生きていく指針が定まらずに不安がいっぱい

相談者名
happa
はじめまして。実は、こちらの電話相談を何度か利用している者です。
ここへ来て、たくさんの「気づき」を得ることができました。
まずは、そのことについてお礼申し上げます。

1カ月半前、母を亡くしました。
71歳、おふろ場で倒れ、そのまま不帰の人になりました。
私には、私を含めて5人の兄弟がいます。2歳下の弟を除く3人の兄たちは皆、結婚・独立し、母が亡くなったときは父と母、弟、孫(兄の離婚で、3歳から祖母に引き取られ、今現在21歳)で4年間暮らしていました。

兄は前夫との間にできた子どもで、母と今の父が一緒になって間もなく、酒乱で生活能力のない前夫から母が兄たちを連れ戻してきたのだそうです。
私や弟は、中学生ぐらいになるまで、そのことについて知らされることはありませんでしたが、それ以前も以降も分け隔てなく、兄は年の離れた私たちをよくかわいがってくれました。

家はもともと自営の零細工場で、父と母2人、時には数名の職人さんを雇い入れて昼夜の別なく働いて、私たち5人の衣食住を満たしてくれました。それに、私は一人娘だったこともあり、母の愛をほかの兄弟とは違った意味で独占してきたので、なおさら感謝してもしつくせないほどの気持ちがあります。

私が子どもの頃の父はとにかく無口な人でした。
テレビの娯楽番組でたまに笑い声を漏らしているのを聞くと、よく弟と不気味がったものです。それほどまでに、怒った感情以外をあらわにしたことのない人でした。楽しくテレビを見ている中へやってきて、ものも言わずいきなりチャンネルを替えられては、私や弟は大泣きしていたものです。そんなところへいつも慰めるかのように、母は私たちを銭湯へ誘い、悔しさの余韻を引きずりつつも、3人ですっかり暗くなった夜道をおふろへ向かって歩いていったものでした。

まだ私が小学生のころ、母の入院中に父が知人へ多額の手形を黙って切ったことが引き金になって、私の家はだんだん傾いていきました。
母がよく昔の思い出話として語るあのころの父は、廃人同様で、日々の仕事も手につかず、金策もせずにただぶらぶらとしていたのだそうです。
病後の母に悲嘆にくれている間などなく、私たちを養っていくためにはどんな恥でもかいたことでしょう。そうやって奔走して、山ほどの借金とひきかえに私たちの生活が崩壊することを防いでくれました。
母はどんな雨嵐が来ても決壊することのない大きなダムでした。

そういう家が暗いさなか、私はなぜか当時いじめにあっていました。最初は「あなたは私たちと何かが違う」というような理由で。そのころ漠然と死にたいと思ったことがあり、近くに建ったマンションの屋上まで行った記憶があります。
友達が欲しかった、それだけの理由で非行や万引きをしたこともあります。
寂しくて、手首を切ってみたこともありました。
いわゆる思春期、私は母へ思いつく限りのあらゆる抵抗を試みました。

長々と思い出話ですみません。

今、私は37歳です。
結婚し、子どももできて、表面上自立したつもりでいましたが、精神的な親離れには失敗してしまったのかなと思います。
母の生き方を踏襲していたのでは、私は幸せになれないのだと最近思います。

そのこと以上に今心が痛いのは、兄たちと父が絶縁状態になってしまうのではということと(もともと心のつながりがなかったので)、弟がアルコール依存の道をひた走っていることです。
母は多分、生前そのことが一番気がかりだったと思います。
何が何でも自分が先に逝くわけにはいかないと思っていたと思います。
すべての問題は結局、自分が解決しなければならないと思っていたと思います。

元来が皮肉屋で、屈折した心理を持つ父は、ますますその度合いを強め、兄たちとの溝を深めています。
私も実を言うと、今まで父を一度も心から「好きだ」と思ったことがありません。いや、本当は思い出したくないのかもしれない。今は父への憎悪(=私への自己攻撃)から何とか離脱しようともがいている最中です。
そういう何もかもから見放された父の存在に、弟は激しく同情するところがあります。意識的にせよ、無意識にせよ、依存することで生前の母にしたように、自分の欲求を満たしてもらおうという甘えも存在するのかもしれません。
はた目から見れば、どう見ても「あんたの回復が先やろ!」のツッコミが入るところですが。

