友人達との関係

相談者名
みや
友人も職場の同僚も、わたしから連絡を取るか、わたしから話し掛けることが多いです。(自分の感覚では、ほぼ9割)いつもそんな感じなので、わたしは友人や同僚にとっては必要とされる存在ではないのか?と思ってしまいます。電話もいつも自分から掛けるし、職場で話し掛けるのもそう。わたしから話し掛けて、感じの悪い態度を取られることもないのですが、近くを通っても素通りされたり、何でわたしは必要とされないのかな?と感じてしまいます。

友だちは多いほうではありません。結婚してからは自由に出かけられなくなったので、たまにメールするくらいです。ダンナが社交的ではないこともあり、自宅に友人等を呼ぶこともありません。(アパートが狭くて呼べないというのもある)

仲が良い友だちで、いつも職場では話し掛けられる方、電話もかかってくる方って感じの子がいました。確かに彼女と話していると楽しいし、聞き上手だと思えましたし、わたしも大好きですが、その他に決定的に「違いはこれなのね!」と思えるようなこともなかったように思います。

わたしは何でも自分から働きかけないとダメな方なんだって自分には言い聞かせてますが、むなしさ、淋しさが残ります。今は結婚して子どももいますので、旦那や子どもにとっては必要とされる存在であると思ってますが、肉親以外には必要とされていないんじゃないか、自殺願望はありませんが、仮に死んだとしても誰がお葬式に来てくれるのか?などとさえ、思うこともあります。

完全な自己肯定感を持つことができないのは、たぶんこれが一番大きな原因です。
何かアドバイス頂けたら、とても嬉しいです。よろしくお願いします。

カウンセラー
成井裕美
はじめまして、みやさん。
勇気を出してのご相談ありがとうございます。
担当させていただく成井です。とっても寂しさを感じていらっしゃるようですね。
「私って必要とされていないの?」
「私なんて居ても居なくてもいっしょなの?」
自分から話しかけたり、行動を起こすたびに
「どうせ私からこうして話しかけないと相手をしてもらえないんでしょ?」
というような悲しい気持ちになっていらっしゃるように感じました。

> 自殺願望はありませんが、仮に死んだ
> としても誰がお葬式に来てくれるのか?などとさえ、思うこともあります。

その気持ち、よく分かりますよ。
私自身もよく「私が死んだら、誰がお葬式にきてくれるのかな~?」なんて事を
よく思っていました。
別に死にたいわけでもないし、「もう生きていてもないもいいことなんてない」
というくらい人生に絶望している訳ではないんですよね。
ただ、自分には何もないような空っぽの感じがしたり、自分の居場所がないよう
な感じを感じていらっしゃるのだと思います。
かつて私が「お葬式には誰がきてくれるのかな?」と思っているときには、私は
ただ寂しかったんです。
でもその時の私は「寂しい」ということが出来ませんでした。
お葬式に人が集まってくれるというのは、その頃の私にとっては「愛されてい
る」と感じれる1つの手段のようなものでした。

どれだけの人が集まってくれるのだろうか?
どれだけの人が「あの人はいい人だった」「惜しい人をなくした」と涙を流して
くれるのだろうか?

その時に初めて「あぁ、私は愛されてたんだ」「みんなに必要とされてたんだ」
と実感できるように感じれていたんですよね。
逆に言うと、それくらいの状況がない限り、自分が愛されているかどうか?を知
るすべがないようにも感じていました。

> 仲が良い友だちで、いつも職場では話し掛けられる方、電話もかかってくる方
> って感じの子がいました。確かに彼女と話していると楽しいし、聞き上手だと
> 思えましたし、わたしも大好きですが、その他に決定的に「違いはこれなのね
> !」と思えるようなこともなかったように思います。

その通りだと私も思います。
きっとその友達と、みやさんに人間的な決定的な差があることはないでしょう。
ではどうして彼女だけが欲しいものを手に入れることが出来て、みやさんは寂し
い思いを抱えているのか?がPOINTになってくると思います。

もしかすると、職場の人たちやみやさんの友達は、
「みやさんがまさか、話しかけてもらいたい!と望んでいるなんて!?」
とみやさんの寂しさを知らないのかもしれません。
「みやさんがまさか、私から話しかけないと誰も相手にしてくれないんで
しょ?」
と不安に思っているなんて事を知らないのかもしれません。
友達や職場の人たちにとっては、みやさんは「いつも積極的な人」と言う風に
映っているかもしれません。

例えば、ちょっと想像してみてくださいね。
みやさんにはお子さんがいらっいますよね?
お子さんの「好きな食べ物」を知っていたとしたら、
「知ってるけど、でも甘やかさないために絶対その食べ物だけは食べさせな
い!」
と思うでしょうか?
・・・思いませんよね?
好きな食べ物を知っていたとしたら、「あぁ。これ好きだったな~。」って与え
てあげると思います。
逆に、「嫌いな食べ物」それも食べ物アレルギー級の「これだけはどうしても受
け付けないもの」を知ってたとしたらどうでしょうか?
「ふふふ。毎回食事の度に出してやろう!」
と思いますか?
・・・やっぱり思いませんよね?
好きなものを知っていれば、それを与えてあげたいし、嫌いなものを知っていた
らそれは避けてあげると思います。

でも実はこれは私たちが「して欲しいと望むこと」も同じなんです。
みやさんがどうされると喜ぶのか?どんな時に嬉しいのか?楽しいのか?をもし
周りの人たちが知っていたとしたら、周りの人たちはそれを与えてくれるでしょ
う。
逆にみやさんがどう扱われると悲しくてとか、寂しくて・・・。というのをもし
分かりの人たちが知っていたとしたら、出来るだけ避けてくれるかもしれませ
ん。

今、もしみやさんの欲しいものがあまり入ってきていないように感じれたとした
ら、それは周りの人たちが「どうみやさんを愛せばいいのか分からない」のかも
しれませんよ。
『自分を愛させやすくする』というのが鍵になってきます。

私たちでよければ、いつでもお話を聞かせてくださいね。
一緒に今のみやさんにとってベストな方法を考えてきましょう。
応援しています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛、対人関係、自己啓発、ヴィジョン、ビジネス心理を得意とし、”少しでも楽に・簡単に・シンプルに”をモットーに、分かりやすい心理分析と日常的に無理なく取り組める提案を行っている。 その人本来の輝きや、問題の先にあるヴィジョン(幸せな未来や才能)を引き出すカウンセリングが好評である。