セックスレスと原家族の問題の関係は?

相談者名
さつき
こんにちは。いつもHP、拝見して参考にさせて頂いています。

私は大きな二つの問題を抱えています。一つは結婚してからのセックスレス、そしてもう一つは原家族、特に母親との関係です。

セックスレス・・と言うより、私はセックスしたことがないんです。(他の人ともです)もう結婚して10年になります。異常ですよね。。問題は私の方にあります。夫に触られたりすることは嫌ではないのですが、とにかく最後の段階が(表現が露骨だったらごめんなさい)できないんです。怖いんです。

セックスができないという問題が大前提でこのようなことを言うのも変ですが、子どもを持つことに関しても全く自信がありません。でも持たない、という決心もつかないのです。以前は「私は自分の母がどうしても嫌いだ。あんなに母によくしてもらっても好きになれないのなら、私は到底子どもができても母のようには世話ができないから、もっと子どもに嫌われる。そんなのは辛いから。」「子どもができたら、夫は私よりも子どもを愛する。私は子どもに本気で嫉妬するだろう」という思いがありました。今はちょっと変わってきたのですが、それは後半に書きます。

母は母子家庭で育ち、男勝りで仕事のよく出来た祖母に母の感覚では省みられることがあまりなく、また長女であった為、小さいころから主婦がわりとなってやってきたようでした。この母方の祖母と母、つまり私たちの家族は同居していたのですが、祖母と母はとても仲が悪く、子ども心にもなぜ実の親子なのにこんなに仲が悪いのだろう、と不思議でした。母は自分が寂しい思いをした分、子どもにはそのような思いはさせまい、と「完璧な専業主婦」をしていました。母と私たち子どもはかなり強い共依存関係にあったと思います。(私自身も主体的な共依存の傾向があると感じています)

弟と私は外的な環境としてはかなり恵まれた育ち方をしました。また、父と母はお見合い結婚で、仲が悪くはなかったですが、淡々と「役割」を遂行しているように見えました。小さいころから「パパとママは好きでも嫌いでもないのに結婚した」と冗談まじりで両者から聞いてきました。母は寂しく、また父は神経質な母から仕事を口実に逃げていたように思います。

反面、母は神経質で今考えれば被害妄想もかなりひどく、また攻撃的ではないのですが、自分の思い通りにならないことはとにかくずっと言い続けました。細かいことでも色々と指示されることが多く、反抗するとすぐ泣かれたり愚痴られたりして、「あなたは冷たい」「あなたの為に言っているのよ」と言われ続けてきました。母は10年前に治療法のない病気を発病し、それを告知された父がまずうつ病で倒れました。その後はずっと「これから先、どのように自分達を世話してくれるのか」ということを弟と私は責められ続け、自分達なりに看病をしているつもりでも両親からは足りないところを非難されるばかりで、家族全体の雰囲気は非常に悪くなりました。そうこうするうちに弟も心労で倒れてしまいました。

実家はある意味、地獄でした。結婚して、私は初めて夫のことを「ああ、世の中にはこんな人もいるんだ」と感じました。夫は穏やかでやさしくてのんびりしていて、私は夫によって救われたと思っています。変かもしれませんが、私は夫が大好きです。寛容で何も求めない夫がただ一つ求めたことは「子どもがほしい」ということでしたが、私はセックスレスから抜け出せませんでした。夫は口では「どうするつもりなのか」と時々聞きましたが、実力行使に出ることもなく、そして実家の状況が悪化してからは、何も言わなくなりました。今でもその状況が続いています。普段は本当に普通で穏やかに接してくれます。

母は弟がなぜ倒れたのかを深く思い詰め悩む様になり、年齢のせいもあるかもしれませんが、最後は妄想が出ました。私がただ一人、母と対峙することになりました。このままでは母娘とも駄目になってしまうと思い、母を施設に預けましたが(それは母も「あなたが大変そうだから」と了承してくれてホッとしたのですが)、数週間後に母は手首を切りました。幸い致命傷ではなかったのですが、食も落ちていたこともあり、即入院となり、思いもかけず他の持病が悪化していて、母は10日後に亡くなりました。その間、父と弟には何も知らせず(これは援助者の方の意見も聞いた上で決めたことですが)、夫には週末など協力もしてもらい、援助者や何もかも聞いてくれて励ましてくれた友人にも恵まれたのですが、実家の家族の中で一人で色々なことを処理するのは本当に苦しく悲しかったでした。

