「自信」=「過信」=「うぬぼれ」は間違い?

相談者名
maru
 昔から、怖いものが嫌いでした。
目に見えないものに異様に恐怖するんですが、何年か前からそれがひどくなっていき、病的になってきました。
悪魔や悪霊など、実際に今まで見えたことも無いのですが、自分の想像からひどくおびえ、「悪魔や悪いものに魂を売らない」とか「全部自分の想像だ」とブツブツ言ってないと落ち着かなくて仕方ないんです。
想像だというのは解っているんですが、「もしかしたら」「万が一」と考えてしまい、ブツブツ言うのがとまりません。また偶然起こったことや、物なんかにも、上記のような「考えが」働いて怖いんです。
「この床を踏んでしまったら悪いことがおきるのでは…」とか「これに触ってしまったら…」とか考えてしまい、日常生活にも困っています。
カウンセラー
高橋 大
maruさん、はじめまして。ご相談ありがとうございます。

私は子供の頃、高いビルの側を通るのがすごく怖かったんです。
なぜかと言うと、「このビルが自分のほうに倒れてきたら、絶対に逃げられない!」
という思いが常にあったから。
確かにそうでしょう?「倒れてきたら」絶対に逃げられない。
間違っていないですよね?
でも、大人の私たちが聞くと笑っちゃうような話ですね。
なぜなら、そんなことはほとんど無いから。それを実感する事ができた時、私もビルの
側を通ることに怖れを感じなくなりました。

それは、時間を通して経験した結果です。
そういうものだ、と思うまでには時間と安心の経験が必要みたいです。

でも、ちょっと想像してみてください。
もしも私があの忌まわしきテロの日にニューヨークのグラウンドゼロの横を通っていた
としたら、仮に私が今でも「ビルの側を通るのが怖い」と思っても、それほど不思議では
ないことと思います。

maruさんは過去に、テロに遭遇するぐらいの、常識を覆してしまうような恐怖体験を
されてきたのではないでしょうか。maruさんの心の中にとても大きな怖れがあって、
それがmaruさんを縛っているように感じます。

>  目に見えないものに異様に恐怖するんですが、何年か前からそれがひどくなっていき、病的になってきました。

何が起きるかわからない世の中です。目に見えないものは確かに怖いですよね。
私もお化けとか会談とか、その手の話は苦手です。

でも、怖い事って他にもいろいろありますよね。例えば刃物とか、お金が無くなること
とか、お母さんとか。そんな中、目に見えないものをmaruさんは特にとりあげていらっしゃい
ますよね。
恐怖というものは外側からやってくるもののようですが、実際は自分自身の意識が作り出した
産物です。例えば、求めているけれども、手に入れたら今や今までが変わってしまうから
怖れたりもします。

「目に見えないもの」を求めている反面、手に入れたら今や今までが変わってしまう。

確かに、目に見えなくて怖いとされているものもたくさんありますよね。でも逆に、
目に見えなくても人には必要なものだってあります。例えば、愛とか、親密感とか、
喜びといった感情です。
私にはなにか、そういった感情をmaruさんはすごく求めていらっしゃるように感じました。
人のつながりとは温かいものです。

よろしかったら、勇気を振り絞って電話のカウンセリングをしてみませんか?
そこで聞こえる、maruさんのことを親身になって考えるカウンセラーの声も、ある意味
「目に見えないもの」だと思います。

>  悪魔や悪霊など、実際に今まで見えたことも無いのですが、自分の想像からひどくおびえ、「悪魔や悪いものに魂を売らない」とか「全部自分の想像だ」とブツブツ言ってないと落ち着かなくて仕方ないんです。

私も天使や妖精を見たことはありませんよ。
魂を売りかねないほどの想像なら、全身全霊をかけて対峙する必要がありますね。
その悪魔はどんな風貌なんでしょうか。
勇気を出して目を向けてみませんか?
今度その悪魔に尋ねてみてください。
「私が魂を捧げたら、あなたは何を私にくれるの?」
maruさんのその勇気に悪魔は恐れをなすでしょう。

>  想像だというのは解っているんですが、「もしかしたら」「万が一」と考えてしまい、ブツブツ言うのがとまりません。また偶然起こったことや、物なんかにも、上記のような「考えが」働いて怖いんです。
> 「この床を踏んでしまったら悪いことがおきるのでは…」とか「これに触ってしまったら…」とか考えてしまい、日常生活にも困っています。

こんな話があります。
昔、とある国でギャングが二人で道を歩いていると、待ち伏せしていた敵が二人めがけ
銃を乱射しました。一人は蜂の巣にされ、もう一人は奇跡的に無傷でした。その事件
を聞いた新聞記者が、生き残ったギャングに、そのうち敵は再び狙うだろうが、それを
怖れているかと尋ねると、彼はこう答えました。

「誰だっていつかは死ぬんだ、たとえどんな死に方だろうとね」

私はこの話を聞いた時、すごく納得してしまいました。
確かにその通りだと思ったからです。
生きている以上、怖れは必ずあります。
でも、予期せぬ出来事が起きるかもしれないという現実が必ずあるものだとするならば、
今この時から自分にとって納得のいく、満足な行動・現実をとったほうがいいと
思いませんか?

今maruさんに必要なのは、自分の行動に責任を持つこと、そして、意欲を持って
自分の意思で幸せになることを選び取ることではないでしょうか。

つらつらと並べ立てましたが、一人で立ち向かうにはあまりにも怖いことだと思います。
辛い時は周りの人たちに助けを求めてくださいね。
もちろん私たちも、maruさんのお力添えができれば嬉しく思います。

ありがとうございました。

高橋 大

この記事を書いたカウンセラー

About Author

自己イメージの変革・男女関係・人生の目的 を探す、などの分野を得意とする。 心の力学をわかりやすく説明する理性的な側面と、多くの臨床経験を通して培った直感的な把握能力をもってするカウンセリングに定評がある。 長期的な支持を受けることも多く、長い目で見守るスタンスを重視している。