皆が皆、初めて暗闇の中を手探りで歩き始めたような感じです。

ただ、父は、この期に及んでもまだ逃げ腰です。
多分今まで自身で問題を解決しようとしたことがなく、64歳まで生きてしまったからだと思います。さんざん、生前、死後と母をもてあそんで、自分だけが回復しようとしています。もともと、傷ついていなかったのだから、その言葉も当てはまるのかどうか。弟のことも兄や私に転嫁しようとしています。
ただ一番、死に近いのは、おそらく弟でしょう。

「運命」それが母の口癖でした。
母だって何も好きこのんで独りで決めたかったわけじゃないと思います。
もともとが末っ子で、甘えん坊だった母です。

私は今までのように、結局母のひとり決めに従うほかなかったように、これからも起こることをただ傍観する、それだけの役割しかないのでしょうか。
私が変わらなければならないことはわかっていても、放置されてきた事の大きさと、自身の家庭すらも今あやうくなっている中で、どんどん自分が縮んでいくように思います。

今は子どもとの暮らしで癒されています。
正直、自分の子どもを巻き込むような形にだけはしたくない。
そう思えば思うほど、母の言った「運命」にこれから私や私の家族は翻弄されていくのだろうかと思うと、立ち向かう勇気よりも先に萎えてしまう自分がいます。明るく振る舞いきれない、「なるようになる」と開き直れない、そんな私です。

要は気の持ちよう一つなのかなと思います。
でも、なかなか定まることができません。
これからを生きていく強い意志が欲しいのです。

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。
全く支離滅裂ですが、何かご助言がいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

カウンセラー
根本理加
happaさん、こんばんわ。
根本理加です。

お返事の方、大変お待たせして本当に申し訳ありません。

> はじめまして。実は、こちらの電話相談を何度か利用している者です。
> ここへ来て、たくさんの「気づき」を得ることができました。
> まずは、そのことについてお礼申し上げます。

こちらこそありがとうございます。
少しでも何かお役に立てれば嬉しく思います。

お母さんの事、残されたご家族のこと、本当に読み進むにつれて
happaさんの辛い気持ち、悲しみがひしひしと伝わってきて、私も悲しい気持ちになりました。
私自身が父を亡くした時の事を思い出しました。

happaさんのご家族のカナメの役をされていたお母さんを亡くされたことは、happaさんにとっても、ご家族にとっても、まるで心にぽっかりと穴が開いてしまったような感じではないでしょうか?
本当に素晴らしいお母さんだったのですね。
その分、今感じる心の痛みはどれ程だろう?とお察しします。

> 結婚し、子どももできて、表面上自立したつもりでいましたが、精神的な親離れには失敗してしまったのかなと思います。

大人としてきちんと自立をしていても、何歳になっても、私達にとって親の存在というのはそれ程大きいのではないでしょうか?
何歳になっても私達の心の中には子供の部分ってあると思うんです。
それはhappaさんだけではないと思いますよ。

> そのこと以上に今心が痛いのは、兄たちと父が絶縁状態になってしまうのではということと(もともと心のつながりがなかったので)、弟がアルコール依存の道をひた走っていることです。

それを見ているhappaさんは本当に辛いですね・・・。

> 元来が皮肉屋で、屈折した心理を持つ父は、ますますその度合いを強め、兄たちとの溝を深めています。
> 私も実を言うと、今まで父を一度も心から「好きだ」と思ったことがありません。いや、本当は思い出したくないのかもしれない。今は父への憎悪(=私への自己攻撃)から何とか離脱しようともがいている最中です。
> そういう何もかもから見放された父の存在に、弟は激しく同情するところがあります。意識的にせよ、無意識にせよ、依存することで生前の母にしたように、自分の欲求を満たしてもらおうという甘えも存在するのかもしれません。
> はた目から見れば、どう見ても「あんたの回復が先やろ!」のツッコミが入るところですが。

お父さんはどうしてそうなってしまったんでしょう?
お母さんを失ってしまった今、お父さんはもっと心を閉ざされていっているのかもしれませんね。弟さんも何かバランスを崩されて、自己破壊的になってしまっているのかもしれません・・。

