悪循環

相談者名
は─ちゃん
いつも見て「悩んでいるのは自分だけじゃないんだ」と思い、勇気を貰ってます。でも自分だけに対しての答えが欲しくて書きました。
私は今高一なのですが、中三頃から急に、人と話す時に緊張するようになりました。きっかけがあるんじゃないかと考えましたが、思い当たる節がありません。
思うように話題が出なかったり、面白いことを言おう言おうと思って、でも言えなくて沈黙になったり…。「私と話してても楽しくないんだろうなあ」と思ったり、どんどんどんどん沈んでいきます。そして実際、私と2人で話していた人はほとんど、他の友達が教室とかに入ってくると「あ、〇〇ちゃん―」と言って離れて行って、私は1人になります。そして「あぁやっぱり私は面白くなかったんだなあ」と思い、自己嫌悪に陥ります。グループからもはみられています。
私はこの掲示板を見て、これが「投影」なのかな、と自分なりに考えました。なので「自分は自分でOK、これでいいんだ」と思うようにしました。すると、今度は自分がすごい意地悪な人間になってしまいました。口調が強くなったり…そしてまた、「面白いことも言えないくせに、意地悪なんて私は最低な人間だ。」と思ってしまい、それを繰り返しいます。

私は会話上手になりたいです。そして私の周りに自然と人が集まるような人間になりたいです。
でもそれは、自分が1人になりたくないだけ、というエゴなんです。

私はどうすればいいでしょうか。

長々と失礼しました。

カウンセラー
中原謙一
は─ちゃんさん、始めまして
私は中原謙一と申します。
よろしくお願いいたします。

読ませていただいて、私が感じたことなのですが、は─ちゃんさんは現在、意識がドーナツ型になっているような気がします。
これはどういうことかといいますと、今は─ちゃんさんが意識しているのは、自分の周りにいる人たちに対して、周りから自分はどう思われているのか、嫌われていないだろうか、といった感じに、周りから見られている自分を中心にして物事を考えている感じがあります。

すると、は─ちゃんさんの意識は自分の部分には空洞ができて、まるでドーナツの穴のようにぽっかりと開いてしまうんですよね。
このぽっかりと穴の開いた部分が寂しさとなり、この穴を埋めたくて誰かとつながろうとしているような感じだと思われます。

しかし、実際にはこの「ドーナツの穴」はは─ちゃんさんにしか作り出すことができません。

きっかけを探されて思い当たる節がないとおっしゃっていますが、この場合きっかけよりも、根本的な原因のほうが問題なんですよね。

では、は─ちゃんさんの根本的な原因はなんでしょう?

それは「自己嫌悪」です。

は─ちゃんさんは何かがあったから自己嫌悪に陥る、とおっしゃっていますが、もしこれが「自己嫌悪に陥るため」には─ちゃんさん自身が仕組んだことであれば、どうでしょう?

なぜそんなことをするのか、と理由が知りたくなりますよね。

実を言いますと、この「自己嫌悪」自体がエゴなんですよね。
一人になりたくない、といのはエゴではなく、は─ちゃんさんがもともと持っている「寂しさ」を表現したもので、それ自体は誰もが持っていますし、問題ではないんですよね。
問題なのは、その「寂しさ」を使って、エゴに力を与えてしまっていることに問題があるように感じます。

そして、もうひとつ大切なことがあります。

それは、は─ちゃんさんのなかに、どこか「みんなと違う」自分を感じられているのではないか、ということです。

これは日本人であれば誰もが持っている感覚で、「出るくいは打たれる」ということわざにもあるように、日本人は「みんな同じでなければいけない」という考え方をする傾向になります。
たとえるならば、校庭に全校生徒が並んで立っていて、突然全員が座って、は─ちゃんさんだけが一人立っているような感じですね。

そのような中で、「自分はみんなとは同じではない」という感覚を感じていたら、いったいどうなるでしょう。
おそらくですが、「みんなと同じにならなければ」と無理をされるのではないか、と私は感じます。

つまり、は─ちゃんさんの無意識は、どこか「みんなと違う自分」に自己嫌悪を持っていて、それがエゴとしては─ちゃんさんを苦しめている、という感じになっているような気がします。

また、は─ちゃんさんと同じ世代の人たちは、この「みんなと同じ」意識を作り出すように「攻撃対象」を作り出すことがよくあります。
つまり、「あいつは私たちと違う、私たちは同じ」という感覚を共有して、自分が一人ではないことを確認する、様な感じですね。

もう少し具体的に言いますと、は─ちゃんさんの「自己嫌悪」の部分を、周りの人たちが無意識に利用して、自分たちの持っている自己嫌悪をは─ちゃんさんのような「特別意識」「自意識」を強くもった人のせいにして、自分たちは一人ではない、孤独ではないと振舞っている、という感じでしょうか?

さて、ここからが私の提案になりますが、それだけ回りに気を使わなければいけない相手って、友達なんでしょうか?
そして、そんな人が友達になっても、楽しいでしょうか?

は─ちゃんさんにとって、本当の「友達」って、どのような人のことを言うのでしょう?

寂しいからという理由で誰かとつながろうとすることは問題ではありません。
しかし、そこでつながる相手を間違えると、もっと寂しく、もっとつらくなります。

そこで、時間はかかるかもしれませんが、は─ちゃんさんにふさわしい友達を、ぜひとも探していただきたいわけです。
それは、今のは─ちゃんさんの周りにはいないかもしれません。
わかりやすく言えば、は─ちゃんさんは「醜いアヒルの子」の物語の主人公のようなものです。

あなたにはあなたにふさわしい友人がいます。
は─ちゃんさんが幸せを、そして楽しさを感じない友人など、友人とは呼べないのではないでしょうか?

ですので、自分にふさわしい「真実の友人」をぜひとも探していただきたいわけです。

ここまで読んで、「え~っできないよ」と思ったときは、これが自己嫌悪の命令でエゴが活動しているときです。
は─ちゃんさんの最大の敵は、この「エゴ」の声に負けないことなんですよね。

ぶっちゃけていうと、「もっと自分を好きになる」ということなのですが、今はそこまで考えなくてもいいでしょう。
エゴが活動している間は、「自分を好きになる」意味が理解できませんからね。

は─ちゃんさんにしていただきたいこと。
それは「エゴをなくす」ことではなく「エゴ以上にプラス思考で活動する」ことです。
そうすると、エゴもそのうちねをあげてきます。

今の周りの環境は、は─ちゃんさんのエゴと自己嫌悪が作り出した、「エゴと自己嫌悪にふさわしい世界」です。
その環境を、は─ちゃんさんの手で変えてみてはいかがでしょう。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

は─ちゃんさんの人生が、だれもまねのできない、輝いた人生になるための参考に少しでもなることができれば幸いです。

ありがとうございました。

中原謙一

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。