悩んでいる人を見ると相談に乗りたくなります。

相談者名
RINA
はじめましてRINAといいます私は悩んでいるヒトを見るとついつい
相談に乗ったりとなんとかしてやりたくなります
別に本人にこうしようという強い意志(気付いている部分では)はないのですが
どうにもなりません

っと ここまではいいのです
イイヤツだなぁ で済んでしまうことなんです

でももっと思い悩み
具体的には
自分を傷つけてしまう癖のある子や
レイプされてかなり人間不信になって学校にも行けなくなってしまった子
何人か相談に乗って 恋人の関係になった人もいます

だけど 少しするとダメなんです耐えれなくなるんです
なんていうか 最初はやはりその頼られているっていう気持ちが
いいように働いてるんですがだんだん重くなってきて
最後には逃げてしまうんです
じぶんではどうしようもなくなって
お互いに倒れてしまうのが怖いんだと思うんですけど
身を引いてしまうというか

これってその人にとっては相談というより逆効果ですよね?
もっと落ち込むかもしれない
そんな風に考える部分もあるんですけど結局逃げてしまって

それでもやっぱり同じ事を繰り返してるんです

もう自分でも止められません
これはどうしたらいいんでしょうか
やっぱり逃げてしまうだろうと分かってることには
無理をしてでも関与しないようにしたほうがいいのでしょうか

カウンセラー
根本裕幸(退会)
RINAさん、こんにちわ。根本です。お待たせしました。
ご相談ありがとう。> 私は悩んでいるヒトを見るとついつい
> 相談に乗ったりとなんとかしてやりたくなります

それ自体は素晴らしいことですよ。本当に。
RINAさんのお陰で救われた人も何人もいらっしゃるのではないでしょうか。

> なんていうか 最初はやはりその頼られているっていう気持ちが
> いいように働いてるんですがだんだん重くなってきて
> 最後には逃げてしまうんです

ああ、深入りしすぎてしまうのかな。
それくらいRINAさんの心の中にはその人への“想い”があるんでしょうね。

ついつい頑張りすぎたり、かかわりすぎたりしてしまうのかもしれません。

その境目を見極めるのって本当に難しいと思います。
実は何を隠そう僕もそんな人だったんですよ。
僕も相当逃げ回っていたことがありますもの。

共倒れになってしまうくらいなら、逃げてしまうRINAさんが正解だと思います。
多くの人は、自分の足で立つことができるものです。
でも、立ち上がるときには一人では難しく、RINAさんのような存在が必要なんです。

きれいな終わり方ばかりではないかと思いますが、でも、それまでにしてあげたことは
決して無駄ではありませんよ。その人は心のどこかでたくさんの感謝を持って生きて
行くでしょう。

> それでもやっぱり同じ事を繰り返してるんです

少し「なぜだろう?」って考えて見てください。
一般論にも何種類もあるので、今ここですべてを紹介することは出来ませんが、
代表的なものとしては「助けられなかった大切な人がいて、その人を助ける代わりに
誰かを助けてしまう」「本当は自分のことを助けて欲しい」「助けることでしか、
自分の存在価値を見出せない。そういう接し方しかできなくなってしまった」とか。

> やっぱり逃げてしまうだろうと分かってることには
> 無理をしてでも関与しないようにしたほうがいいのでしょうか

もし関与しなかったとしたら後悔しませんか?
RINAさんみたいな方って現代社会ではとっても貴重な存在だと思うんです。
でも、やりすぎだな、しんどいな、と思うのであれば、RINAさんがカウンセリングの
知識や経験を学んだり、そういう知識や経験のある人への橋渡し役をする、などの
方法が考えられます。(実は僕たちにもそんな後者の方がいて、色んな方を紹介して
くださいます。)

RINAさんにとっては助けることをやめるよりも、助け方を変えることをお勧めしたい
ですね。

それではお返事お待ちしています。

相談者名
RINA
> RINAさん、こんにちわ。根本です。お待たせしました。
> ご相談ありがとう。お返事ありがとうございます 何故か待っている間変にドキドキしてました…

> それ自体は素晴らしいことですよ。本当に。
> RINAさんのお陰で救われた人も何人もいらっしゃるのではないでしょうか。

僕もそう思いたいものです 実際にその後も仲良い人とかも
いるし 多くの人がそうかも知れないのですが

> ああ、深入りしすぎてしまうのかな。
> それくらいRINAさんの心の中にはその人への“想い”があるんでしょうね。
>
> ついつい頑張りすぎたり、かかわりすぎたりしてしまうのかもしれません。
>
> その境目を見極めるのって本当に難しいと思います。
> 実は何を隠そう僕もそんな人だったんですよ。
> 僕も相当逃げ回っていたことがありますもの。