> 「運命」それが母の口癖でした。
> 母だって何も好きこのんで独りで決めたかったわけじゃないと思います。
> もともとが末っ子で、甘えん坊だった母です。

過酷な状況の中で、お母さんも強くならざるをえなかったんでしょうね。
運命と割り切ることで、しんどい状況を乗り越えてこられたのかもしれません。

> 私は今までのように、結局母のひとり決めに従うほかなかったように、これからも起こることをただ傍観する、それだけの役割しかないのでしょうか。
> 私が変わらなければならないことはわかっていても、放置されてきた事の大きさと、自身の家庭すらも今あやうくなっている中で、どんどん自分が縮んでいくように思います。

happaさんの家庭自身もあやうい状況なのですか?
それならなおさら、息をつく場所もありませんね・・。

そうですね。happaさんが変化することは、残された他のご家族にとっても大きなことですよね。今happaさんご家族はまるで船長のいない船に乗って、海を漂っているような感じを受けました。
happaさんがこれからお母さんに代わって、舵を取っていくことは可能ですよ。
それは何も他の家族全員を背負って、happaさんが泳ぐことではないんです。
ただ、今のhappaさん自身のしんどい気持ち辛い気持ちを、まず解放していくことが先決ですね。今はまず、happaさんが背負っているご家族を一旦下ろして、happaさん自身をケアしていく必要があるように思います。

> 今は子どもとの暮らしで癒されています。
> 正直、自分の子どもを巻き込むような形にだけはしたくない。
> そう思えば思うほど、母の言った「運命」にこれから私や私の家族は翻弄されていくのだろうかと思うと、立ち向かう勇気よりも先に萎えてしまう自分がいます。明るく振る舞いきれない、「なるようになる」と開き直れない、そんな私です。

運命については人それぞれ捉え方が違うと思います。
運命が本当にあるのか、ないのかは誰にもわかりません。
でも、運命を抗えない避けられないもの。と捉えてしまうと、もうそれになす術も無く飲み込まれてしまうしかしょうがない気がしませんか?
そう考えてしまうと、運命ってとてつもなく恐ろしいもののような感じがしてしまうと思うんです。
確かに大きな流れというか、避けられない運命のようなものもあるのかもしれません。
でも私は、運命を自分の力で少しずつ違う方向に変えていくこは可能だと信じています。
例えば、人生の中で何本かに分かれている道が出てきた時に、どの道を選ぶのかは自分の選択次第だと私は考えます。
そして毎回小さな選択を自分がしていくことで、いくらでも道を修正することが出来ると思うんです。
(抽象論になってしまってごめんなさい・・・。)

もし、自分の人生を全て起こってくる事まかせにしてしまったとしたら、私達にできることは何もないような気持ちになってしまうと思うんです。
逆に、自分の人生は自分で責任を持とうと考えるとしたら、自分次第でいかようにも変えていくことが可能な気持ちがしませんか?

私はここで何が正しくて、何が違うということを言いたいのではないんですね。
happaさんも書いて下さった通り、気持ちの持ちようだと思います。
できるだけ、自分にとって幸せになりやすい考え方をしていけたらいいなと思うんです。

> 要は気の持ちよう一つなのかなと思います。
> でも、なかなか定まることができません。
> これからを生きていく強い意志が欲しいのです。

happaさんもお母さんと同じくとっても頑張り屋さんなんですね。
今はまだお母さんを亡くされたばかりなので、ある意味生きていく強い意志が出てこなくても当然の状況だと思うんです。
今は本当にまずhappaさん自身を休めてあげて下さい。
今は自分のケアを最優先に考えてあげて欲しいんです。
そして、一段落したてhappaさんに少し余裕がでてきた時に、これからの事、ご家族の事を考えていかれたらどうでしょうか?
また、happaさん自身のしんどい気持ちを少しでも軽くする為に、良かったら電話カウンセリングも使っていって下さいね。

happaさんは本当にお母さんにたくさん感謝されていますよね。
お母さんと過ごされた時間の中で、お母さんからたくさんの贈り物を受け取られたことと思います。
そして肉体は亡くなってしまわれましたが、happaさんの心の中にはこれからもずっと、そのお母さんの愛が生き続けていくと思います。
happaさんの中には、何もしなくても既に、お母さんから受け継いだ大きな広い心や、温かさや、家族を思う気持ちがたくさんあると思います。
happaさんが楽になっていった時に、その部分が自然に湧き上がってくるような気がします。
それこそが、happaさんがこれからの人生を歩んで行く時の指針になると思うんです。

焦らずゆっくりと行きましょうね。
また何か私達でお役に立てることがありましたら、お手伝いさせて頂きたいと思います。

ありがとうございました。

 

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