生き方がわからなくなってしまいました

相談者名
さっちー
一年半病気だった母が3月に息を引き取り、直後は「看取った」という満足感で「これからは自分の為に生きよう」と思っていたのに、なぜか無気力で不安だらけになってしまいました。人ごみに入ると背筋がざわざわし、かといって一人でいると心細くて泣いてしまいます。まるでダメな子供になったみたいに何もできません。買い物をしている時だけは本来の自分のような気がしますが、仕事も家事もしたくありません。特に午前中は最悪で寝起きがとても悪くなりました。まわりの人はみんなパワフルで幸せそうに見え、私もそうなりたいと思うとアセリ感で動悸がします。心療内科にも通っていますが薬が足りないのでしょうか。
カウンセラー
田村厚志
さっちーさん、こんにちは。
田村と申します。

よろしくお願いいたします。

不安で不安で仕方ないんですね。
なんだか、自分が守られていないような気分になってしまうんでしょうか?
それとも、自分のためといってもどう生きたらいいのかわからない、といった
感じでしょうか?

どちらにしても、つらいですね。

ですが、薬が足りない、ということだけは多分、ありません。心療内科の先生も
プロですから。

心理的な部分を見ていくと、この問題について、お母さんとのかかわりは別に
して見ていくことはできないとは思われます。

お母さんに伝えたかったことや言いたかったことがたくさんあったのかもしれ
ないし、あるいは、お母さんのために生きることが、さっちーさんにとって
自分自身だったということなのかもしれません。
ひょっとすると、お母さんが、本当にあなたのことをずっと守っていてくれたの
かもしれません。

お母さんがなくなられた悲しみをひょっとすると、今も引きずっているのか、
それとも、お母さんに対して何か怒りのようなものがたまっているのかもしれま
せんね。

どれも僕の想像の域をでませんが、あなたにとって、お母さんがどんな存在
だったのかを探り、その中に痛みや悲しみがあるなら癒してあげることで、
不安はかなり解消できるでしょう。

生きる、ということは僕たち人間にとって、チャレンジのひとつですが、
そこには目的がまずいります。
生きる目的が簡単に見つかるなら、誰も苦労はしないわけですが、もし、
さっちーさんが今、生きてみようと思われるなら、その目的を探し続けて
みることがまずは必要です。見つからない、と思ったとしても、それでも、
見つかるまで探すことです。

一人で探さなくてもかまいません。

僕が好きなとある物語に、
「もがきあがいて生きているときこそ、人は生きている」
という言葉があります。

そういう意味では、さっちーさんは今、十分に生きていらっしゃるわけです。
もがいているからこそ、気力のない自分を責めたり、だめと思ったり、また、
心療内科にも通ってみたりするんだと僕は思うんですね。

あなたは十分、今、生きているんですよ。

生きていったり、人生を変えるときは勇気が要ります。

もし、その勇気がもてないと感じても、それは、もがいて生きていれば、必ず
いつか持つことができます。
のんびり構え、ただ、前だけは見据えていってあげてください。

また、カウンセリングもつかってみてくださいね。

ありがとうございました。

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