これはもう大当たりデス(汗)
相談されるともう放っておけなくて
相当人好きと言いますか人恋しい性格なんですよ
それで その人自身に惹かれてしまう時とかも良くあって
何故かそうやって頼られてる人(もしかしたらそういう人を選んでるの
かもしれないが)はだいたい自分で尊敬できる部分がたくさんあったり
本当に好きになってしまったりと歯止めが効きません
それと相手のことを強く思えば思うほど感情的になっている自分がいるのも
気付いています
僕は相談などをされる場合良くあいてを泣かしたり怒らせたりします
意識的にやっているわけではないのですが 多分そうすることで相手の本音が
聞きたいのだと思います
でも本音に近づけば近づくほど重くなっていくのも事実です

> 共倒れになってしまうくらいなら、逃げてしまうRINAさんが正解だと思います。
> 多くの人は、自分の足で立つことができるものです。
> でも、立ち上がるときには一人では難しく、RINAさんのような存在が必要なんです。
>
> きれいな終わり方ばかりではないかと思いますが、でも、それまでにしてあげたことは
> 決して無駄ではありませんよ。その人は心のどこかでたくさんの感謝を持って生きて
> 行くでしょう。

そういわれるとホッしますね
自分でもそうしたほうが良いと思ってやっていることですが
やはり何かモヤモヤが残ったりするので
逃げる事を肯定してくれる人は根元さん含め周りにもたくさんいましたし
すごく励みになります

> 少し「なぜだろう?」って考えて見てください。
> 一般論にも何種類もあるので、今ここですべてを紹介することは出来ませんが、
> 代表的なものとしては「助けられなかった大切な人がいて、その人を助ける代わりに
> 誰かを助けてしまう」「本当は自分のことを助けて欲しい」「助けることでしか、
> 自分の存在価値を見出せない。そういう接し方しかできなくなってしまった」とか。

上記の言葉はカナリ痛いですね
当てはまるカナと考えればある意味全部当てはまります
僕は高校に入るまで まぁ世間一般的にいわれるいい子(多分…)でした
家では素直で 勉強も出来た
まぁ今思えば心中には悶々とした何かがつっかえていたんだろうけど
そうやって思うと僕はある意味高校に入って少しオープンになった
まだまだそうやって隠してる部分が多いけどマシになったかな?て思ってます
そのときに 自分みたいな人がいて欲しくないなぁと本気で考えて心閉じてる人は
もっと開いてほしいなぁっていうのはずっと思ってる
助けられなかった子はもちろんいる 助けた子もいるかもしれないけど
自分の中で助けたという定義の中に入らなければそれは助けたことにはならなくて
何故だか多分その定義はとっても厳しい
それはもしかしたらこうやってしか人に接することが出来なくなっていて
ここで満足したら終わりなんだと思う自分がいて
僕はまだまだ未熟なんだって思ってる方が何かしら気が楽で
こうしてないと自分がいることが信じられなくなるかもしれない
頼られてる風に見えて本当は自分がそういう行為をすることによって
救われているのかも知れないって思うこともよくあります

> もし関与しなかったとしたら後悔しませんか?
> RINAさんみたいな方って現代社会ではとっても貴重な存在だと思うんです。
> でも、やりすぎだな、しんどいな、と思うのであれば、RINAさんがカウンセリングの
> 知識や経験を学んだり、そういう知識や経験のある人への橋渡し役をする、などの
> 方法が考えられます。(実は僕たちにもそんな後者の方がいて、色んな方を紹介して
> くださいます。)
>
> RINAさんにとっては助けることをやめるよりも、助け方を変えることをお勧めしたい
> ですね。

多分死ぬほど後悔するでしょうね
今じゃ 関与する前に身を引くなんてこと考えられませんから

実際 今カウンセラー目指して勉強しています
去年高校卒業して大学受けたんですが
希望のところにいけなくて滑り止めの大学は受かったんですが
臨床心理がしたかったので蹴ってしまい今は浪人しています

でも心理やりたい カウンセラーになりたいって思ったのは最近じゃ無いんです
今みたいな悩みもなくて 中学の真ん中ぐらいにふっと思いついたというか
衝動に駆られて その頃から人間は好きだったとおもうんですが
今じゃ人間好きだけを理由にする気はありません
助けたい人もいるし こんな自分を良い方向に変えることが出来ると思ってます

