ませて頂いて、私が感じたことなのですが、うみさんは今、「いい子」と「悪い子」の間で揺れ動いているような感じに感じます。

今までのうみさんは、どこかご家族や親戚の方に対して、何らかの形で気を遣ってきたのではないかと感じます。
それは「迷惑をかけたくない」かもしれないし「嫌われたくない」かもしれません。
そのなかで、いい子にしている自分がしんどくなってきたのかも知れませんし、心のどこかで「自分はいい子なんかじゃない、悪い子なんだ」と感じていて、「悪い子」の自分をみんなに証明しようとしているのかもしれませんね。

「こういうところが問題だなと自分で考えると、解決するわけでもないんですが、解決した気になり、少しそれで、納得が行くんです。」とありますが、このこと自体は間違いではありません。
問題自体は、問題だと気がついた時点で、8割方解決するとも言われています。
ただ、残りの2割について、うみさんがどうしていいかわからなくなってしまうのではないかと感じるんですよね。
では、残りの2割をどうすればいいか、ですが、それは「選択する」ことなんです。
問題が「これだ!」とわかると、どうすればいいかの解決方法も見えてきます。
そこで、「問題を解決する」選択をするか「現状維持」を選択するかの選択が、残りの2割なんですよね。
ところが、この2割が結構大変なんですよ。
なぜなら、この「選択」は、今までの自分とやり方ではない、全く未知な領域です。
生まれた初めて食べる食べ物がおいしいかどうか、見ているだけではわかりませんよね。
食べればわかりますが、もしかしたら未知な食べ物を食べるには勇気がいるかもしれません。
でも、おいしいかどうかを知るためには、食べてみないとわかりませんよね。
今うみさんが直面しているのは、この「チャレンジしてみる」ということに関して、躊躇してしまう自分を感じているのではないでしょうか?

そして、うみさんはご家族や親戚に「気を遣われる」のがずいぶんつらく感じられているみたいですね。
だとしたら、「気を遣われない、遣わせない」自分になればいいわけですが、そんな自分になることも未知の体験ですから、チャレンジできないのかもしれませんね。

今のうみさんに求められているもの、それは「自分自身の人生にチャレンジしてみる」ことではないかと感じます。
そこには、今まで経験のないことがたくさんありますので、当然恐れが出てくるでしょうし、自分自身の行動や言動に責任も出てきますから、正直今の状態でいたほうが、本当は楽なのかもしれません。
幸せではないかもしれませんけどね。

しかし、うみさんが本当に「幸せになりたい」と願うのであれば、「そう思うことをやめないとしょうがないみたいです」とあきらめるのではなくて、自分自身を幸せにするためにも、チャレンジしていくことが必要ではないかと感じます。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
選ぶのは自分です。
自分の人生は、自分で決めることができます。
たった一度の人生です。
後悔しない人生を、選択してくださいね。

ありがとうございました。

中原謙一

この記事を書いたカウンセラー

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