母の寂しさは尽きることがなく、私は母の心のブラックホールを見てしまいました。満たされることのないブラックホール。。多分、父はそれから逃げ出し、弟はつぶされてしまったのだと思います。母が亡くなってからも異様なほど私は何も感じませんでした。今でもそうです。私は実家の家族の中で唯一、母の最期に世話をしたので、「もっと私がやさしくしてあげていれば」という念が離れません。あの時は非力な私にはあれで精一杯でした。自分もカウンセリングも受けていたし、できるだけ色々な人の意見も聞くようにしていたし、仕方なかったとも思うのです。頭ではこんなにくよくよしていても、それはきっと母も喜ばない、と考えられ、周囲にもそう言ってもらうのですが、感情がついていかないのです。

母は逝く前日に見舞いに来たおば(母の妹)に「晩年のおばあちゃまにもっとやさしくしてあげれば良かった」と繰り返し言っていたそうです。私は悲しくなるくらい、祖母-母-私の哀しい連鎖を感じました。私は反抗的なところのある娘だったので、尚更母の晩年くらいは唯一の娘である私が母を幸せにしなくては・・という思いが強かったのに、母の望む同居などがどうしてもできませんでした。

私は日に日に罪悪感が強まり、自責の念が強くなります。気がつくとボンヤリとしていることが多く、仕事や家事にあまり集中できません。これは母が亡くなってから半年以上たつ今の方が強いです。

私は母が老いていても病気でも、私のことをあきらめてほしかった。「もういいよ、あなたはあなたの好きにしなさい」と言ってほしかった。冷たい娘です。そして母が亡くなる前後から私は、それを自分のことにも思い至りました。

今までは何となく子どもを持たないこと、セックスレスのことはうやむやにしてしまえばいい、夫はやさしい人だから・・と思ってきました。これも卑怯なことですよね。。でも、母の看病で苦しむうちに、「本当に大切な人なら、その人の生きたいように生きてもらうこと、それを願うことが、その人を真に思うことだ」と思う様になりました。夫はそれだけのことを私にしてくれました。私に色々なことを与えてくれました。私は未だにセックスレスも子どもを持つかどうかということも、自分がどうしたいのかよくわかっていません。でも夫にありていな自分の気持ちを話し、そして「実家で可哀相なことがあって傷ついているから放っておけない」ということのみで、夫をひきとめてはいけないと思う様になりました。ちゃんと話し合うこと、そして自分を必要以上に「私は可哀相なの、苦しいの」と見せて、夫を苦しめてはいけないと思うのです。

夫は私にとって大切な人です。それだけに他の人と結婚したなら、彼はもっと幸せになれたのでは、そして彼は男性なので今からでも他の若い人と結婚したら子どもが持てると思うのです。(私は40越しています)

あと、家族とは関係ないのですが、私は自分の身体もアトピーがあったり、女性にしては毛深かったりで昔から身体に肯定感が持てません。母は私よりひどいアトピーをアトピーという言葉が一般的になる前から持っていました。そのこともセックスレスと関係あるのでしょうか。(夫や結婚前におつきあいした男性から身体のことで何か否定的なことを言われたことはありません)

とりとめもなくなりましたが、私にできることは何でしょうか? こちらの無料カウンセリングを利用させて頂いた時には「全部同じ問題から出ているから、片づく時は一挙に片づきますよ」と言って頂き、またあまりに罪悪感が大きいので、無理にいじくると自分では処理しきれない感情に翻弄されます、と言われたのですが、自分も苦しく、夫にも迷惑をかけていると思ってしまいます。「自分は役立たずで、迷惑をかけている」と母の死に対しても、夫に対しても感じてしまいます。弟や父は今は安定していますが、二人と会うのも非常に辛く、弟に会うと責められる様な気がして、コンタクトも最低限しかとれません。

もしあまりに一つ一つが大きい様でしたたら、どちらか一つの問題に関してのみアドバイス頂ければ、と思います。長々と暗い話を失礼致しました。

カウンセラー
根本裕幸(退会)
さつきさん、こんばんわ。根本です。
ご相談ありがとうございました。
いつも読んでくださってありがとうございます。

さつきさん、とっても頑張ってこられたと思いますよ。
色んな問題を抱えつつ、必死に家族を見つめ、自分なりに向き合ってこられたのではないでしょうか。
それはほんとなかなか出来ることではありません。
さつきさんの心の中にはきっと深い慈愛の要素があるような感じがします。
誤解を恐れずにいえば、それはまるで女神様の持つ慈悲と深い愛情のシンボルのようなものでしょう。
ただ、それゆえ、多くのものを一人で抱え込み過ぎてきてしまったのかもしれません。
お母さんとおばあちゃんの関係、お母さんとお父さんとの関係、それから弟さんと自分自身と。
さつきさんが家族の要だったんですね。