さらに今相談した様なことについて 自分が心理やりたいって意志と理由を
再確認できた気がします

何だか回りくどい文章になってしまいました
丁寧な対処 ありがとうございます

カウンセラー
根本裕幸(退会)
根本です。RINAさん、お返事ありがとう。お待たせしました。
またドキドキさせてしまってましたでしょうか?すいません。> 相談されるともう放っておけなくて
> 相当人好きと言いますか人恋しい性格なんですよ

それは素敵なことですよ。

> 意識的にやっているわけではないのですが 多分そうすることで相手の本音が
> 聞きたいのだと思います
> でも本音に近づけば近づくほど重くなっていくのも事実です

僕たちのやってるカウンセリングみたいですね・・・。
人の持っている本質って悩みが大きいときほど重たく、しんどいものです。
自分ひとりではなかなか抱えきれない場合だってあるでしょう。
特に友達だったりすると、特別な思いや関わりあう部分が多いからなおさら。
だから、きちんとしたトレーニングを受けてないとなかなかやっていくのは難しいです。

RINAさんにとっては、その自分の感覚を信じて、重たくなりそうなときに敢えて一時停止してみることをオススメします。
その方がお互いにとって負担が少ないと思うんです。
そこで一旦止めておいて、時間を置いてもいいし、その後にまたそのことを聞いてあげてもいいと思うんですよね。

そこまでできれば本当に相手の方も喜んでくれますし、自然で楽な関係を築くことができます。
RINAさんが重たくなるくらいですから、きっとその相手は同じくらいかそれ以上にその重たさを感じていると思うんです。
そうすると「RINAさんに悪いなあ」なんて気持ちも出てきて、なおさら重くなってしまいます。

> 僕は高校に入るまで まぁ世間一般的にいわれるいい子(多分…)でした
> 家では素直で 勉強も出来た
> まぁ今思えば心中には悶々とした何かがつっかえていたんだろうけど
> そうやって思うと僕はある意味高校に入って少しオープンになった
> まだまだそうやって隠してる部分が多いけどマシになったかな?て思ってます

> そのときに 自分みたいな人がいて欲しくないなぁと本気で考えて心閉じてる人は
> もっと開いてほしいなぁっていうのはずっと思ってる

それはいいことですね。
でも、なんだか自己否定もあるみたい。
自分を否定した分だけ基準が厳しくなって、自分に鞭打つようになってしまうんじゃないかな?
頑張っても、頑張ってない。。。
助けても、助けてない。。。
喜んでくれても、あれはお世辞だ。。。

受け取れなくなってしまうかもしれませんし、常に誰かと比較や競争してしまうかもしれません。

RINAさんにとっては、助けを求めてくれる人を助けることも素敵なことだけど、もっとパワーアップするために自分をもっと愛してあげてもいいんじゃないかな?

> それはもしかしたらこうやってしか人に接することが出来なくなっていて
> ここで満足したら終わりなんだと思う自分がいて
> 僕はまだまだ未熟なんだって思ってる方が何かしら気が楽で

若いときってそれでいいんです。がんばれますから。
満足したら終わり、もまた真実ですが、本当に自分が全力を出して何かに関わったとき、
後にはすがすがしい気持ちが必ず残ります。結果はどうであれ。
そしたら、また頑張ろうってそれが活力になり、自信になるんです。

未熟というのは謙虚さを作るけど、自己否定レベルではちょっと自己いじめになっちゃいます。

RINAさんは素敵な思いを持ち、素晴らしい事をしてらっしゃいます。
それを認めてあげることも今は大切なんじゃないかな?って思いますよ。

> 頼られてる風に見えて本当は自分がそういう行為をすることによって
> 救われているのかも知れないって思うこともよくあります

これはきっと本当だと思います。
僕たちカウンセラーにとっても、ある意味当たっていますから。
クライアントから教えてもらえる事って本当に多いんです。
だから、一緒に学び、一緒に成長できるんだと思います。

> でも心理やりたい カウンセラーになりたいって思ったのは最近じゃ無いんです
> 今みたいな悩みもなくて 中学の真ん中ぐらいにふっと思いついたというか
> 衝動に駆られて その頃から人間は好きだったとおもうんですが
> 今じゃ人間好きだけを理由にする気はありません
> 助けたい人もいるし こんな自分を良い方向に変えることが出来ると思ってます

それはRINAさんにとっても、これからRINAさんが助けていくであろう人たちにとっても素晴らしいことだと思います。

そのまま、頑張ってくださいね。
来年は希望の大学に入れるように応援しています。

それでは!

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