深い慈愛を持つ女性は、その分、深い悲しみを持つことがあります。
すべての苦しみを吸い寄せてしまう不思議な力があるかのような感じもあるかもしれませんね。
そこには罪悪感もあれば、無力感もあるでしょう。
それらを手放していくことが大きな目標となるのではないかと思います。

僕もさつきさんの問題は根っこではひとつに繋がっていて、解決するときはすべてが一気にかたが付くような気がしています。
まるで、オセロの駒がぱたぱたとひっくり返るようにね。

僕がもし、さつきさんの問題を扱うとすれば、最初に手をつけたいのはやはりお母さんとの関係ですね。
セックスレスも重要なポイントで、ご年齢的にも子供を産むには最後のチャンスかと思いますから、焦りも出てくるかも知れませんが、敢えてまずはお母さんともう一度感覚的に向き合って行くことを一歩目にしたいな、と思うんです。

> セックスレス・・と言うより、私はセックスしたことがないんです。(他の人ともです)もう結婚して10年になります。異常ですよね。。問題は私の方にあります。夫に触られたりすることは嫌ではないのですが、とにかく最後の段階が(表現が露骨だったらごめんなさい)できないんです。怖いんです。

セックスにどんな恐れを感じるでしょうか?
女性にとっては、セックスというのは男性を受け入れる行為ですから、潜在的な恐れを持っているものでもあります。
ある人は、汚されるような恐れであり、ある人は、逆に汚してしまうような恐れを感じます。
また、傷つけられるような恐怖感や身を委ねる恐れもあるでしょう。
さつきさんにとって、セックスという行為が持つ恐れとはどのようなものなのかも一度考えてみてください。
そして、その感覚を辿ってみると、心の中にある痛みと繋がることができるようになるかもしれません。

> 母と私たち子どもはかなり強い共依存関係にあったと思います。(私自身も主体的な共依存の傾向があると感じています)

後の文章を読ませていただいても、まるで、さつきさんがお母さんの人生を半分生きていらっしゃるような強い感覚を持ったんです。
一言で言うと共依存で、癒着なんですけどね。

だから、まるで肉体の一部を共有しているかのようにお互いの心がくっついてしまっていたのかもしれません。
ですから、さつきさんにとって「お母さんの死」は、純粋な母の死という意味を超えて、さつきさんの心の中にある「母性」のような部分も一緒に亡くなられてしまったかもしれません。
お母さんが亡くなられてから、何か肉体的、精神的な変化はありませんでしたでしょうか?
もしかしたら、明示的な影響として現れてるかも、と思って質問させていただきました。

> 弟と私は外的な環境としてはかなり恵まれた育ち方をしました。また、父と母はお見合い結婚で、仲が悪くはなかったですが、淡々と「役割」を遂行しているように見えました。小さいころから「パパとママは好きでも嫌いでもないのに結婚した」と冗談まじりで両者から聞いてきました。母は寂しく、また父は神経質な母から仕事を口実に逃げていたように思います。

そうするともともとパートナーシップや夫婦関係に希望が持てないようなところもあったのかもしれませんね。
ですから、癒着がある反面、お母さんを否定していたところがあるのかもしれません。

> 実家はある意味、地獄でした。結婚して、私は初めて夫のことを「ああ、世の中にはこんな人もいるんだ」と感じました。夫は穏やかでやさしくてのんびりしていて、私は夫によって救われたと思っています。変かもしれませんが、私は夫が大好きです。

変なことはぜんぜんないですよ。
さつきさんにとってはご主人がやっと見つけたオアシスのようなところなのかもしれませんね。
ほんと、良かったですね。

ご主人とさつきさんの関係はどのような感じなのかな、と思います。
セックスレスというところから見ると、父と娘だったり、兄と妹のような関係になってしまっているところはないでしょうか?
セックスレスで過ごせる背景には、そんな非常に近い関係にないとなかなか仲良くは過ごせなくなってしまうように思うんですね。

> このままでは母娘とも駄目になってしまうと思い、母を施設に預けましたが(それは母も「あなたが大変そうだから」と了承してくれてホッとしたのですが)、数週間後に母は手首を切りました。幸い致命傷ではなかったのですが、食も落ちていたこともあり、即入院となり、思いもかけず他の持病が悪化していて、母は10日後に亡くなりました。

それは辛い出来事でしたね。
お母さんが亡くなられたとき、どんな気持ちでその死を見送られたのでしょうか。

入院して10日後、というところであれば、まだ苦しみも少なくてお母さんにとっては良かったのかも知れません。
でも、その反面、お母さんの人生はずっと苦しみばかりでしたよね。

そんなお母さんの人生を感じたとき、どのような気持ちがするでしょうか?
もちろん、母だけでなく、お父さんや弟さん、そして自分自身の人生も少し感じて見られると良いでしょう。

どんな気持ちがしてくるでしょう?
そして、今、自分の人生の登場人物たちにどんな言葉をかけてあげたいでしょう?

> 母の寂しさは尽きることがなく、私は母の心のブラックホールを見てしまいました。満たされることのないブラックホール。。多分、父はそれから逃げ出し、弟はつぶされてしまったのだと思います。母が亡くなってからも異様なほど私は何も感じませんでした。今でもそうです。私は実家の家族の中で唯一、母の最期に世話をしたので、「もっと私がやさしくしてあげていれば」という念が離れません。あの時は非力な私にはあれで精一杯でした。自分もカウンセリングも受けていたし、できるだけ色々な人の意見も聞くようにしていたし、仕方なかったとも思うのです。頭ではこんなにくよくよしていても、それはきっと母も喜ばない、と考えられ、周囲にもそう言ってもらうのですが、感情がついていかないのです。

お母さんと一緒に、さつきさんの心の一部も一緒に亡くなってしまわれたような気がするのは、この文章を読ませていただいたときでした。

ブラックホール。
満たされることの無い暗く、深い世界ですね。
その世界をどんな気持ちで見つめられたのでしょうか?
同時に自分自身にもそれがあるのではないかと恐れてしまうことはありませんでしたか?

お母さんが晩年に感じた気持ち「おばあちゃまにもっと優しく」という気持ちと相通じるところがありますね。
それくらいお母さんとは心が繋がっていたのかもしれません。

> 私は母が老いていても病気でも、私のことをあきらめてほしかった。「もういいよ、あなたはあなたの好きにしなさい」と言ってほしかった。冷たい娘です。そして母が亡くなる前後から私は、それを自分のことにも思い至りました。

これが中核的な罪悪感だと思うんです。
冷たい自分は母を見捨ててしまったような気持ちすらするのではないでしょうか。
そして、それを罰するために、自分の心も合わせて封印してしまうのかもしれません。
この後の方にご主人への気持ちを書いていらっしゃいました。
「若い女の子と結婚すれば子供がもてるんじゃないか」
「他の人と一緒になればもっと幸せになれたんじゃないか」
これが何よりもさつきさんを罰する言葉ではないかな、と思うんです。

ここでは、ご主人のさつきさんへの愛情が全然受け取れなくなってしまいますね。
そして、ご主人がなぜ、さつきさんにそれくらい優しくしてくれるのか?その意味をまだ本当に受け入れられていないのかもしれません。
でも、それを受け入れることで、おばあちゃん、お母さんと続いてきた連鎖を断ち切ることになるのではないでしょうか。

それは同時にさつきさんの心の中に眠る本当のさつきさんの姿を呼び起こすものだと思いますし、彼を受け入れる、すなわち、セックスへの抵抗も和らいでいくでしょう。

たぶん、今とっても大切なことのひとつは、そんなご主人の愛をただ感じ、自分がそれを受け入れることを許可していくことではないでしょうか。

> あと、家族とは関係ないのですが、私は自分の身体もアトピーがあったり、女性にしては毛深かったりで昔から身体に肯定感が持てません。母は私よりひどいアトピーをアトピーという言葉が一般的になる前から持っていました。そのこともセックスレスと関係あるのでしょうか。(夫や結婚前におつきあいした男性から身体のことで何か否定的なことを言われたことはありません)

この気持ちがどのくらい強いのか?によって、セックスレスとの関係も出てくるかと思います。
アトピーという点でも、お母さんそっくりなんですね。

> 「自分は役立たずで、迷惑をかけている」と母の死に対しても、夫に対しても感じてしまいます。弟や父は今は安定していますが、二人と会うのも非常に辛く、弟に会うと責められる様な気がして、コンタクトも最低限しかとれません。

まずは、色んな気持ちを抱えられていらっしゃいますから、静かにそれを解放していくのが今はいいでしょう。
自分のペースで、ゆっくりと声に出してお話してみることが大切ではないかな。

それと、今改めて、ご主人、お母さん、お父さん、弟さん、おばあちゃんにあてた手紙を書いてみてください。
もちろん、渡す必要のないものです。

同時にイメージの力を使って、今、生前葬を開いてみてください。
ご主人はどんな弔辞を読まれるだろうか?
弟さんは、お父さんは。。。
もし、お母さんが生きていらしたらどんな言葉をかけてくれるだろうか?
それを自分なりにイメージしてみられてもいいかもしれません。

さつきさんが、自分自身の人生を生きられますように、僕も応援しています。

簡単になりましたが、この辺で。
ありがとうございました。

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